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75:六月六日その⑤

「調子に、乗らないでください」

 

 正面から俺を睨みつけて、高嶋は俺の手を払いのけた。

 ほう、という気持ちと一瞬イラっとする気持ちとが入り混じり、どうしようか迷って俺は手を引っ込める。


「子どもが私の様な大人の、手助け? 今まで色々と頑張ってきたんでしょうけど……私の人生は私のものです。自分で責任を取れるから、私は大人なんです」

「……そうかい、そりゃ悪かったな。じゃ、好きにしろよ。俺は止めたりしねぇから」

「な、要くん!!」

「大人のお姉さんがそう言ってんだ、俺たちみてぇな子どもが口や手を出すのは違うだろ。たとえどんな結果になろうと、後悔しないで自分で全責任を取る、そういう覚悟があるからああ言った。そうだよな?」


 無言で頷き、高嶋がカバンを手に立ち上がる。

 その顔には悔しさとでも言うのか、何とも形容しがたい表情が浮かんでいる。

 俺たちが仮に大人なんだとしても、高嶋はきっと同じことをしていたのではないか、と思うが。


「……協力と治療のお礼は、いずれ。ありがとうございました」


 それだけ言うと高嶋はそのまま玄関から出て行った。

 そして、わかっちゃいたが池野さんはいつも通りのニコニコとした顔。

 露木や先輩を始めとした他の連中の目は冷たい。


「あんたね……あんな言い方しなくても」

「じゃああのまま無理やりにでも説得してたら、高嶋が納得してたと思うか?」

「それは……」

「けど、要くんもらしくないと思います。あんな中途半端な形で終わりなんですか?」

「終わりもクソも、別に何も始まっちゃいねぇだろ」

「じゃあ、高嶋さんがあのまままたその……八百屋の息子さんに口説かれても構わない、ってこと?」


 正直俺の知ったことじゃねぇ。

 そう思う一方で、だったら何であんな一時しのぎな手段に出たんだよ、という気持ちもある。

 

「そう思ったから、高嶋は出てったんじゃねぇの? 中途半端を選んだのだって、結局はあっちの方で……」

「かーなめくん?」

「…………」


 やっぱニコニコしてんのは顔だけ、という恐ろしい女、池野さん。

 まだ何も言ってこないのに、この圧力。

 

「要、あの人は年齢だけ確かに私たちより上かもしれないが……お前の言った通りなら人生経験は遥かに少ない。あのまま行ったらどうなるかわからんぞ」

「大体あんた……望ちゃんに似てる部分があるから、手を貸したんでしょ。望ちゃんだったら絶対見捨てないくせに、あの人は見捨てるんだ?」

「…………」

「じゃあいいです、私が行きます」

「は? お前が行って何になるんだよ?」


 いきなり露木が脈絡もないことを言い出し、憤りの表情で立ち上がる。

 

「年下なら、って言うのだって、相当勇気が要ることだったんじゃないかって私は思います。なのにそれを聞いても要くんは何も感じなかったんですか?」


 いや、感じたけどよ。

 犯罪くせぇ、って。

 堂々と公言していい類のことじゃねぇ気がするのは、俺だけなのか。

 

 腹の内を明かしたらもう仲間、みたいなおかしな感覚持ってるよな、こいつら。


「どんなことになるかわかりませんけど……私に何かあったら、みなさん要くんをお願いしますね」

「……あんた、このまま行かせていいと、思ってるの?」

「…………」

「要くん、私はどっちがいなくなっても、嫌だなぁ……」


 ついこないだまでふてくされてたくせに、何でこういう時だけこんな素直な感じなんだよ立川。

 助けられるものは全部、助けてやりたい。

 そんな幻想は、本当に幻想でしかねぇって、俺はわかってる。


 この手で掴み切れるものなんて、そうそう多いわけじゃねぇ。

 もしかしたら掴めなくて、そいつの人生を更に悪いものにしてしまうことだって、あるはずだ。


「それでも要くんは私たちを救ってくれたでしょ」

「富岡、言いたいことはわかる。けど俺は池野さんに関しては救ったりした覚えは……」

「あの時の続きをご所望かな? ロープ、買ってくる?」

「…………」


 余計なことを言うな、と池野さんが言っている。

 あの時のことは二人だけの秘密、ってわけね。

 けどロープ、って言葉が出た瞬間のこいつらの顔の引きつりよう……気づかれててもおかしくないんだけどな。


「……ああ、もうわかった。わかったからお前らここで大人しくしてろよ。上手く行くかどうかもわかんねぇんだからよ。ややこしくなったらそれはそれで面倒だ」

「要くんなら、そう言ってくれると思ってました。楽しみにしてます」


 そう言って露木が俺の目を覗き込んできて、がっちりと視線が合う。

 ……この野郎、頭おかしくなったのか?



