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40:四月二十七日その③~邂逅~

 あれからおそらく、それなりの時間が経ったはずだ。

 体力自慢の先輩が、俺に一撃も攻撃を当てることが叶わず、空振りを何十何百と繰り返して、俺は隙が出来れば打ち込んでを繰り返すこと十五分ほど。

 しかし彼女は倒れることはなかった。


「しぶといねぇ、先輩。そんなに親父が大事か?」

「お前には、わからないだろう……お前は家族に、恵まれていたんだから」

「かもな。だけどあんたの父親は偽物さ。生きてるだけマシって見方もできなくはないかもしれないけどな。けどあんたの父親には本妻がいるんだろ? 俺をハーレムなんぞに誘ったのは何でだ? 愛人が何人いようと、全員を平等に愛することを望んだからか?」

「…………」

「俺が、本妻を作らないなんて、どうして思えた? あんたが俺をどう見ているかは知らない。だけどあんたのは買いかぶりだよ。俺だってあんただって、ただの人間なんだから。それでもあんたが、俺に望むことを押し付けたいんだったら……力づくで何とかしてみせたらどうだ?」

「そんなこと、出来るわけ……」


 先輩が珍しく躊躇いの表情を見せる。

 普段あれだけ堂々として、時に凛とした表情も見せる、俺の憧れでもあった、先輩。

 その先輩が、俺の数えきれない攻撃を受けてボロボロになりながらも見せた黄昏た様な顔。


 俺は、先輩が呪縛に囚われていると思った。

 そして、この呪縛から解き放ってやらなければと思った。

 それが出来るのは、きっと俺だけなんだ。


「どいつもこいつも、本物が手に入らないからって手近な偽物で自分を誤魔化そうとするんだな」

「…………」

「父親も偽物、母親も偽物……これから先もそんなこと続けてたら……あいつらだって偽物になっちまうかもな」


 俺の言葉に、先輩の眉がぴくりと動く。

 多少揺らぎを見せたのはきっと、まだ彼女が迷っていて戻ってこられる見込みがあるということ。


「そんな偽物でも、いないよりはマシか? 一人でいるよりもずっと。しまいにゃ自分自身の心までも、偽物にしちまって、あんたはそれで満足か!?」

「…………」

「そんな偽物だらけの周りなんぞ捨てちまえ!! 俺は!! 俺だけはあんたにとっての本物でいてやるよ!! だから力づくで奪いに来いよ!! あんたにとっての本物は、今こうして目の前にいるんだぞ!! もっと周りに目を向けやがれ、バカ女!!」


 ぶっちゃけ言い過ぎ、と思わないこともない。

 だがこれくらいのインパクトがなければ、先輩の心に響かないかもしれない。

 だから俺も取り繕うことはしないと決めた。


「好き勝手なことを……お前が、私を孤独から救ってくれると言うのか?」

「そうだ!! 俺は強えからな、あんただってあいつらだって、全部背負ってってやるよ!! 後悔したくなきゃ、俺にぶつかってこい!! 誤魔化さなきゃならない様な感情全部捨てて、今まで溜まりに溜まってきた鬱憤を!! イライラを!! 全部俺にぶつけて見せろ!!」


