50:五月十七日その②
「……黙っててすみませんでした」
大変屈辱的ではあるが、ここでこうして謝っておかなくては、俺は露木にも顔向けできない様な最低野郎で終わってしまう。
しかし、俺はここで一つ重大な勘違いをしていたことに気付く。
「……優木。謝る相手が違うだろう」
「え?」
「私たちに謝るのなんか後でいい。むしろ謝ってもらう必要はない」
「そうだねぇ。優木くんと露木ちゃんは、そうなるべくしてなったんだから。言わなくてもわかるよね、優木くん」
「…………」
先ほどのあの暴言を発してから怖くて一度も見ることのできなかった、その顔。
百パーセント嘘だった、とは言っても俺が直接あんなことを目の前で言えば、傷つかない方がどうかしている。
「お前はどうしてそう、自分から憎まれ役になろうとする? そんなことで仮に露木さんが救われたとしても、露木さんには後悔しか……いや、お前にとってもそうだ。きちんと謝って、清算しておけ」
先輩に諭され、俺は恐る恐る露木を見る。
露木は俯いて、俺の方を見ていなかった。
そりゃそうだよな、こればかりは俺が全面的に悪い。
極端な話、俺は露木に殺されても文句を言えない様なことを言ったのだ。
それがたとえ本位でなかったとしても、そんなものは言い訳にもならない。
「えっと……露木、その……」
「…………」
反応がない。
これはまさか……ショックで死んだ、なんてことはないよな。
「露木、って呼ぶんですか?」
「へ?」
「あー、そういうことね。そういう関係になってるなら、確かに苗字で呼ぶのは不自然、かもね」
「……そういうことかよ」
これはあれか、俺の度胸を試されていると。
そもそも女の子を名前呼びした経験なんかない俺。
ついこの間まで女と接する機会自体を自分で封印してた様なやつだ。
「の、のぞ……」
「…………」
「何を恥ずかしがってる、優木」
「そ、そんなこと言ったって……」
「泣き言言うなんて、優木くんらしくないよね」
立川なんかはもう、半笑いで俺を見ている。
それに釣られたかして、富岡も池野さんもその顔に笑顔が混ざっている気がしたが、露木だけはじっと俺を見ていた。
早く呼べとその目が、露木の記憶が言っている。
「優木はあれだな、実は追い詰められないと何もできないタイプなんだろう」
「はい?」
「そっかぁ、じゃあ追い詰めたら言える様になるかもしれないね」
「え、ちょっと……?」
「たかが名前呼び程度が追い詰められないと出来ないとか、どんだけヘタレなのよあんた」
「…………」
みんな好き勝手なことを言ってくれるが、俺からしたら清水の舞台から飛び降りるくらいに勇気がいることなんだよ。
そして追い詰めるって、何するつもりなんだ?
全くいい予感はしない。
「そう言えば優木くん、アレ一晩で使い切ったの?」
「…………」
「そんなに露木ちゃん、よかったんだ?」
「……ノーコメントで」
「いや、結果が物語ってるでしょそれ……」
何でこんなことを今聞くのか。
公開処刑ってやつか?
