嵐の後 3
カペルに話があると言われたトゥアナは、軽やかな足取りで飛んで行った。
足に羽が生えているかのようだった。わずかな話ができるのもうれしい、そう思った。
ウヌワの具合はかなりよくなった。まだ口をつぐんでいるが、みなの食事の用意をどうすればいいか尋ねると、怒ったような顔になり、体を持ち上げようとして皆に止められて
指輪は相変わらずはめたままだったので、パラルが血相を変えてカペルに言いつけに来たのだが、後でギアスがこっそり教えてくれた。
ポイズンリング?あー、あれは、偽物ですにゃ!毒に見せかけた粉末を入れてるのですにゃ。夜寝ている間にあたしがこっそりすり替えておいてるんですにゃ……。
使ったことがあるなら気付くはずなのだが これまで気づかないところを見ると これまで使用したことはないらしい
あの二人、不思議な夫婦だけど絆があるんだわ。
◇
同じ日の 数刻前、死にそうな顔をしてよろよろとラベル公の部屋を出てきたカペルを、不思議そうな目をしてオノエとニマウが見守った。
「どうしたんだろ?」
「何かいじわるなこと言われたのかな?」
「そんなことする人いないと思うけど」
双子は気付かなかったが、カペルが出てきた部屋から近い場所、誰一人見ていない物陰からアウナが出てきたが、こちらも思いつめた顔色に顔面蒼白で、とても声などかけられない雰囲気だった。
◇
トゥアナとカペルが閉じこもったのは、最初に二人が一緒に夜を過ごしたのと同じ部屋だった。
「トゥアナ、おれは……」
言いかけてカペルは喉をつまらせ、それから言葉を絞り出した。
「おれは、都にはひとりで帰る。あなたを連れては行けない」
トゥアナは意味がよく理解できなかった。心底不思議そうな顔をして、それから涙でいっぱいになった。
一旦、帰るというならばこんな思いつめた表情でここまできて話す必要はない。こんな打撃が待っているとは思ってもみなかったトゥアナは、 氷の柱になったようにただ棒立ちになっていた。 完全に固まっていた。
そんな彼女をみて、カペルは心が折れそうになったが、かろうじて耐えた。
トゥアナは、何か言おうとしたがうまくいかなかった。
どうして?
気が変わりましたの?心変わりですの?こんな、幸せの絶頂から奈落に突き落とされたのは、やっぱり太子さまのせいなの?都から何か来ましたの?
「それは……わたくしのことを、信じて頂けないということ?」
「誓って、そうじゃない」
沈黙が落ちた。
◇
「この騒動は、ラベルとモントルーが融和しない限り終わらないとわかったのだ。わたしにも、この土地にも、トゥアナがどうしても必要なのだ」
カペルを前に、ベルガの目は希望と誇りに満ちてきらきら輝いていた。
ベルガひとりを残せばこの土地は静まらない。
ロトが丁寧に教えていた。
「壊すのはいけない、扇動もいけない。ひとつひとつを丁寧に、立場を越えて誠実に裁くのです。真摯に向き合い、毅然としておやりなさい」
そのとき、軽い気持ちで自分も口に出したのだ。
「いやいや、不器用な男なら不器用にやれよ、そっちの方がずとおまえらしいわ。泣いたって何が悪い?最初はびっくりするけど、慣れたらどうってことないって!」
信じていろ、そのままの彼でと励ましたのは自分であるはずなのに、こうも天真爛漫にイノセントに言われると、カペルの胸にもムラムラ と殺意が湧いてきた。
こいつほんとむかつくわ。
太子さまも大概な性格ではあるが、こんな空気の読めない無神経なこと完全なる善意でやらねえわ。
トゥアナにも太子さまにも微妙だって言われてたの、なんだか分かる気がする。
一瞬だけ心が太子の味方になった。
言いたくない。吐き気がする。それでも言わなければならない。
「あなたはトゥアナと結婚し、新ラベル公爵となってこの土地を継ぐべきだ」
カペルはふところから取り出したものを、ベルガの目の前に置いた。
「本物か?」
驚いたような顔をして、ベルガは印章を手に取った。
まさかカペルが持っているとは思わなかったらしい。
「お前、これをどこで手に入れた?いつから持っていた?」
「それは言えない」
「トゥアナが渡したのか?」
「そんなはずはないだろ。押収したんだ。権利だから」
何度も邪魔だなと思いながら、見つからないように細心の注意を払って着替えをして、本当に厄介で嫌だと思っていたのに、今となっては手放すのがつらい。
この印章は彼女だ。
彼女の心臓だ。
◇
金縛りにあったように動けなくなっている彼女の気持ちが痛いほどわかった。
こんなときなのに、不謹慎にも嬉しかった。
ショックを受けてくれることが彼女の気持ちの証のようで、もう何も残されていないから、そんな歪んだ喜びにすがりつくしかない。
トゥアナは彼が言いたいこと、何を言おうとしているのかを理解した。
あんな風に逃げて来た自分たちのことだ。
結婚すれば二人そろって王宮へ挨拶へ行かねばならず、二度行って太子と顔を合わせることになれば、今度は彼女を守ることはできず避けられないと言いたいのだ。
ベルガならそうはならないだろう。
だが何があっても守る、全部捨てて自分と一緒に来いって言って欲しかった。
わがままだ。
期待する答えを最初から用意していた。
「この世の中には、到底乗り切れない残酷なことが起きる。知っているだろう。おれも知っている。あなたが嫌な思いをするようなことは、絶対に出来ないんだ」
トゥアナはそれ以上話を聞くことができなかった。
さきほど、ラベル公の部屋から出てきたカペル、またアウナそっくりの姿で、死人のように真っ青になり、ふらついた足で部屋を出て行った。
あとにはカペルひとりが残された。