魔王相談室(お試し)
「はぁ……」
魔王城の一室。机の上に肘をつき、今日何度目ともわからないため息をつく。
「魔王様、そんなにため息ばかりつかれていては幸せが逃げていってしまいますよ?」
そういって私に仕事やらせ、ため息をつく元凶をつくっているこの女。
この俺、魔王ガウルの秘書、サキュパスの凛である。
「これ以上俺にため息をつかせたくないのなら仕事を俺に振るんじゃない」
「私はため息をつくなとは申しておりません。たとえ魔王様の幸せが逃げようと仕事を続けてくださいと言っているのです。」
「言っていること違う上にひどくなってない!?」
そうなのだ。こいつはサキュパスゆえに見目麗しく美しい女だというのに性格が酷い。
何が酷いって、周りの部下に対する態度もいいとは言えないのだが、私への態度が群を抜いて悪すぎる。
そのくせ仕事はできるので今やこの魔王城には欠かせない人材であるのだからたちが悪い。
「もうこの辺で休憩を入れてもいいんじゃないか?」
「ダメです」
嘆かわしいことに凛は俺の素晴らしい提案を一刀両断した。
考える素振りぐらい見せてほしい。
「生き物は適度に休憩をとることで最高のパフォーマンスを発揮できるものだと思うんだ」
「それは一般的な生き物のお話です。魔王様には体力の上限はないでしょう?」
確かに俺には体力の上限はない。底なしの体力である。
体力ゲージが目に見えれば視界を覆いつくしてしまうことになるだろう。
だが問題はそこではない。
「体力的には問題なくても精神が削られるだろう!」
「魔王たるもの強靭な精神を持ってもらわねば困ります。なおのことこのまま仕事を続けてもらわねばなりませんね」
「…………」
つまりその強靭な精神を持っていようが持っていまいが働かせるということか……。
なにそれ?
俺、魔王辞めたい……。
有給が欲しい……。
退職金がっぽりもらって隠居したい…。
――コンッコンッ
突然、俺の机を挟んだ正面にあるドアがノックされる。
「ほら、次の相談者がやってきましたよ。」
「はぁ、……はいれっ!」
ドアが開き、訪問者の姿が露わになる。
「失礼する」
「くさッ!!」
その男が部屋に入ってきたとたん、鼻がひん曲がってしまうのではないかと思うほどの動物のフンの如き汚臭が部屋いっぱいに広がる。
「出会い頭の相手に臭いというのは失礼かと、魔王様」
「お前の鼻をつまむ動作も十分失礼だと思うがな」
凛は表情こそ変えないものの鼻をつまみ、いかにも臭いですよと言外にアピールしていた。
「魔王様、こちらの方はハエの王、ベルゼブブ様です。」
「初めまして魔王様。私、ベルゼブブと申します。本日は多忙の中、お時間を取っていただきありがとうございます」
「い、いや、こちらこそ失礼した」
上下しわ一つないスーツ。くるんと丸い触角を生やしたイケメンが頭を下げる。
随分紳士的な男だな。
この汚臭を放っているのがこの男だとはとても思えない。
「本日はどのようなご相談で?」
あまりの臭いにむせ返りそうになりながらも必死に言葉を絞り出す。
「魔王様、このにおいを嗅げば分かるでしょう? 分かりきった質問をしてはいけませんよ」
「おいっ! 失礼だろうっ!」
客人に対してなんてことを言うんだ!
「いえ、いいのです……。本日ここに参ったのはまさにそのためなのです」
「そのためというと……?」
「私の香りです」
――マジかよっ!
「ほら、言った通りじゃないですか。臭いですし」
「おいっ!」
なんなの? さっきからこいつ心の声だだ洩れすぎるんだけどっ!
「はぁ…。やはりそれほどまでに臭いますか……」
「――ええ、かなり」
「お前は少し黙っていろっ!」
魔王の秘書たるものもう少し遠慮というものをだな……。
「ええ、私もわかってはいるのです。部下たちに命令をする際にもあからさまに臭そうな顔をされたり、私が近くにいる間、まったく口を開かず息を止めているものさえいる」
「でしょうね」
このサキュパス。俺の命令など完全に無視しやがる。
俺、一応魔王だよ?
魔王様命令をほんの数秒も守れないのか?
「凛、ちょっとこい」
凛を呼び、ベルゼブブに聞こえないように距離を置いてから話し始める。
「何で呼ばれたかわかるよな?」
「ベルゼブブ様のことを臭いといい、魔王様が黙れとおっしゃったにもかかわらず暴言を言い続けたことですね?」
「わかっているのならなぜ改善しない⁉」
凛はフンッと鼻で笑い見下すような視線を俺に向けて言い放つ。
あれ? 俺って魔王だよな?
