印章 3
城の裏手にそびえる西の塔、その尖塔にある見張り台から声が上がった。
「誰か来るよ!」
さっきの双子、赤い服を着た方の少女ニマウが見下ろしていた。
少女が指し示す先、城の裏門前の噴水広場に、正規軍の一団がいる。
いらいらした様子の背の高い士官が立っていた。少女の鋭い目は、彼が聖職者を示す黒いカラーに手を当てる仕草まではっきりと捕らえた。
「こっちに来るよ。ウヌワ姉さんに伝えて」
一団は動き始めていた。
城は市街地に隣接している。
城門を開き中庭をけばすぐに建物が聳えている。だが城の裏側には北側の山にまで通じるのではないかと思わせる深い森に続く空間が広がっていた。
姉妹が普段、居間として使っている部屋の真ん中に次女のウヌワが静かに立っていた。
髪はちらほら白髪混じりでも顔には皺ひとつなく整っている。
だがどこかに険しさがあった。
沈黙の中、幼めのおどおどした少女が聞いた。末子のテヴィナだった。
「これからわたしたち、どうなるの?」
「考えたって仕方無いでしょ、テヴィ」
「ギアズは、私たちは捕虜として都に送られるって言ってた」
椅子を蹴倒し、栗色の髪を揺らして一人が立ち上がった。
細面の白い顔を真っ赤に染めていた。
「ここで死んだほうがまし!絶対に嫌だわ」
「アウナ、落ち着いて」
「送られたらどうなるの?」
誰も答えなかった。
青い服の双子、オノエが低くつぶやく。
「死ぬ前に、奴らに思い知らせてやる。忘れられないような騒動を起こしてやるよ」
双子の片割れ、赤い服のニマウがはじめて口を開いた
「あの指揮官、お姉さまにデレデレだったよ。うまく操れるかも」
「それ以前に、お姉さまが何を仕出かすかわからない人なんだから、どうなるかわからないよ」
ウヌワがはじめて口を開いた。
外見とは違って気持ちの良い、柔らかい声だった。
「覚悟だけはしておきましょう。皆、短刀は持っているわね?」
「姉妹たちは西ですね。急がないと暗くなります」
ロトは次第に深く黒くなる木々の間に、建物が二つあるのを確認した。
右と左に二つ、にゅっと尖塔をつきだしている。
入り口近くまで足を踏み入れた時には、先触れの兵士と侍女たちが声高に言い争いをしているのがこちらにまで響いてきた。
「西の塔に足を踏み入れることは、いかなる男子の方であろうとも、許されません」
「関係ない。命令ならば従え」
「いいえ。従えません」
「命令に背くつもりか?どきなさい」
「どきません。命令でも入ることはできません。ここはそういう場所だからです」
「あまり反抗的だと投獄するぞ」
「この城が出来るはるか前から、男子禁制の場はこの土地で守られて…」
兵士はそこでロトに気付いて礼をした。
副官は素早く左右に目を走らせた。
空気が乾いている。
入口にずらりと並んだ女たちは、迎えるというよりは討って出る気迫を漂わせていた。
さっき長女を含めて広間で顔を会わせた時とあまりにも違っている。
どの顔にも不安と猜疑心、あからさまな敵意があった。
さっと緊張が走る中、女たちの群れが自然と二つに割れて、白髪混じりの小柄な女が姿を見せた。
あとには双子の赤い方が控えている。
ロトと次女ウヌワは、お互いに儀礼的な挨拶をした。
双子の青い方の姿はない。
「どうしても押し入るっていうなら、剣で勝負してもいいんだよ」
青い服の少女は周囲に聞こえるよう声高に嘲笑した。
「剣の腕なら誰にも負けない!数頼みの都の兵士なんて敵じゃない」
背の高いロトが腰をかがめて上から見下ろすと、小柄な少女の上に影が落ちた。
「あなた方が暴れればそれだけ、監督者である姉上の立場も悪くなるのです。姉上を不利な状況に追いやるおつもりですか、ニマウ殿」
サウォークがびっくりした顔をした。
「あれ?オノエちゃんじゃなくて?青い生意気な方は、オノエちゃんでしょ?」
「あなた方、先ほど服を取り替えましたね」
「お前、見分けてるの?」
サウォークは双子に茶目っ気たっぷりにささやいた。
