66:五月二十七日その④
「これはこうして……」
「望ちゃん、猫の手だからね。あと包丁逆手に握っちゃダメ」
「…………」
このセリフだけで、もう不安しかない。
一通り、こいつらご所望の食材と調理器具を買って帰ってきて……まずは戸越が米を炊いた。
ここまではいい。
幸いなことに、米に洗剤ぶち込んだりという暴挙に出た人間もいなかった。
何か作ろうという話になった時、露木は私が食材を切りますね、なんてぬかしてもうそこで恐怖が生まれた。
そして案の定、ドキハラ展開が待っていたというわけだ。
何で食材刻むのに包丁逆手に握る必要あんだよ。
昼ドラの出演者か何かなのか、あいつは。
「今日、カレーでいいわよね?」
「……ちゃんと食えるもんなら、別に何でもいいぞ。頼むから、何があってもそいつから目を離すな。今日の晩飯はそいつの見張りにかかってると思えよ」
「ひどいですよ、要くん。これでも私、日々進歩してるんです」
まずはその逆手に持ったままの包丁をぶんぶん振り回すのをやめなさい。
つい今しがた、戸越という怖いお姉さんに言われたばっかでしょ。
「ならまずは包丁の持ち方から覚えてくれよ。俺はお前らが痛い思いして泣くのとか、見て喜ぶ趣味はねぇんだからな」
「出た、ツンデレ」
「あん?」
これでも割と素直に気持ちを伝えたつもりだったんだが、何でツンデレ扱いされにゃならんのか。
そんなことはいいから、マジで露木から目を離さないでいただきたい。
包丁の持ち方覚えたからって料理が劇的に上手くなるわけじゃないし、物理的に殺傷される確率が多少緩和されたにすぎないんだから。
「ほら、出来たからテーブルの上片づけて」
「…………」
お前は俺のカーチャンか。
そう言いたくなる様な、何だか懐かしさを感じさせるセリフ。
もちろんここで何もしなければ戸越のことだから鉄拳が飛んでくることは明白なので、俺も素直にある程度片づけて布巾で拭いたりするわけだが。
一応、形式上は作ってもらってるという事実がある以上文句を言うなんて以ての外だと思うし、俺はその辺義理堅いんだ。
「割と早くできたな。ほとんど戸越作か?」
「まぁ……でも望ちゃんが食材刻んでくれたし、亜沙美ちゃんが炒めるのはやってくれたから」
富岡が料理、っていうともう何かさぁて、こいつをどう料理してくれようか……みたいなイメージしか湧いてこないのは、先日のこいつの暴走のせいだと思う。
俺は悪くないはずだ。
しかし運ばれてきたカレーを見て、俺は言葉を失う。
だって、このカレーは……。
「こ、このカレー……」
「そうよ、あんたん家のお家カレー。前に見せてもらった記憶から手探りで作ってみたの。サラダもね」
「要くん、最近コンビニのお弁当とかばっかりだからと思って……迷惑でしたか?」
「そんな心配しなくてもいいわよ。迷惑なんて言ったらぶん殴るから」
テーブルに並べられたカレー、そしてサラダ。
その盛り付けまで全てが、懐かしくノスタルジックな感覚を呼び起こす。
かつてわいわいと食卓を囲んでいた、俺にとってはかけがえのない人たちだったはずの家族。
もう二度と戻ってはこない、そう思って諦めていた光景。
こいつらはそれを再現してみせたのだ。
「ちょ、ちょっと何!? あんた泣いてんの!?」
「え、要くん……」
「は? え? あれ?」
言われて顔を触ってみると、確かに目から零れ落ちているものがある。
俺が、こんなことで?
