68:五月二十八日その②
来ちゃダメですよ、と言いながら露木は一人進んでいき、柵に手をかける。
一方で立川は俺の方を努めて見ない様にしている様だった。
今記憶を読まれたらまずい、という思いがあるのだろうか。
「美理亜ちゃん、もう大丈夫ですから」
露木が戸越に手を差し伸べ、ゆっくりと戸越はその手を掴む。
やや遠目ではあるが、戸越が震えているのが俺の目にも見える。
やがて救い出された戸越がその場に蹲り、露木は律義にもそのまま柵を乗り越えた。
「これで、人質交換は成立しましたよね?沙紀ちゃん、何があったか話してもらうわけには……」
「ごめんね望ちゃん。まだ話せない。だけど要くんはほとんど、真実に辿り着いてるよね」
「…………」
自分からそう言ってくるということは、池野さんが言っていた能力者はこいつで間違いないんだろう。
しかし今ここで俺が口を出すことで立川を刺激して、露木までもがその身を危険に晒すという結果だけは避けたい。
とはいえ……戸越をあのまま放置してちびっちゃったりしたら可哀想かな、なんて思いも生まれてきているんだが。
「要くん、美理亜ちゃんを保護してもらえますか?」
「だけど……」
「沙紀ちゃん、それくらいはいいですよね?」
立川は答えなかったが、反対もしない。
ひとまず俺は戸越を立たせて頭を抱えた。
まだ少し恐怖しているのか、戸越の体からは震えが伝わってくる。
「大丈夫か?」
「ええ……一応。私の記憶、見る?」
少しでもこの状況を打開させようという考えからか、戸越は青い顔をしながらも俺の方を見た。
露木の方を見ると、軽く頷くのが見えたので俺は戸越の目を覗きこむことにする。
「……は?」
しかし俺が見た戸越の記憶から、決定的なことは掴むことができない。
それはそうだろう。
何も聞かされずに戸越は一緒にきてほしいとだけ言われ、絶対落としたりしないから、と立川に言われるままに柵を一緒に超えたという、それだけのことだった。
後から俺たちが来たことには戸越本人も驚いていた様で、本当に何も聞かされていないのだと言うことはすぐにわかった。
にしても、高所恐怖症の癖に何だってこんなこと……いや、友達の頼みだから、って引き受けたんだろうな。
こいつも案外底なしのバカだわ。
「立川、お前何がしたいんだ?」
「…………」
「戸越にも何も言ってなかったみたいだな。最悪の最悪、俺に話したくねぇってんならそれでもいいぜ。けど、戸越はお前の友達でもあるんだ。事情くらいは話しておくべきだったんじゃねぇの? さわり程度でもよ」
もちろん立川が俺に話したくないとかそういうことを考えていたとは思ってない。
しかし……たとえば俺と全く同じ能力を持ったとして、立川がどういう行動に出るか。
あいつは俺以上に人間不信に陥ってもおかしくない。
もちろんそうじゃないとは思う。
けど絶対そうだとも言い切れない。
「要くんは……きっと私のことちゃんと知っちゃったら、私のことなんか構いたくなくなるよ」
「あ?」
「気持ち悪いって思われちゃうかもしれない」
「お前、一体何言って……」
「要くん、ちゃんと聞いてあげましょう」
「…………」
進んで記憶を見てください、なんて変人は正直露木だけで十分だと俺は思っているし、立川の態度は至って人として当然のものである、と俺は考える。
しかも今は能力が顕現してしまっている、ということもあるのだからそう考えて当然だろう。
ただ、俺が少し悔しく思うのは、そんなことがあっても尚、頼ってもらえないことだ。
俺たちが力になれない様なことが、立川の身に起きているなんて考えにくい。
言うなれば止め処ない遠慮が、立川をそうさせてしまっている。
根拠があるわけじゃないが、言い方を変えてしまえばまだ俺たちの輪に馴染み切れてない、というところか。
元々引っ込み思案なところがあって、内に籠もる傾向の強い立川。
人と接する機会も俺とは違う理由で少なかった。
そんな立川が、突然能力開花してしまったら……。
「優木くん、私見た目は変わってないかもしれない。だけど、もう優木くんたちが知ってる私とは大分違っちゃって……」
「んなわけあるか、ボケ」
「……え?」
何て言うんだろう、この気持ち。
聞いていて何となくムカっときたというか……。
いや、だって考えてもみてほしい。
俺の様なわかりやすく恐怖の対象になる様な能力を持った人間を、露木たちは気持ち悪いなんて言わずに……むしろ異常なほどの愛情を持って接してくる。
仲間として認めている人間である立川を、今現段階で正体不明でもある能力が芽生えたからと言って、気持ち悪いなんて断ずるとは考えにくい。
「お前の言い分だと、俺も気持ち悪い人間だな。そう思ってたってことか?」
「そんなわけない……」
「じゃあ何でお前が同じ様になったらそうなるわけ? こいつらが今必死にお前をこっちに戻そうとしてる理由もわかんねぇか? こいつらにとってもう既にお前は仲間なんだよ。そんなお人好しなやつらが、お前のこと見捨てたりなんかすると、本気で思ってんのかよ」
