美女と野獣 2
「ロトですか、昇りつめたものねえ」
ロトは準男爵となって領地を与えられていた。
宮廷の夫人たちの好奇の目を前に、ロトは深々と宮廷風のお辞儀をした。
上品で落ち着いていて、文句のつけようはない作法であったので、誰ひとり違和感を持たない。もともと宮廷では見慣れた姿ではあった。
最近はソミュール伯爵夫人と噂になっているらしい。未亡人であるのを気にして、何くれとなく世話を焼いているうちに恋仲になっているとかいないとか、全ては噂に過ぎなかった。確か司祭の資格を持っていると聞いていたけれど、別にだからって恋愛しちゃ悪いっていうことはありませんものね!だいぶお歳だけど、大司教様だっていつも愛人を取っ替え引っ替えしているし……。
「全ては太子さまのご厚意のお陰です」
カペルを覚えている一人が話題に出した。
「あの若い将軍は、宮廷生活には馴れない様子でしたものね。窮屈そうで、制服の襟なんかゆすっちゃったりしてたわ」
「才能のある男でしたから、カペルの退役はわたくしは残念に思っております」
「きっと疲れちゃったのね」
「あの武人らしい堅物さが見られないのは寂しい限りねえ」
それで横を向いて、扇子の影でささやく。
『結局、公爵令嬢と結婚しようなんて僭越はせず、わきまえもあったし』
さすがに年は隠せない皇太后が、目をしょぼしょぼさせながら現れた。
ロトを見て、横を向いて側近の伯爵夫人にささやいた。
太子の気紛れにも困ったものだが、若い跳ねっ返りの礼儀知らずより、これくらいが丁度良い、余計な縁談に気を揉まなくても良いし、とかなんとか口をもぐもぐさせている。
まだボケてはおられないな。
ロージン侯爵に連れられて、侯爵夫人となったテヴィナが姿を現した。
洗練されていながらもあどけなく、満面の笑顔はまだ何も汚れていない。
皇太后も目を細めた。
「あらあらあら、可愛いわねぇ。ロージン、奥さまはまだ若いのですから、大切にね」
「そのつもりでございます」
気を付けて。
ロトは聞こえない程度のかすかな声でテヴィナにささやいた。
「皇太后は、カデンス家出身の愛人に散々煮え湯を飲まされたのです。誰よりも深く憎んでいますよ。だいぶ忘れていますが、ときに思い出して攻撃的になられますのでびっくりされないように」
テヴィナの顔は少し緊張したが、すぐに笑顔を浮かべて。わかりましたわ、と扇子の影でささやき返した。
それから少しラベル城時代の面影を取り戻して、子供っぽい顔をとりもどしていたずらな顔で言った。
「あのね、あちらでとてもかっこいい人を見ました」
「かっこいい人、ですか?」
「ええ!みんなそのかたにお辞儀をしてるの。りっぱで、明るくてすてきなかた!ロトさん、もし知っていたら紹介してくださらない?」
「ええ、まあそれはまったく構いませんが……」
誰のことだろう。
高位貴族の中で、それなりに若くて顔立ちもいい者を次々にロトは思い浮かべたが、ろくな者がいない。太子がマシでまともに見えてくるほどだ。
自分が紹介したことから変な方向に行っては困るのだが……、トゥアナさまの心配されていたとおり、テヴィナどのには危ういところがある。
不安が募るロトの耳に、ペラペラしゃべる甲高い声が聞こえてきた。
「最近親父がいいよいいよって、あのバカな子爵の息子を将軍や側近に取り立てたらしいけど、あいつ本っ当~!に馬鹿なんだよね!あんなうんこをホイホイ縁故採用で取り立てちゃうようじゃあ、親父ももう終わりだね。ていうかこの国がもうダメでしょ。若いからとか、育ててとか言うけどさ、元がダメだったらもうダメなのがなんでわかんないかな?実力主義でもなきゃ夢も見れないじゃん。もう今や大商人たちの時代だっていうのに、大した金も持ってない貴族の特権ばっかり振りかざして……」
太子が慌ただしく入ってきた。
「ごめんごめんおばあさま、遅れちゃって。そういえば、新しいロージン侯爵夫人どこ?まだ会ってなかったんだよね」
「相変わらずせわしない子ね!」
「ていうか、トゥアナがいきなり脳卒中で亡くなったなんて信じることができる?」
「随分若くして惜しい人を亡くしました」
「そんなことおばあさまは言ってるけど、怪しすぎるでしょ!きっとベルガのことがいやだったんだよそうに違いないって!ずっと微妙な顔してたもん。本当に亡くなったならせめて墓参りがしたい。本当はこっそり隠してるんじゃないの?」
まだ疑っている。
ロトはギクリとしてカペルたちに注意を促さねばと決意した。
「だから今度、自分の目で確かめに行……」
「おまえもしつこい子ね!いいかげんにあきらめなさい!」
唐突に止まってしまって、すべての言葉も音楽も耳に入らなくなってしまった太子に、皇太后だけは気づかずにしばらく話続けていた。
ロトは不審に思い、視線の先を伺う。
太子はものも言わずに、テヴィナの顔を穴が開くほどじっと見ていた。
「どうされました?」
「君は?」
テヴィナもものも言わずに太子の顔をずっと見つめていたが、促されてはっとして赤くなり、習いおぼえて間もないお辞儀をした。
「あっ、わたし、わたくしはテヴィ!えっと、じゃなくてテヴィナ・ロージン。ラベル家の末っ子です」
「わたくしの妻でございます。太子さま」
「ロージンの?え?だって」
「今は亡き、トゥアナさまの御妹ぎみでございますよ」
「トゥアナの?妹?」
「カデンス家のあの子が産んでいたんですって!父母ともにトゥアナの実の妹なのよ。ていうかその話、何度もしてきかせたでしょ?」
皇太后が、ふがふがいいながら口を尖らせるのをよそに、太子はテヴィナの顔から眼を離さない。
「いや、でも、ぼくがラベル城に行ったとき、君はいなかったよね?いたの?」
「いちど太子さまがいらしたとき」
テヴィナは笑った。
「わたしはまだ小さかったので、寝かしつけられちゃったんです」
「もういいから、もう亡くなった人をいつまでも追いかけるのはおやめなさい!ラベルの領地はいま落ち着いているんですから、お前が押しかけたらまた変なことになるでしょう!」
ひつじ頭を逆立てて怒り出した皇太后だが、予想に反して太子はすっかり気の抜けた顔で、さっきラベル城に押しかけると息巻いていたことも忘れているようだった。
「太子さま?」
「トゥアナ……トゥアナ?うーん、そうだね?」
ロージンが笑い出した。
「驚かれたんですな、太子さま。わたしもそうでしたぞ。そっくりでしょう?おちいさい頃のトゥアナ姉上によく似ておられる」
「あなたが太子さまでしたのね?」
テヴィナは頬を両手で抑えた。
「若くて、優しい方ね!みんないい人ですわ」
「それはあなたの目がおやさしいからですな」
辞して去ろうとするロージンの袖を太子が引っ張った。
何事かを耳にささやいている。
「ええ、わたくしならばいつでもあいておりますぞ。どうぞいつでも屋敷にいらしてください。久しぶりにおもてなしいたしましょう」
後には何ともいえない顔をしたロトが残された。
いいのか悪いのかはともかく、これでしばらくラベル地区が忘れ去られ無事であることは確実なのだろう。