「魔王様はそのようなこともお分かりでない? 魔王様はベルゼブブ様がどれだけ臭くて周囲に不快な思いをさせているかお分かりになりませんか?」
「確かにあの匂いは強烈だが……」
「だったら一刻も早くベルゼブブ様ご自身がその臭いを放置しておくことの醜悪さを自覚していただき、改善への意欲を高めてもらうためにも周りが言い続ける必要があるのです。このままでは部下たちに糞の王、△×■〇の□〇×野郎などと言われかねません。」
「…今お前なんて言ったんだ?」
「魔王様は△×■〇の□〇×野郎だと言ったんです。」
「いや絶対そんなこと言ってなかったよね⁉ ベルゼブブの話してたはずだよね⁉ いつの間に俺の悪口にすり替わってたんだよっ‼」
「△×■〇の□〇×野郎は魔王様にとっての誉め言葉ではありませんでしたっけ?」
「なんて言っているのかはわからないが絶対に違うことは分かるぞ!」
お前俺の秘書のはずだよね⁉
どうして主に対してこんな扱いできるの⁉
「とにかく魔王様。ベルゼブブ様の今後の部下との良好な関係構築のためにもこれは必要なことなのです。お分かりになりましたか?」
「……わかった」
こいつにいいように言いくるめられている気がしないでもないが、一先ずはベルゼブブの相談を解決するか。
「いやぁ、待たせてしまってすまない」
「構いませんよ。こちらは相談に乗ってもらっている立場ですから」
怒ってはいないようだな。
凛にあれだけ酷い扱いを受けたのだ。
キレられても文句は言えない。
「それで相談の件なんですが……」
「ベルゼブブ様の糞のような汚臭のことですね」
「……ええ、そうなんです」
ベルゼブブのあれだけピンと伸びた紳士的な背筋が今は見る影もなく直角になりそうな勢いで曲がっている。不憫だ…。
「この臭いをどうにかする方法はないでしょうか?」
ベルゼブブはそれが心の底からの願いだと伝わってくるほどの絞り出すような声で話す。
「う~ん」
これほどの強烈なにおい。いったいどうやったら消すことができるのか…。
「魔王様。解決策をビシッとおっしゃってください」
「解決策……、解決策ねぇ。消臭剤とかどうだろうか?」
「魔王様はこれほどの悪臭を消臭剤程度で防げるとお思いですか? 臭いで脳みそまで腐ってしまわれましたか」
ベルゼブブに対しても主である俺に対してもつくづく失礼極まりないやつだ。
「じゃあどうしろと言うのだ。お前にはもっと良い案でもあるというのか?」
「えぇ。もちろん」
――がばッ!
次の瞬間にはベルゼブブは透明の袋の中にいた。
「え? これはどういうことでしょう?」
「密閉してしまえば何の問題もないでしょう」
いや、だめだろ。
「あの~、どうにかしてほしいとは申し上げましたがこれでは何もできません」
そりゃそうだ。
「いえいえ、ベルゼブブ様には部下がおられるじゃありませんか。部下にかわりにやらせればよいのです」
「これご飯とか食べられないと思うのですけれど……」
「部下にかわりに食べてもらえばいいじゃいりませんか」
「それ私食べてないですよねっ⁉ 死んじゃいますよ⁉ ベルゼブブ死んじゃいますよ!?」
ベルゼブブ袋を破ろうと引き裂こうともがいているが一向に袋は破れそうにない。
「何ですか!? この袋っ! 破れないッ!!」
可哀そうになり手を貸して袋を開けようとするが、袋の結び目がどこにも見当たらない。
どうやって入れたんだよっこれッ!
「魔王様用の特注品ですからね。いくらベルゼブブ様でも破ることは不可能かと」
「お前はこれを俺に使うつもりだったのかッ⁉ 何をするつもりだったんだよっ!」
「フフフ……」
凛は不敵に笑うだけで答えてくれる様子はない。
なんなの?
俺の秘書恐いんだけどっ!
神様ぁッ‼
有能で魔王にやさしい秘書を俺にくださいっ!!
「魔王が神様に願い事をしてどうするんですか…」
「人の心の声と勝手に会話しないでくれるッ!?」
俺の心の声だだ洩れ⁉ プライバシーはないのか!?
おちおち妄想もできないじゃないか。
「今朝の妄想は聞いてられませんでしたね」
「…………」
体中から嫌な汗が滝のように噴き出す…。
え? マジで? あれ知られちゃってるの?
なにそれっ! もうやだっ! 魔王死にたいっ! 消滅してしまいたいッ‼
「あのう……。早くここから出してもらえないでしょうか?」
ずっと袋の中で放置されていたベルゼブブが凛に対して腰を低くして懇願する。
もはや魔王たる私にお願いしないあたりこの部屋の力関係を出会って間もないにもかかわらず理解したようだ。
「仕方がありませんね」
――ガスッ!!
「ぐぁぁっ⁉」
ガチャン……。
凛はベルゼブブを部屋の外へ蹴り飛ばし、ドアをさっさと閉める。
「何やってるんだっ⁉」
ここから出してほしいっていうのは袋からであって、この部屋からではないと思うのだがッ!?
「悪臭問題も解決しましたからね。これ以上居座られても邪魔ですし」
「何も解決していないと思うのだが…」
ベルゼブブからしたら相談に来たら散々罵倒されて袋に入れられた挙句に蹴り飛ばされるという被害しか受けていない。
「次のお客様が参ります。その臭くて汚い汗を拭いて準備してください。袋に入れますよ?」
俺は言われるがままに光の速さで汗を拭き椅子に座った。