後始末 3
時は少し遡り、それはまだ正規軍がラベル地方にいて、ベルガとカペルが致命的な会談を行っている間のことだった。
カペル旗下 の部隊は一部を除いて引き上げの準備に取り掛かっていた。
その「一部」とは、サウォークが適任だろうということで大方の意見は一致している。
何かと便利だということで、ついに鍛冶屋の娘、デリアと相部屋のままで、双子の母のダリー夫人の借家にいついてしまった。
本人は次の部屋を探すまでの一時的なことだと抵抗しているが、誰も彼の話など聞いていない。
「しかし、どうすんのかなあ。姫さまは平民と結婚でそいつは大丈夫なんかね」
「心配なかろ?あの二人ならぁ、いちゃいちゃ仲良くやれそうだ」
ぷっと膨れた顔のパラルが、なぜかこの場に交じっている。どうやらウヌワの目を避けているらしい。今はやはり身なりを美しく整え、新しく仕入れたらしいこの地区特有の民族衣装に身を包んでいるが、とても似合っている。これはどうやらそれは女物らしかった。
「カペルが後でやってきて、やっぱりここのポジション譲れなんつっても、絶対やだからね。今度こそ血を見るまで戦うからね」
パラルは手を振った。
「君たちはどうすんの?ヒラ兵士なんて正規軍といっても薄給だし、戦闘となれば使い捨てだよ。うまい汁吸おうと思ってた当てが外れたね!何人かなら雇ってやるよ。僕、護衛が欲しいし。アギーレ、残る?」
「いんや残んね。おれは兵士の暮らしが合ってるの。せっかくもらった正規軍のブランド、手放すのは惜しいや。正当性を盾ににして好き勝手やりたいしね。うまい話もまたどっかに転がってんだろ」
そのとき、馬が駆けるようなものすごい音がして、誰かが兵舎にしている部屋へ走り込んできた。
まっさおな顔をしているカペルを、サウォークやアギーレたちがあっけにとられ、不思議そうな目で眺めた。
走り込んできたこの若い将軍は、軍服の上にある腕章や勲章を放り出し、手あたり次第にちぎって捨てはじめたので、いっそう困惑が深まる。
「おいおいおいおい、どうしたんだよ」
「引退する」
一瞬、場が硬直する。
「はぁ~?お前、何言ってくれちゃってんの?この後始末、どう付けるつもりなん?」
「引退する!将軍の地位も勲章も全部返上だ!」
カペルの唇が真っ白になっていることにサウォークは気が付いた。
ありゃあ、そうとう我慢してたんだな。
パラルが面を改めて、厳しい調子で聞いた。
「お前、本気なの?」
「本気本気。マジ本気だからおれ。もう全部いやになった。田舎に引きこもる」
「田舎つっても、もうないじゃん。全員都に引越しちゃってるんだから。田舎ってここだよ。ここから都に引きこもるの?」
「一度リセットしたい。ぜんぶ、おれの築いてきたもの……なんてあるのかどうかわからんけど、全部捨てたい」
「無責任なこと言うなよ!カペル!」
「おれは!結局、成り行きに全部流されてここまで来たんだ。ここまで突っ走ってきたけど、世の中の汚いとこもいいとこも色々見えてきた。そんで夢破れた。今はからっぽ、何も考えられない!」
すべての腕章をむしりとって、カペルは自分の部屋に飛び込んだ。すごい音がして、ドアが閉じるとき兵舎全体が揺れた。
カペルが閉じこもってしまったあとの兵舎には沈黙が落ちた。
彼がここまで言う理由とすれば、一つしかない。
姫さまとの結婚は、夢破れたのだ。
一兵卒に到るまで、みなが何となくがっかりしているのが見えた。
カペルがかわいそうだという気持ちと、やっぱりねという気持ちが入り混じって、空気が重く沈んでいた。
「だから四の五の言わずにさっさとやっちゃえば良かったんだよ」