いやいや、そんなわけ……と思うが何故か俺は、目から零れ落ちるものを止める術を持たなかった。
「要くん、そんなに喜んでくれるなんて……これからまた作ってあげるからね」
「ば、バカちげぇよ! こ、これはあれだ……何て言うの? 心の、そう! 心の汗!! だ、断じて泣いてなんかいません!!」
「要くん、無理しなくてもいいんですよ。まだそんなに時間も経ってないんですから……」
「今まで頑張ってきたんだから、たまにはこういう日があってもいいと思うよ」
何だその慈愛に満ちた笑み……。
しかしそれらを見た瞬間に蘇ったのは、確かに今年まであった家族の喧騒。
賑やかな食卓……そんな幸せなものが、最近ではまた当たり前になってきているんだと思っていたものが、こんなにもありがたいものであることを、俺は思い知った。
「さ、ほ、ほら食べましょう。私たち、何も見てませんから! そうですよね?」
「そ、そうよ。ほら美味しそう! いただきまーす!」
下手くそな気遣いまでしやがって、こいつら本当にバカだな。
しかし肝心なのは味だ。
涙を手で拭い、スプーンを手にして、頂きますと手を合わせる。
そして三人が、俺の食べる様子を心配そうに見守っていた。
そんな見てたって、味なんか変わりゃしねぇだろうけどな。
「……うまい」
「やった!!」
俺の言葉に、三人が手を合わせて喜び合う。
本当に旨い。
母が作ってくれていたものとは多少違う気がするが、それでもこいつらが頑張って作った。
それだけで、十分だった。
「その……何だ。本当に、旨かった。あ、ありがとう……な」
食べ終わって一息、というところで俺は礼を言わなければと思い、しかし上手く言葉が出てこない。
たかが飯なのに、俺は不覚にも感動しているのか?
「良かった。少し、不安だったんです。ちゃんと美味しくできるか」
「……お前、食材刻んだだけだろうが」
「あんたね……一応合作ってことでいいじゃないの。本当は嬉しくて涙ちょちょぎれそうなの、堪えてるんでしょ」
「……けっ。ふ、普段が粗食だから、余計旨いって感じただけで……」
こんなことを言ったって、多分こいつらにはバレバレなんだろうけど……。
しかし俺は俺らしくいなかったら、余計にこいつらを心配させるだけだ。
「今度は私たちがそれぞれ一人で作ってあげたらいいですよ、美理亜ちゃん」
「あ、それもいいわね」
「お前……やっぱ俺のこと殺したかったのか、そうなのか」
「本当に失礼ですね……知らないうちに胃袋掴まれてるかもしれないのに」
笑ってるんだか怒ってるんだかわからない話し方で、露木は俺を睨む。
もう、とっくに掴まれかけてるんだけどな。
もっともそんなことを口走ったらこいつらはきっと、調子に乗って成長しなくなるかもしれない。
俺は褒めて伸ばすなんて、器用な真似は出来ないから……。
だから辛辣に、そして悪辣にこいつらの成長を促すのみだ。
「ちゃんと掴める様、もっと修練に励みたまえよ」
「何よ、偉そうに」
「バッカ、俺は普段やらないだけでそこそこ飯だって作れるんだよ。包丁逆手に持って、なんてヤンデレ崩れと一緒にすんな」
「要くん……それは、私にヤンデレであってほしいという願望の表れですか?」
「…………」
こいつには、確かにその才能があるかもしれない。
料理の才能はまだこれからだから、まだまだ未知数な部分だらけ。
だがその前にヤンデレの才能なんか開花させられたら、たまったもんじゃない。
「お前は……あれだ、ちゃんとやればできる子だ、そうだろ? だからヤンデレの才能はしまっとけ。料理で俺の胃袋を掴んでくれ。物理的に素手で胃袋掴んだりする様な、おっかない子になっちゃうなんてのは俺の望むところじゃない。一生のお願いをここで発動してもいいと俺は思ってるぞ」
「しょーもな……そんなことに一生のお願いって……」
「バカか、お前俺の命がかかってんだぞ? 料理が上手くならなかったらそのうち毒食わされる。ヤンデレの才能なんか開花したら、俺刺し殺される。どっちに転んでも地獄じゃねぇか」
「要くんが、私をどう見てるのかがよく分かった気がします」
満面の笑みで応えた露木が、それから少しずつヤンデレ要素を孕みつつも、料理の腕をメキメキ上げていったとしたら、それはきっと俺の言葉のおかげだろう。
そして時折失敗しながらも、俺はこいつらの料理に胃袋を掴まれて禁断症状が出る様な、そんな恐ろしい料理だけは作らないでくれと心の中で願うのだ。
「あまり想像しすぎない方がいいですよ……しすぎると、現実になりますから」
「…………」
お前を見ていると世界の終わりを想像するよ、とか言った方がいいのか?
何にしても今日は見せたくなかった部分をいくつか見せてしまった気がするが……記憶の消去なんていう便利能力を俺は持ってないから、あれはなかったことにしてしまおう。
こいつらだって、そうそういつまでもあれをネタにして、なんてことするほどの根暗ではあるまい。




