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ラベル・エラベット  作者: 天海 悠
回廊にて
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坂道と青草 1







「朝の鐘だ」


 赤い服を着たニマウがつぶやいた。

 城の裏に広がる庭は、小さな街がすっぽり入るほどの広さがある。

 早朝の冷たい空気の中、双子はその庭の少しだけ小高い草原に寝転んでいた。

 二つの鐘が、城下町まで響く大音量で鳴り響いている。

 青い服のオノエがあからさまに肩を落として下を向いた。


「はぁーまたはじまったよ」

「トゥアナねえさんは勉強」

「ウヌワねえさんは家事」

「どっちに行っても怒られる」

「どっちも極端」

「どっちも面倒」


 二人そろって大きなため息をついた。


「どっちもなくなって欲しい!」




 同じ日の早朝──。

 城に残った兵士が、副官ロトの部屋のドアをノックした。

 後には洗濯した着替えを抱えた侍女が怯えた表情で控えている。


「どうぞ」


 二人が部屋に入ると、ロトは諸肌脱ぎになり、片手を背中に回して片手を床に付き、腕立て伏せをしていた。

 あらわな上半身を目にして、若い侍女がぎょっとした顔をする。


「おはようございます」

「おはよう」


 ロトは息も乱さずに答える。

 侍女がへっぴり腰で洗濯物を差し出した。


「お、お着替えを。こちらに、置きますね?」

「ありがとう」


 ロトは汗を拭きながら、縮み上がった侍女から受け取った。


「久しぶりのまともな朝ですね」

「今朝も走られます?」

「無論です」


 ロトは久方ぶりに爽やかな目覚めを迎えていた。

 もともと彼の朝の日課は、ストレッチに規則正しい朝食と朝の祈り、その後のジョギングと相場は決まっていた。

 兵たちが囁き交わす。


「サウォークさまなら、こんな時は昼まで寝てるのに」

「こっちも付き合わされるよな」

「しかし、連中がいないと静かだねえ」




 ロトにもやることは山ほどある。

 昨夜はカペルたちの出発後、文箱ふばこと印章の捜索に明け暮れた。


「父の文箱はこちらです」


 黒檀造りのチェストのふたを開きながらロトはトゥアナに尋ねた。


「文箱を隠したのは、印章が狙いだと思われますか」

「それ以外には考えられませんわ。どうしても取り戻さねばなりません。父に託された唯一の形見なのですから」


 長女は布地にされた大きな印を差し出した。


「これが印影ですわ。見つかった時の確認のためにお持ちください」


 ロトは会話の間中、横目で仔細しさいにトゥアナの表情を観察していが、どうとも読み取れなかった。




 ジョギングは趣味と実益だけではなくて、偵察や斥候を兼ねている。

 進軍時はスケジュールが不規則なので、常に規則正しくいられるとは限らない。

 走るにはやはり朝が一番よい、とロトは考えた。

 それにここは高所なだけはある。

 胸いっぱいに澄んだ空気を満喫しながら、ロトは油断なく目を配っていた。


 性急にささやく声が垣根の向こうから聞こえる。

 下働きの使用人の格好をしているが、明らかに軍人だ。

 放逐した後に城に合流した敗残兵に違いなかった。


「自分たちの身は、自分たちで守らないと!」

「トゥアナさまは何と言っても都育ちで母上も都の上位貴族、世間知らずのお嬢様だ。下々の苦しみが分からないとは言わないが、想像おできにならない」

「モントルーの奴らに占拠された時だって、城におられた訳ではないのだから」


 視界が動いて、話にはトゥアナの大柄な侍女も加わっているのが見えた。


「あのとき、ウヌワさまが城の女たちを西の塔に詰め込んで火を放つと脅さなければどうなっていたことか分かりません」

「しかし、無傷とはいかなかった」

「言うな!」


 重苦しい空気が漂うと同時に、西の塔と東の塔、両方から鐘が朝の空気を切り裂いて鳴り響き渡る。

 そこで彼らも四方に歩き去った。


 ロトはジョギングを続けた。

 城の裏手に広がる噴水広場に差し掛かると、芝生の上に女たちが集まっているのが見える。

 ロトは木の影に腰を下ろして、汗を拭いた。


「朝の整列!遅い!」


 中央に陣取って指揮を取っているのはウヌワだ。

 見ているといらいらとした様子で、何度か頭数を数え直していた。


「一人、足りない」


 ウヌワが呟いた。


「アウナは?アウナはどこ?」


 ざわざわ、少女たちや侍女たちが顔を見合わせるが、誰一人発言しない。

 一番若いテヴィナがおずおず言う。


「昨日、ベッドに入った時はいたわよ」


 ウヌワが白髪混じりの髪を逆立てて叫んだ。


「探し出して、呼んで来なさい」


 それから、はっと何か思い当たったような顔をして叫んだ。


「軍を、軍を追って!連れ戻して!」


 ギアズがぴょこんと立ち上がって、右手の門に向かって走り出した。

 トゥアナの鋭い制止の声が響いた。


「必要ありません!」


 ギアズがぴょこんと止まって、左に走って戻った。


「連れ戻しなさい!」

「駄目です!」


 二人の女はにらみあった。

 ギアズが助けを求めるように周囲を見渡し、頭を木の影から突き出していたロトは隠れるのが遅れた。ギアズの激しい手招きに、少女たちや侍女たちも振り向いて、ロトは仕方なく向かう。

 何事か問う暇もなく、ウヌワがすごい勢いで姉に向かって詰問した。


「これもあなたの指図?」


 ロトもさすがに聞かざるを得ない。


「アウナさまが、部隊と行動を共にしたのは確かなのですか?あなたが命じられた?」


 トゥアナは口をぎゅっと結んだままでいる。


「文箱だってとんだ茶番よ。自作自演に決まってる。都仕込みのとぼけた顔がお上手ね」


 ウヌワが足を踏み鳴らした。ロトは知らなかったが、地団駄の踏み方は昨日のトゥアナと同じで、姉妹そっくりだった。


「アウナはまだ子供!何かあって責任が取れますか!」

「私は何も命じていないし、行き先も知りません。でもアウナはもう二十はたち、思いは尊重してあげたいわ」

「若い娘の意思を尊重していたら、めちゃくちゃをやらかすだけよ!」


 ロトが重々しく断じた。


「ギアズ、ここは行かねばなりますまい」


 ウヌワがトゥアナを見て、それみろという顔をした。

 ロトは、ギアズに生真面目に言った。


「部隊を追い、カペル将軍にはトゥアナさまの伝言を伝えて下さい」


 みるみる、見るからに不満げな顔になった次女を無視して、ロトはトゥアナに尋ねた。


「何とお伝えしますか?」

「もしアウナが本当に軍に紛れ込んでいたならば、司令官の判断におまかせいたします。邪魔ならば返して下さい。アウナが行きたいと言うのなら、行かせてやって欲しいと…」

「トゥアナ!」


 ウヌワが名前を呼び掛けるのをロトははじめて聞いた。


「ギアズ、あなたが行って下さい」

「ええ~」


 ギアズは、あからさまに気が乗らないしぶい顔をして、何か言おうとしたが、右からウヌワ、左からトゥアナ、中央からロトの恐ろしい視線の集中攻撃にあってたじたじとなる。

 ぴょこんと立ち上がって今度こそ門に向かって走り出した。







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