アギーレが辛気臭い顔で言った。
「ごちゃごちゃやるからややこしくなる」
「やっちゃってはいても、結婚はまた別の話だろ」
どこかであの貴族社会に食い込めるのではないか、時代を変える足掛かりになるのではないかと何となく皆が願っていた。
「重すぎたんかな」
「けど、個人が幸せになったっていいと思うんだ」
「どうしたんです、この騒ぎは」
扉にはロトが立っていた。
◇
事情を聴いたロトは驚きもしなかった。
パラルさえちょっとむかついたぐらいの冷静さだった。
こいつ、知ってたってのかな?最初からこうなることを。それともこいつが誘導したんかな?ベルガを。そうだとしたらとんだ悪党だぞ。
ロトはカペルの部屋の前まで行って呼びかけたが返事がない。
扉をガチャガチャすると、鍵はかかっていなかった。
ロトは中に入っていき、死人のように青ざめたまま床にあおむけに倒れているカペルの傍らに膝をついてあきれたように言った。
「あなたバカなんですか?初心に戻りましょう」
返事もできない状態でいるカペルに代わってサウォークが聞いた。
「初心って何だよ?」
「かっさらってやっちゃいましょう」
ロトの口から出るとは思えないようなセリフで、みんな目をむいて凝視したが、かすかにカペルの頬に赤みが戻ってきたのを見て、一斉に元気づいた。
口々に言う。
「やり逃げってのもありなのかね?」
「ありでしょう」
「聖職者の風上におけねえ」
「相手は世間知らずの口だけ女、その場の雰囲気と運だけで乗りきってきた、何も知りゃしない未通女むすめなんですよ。どうせ何もわかっていない。どこかで二人きりにしてあげますから、いいようにしちゃいなさい。思い出もらったとか何とかうまく言い抜けて逃げてきなさい!そのくらいはしてもばちはあたりません」
ロトは穏やかに諭すような口調で、とんでもないセリフを次々に吐いていく。
「あなたは立派に責務を果たしました。太子の罠も回避して彼女を守り、この国を落ち着かせるところまで行った。それをはいそうですか、わかりましたと引き下がるのは……」
「わかったとは言ってない」
はい?
「おれは、ベルガにトゥアナと結婚すべきだとは言った。確かに言ったけど、でも、わかった、身を引くなんてひとっことも言ってねえから」
顔を見合わせた。
カペルは大の字に寝転んでいた状態から、垂直にすうっと上体を起こして起き上がった。頬には血の気がすっかり戻って目の光が戻り、別人のように生き生きしていた。
「これがもとで戦争になったってかまわない。つうかその前に軍辞める!関係ない!」
どうせ自分を正直にしか生きられないんだ。
今更自由を知ってしまったらもうそれを失うぐらいなら死んだ方がマシなんだ。
まともである必要がどこにあるんだろう。
めちゃくちゃな衝動に身を任せちゃっていいんじゃないか、でなけりゃ何も先にはすすまない。彼女はおれに応えてくれた。こうして手を握ってくれた。
「よっしゃ!」
お行儀よくしていれば、平穏無事にはすむだろう。
あの柔らかい手を、喉を、腕を、触れたがってもらっている生き生きしてあたたかいあの体を、衝動のまま抱きしめなくてどうするんだ。
それで嫌われたって、何を失うわけじゃない。そうだろう。
「まあ、待った待った」
パラルが割って入った。
皆が疑いの眼差しでじろりとにらむ。
「そうだこいつ危ないぞ。ばれるとすりゃこいつの口からだ」
「ことが終わるまでひっくくってどこかに放り込んどくか」
「いっそ口封じしちまうか」
「物騒なこと言うなよ!こういうことは、計画が必要でしょ!」
じりじり皆に追いつめられ、パラルは髪を逆立てて怒り出し、手を振り回した。