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夢の島のありす  作者: 綾埼空
無名
9/9

エピローグ

 もう目覚めることはない。

 それでもかまわないと思った。

 消費ばかりの自分でも、未来を作り出せた。

 それが幸福なものかはわからないけれど。

 幸福になりたければ歩いたりなどしない。

 幸せと思える地点で、立ち止まればいいのだから。

 それでも、幸福すら消費して歩き続けるのは、より善い未来を目指しているからだ。

 ならば、今を続けることには意味がある。

 そう信じる。

 何より、彼女へ胸を張りたかった。


「手足を失っても、あきらめないとはね」


 走馬燈か何かだろう。

 脳内で、都合のいい像が結ばれる。


「からっぽの瓶は砕かれた。何で埋めようとしても、こぼれ落ちてしまう」

「そうね。器が壊れたらこぼれ落ちてしまう。満たされることは決してない。だからきっと、歩いて行けるのよ」

「貪欲ね」

「奪うことが罪なら、最初から奪わない機能を得ればよかった。けれど、奪う機能を選んだ」

「生き方を間違えたんじゃなくて?」

「その生き方を選んだのよ、きっと」


 それが善い未来に繋がると信じて。


「肯定できないわ」

「そう」

「……だけど、そうね。残るものがあると信じて使い続けるほうが、はるかに生産的と思うわ」


 そう言われ、胸を張った。

 彼女はあきれたように鼻を鳴らした。


「じゃあ、さよならね」

「ええ。天賜への天肢の接続は阻めなかった。どっちも壊しちゃったから」

「もう呪う対象はいない。――妄執だけでさまよう死者なんて、それこそ非生産的だわ」

「じゃあね、言葉祈月」

「さよなら、霧切有栖」




 そうして少女は目を覚ます。

 耳には潮騒が聞こえ、鼻に潮風のにおいが絡みついた。

 目には引いては寄せる波、青々とした海が見えた。

 地平線は空色だ。雲はまばらで、透き通った気持ちの良い晴れ模様だった。

 冬は過ぎ、春が咲いていた。

 桜色の薫りがした。


「夢を、見ていたわ」

「どのような夢を?」

「……忘れてしまったわ。夢はすぐにいなくなってしまうからいやね」

「悲しいですか?」

「いいえ、ちっとも。なぜだかすがすがしいわ」

「そうですか」


 胸を張る少女に、男は笑いかけた。

 砂浜に車輪が噛みつく。

 少女は車いすに乗っていた。男がそれを押している。

 轍はふたりの後ろにずっと続いていた。


「それで」


 少女が口火を切った。


「結局どうなったのよ?」

「……人類廃棄は、夜霧海子氏の独断でした。支持者は少なくなかったですが、決を押させるにはもう少し時間を要するはずでした」

「つまり」

「ええ。私たちはそれを止めた、ということになっています」

「そう……」


 霧切有栖と名無しの、人類史をかけた戦いはなかったことになった。


「悲しい?」

「ええ。ただ残念なことに、多くのものが残りました」


 男は少女を見下ろした。


「多くの傷跡が、残りました」

「自分が最良と思って行った結果に落ち込まないでくれるかしら」

「落ち込んでなど。……ただ、結果的に採算はマイナスだった。消費の未来を嘆きながら、結局、何かを使い果たすことしかできなかったことに憤りを覚えます」

「だれだって消費はするでしょう。あなただってご飯を食べるし、瓶を壊した。生きているだけで時間を使う」

「そうですね。そもそもが破綻していた」

「……それと同じように、だれだってきっと思うことよ。失うこと、忘れられること悲しいって」

「矛盾していますね」

「正しく生きたいなら、獣のままでよかったでしょう。文化を育まず、文明を拓かずに。自然の摂理に合わせれば、機能矛盾を起こすことはない」

「……」


 男は押し黙った。

 少女は波の音に耳を傾けた。

 どこかで聞いたことのある音だと思っていた。

 心が落ち着き、まどろみに身をゆだねるような。


「なんだか眠いわ」

「……一か月間も眠り続けて、起きたのは二日前でしたからね。体力が落ちているのでしょう」

「そうだったわね。そんなに……」


 うとうとする少女。

 そのまま眠るものと男は思っていたが、ふいに手を掲げた。制止の合図だ。

 車いすを止める。


「ねえ」

「なんでしょうか」

