文箱 2
「ちょっと、そこのあなた」
回廊でロトが呼び止めたのは、しなしなとした仕草の、色鮮やかな文官の服を着た男だった。
円柱の隅に隠れるようにしていた割に服の色が目立つので、ロトの鋭い目は見逃さなかった。
見つかってしまった男は、小走りに逃げ出そうと試みたが、ロトはかまわずぎゅっと腕を捕えて廊下の真ん中に引っ張り出す。
「ギアズ殿でしょう?探していたのですよ。今までどこに姿を隠していたのですか?」
「面目ございません、ロトさま」
文官のギアズは今さらわざとらしく、深々と正式な王宮風のお辞儀した。
深い皺のある小男で、一度見たら忘れない顔立ちだ。
ごまかすようにニヤッと笑って言う。
「あたしにも色々と都合の悪いことがありますのでね」
ロトはそのまま、ギアズを引っ張って小部屋に入る。
中にはサウォークが待ち構えていた。
「ギアズ殿、この城の内部情勢がどうなってるのか教えてもらいましょうか?」
「だいたい、お教えしてきた通りですにょ。何も変わりゃしません」
「あなたの記憶力と観察力は確かだ。トゥアナ姫が使者として選んだのには理由があるでしょう」
「あらいやだ、そんな大層な意味じゃございませんわ」
最初にギアズに正規軍への使者の役を命じられたとき、トゥアナはひそかに彼に体して事細かく指示を出していた。それは間違いない。
封をした書簡の束を渡しながら、声をひそめてトゥアナはギアズに言っていた。
「書簡を渡しに行った時、司令部の中のなるべくたくさんの人と会って、たくさんお話してきてね。交流して仲良くしてきて。細かい所まで教えてね。敵意はないって伝えてほしいの。ねえこの届いた書簡は司令官どのが直接書いておられるの?それとも副官も中身を確認したうえで送ってきているの?」
交流はともかくとして、トゥアナさまにしては妙な事を気にするものだわ、とギアズは思った。
「司令官は太子さまの命令を忠実に守るタイプ?それとも独断なの?知りたいわ。待っています、ギアズ」
仕方なしにギアズは敵軍の中でお愛想をふりまいた。
そこでカペル直属の下士官の一人と仲良くなった。
気さくでざっくばらんな、純朴な男だった。
「司令官は民間出身と聞いていたけれど、修辞もマナーもきちんとしているって、トゥアナさまは褒めてましたよ?」
お世辞を言いながら、ギアズは幕内に素早く目を走らせた。
和気藹々として余裕がある。
「ロトさまの仕込みがいいから」
下士官は笑った。
「スパルタだからね。ガッチガチの鬼教師」
軍にも色々あるものだ。
私兵の集まり、柄の良し悪し、出身地の閥があり、相性もある。
ここはいかにも正規軍らしいが、親衛隊ほどエリート意識を吹かせるわけでもなく、主に王都周辺の平民出身者が多いようだった。
しかし良く訓練され制御がきいている。
「もうあなたも使者として往復を繰り返して一体何度目かね?毎回ご苦労様なこった」
「どうなんです?こちらの手紙は主にロトさんがかかれてるにょ?草稿をね?でしょうね」
下士官は首を振った。
「中身はカペル司令官が直接書いてられますよ。というか、かたくなに誰にも見せようとしないんだ。だから何を書いているのか、ロト様は終始やきもきしてる」
そんなことしゃべっちゃっていいのかにゃ?と思いながらギアズは答えた。
「それが、こちらも内容はトゥアナ様しか知らないの。トゥアナさまは鍵をかけて文箱は隠し、かぎは肌下につけておられます。だから誰も見ることはできないの」
数名のいかつい軍人たちが通り過ぎ、鋭い目がギアズを刺した。
あれが主力部隊の精鋭だわ、とひそかにギアズは考え、その武骨さと血の匂いのする筋肉をしげしげと眺める。
あの腕、あの剣がラベル公を刺したのか?
強面で居丈高、この地方の絶対的君主で王だった公爵を。
「ロト様はお二人の間でどんな合意がなされているのか知りたがってますよ」
「そらそうですわ。トップ同士の意志疎通なりますでしょ?たくさんの命のやりとりに通じますからね」
「もう中心街まで一週間だ。進軍の間、まだ方向性がはっきり決まらない。なのにこうして書簡だけは頻繁にやりとりしてる。周囲も不安を感じているようでね」
返事を受け取ろうとして司令官の天幕の前で二人は立ち止った。
下士官が目くばせをして、ギアズは耳をそばだてる。
中からは甲高い言い争う声が聞こえていた。
「でも、こちらできっちり身上調査はしてますから!四女のアウナがベストです。いいですねカペル。手紙にはちゃんと書いてくださいね。書いてるんでしょうね!え?書いてないの?」
「いやいやいや、戦争すっかやめるかって話の時なんだからそんなの書けないよ。脅して無理やりやっちゃおうとしてるみたいじゃん。マズいっしょそれは」
「脅してじゃなくて、命令なんですって!太子の命令!マズいのはあんた!あんたなんですよ!」