だとしたら俺には効果絶大だな。
「使ってる間も露木って呼んでたの?」
「……まぁ」
「呆れたなぁ。じゃあ私たちと同じことするときもやっぱり苗字で呼ばれるのかな」
「雰囲気ぶち壊しだよね」
「まぁエアブレイカーっていう称号を与えてやるのも面白いんだがな。今から五分以内に名前呼びが出来なければ、ここでお前は私たちを相手に露木さんとの夜を実演だ」
「……ええぇ……」
これはダブルで効果のある、風邪薬みたいなやつだな。
言えなければ露木にも俺にもダメージがあるっていう、俺たち一つも得しないやつ。
「更に言うなら、あの夜の回数分お前は全員を相手にすることになる」
「ま、待ってください、さすがにそれは俺死にます」
「何、若いんだからどうにでもなるだろ。気合いで何とかしろ」
何さらっと殺人宣言してくれてんの、この会長。
しかもその目は本気であることを物語っている。
一応、誤解のない様に言っておく。
こいつらとそういう関係になりたくない、とかそういうことを言っているわけではない。
とは言っても、こんな全員いる前で、というのはいかがなものか、というだけのことであって、そうでないなら別にいくらでも……は言い過ぎだけどまぁ一考の余地もある。
と、そんなことを考えている間にもう一分くらいは経過してしまっているかもしれない。
「ほら、どんどん時間がなくなるぞ。お前は何だ、惚れた女一人まともに守ることも出来んのか?」
「…………」
「これじゃ先が思いやられるねぇ……」
割と本気で池野さんまでが俺を心配している様だ。
もちろん、労わろうなんて言う意志は微塵も感じられない。
「ほら、残り二分だ。まだまだ残り二分もある、と思うかもうあと二分しかない、と思うかはお前次第だけどな。あまりギリギリだと、露木さんまでもお前に愛想を尽かすかもなぁ」
「……ナメんな」
「ん?」
何でか今まで言われたことには多少の危機感しかなかったのに、今の発言だけは俺の心の奥の、かなり深いところまで突き刺さった様な気がする。
「やったるわ! の、望!! さっき言ったことは全面的に取り消す!! 先輩の言った通り心にもないことだった、許してくれ!!」
叫ぶや腰を直角に曲げ、頭を下げる。
肝心の名前を呼ぶところで噛んでしまったが、これが俺クオリティだ、許してほしい。
「噛んでたよね」
「噛んだわね」
「噛んでたな」
「…………」
肝心の露木からの反応がないのが、一番おっかない。
まさかとは思うが、噛んだことを怒ってらっしゃる……?
「本気で、そう思ってますか?」
そう思ったところで、露木は俺の顔を再び覗き込む様にして見上げてくる。
この期に及んで、俺が冗談とか言える様な人間だと思っているんだろうか。
「と、当然だろ。俺は俺なりに頑張ったつもりだったけど……間違ってた」
「…………」
「結果として、お前を傷つける様なことになったって、思ってる」
「別に、そこまで傷ついたりとかしてませんけど」
「あ、そ、そう……」
あまりにはっきりと即答されてしまい、何となく俺としては毒気を抜かれた様な気分になり、床にへたり込む。
「……んなわけないじゃないですか!! バカ!! みんなを敵に回してまで私なんか守ろうとするとか、本当にバカですよもう!!」
と、油断したところで露木が怒り心頭と言った様子で俺に掴みかかってくる。
不意を突かれた俺は対応できずに、そのまま床に押し倒された。
「わかってるんですか!? あれをみんなが信じてたら、どうなってたか!!」
「あ、ああ……」
そう答えては見たものの、実のところはっきりとはわかっていない。
だって、こいつらがあんな与太話を信じたとは、到底思えなかったから。
「ちゃんと、わかってるんですよね!?」
「わ、わかってるって」
「本当ですか!? 私のこと、好きですか!?」
「ああ……ああ!?」
卑怯な質問の仕方覚えやがってこいつ。
思わずああ、とか言っちまったじゃねぇか。
「何でそこで疑問形になんのよ、もうみんなわかってるって言ってんのに」
「う、うるせぇ!」
「私のこと、大事に思ってくれるんだったら……」
露木が一旦離れ、俺を見下ろす。
長い黒髪が揺れ、露木の目は漸く穏やかさを取り戻していった。
「もう、あんな手段は二度と取らないでください。約束、してくれますか?」
「優木、お前はもう一人じゃないんだ。そのことを忘れてはいかん」
露木の言葉に応える代わりに、俺は露木の頭を右手で引き寄せてその胸に抱く。
ひょう、やっるぅ、とか声が聞こえるが今だけは構うものか、と開き直って俺は心の中でああいう手段はもう取るまいと、固く誓った。