「善い日々になればいいって思わない?」

「思いますよ。ただ、それは失われる」

「失われるとしても、だれもが祈る。呪いで生きた人でさえ。それはとっても」

「ええ。愚かしくも、尊い。失うには悲しく、消してしまうには惜しい輝きです」

「今の人類史を凍結しようとは思わない?」

「天賜は壊れてしまいましたからね」

「そうじゃないのは、わかっているでしょう?」

「それは……」


 言い淀む男に業を煮やしてか。

 少女はため息をつく。


「まったく」


 車いすの肘置きに手をかけ、


「よいしょ」


 と、立ち上がった。

 男はその姿に目を剥いた。

 ふらふらと、今にも倒れそうだ。


「おっとっと?」


「ご無理はなさらないでください。以前のようには、行きません」

「みたいね。けどこれだっただいぶん高性能なんでしょう? ぶっつけ本番で倒れないなんて」

「そうですが……そうでなく」

「寿命が少ないんだから、あまり体力は使うなって?」


 男は息を止める。

 ただでさえ天肢を使う代償に寿命を削っていた。

 ただ生活するだけでなく、戦闘も数えきれないほどに行っていた。

 とどめは零號だ。

 急激な血圧の低下と、血液不足に一時は脳死に近い状態だったのだ。

 少女の命は、四季をあと一回見れるかどうかと宣告されていた。

 その象徴のように、少女の黒かった髪は色が落ち、今にも消え入りそうな白色に変わっていた。

 だか少女は、そんな事情を感じさせない力強さで地面を踏みしめた。


「だからこそよ。ベットの上で季節を数えるなんて、いつでもできるもの。こうして手足があるなら、歩き出さなきゃ」


 その姿をまぶしそうに男は眺める。

 頭を垂れた。

 まるで、断頭台の罪人のように。


「自分を壊していただけないでしょうか」

「どうして?」

「自分は失敗した技術です。せめて、あなたの体が動くうちに、あなたの手で壊されたい」


 少女は考えるそぶりを見せた。

 答えは決まっているのだと、男は薄々勘づいていた。


「残念だけど、廃棄されるだけの不備があると判断できません」

「……善い未来のために、終わる未来は切り捨てるべきかと?」

「さて? あなたが体現する未来は未だ訪れていません。案外、善いものかもしれないですよ?」

「それは」


 肯定も否定もできない。

 少女の言う通り、訪れてみなければわからないものだ。


「だから――本当にあなたが廃棄されたときに、壊してあげる」

 その約束が叶わないものと知りながら、少女は笑った。

 その向こうの空。

 温暖な季節になったからか。渡り鳥が飛んでいた。


「わあ」


 少女が感嘆の声を上げる。

 少しでも近くで見たいのか。

 一歩、また一歩と足を進める。


「……ぁ」


 その光景に男は泣きそうになった。

 悲しくはなかった。

 目頭が熱くなる。

 ――ああ、違うのだ。

 男は少女の背中を追う。

 善い日々になればいいという祈りが善い未来をかたち作る。

 男は考える。自らにとっての善い未来を。


「まったく、簡単な話だ」


 人生経験が少ないからか。自分の感情を知るのが随分と遅い。


「自分は彼女と、未来を見たい」

「そうね。私だって未来をあきらめたわけじゃない」


 男の声は少女に聞こえていたらしい。


「生きるわよ、私は」

「そうですね。自分も生きていてほしい。だから、がんばります」


 結局はそれだけの話だった。

 がんばって、報われなかったら。

 その時は悲しもう。

 ただ、訪れる結果を悲観して足を止めるのはやめようと男は思った。

 ふたりは示し合わせるでもなく、とりあえず行けるところまで行こうと考えた。

 足跡はしどろもどろだけれど、確かに先へ続く。

 そうして、しばらく――少女の体力が底をついてへたり込んだ。

 渡り鳥はもうどこかに消えていた。

 少女は自らの歩んだ道のりを確かめた。


「本当、歩くのって大変ね」


 車いすがすぐそこにあって苦笑する。


「大変ですよ。それでも」

「ええ。それでも歩くって決めたの」


 風を感じる。暖かな風が頬を撫でた。

 静かな冬の冷たい風は遠く。

 ふたりの眼前。

 命芽吹く春の色薫る、桜の花弁が横切った。

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