6:四月十一日その⑥
「オラ!! どうだいてぇか!? 無防備に男の一人暮らしの部屋なんぞに来やがって!!」
「い、痛いです! やめて、助けて……」
なんてことがあるわけもなく、ドライヤーを受け取った俺は露木の髪を丁寧に乾かしていく。
割と男女関係なくぶっ飛ばす、くらいに思って生きてきた俺だが、フェミニストの気でもあるのだろうか。
「ほら、少し首下に向けてくれ。うなじの辺りも乾かさないと」
「あ、はい」
……本当に俺、一体何をやってるんだ。
怖い思いをさせようってのは一体どうなった?
うん、無理だ。
こいつから悪意とかそういうものを一切感じないのに、そんな相手に痛手を負わせるとか。
案外甘っちょろくできてるんだな、俺って……。
「……こんなもんか?」
「ありがとうございます、大丈夫だと思います」
露木の髪は、柔らかかった。
おっぱい柔らかかった、みたいなのと違って……とは言ってもおっぱいなんて触ったことはないが、何て言うかふわふわしていて、何時間でも触っていられる気がする。
もちろんそんなことを言ったら自ら弱点を晒す様なものでもあるから言うわけがないのだが、何となく名残惜しい。
「上手ですね、優木くん」
「は? いや、さすがに女子の髪乾かすなんて、初めてなんだけど」
「そうですか、何だか撫でられているうちに気持ちよくなってしまって、少し眠くなってしまいました」
「なら寝るか? 俺は腹減ってるから飯食うけど」
「本当に意地悪な人ですね。食べるに決まってるじゃないですか」
またもむくれた顔をして、露木は立ち上がって弁当を手にする。
そして俺の分から温めにかかった。
こいつは一体俺に、何を期待しているんだろう。
「はい、優木くんの分。温まったみたいです」
「お、おうありがと……」
「先に食べてもらっても、大丈夫ですよ」
そう言いながら自分の分を露木は温めにかかる。
しかし一向に食べ始める気配がない俺を見て、怪訝そうな顔をした。
「どうしたんですか?」
「一緒に、食べませんかって。お前が言ったんだろ。んな数分で冷めるもんでもないし、それくらい待つさ」
そう答えると、露木が顔を輝かせて俺を見る。
そんなことで嬉しそうにされてもな。
そんなこんなでちょっと遅めの夕飯を済ませ、俺もシャワーを浴び、とうとうこの時が来てしまった。
とは言ってもただ寝る、というだけのもので、その寝るという言葉に他の意味など含まれてはいないのだが。
「あの」
「何だよ」
明かりの消えた部屋に、露木の声が響く。
どうでもいいけど電気が消えると、何でこんなにも静かに感じるんだろうな。
「本当にベッド使っちゃって、いいんですか?」
「お前は客なんだから、いいんだよ。大体俺は寝ようと思えば何処でも眠れる」
「そうですか。そっち行っても、いいですか?」
「はぁ!?」
またもこいつは思いがけないことを言い出す。
どういう思考回路をしていたら、こんな言葉がすいすいと出てくるのだろうか。
「一緒に、寝ましょうよ」
「寝ませんよ。ていうかお前、状況わかってんのか? 俺が人畜無害な生き物だからお前は貞操の危機もなくいられているってだけで、これが俺じゃなかったら、お前今頃大変なことに……」
と、そこまで言ってしまって先ほどの、こいつの母の記憶を思い出して慌てて口を噤む。
いくら焦っていたからと言って、さすがにこれは失言だった。
「母の様に、ですか?」
「……悪かった。ちょっと、口が滑っちまったな」
「いえ……私、それでもいい……じゃなくて仕方ないと思います」
「……は?」
「優木くんにだったら……」
露木に背を向けて横になっているその背中に、ぴたりと何かが当たる感覚がある。
その奥から少しだけ伝わってくる、鼓動。
「お、おい」
「私、優木くんにだったらどんなことされても……」
「……やめろ。軽々しくそんなことを口にすんな。お前、自分の出生を知ったからそんなこと言ってんだろ。さっき俺が言ったことは、もう忘れちまったのか?」
「…………」
俺は、こいつをどうしたいのか。
少なくとも手荒に扱いたいとは思わないし、かといって自分のものにしたいとかそういう気持ちは今のところない。
どうなろうと知ったことじゃない、なんて擦れたことを考えたりもしてないし、できれば自分を大事にしてきちんと幸せを掴んでほしい。
それが出来るだけの力はあるんだし、やろうと思えばどんなことだってできるはずだ。
だけどやっぱり、あの母の記憶をこいつに見せたのは失敗だった様な気が、今頃になってしてくる。
「あの親のところに帰りたくない、ってことなら一つだけ、何とか出来る方法がある」
「えっ?」
「お前は今何処にいるんだ? それが答えだ」
「……え? ええ!? ま、まさかそれって」
「ああ」
漸くわかってくれたか。
これで少しでもこいつが立ち直ってくれたら、俺としても幸いだ。
「い、一緒に暮らす、ってことですか?」
「…………」
なんて考えた俺がバカだった。
言い方が悪かった、というのもないことはないかもしれないが、常識で考えてそれはあり得ないと何故わからないのか。
「……アホか。そうやすやすと俺のプライバシーを侵害されてたまるかよ。そうじゃなくて、この学校には寮があんだろ、ってこと。少し考えたらわかんだろが」
「あ、そ、そう……ですよね」
何で残念そうなんだよ……。
高校生という身分でそんな爛れた生活が許されるなんて思ってるのか?
そもそも俺たちただのちょっと知り合っただけのクラスメートだろ。
俺はこいつのことを知っているが、こいつは俺のことなんかほとんど知らないはずだ。
「あの家にいたくないなら、あんな家出ちまえ。んで安全な空間で心の整理をする時間を設けたらいい。さっきも言ったがお前はお前の人生を全うするために生まれてきたんであって、あの親の責任を取るために生まれたわけじゃねぇ。自棄起こす前に、ちゃんと頭冷やして考えた方がいい」
「そ、そうですよね。すみません、不快にさせてしまって……あの、一個いいですか?」
「何だよ、もう寝ろって、明日も学校あんだから」
「い、一個だけ……あ、でももしかしたらもう一個」
「…………」
キリがないし、俺が了承しなければそれこそ夜通しの話になってしまいそうな気がする。
仕方なく俺は聞き入れてやることにした。
「あの……親に話をしに行くときなんですが、また付いてきてもらうことはできませんか?」
「あー……」
さっきのあの様子を見たら、さすがに一人で行くのは勇気がいる話ではあるか。
とは言っても、またあんなことになるとは考えにくいところではあるけどな。
まぁ、万一のことがあってからでは遅い、という考えも捨てきれないし、ということで俺は了承する。
明日、早速ということになるだろうから……バイトがあるが、適当な理由をつけて休ませてもらうことにするか。
「わかったよ、行ってやる。もしかしたら、のもう一個は?」
「いいんですか?」
「ここまで来て、聞かなかったら気になって眠れねぇだろ」
「そ、そうですか。あの……嫌なら無理には聞きませんが、ご家族のことって、お聞きしても?」
「…………」
その話きちゃったか。
別に意図して隠していたわけでもないんだが、今のこいつに聞かせていい話なのかどうか、迷ってしまう。
一家全員が事故で死んでしまっているのと、健在であってもあんな風に冷え切っているのと、どっちが幸せなんだろうな。