じっと立川を見つめると、一瞬目が合いそうに……なったのにすぐ下向きやがった。
説明するのが怖いってことなら俺が見てしまうのが手っ取り早いはずなのに、なかなか上手く行かない。
「だって……」
「だっても明後日もあるか。全部話して、それでも受け入れられなかった、ってことなら仕方ねぇだろ、人間同士なんだからよ。お前を助けた時に戸越に言ったことだけどな。でもお前は受け入れた。だったら今度はお前がこいつらを信じてやる番なんじゃねぇのか?」
「…………」
「沙紀ちゃん、要くんの言うことはもっともだと思いますよ。お互いに信用してるから、みんな一緒にいるんですし」
露木ナイスアシスト。
普段アホの子な部分が際立ってしまって、俺としては残念な気持ちでいっぱいだったが今日だけは、ヒロインの一人らしいことをしている気がする。
「ま、そういうことだな。それでも逃げ出したいってことなら俺は止めねぇよ。来るもの拒まず、去る者追わずってな。それで後悔しねぇなら、って付け加えておくけどよ」
まだ少し青い顔をしている戸越の肩を叩くと、ゆっくり戸越は頷く。
そして俺は一歩ずつゆっくりと柵に近づいていった。
「けど一応言っておくぜ。俺はお前がどんな力を持っていても変わらず受け止めるし、今までと変わらず接する。そういう性分なんでな」
「…………」
「考えてみたらよ、俺はお前のことあんまよく知らねぇ。だからもっとお前のこと、教えてくれよ。お前の口から、立川沙紀のことを聞かせてくれ。昼飯でも食いながらな」
俺が近づいて行っても、立川は先ほどの様に拒絶する様子もなく、来るなとも言わない。
これならいける。
そう思った時、露木が立川の肩に手を置いた。
「沙紀ちゃん、戻りましょう。登れそうですか?」
「……ちょっと、怖いかも……」
そういえば露木も案外自分のことより人のこと、って考える傾向があったな、なんてほほえましく思ったものだが本当に怖いもの知らずだな、とも思う。
露木が手を貸して立川が柵を超える。
しかしこっちに戻ってきた立川を見届けた直後に、信じられない光景を目にした。
「わっ……」
「な! バカ野郎お前!!」
立川をこっちに戻して油断した露木が、足を踏み外して落ちそうになっている。
俺の体もその瞬間に動き出していて、気づけば柵を飛び越えて露木の腕を掴んでいた。
動くのが一瞬でも遅れていたら、露木は真っ逆さまに落下していたかもしれない。
「わっ……じゃねぇよバカてめぇ……」
「だ、大丈夫ですから、要くん……私、体重軽いから落ちてもそんなに痛くないかもしれないですし……だから手を離してください。じゃないと、二人とも落ちちゃう……」
「ざけんな、バカなこと言ってんじゃねぇよ……ぜってぇ離さねぇぞ……」
数十センチ程度の足場に、腹ばいになって腕一本で露木を引き上げるべく力を込める。
握る方に力を入れ過ぎれば露木の手が折れてしまうかもしれない。
しかし力を緩め過ぎれば露木が落ちるのは必定。
俺の右手に、露木の命がかかっている。
そうだ、この重みは露木の命の重みだ。
絶対に離す訳にはいかない。
「か、要……」
「おい、頼むから絶対こっちくんなよ……お前らはそこで見てろ……助けなんか呼んでも間に合うわけねぇし、お前らが来ても役に立たねぇよ。一緒に落ちるなんて勘弁だからな」
戸越たちが駆け寄ってくるのを何とか止めて、俺はどうしたらいいか、と必死で考える。
露木も大丈夫だから、としきりに言っているが落ちて無事で済む高さでないことは明白だ。
そしてこの状態がそう長く続くはずがない。
なら、一瞬でも力を使って露木をこっちに引き戻す。
「おい、お前俺に命預けられるか?」
「……当たり前じゃないですか。そんなこと、今更聞かないでくださいよ。私の全ては要くんのものなんですから」
またまたこのバカはこの局面にあってもこんなこっぱずかしいことを……。
けどまぁ、ここまで言うなら大丈夫だろう。
預けられた命は、俺の命に代えても必ず救ってやる。
「そうかよ。なら少し痛ぇかもしれねぇけどよ、死ぬよかマシだろ。行くぞ!!」
そう叫んで俺は露木を掴む腕に力を込め、思い切り引き上げる。
勢いで露木の体はふわっと浮き上がり、勢いそのままに全身が柵を超えるのを、俺は見た。
「った……」
「望ちゃん!!」
背中から地面に落ちた露木が軽く呻き、戸越と立川が露木の元に駆け寄る。
大丈夫です、と少し痛そうな顔をしながら露木は答えて立ち上がった。
あの様子なら大した怪我なんかもしてないだろう。
これでとりあえずミッションコンプリート、ってな。
地面についた左手で立ち上がろうとして、俺はちょっとした違和感に気付く。
……あれ、足元にあるはずのものが、ない。
「要くん!!」
三人が柵にしがみついて俺の名を呼ぶのが聞こえ、そして俺はそのまま屋上から落下していった。




