世界最強の俺様と吸血鬼
俺様は“永遠の孤独“
この狭苦しい日本で訳あって生活している、世界最強の男だ。
今俺はとある極秘任務が終わり帰路についている所だが、周囲の気配が可笑しい。
人の気配が全くない、人の姿も、車の姿も見えない。在るのは茜に染まる空模様と何処までも広がる田んぼだけだ。
「誰だ――姿を現せ」
カチカチと点滅する外灯を横目に、俺が鋭い声を発すると、目の前ちょい斜め右の塀の影がにゅっと伸びて人の形を取る。
青白い肌に、尖った犬歯、纏う魔力が只の魔物ではないのを教えてくれる。間違いない、奴は――
「なあに、名もなき吸血鬼。それだけですよ、永遠の孤独」
「クク、俺様の名を知る者か。よくこの場所までたどり着けたものだ、此方と彼方の境界を越えるのは容易ではないだろう。まあ、俺には片手間に出来る事だが」
つまり、この吸血鬼もその程度の実力は持っていると言うことだろう。
「ほう。流石は世界最強と名高い男だ。だが、その名声もここまで。
――貴様の命、吸わせて貰おうか」
ぎらりとした吸血鬼の犬歯が光る。だが相手は吸血鬼、幾ら強いといった所で俺の敵ではない、敵ではないが――堂々とこんな場所で戦闘すれば、どうなる。その最悪の結果を考えて俺は身震いした。もしこの事が露見すれば、いいや、考えたくもない!
「待て!」
「何ですか、今更命乞いをしようと?」
不敵に笑う吸血鬼を制して、俺は思考を巡らせる。どうすればこの状況を穏便に済ませられるか
「そうじゃない。そうじゃないが、まあ待て」
「ほう」
この吸血鬼は中々話がわかるらしい。戦闘態勢を解いた姿に胸を撫で下ろしつつ、やっぱり何の言い訳も思いつかず、今俺が置かれている状況を包み隠さず話すことに決めた。
「俺を殺せば」
「殺せばどうなるというのです」
「姉ちゃんが悲しむ」
「ねえ、ん?」
吸血鬼は何かを必死で考えているが、だが事情が飲み込めないのか「も、もういちど」と台詞を促す。
どうやら俺様の言葉を聞きそびれたらしい。仕方がない奴だ。
「俺様を殺せば、姉ちゃんが悲しむ!」
右手を左目に翳すポーズを決めつつそう告げる。
「それ所か、こんな場所で戦闘行為をやってみろ! 姉ちゃんは近所の迷惑も考えろと怒り狂い、俺様は三日晩ご飯抜き、一週間は奴隷のようにこき使われ、一ヶ月は罵声と冷ややかすぎる視線に晒される事になる!
やれ、テッシュ取ってこいだとか、今すぐオレンジジュース買ってこいだとか、果てには俺様がやっているゲームを横から奪い取るわ、対戦ゲームで負けたからと電源ボタンを押して無かったことにするわ、俺様が隠してた秘密の蔵書の隠し場所をお母さんにバラすわ――
いいか! 姉ちゃんがキレるとお父さんとお母さんでも手が付けられんのだ! 俺も怖い!
しかもだ! 姉ちゃんはこれだけでは飽き足らず――」
「ま、待ちなさい!」
吸血鬼は俺様の魂の叫びを制止すると、苦そうな、苦悶の表情をした。
「そ、それは……不味い、です……ね。それはよくわかりました。十二分に!」
「そうだろう。そこで貴様と取引がしたい」
訝しむかと思いきや、吸血鬼は助かったとでも言いたそうな顔をした。まるで天の助けだとでも飛び上がりそうなくらいだ。
「取引――いいでしょう! 私もなんだかそろそろ帰りたくなってきた所でした!」
「ククク……対話だけで俺様の力量が理解出来るとは、矢張り貴様、中々やる。
だが、まあ、聞いていけ」
俺様は徐に手に持っていたビニール袋の中をガサゴソ漁り、とある物を取り出す。
「……それは?」
「これは牛乳と呼ばれる、とある種族から搾り取られた液体だ」
「ほう」
「この液体を摂取し続ける事で俺様の肉体は強度を増し、力を得ていると言っても過言ではない。しかも驚く事なかれ、これはある意味では血液でもある!」
「なん……だと! 此方の世界にはそんなものまであると言うのか! あり得ない!」
「いいや! それがあり得る! あり得るからこその俺様だ!
これを貴様にくれてやる! それと引き替えにこの世界で戦闘行為を行わないと約束しろ! 吸血鬼!」
ビシッと吸血鬼を指差すと一陣の風が吹いた。今にも落ち尽きてしまいそうな夕陽が俺様達の横顔を照らす。
「しかし……」
吸血鬼は、この話を聞いても迷うように目を伏せた。
「しかしだ、永遠の孤独。私がその力でお前を凌駕してしまえば、お前は俺を怨むことになるぞ」
「フッ、そんな事は覚悟の上だ。取引だと勿体付けたが俺様は只、この牛乳が如何に美味か、貴様にも知っていて欲しいだけだからな……」
「永遠の孤独……」
俺様は笑った、そして吸血鬼も笑った。俺達は共に相対した強敵。だからそこ分かり合える感情が、この時確かに芽生えたのだ。
「礼は言わんぞ、世界最強の男」
「必要ない。さっさと消えるんだな、吸血鬼」
吸血鬼に確りと牛乳を手渡し、俺様は背を向ける。もう警戒する必要はない
牛乳を渡された吸血鬼の気配は背後で消えてなくなり、こうして俺様達の静かな戦いは幕を下ろした。
茜差す赤すぎる夕陽、だが俺様達はそんな色を一滴も流すことなく固い友情で結ばれたのだ。
もうすぐ夜の闇が世界を覆い尽くし、友の時間がやってくる。静かな夜を見る度に今日の日の事を思い出すのかもしれないな
そんな事を思っていると、ポケットに入れていたスマートフォンが小さく振動する。
俺様は慣れた手つきでそれを取り出すと、画面を見て空を仰いだ。
画面には只一言
――牛乳まだ? ホットケーキ作れないんだけど。
そう、姉ちゃんから恐怖のメールが入っていた。
――牛乳、返して☆――