 叫んで俺は先輩に向かって駆ける。

 先輩も一瞬ふっと口元を歪め、何かが吹っ切れた様な顔をして拳を握る。

 こうして、俺と先輩の戦いは終焉を迎えた。



「……とんでもないやつだな、あんなことを言っておいて」

「そうかよ。けど、スッキリしたんじゃねぇのか? さっきまでより、あんたいい顔してる」

「約束、してくれるんだろう?」

「さて、何のことかな」

「……まぁいい。しかし、本当に行くのか?」


 あの後俺は、先輩が迎え撃ってくるべく打ち込んできた拳を払いのけ、思い切り横っ面に拳をめり込ませた。

 元々もうほとんど残っていなかったであろう先輩の体力は、そこでゼロになったと言っていいだろう。

 先輩は俺の手によって倒れた。


 もちろん口先だけで何とか出来るなんて思っていなかったし、約束まではしてないが……こいつらを放置するつもりはない。

 しかしそれだって、この後のことが無事に片付いてからでなければ安心してなどいられない。

 いつまた先輩があの父親の呪縛に縛られるかわからない上に、禁呪とやらはおそらくまだ解けていない。


「行くさ。あんたの禁呪だかも解かないとな。俺はあんたの全てを見ないと気が済まない。そういう性分なんだ」

「欲張りなやつめ……」

「そうだよ、俺は無欲なんかじゃない。知らなかったのか?」


 お前は隠すのが上手いからな、と先輩は笑って立ち上がる。

 多少ふらついてはいるが、致命傷を与えたつもりはないし、大丈夫。

 後にも先にも、女をここまで痛めつけることはもうないだろう。


「優木、ちょっとこっちへきてくれるか」

「はぁ? 何でですか。俺もう行きますけど」

「いいから来い、すぐに済む」


 一体何なんだ、この期に及んで……しかし先輩がいつになく真剣な表情をしているのを見ると、何となく無碍にも出来ない。

 やれやれ、と先輩に近づいていくと、先輩が俺に向かって倒れこんでくる。


「っと……大丈夫かよ」

「悪いな、こうでもしないとお前に近づくなんて出来ないものだから」

「何言って……んむっ!!」


 完全に油断したと言っていい。

 一戦終えて無防備だったところを狙われ……唇を奪われるという大失態。

 当然のごとく、血の味がした。


 ってこれ、立場逆の方が自然だと思うんだよな。


「これくらいの役得はあっても、いいだろう?」

「不意打ちかよ、汚えな」

「お前が言うな」


 血の味がしても、別に不快ってことはない。

 俺がここまでボロボロにしなきゃ、文句なしの美人なんだけどな。

 自分でやっといて言うなよって話だけど。

 

「いや、大したものだな。琴音を歯牙にもかけないその強さ」

「父さん……」


 校舎側から俺たちにむけてかけられた男の声。

 振り返るとそこには、ダンディを絵に描いた様な初老の男の姿があった。


「お出ましかよ。わざわざ出向いてもらえるなんて、こっちとしても手間が省けるぜ。叩きつぶしに行くつもりだったからよ」

「君が私のことを探ろうと動いていたことは気づいていたよ。だが琴音はね、自ら私に服従を誓ったんだよ。母を捨てないでくれとな」

「弱みにつけこんで好き放題こき使ってその言い草かよ。愛人囲ってる様なクソ野郎は、みんなこうなのか?」


 暗闇に目が慣れて久しく、この男の目も俺の視界にはきちんと入っている。

 にも拘わらず、この男の情報の一切が俺に流れ込んではこない。

 一体どうしたというのだろうか。


「不思議かね、私の情報が君の元へ行かないのが」

「別に、おっさんの記憶なんかもらったって俺に得がねぇよ。気持ち悪いこと言うなハゲ」


 実際には特にハゲてはいないが、おっさんのイメージイコールハゲという俺の認識が、俺にハゲと言わせた。 

 そしてハゲと言われるのが新鮮なのか先輩の親父は口元を歪めて笑う。


「君は本当に面白い。切り札である記憶の掌握ができなくても尚、私に対する戦意を損なわないとはね」

「何が切り札だ。こんなもんに頼らないと戦えない様な軟弱者になった覚えはねぇよ。それより、俺にぶっ殺される覚悟が出来たから、ここまで出てきたんだよなぁ?」

「お、おい優木……」

「仮にも娘である人間をこき使って、俺の周りまで巻き込んで……楽に死ねるなんて思ってねぇだろ」


 首をゴキゴキと鳴らし、指をバキボキと鳴らしながら俺は先輩の父親に近づいていく。

 そんな俺とは対照的に、この男は楽しげに佇むのみ。

 余裕ってわけか。


「もちろんあんたは不出来な娘と違って、楽しませてくれるんだろ?」

「どうかな、もう歳だからね。しかし言っておくと琴音を鍛えたのは他でもない、私だ」

「そっか、なら大したことはなさそうだな。けどひと思いには殺さねぇからな、覚悟決めろよおっさん」


 悪びれる様子もなく、悠然と立つその佇まいに自然と苛立ちを覚え、俺の腹の中がムカムカとしてくるのがわかる。

 あれだけ痛めつけておけば、万一の場合に先輩の邪魔が入ることもないだろう。

 こいつがこの場に現れることは予想していなかったことではあるが、これで漸くこのくだらない連鎖を断ち切ることが出来るのだ。


「まぁこれから始まるのは、一方的なリンチになっちまうかもしれねぇけどよ。俺が勝ったらあんたは何をしてくれるんだ?」

「そうだな、君たちの前に現れないことを誓おうじゃないか」

「ほう、そりゃいいね。守れよ?」

「ただし私が勝てば、君には今後私の手足となって、言うことを聞いてもらうよ。時間も惜しいことだし、始めようか」


 具体的な条件はつけてこない。

 こいつは自分が負けるとは思っていない様だ。

 俺が負けた時に具体的な内容を告げる腹なんだろうが、その時は訪れないということを、身をもって思い知らせてやる。


 余裕たっぷりに見えるその男に、俺は猛然と殴りかかっていった。

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