「この人怖いからね。大人しく言う事聞いといた方が身のためだよ」
「ニマウ、下がってなさいよ」
後ろから手が伸びてニマウを支え、背後に押しやった。
抜きん出て背の高い、鼻筋の通った文句なしの美人だ。
金髪に囲まれた顔は驚くほど小さく、目が特別に大きくて唇は厚く肉感的だった。
「わお。ずきゅーん」
サウォークがわざとらしく胸を押さえてよろけてみせた。
「すごい。目が、目がやられた。おねえさん美人だね」
女はそれまで、優しいとはとても言えない目で見ていたが、ちらっとサウォークを見て苦笑いをした。
「ん~笑ったね。美人百倍増し!」
「ありがと。城の男たちはお堅くて…」
「セレステ!」
ウヌワの鋭い静止の声に、彼女は肩をすくめて色っぽく流し目をする。
ロトの配下がサウォークを肩で小突きながら後ろに引っ張り、副官はウヌワに差し向いて立った。
「家うちを仕切っているのは、トゥアナ姫ではなくて、あなたですね」
「女には女のしきたりがございますから。規律を守るために厳しくいたします」
「トゥアナさまは型破りで、しきたりの枠にははまらない方のようですが」
「姉は長女。特別です。でも下のものたちはそうはいきません」
「あなたの仕切りが届かない唯一の方がトゥアナ様というわけですか?」
単刀直入にロトは尋ねた。
「トゥアナさまの文箱はどこですか?」
「存じません」
横からニマウが口を出した。
さっきまでオノエを装っていた時とは打って変わった皮肉な態度だった。
「東の塔を調べりゃいいじゃない。西と東は離れてるし中森を突っ切らなきゃならないんだ。そんなもの、ここまで持って来れたりはしないよ」
「こちらが戻るまでには捜索をさせます。あなたが女たちを指揮願いますよ」
ウヌワは軽くうなずいただけだった。
はいともいいえとも答えなかった。
不満顔の部下たちをひきつれて城に戻りながら、サウォークはロトにそっとささやいた。
「オノエだったか、剣は一流と言ってたが、さっきのあれは格闘をやるぜ」
「双子の腕は師範級と聞いています。あまりうろつかせない方がいい」
「東の塔の捜索は明日やるの?今?」
全く姿を見せなかったギアズがひょっこり、兵士の間から顔を出して答えた。
「西の塔は、姉妹の居住です。東の塔がありましてそちらがトゥアナさまの居住区です」
「ソミュール伯の領地は?姉はそっちに住んでたんじゃないの?」
「トゥアナさまはほとんどこちらで過ごしておられて…ソミュール伯が訪れるときだけご夫婦で過ごされていました」
「え、一緒に住んでなかったってこと?」
幅広いサウォークの肩が、痛いほどの力でいきなりがしっと掴まれた。
ロトの怖い顔が肩越しに近づいていた。
「サウォーク、あなた、夫婦仲が良くなかったことを、カペルに教えてやろっ♪とか思っているのではないでしょうね。余計なことはやめておきなさい」
「いやいやいや、んなこと思ってない。考えすぎだって」
「夫婦のことは誰にもわかりません」
肩をもみながらサウォークは渋い顔をした。
「ちゅーか、あの長女は東の塔いっこ全部、もらってさ。他は西の塔に押し込められてんだぜ」
「それだけソミュール伯のウェイトが高いのです」
「高かった、だろ。夫とはともかく、親父とは喧嘩中じゃなかったんかい?」
「誰よりも距離が近かったのは間違いないでしょう」
そして長女の姫はすでに塔を出て、カペルと二人、我が物顔で父親の居住区を歩いている。
サウォークはひげ面の顎をこすって試案した。
ロトと離れ、自室として用意された部屋に向かいながらサウォークはアギーレに囁いた。
「カペルはあのトゥアナお嬢ちゃんの上手を取れると思うか?どうだった?」
「悪くはないんじゃないの。相性良さそうだったけどね」
「ロトはああ言うが、カペルは間違っていないのかもしれないぜ。この地域は一の姫がカギだ」
「カペルが下手を打たなきゃな」
アギーレは付け加えた。
「女はやっかいだ。どう転ぶかわからない。だがあの姫様を攻略すりゃ、この土地は俺たちのものに出来るぜ」