 マンションを出て、少し歩いたところで打ちひしがれた様に歩く高嶋の姿を見つけた。

 こちらスネーク、目標を発見。

 なんて心の中で言ってみても、もちろん応答する者はいない。


 時折ため息をついては足を止め、空を見上げている様だ。

 自分に酔うタイプなのか。

 しかし何だ……あいつらの前で言うのは控えたが、タイトスカートに浮かぶ尻の曲線が何とも悩ましい……そう感じる俺は、長くも短くもない入院生活で欲求不満にでもなってしまったのか。

 

 ちょっと撫でてみたい、なんて考えてしまって、慌てて頭を振る。

 今日の俺はどうかしている。

 そう、これは一時的な気の迷いだ。

 

 俺はそんなことをしにここまできたわけじゃない。

 必死にそう自分へと言い聞かせて、俺は高嶋の尾行を再開する。

 考えてみたらさっきまで逆だったんだよな。


 とは言ってもあっちが俺の尾行に気付く確率は極めて低いのだろうが……。

 高嶋の家は、記憶を見た限りではもう後十分も歩けば到着する場所にある。

 しかしここからが難関……とは言ってもそれは高嶋にとって、であって俺にとってではない。


 あの八百屋の前を通らなければならない、というもの。

 そしてあの暗く沈んだ表情で八百屋の前を通れば、たちまちさっきの嘘はバレてしまうだろう。

 ここでの失敗は、後々俺の生命を脅かすことにもなりかねない。


 なのであれば、嘘をつき通して真実にしてしまえ。

 

「さっきは悪かった、さくらさん」

「えっ……?」


 八百屋の前に差し掛かったところで、俺は足を速めて高嶋の肩を叩き、足を止めさせる。

 息子が声をかけようとしていた様だったが、間一髪間に合った様だった。


「俺が、間違ってた。ちゃんと、向き合ってやり直そう。俺にはあんたがいないと、ダメなんだ」

「ゆ、優木くん……?」

「…………」


 すんげぇ茶番だな、と自分でも思う。

 何しろ普段こんなことあいつらにも言わないもんだから、噛みそうになるのを懸命に堪えて本当は顔見るのもかなり恥ずかしいけど、正面から高嶋の目を見て、自ら羞恥プレイに臨んでいる。


「ほ、本当にそう、思っているんですか?」

「あああ、当たり前だろ。あんたがいない日常なんか、考えらんねぇ」


 この野郎、俺の予定にない返ししてきやがって……。

 もちろん打ち合わせた訳じゃないが、おかげでどもってしまった。


「でも、私……あなたよりも随分年上ですよ?」

「知るか、そんなもん!! 俺についてこいったらついてこい!! あんたの幸せは、俺が作ってやるって言ってんだ!!」


 こうなったらもう、ヤケだ。

 どうにでもなってしまえ。

 後で町中から嫌われる様なことになろうと、元々俺は人気者でもない。


 後のことなど知ったことではない。

 言うなり俺は左手で高嶋を抱き寄せる。

 八百屋一家に道行く人々、見物人多数。


 その誰もが俺たちを見ては足を止め、息を飲む。

 ここまでは途中予期せぬ返しが待っていたこともあったが、概ね予定通り。

 そして俺にとっての難関。


 それは露木の脳内から読み取ったシナリオ。

 勢いに任せて口づけてしまえ、というものだった。

 既成事実を作ってしまい、それを周りに周知してしまう。


 これによって高嶋も俺も、周りからの……祝福されるかは別にしての公認カップルとなるわけだ。

 しかし……しかしだ。

 人前での、それも全く知らない人たちの前でのキスとか、俺には経験がない。


 いや、あいつらだってないんだろうと思うが、俺ならできる、みたいな愉快な勘違いをしている露木の脳内はやっぱりどうかしていると思う。

 かつてないほどに心臓がバクバク言って、破裂するんじゃないかと思われるほどに血圧が上がっているのがわかる気がする。


「ゆ、優木くん……逃げないで、くださいね」

「は? ……お、おいむぶ!!」


 などとグダグダ迷っていたら、俺が何をしようとしていたのかを察知したのか、高嶋がその唇を俺の唇に重ねてくる。

 辺りは歓声に包まれ、商店街は一気に沸き立った。

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