トゥアナの扇子 3
「トゥアナさま」
人に聞こえない場所にまでくると、トゥアナは声を抑えながらも振り絞るようにしてほとんど叫んでいた。
「みなさん、色々と仰いますのよ。わかってますわ!太子さまの愛人だとか、ベルガを手玉に取ってるだとか、思わせぶりな態度でうまく政治的立場を利用してるとか、色々とね!」
トゥアナは扇でそこは優雅に、なんとなくだったが、はっきりとわかる仕草でカペルを指した。
「でもね、一番欲しかったものをね、わたくしに提供しましたの、彼だけなのよ」
「何を?カペルがですか?」
二度びっくりしてロトは聞き返す。
トゥアナはその問いには答えずに続けた。
「太子さまもベルガもね、期待してわたしを見るの。何かを欲しがってますの。わたくしの決断や、手紙や、意思や、気持ち、からだをね」
トゥアナの手に、扇子が列挙するたびに撃ち当てられてほんのり赤くなる。
「彼だけなのよ。わたくしに何かを差し出したんですの」
「カペルが?」
「あのかたもお聞きになりましたわ。わたくしの気持ちはどうなのかって。それでわたくしも考えましたの」
トゥアナの鋭くなった目が、ロトを真正面からまともににらんだ。扇子は手の中で握り締められてかすかにふるえている。
この娘は今、はっきり本当のことを言っているとロトは思った。
「わたし、太子さまもベルガも、どちらもいやじゃないと思ってましたけど、違いました。前にね、夫のことだめだったの、同じです。いつもあとになってやっと気づくんですわ。いやなんですわどちらも!カペルさまがいいんです。わたくし」
いつも冷静で常にあちこちに目を配り、配慮を欠かさずに王宮と地方とをうまくつなぎ合わせる役目を果たしていると思っていた一の姫が、今は地団駄を踏む妹たちのようになって、足を踏み鳴らして叫んでいた。
「わたくしだって一度ぐらい、欲しいものを欲しいって言ってみたいですわ。だめなの?」
さてどうしよう。
ロトは考える。あまりの驚きに回らない上に、頭痛までしてきた額を抑え、何とかこれだけをたずねた。
「どうしてそれをわたしに?」
「あなたはカペルさまにお言いにならないでしょ。反対なんですから」
見抜かれている。
「反対というわけではないですが」
「カペルさまが苦しい立場になるかもしれないってこと、わかってます。だからわたくしも、まだ余計なこと言いたくないんですの。あのかたが嫌な思いをするなんて、わたくしには耐えられませんもの」
これは困ったことになったぞ。
ロトは、トゥアナと別れてからずきずきする額を抑えて考える。
カペルは、とうとう口説き落してしまったらしい。
高位貴族の娘のような存在が、カペルのようなタイプになびくことはないと思っていたのに、瓢箪から駒が出る、こんなこともあるというのか。
事態は余計にややこしくなったのか、それともシンプルになったのか。
姫は太子でもなくベルガでもなく、カペルを選ぶと言っている。
あの男のどこに…。
ロトは一瞬、考え込む。
確かにバランスは取れている。太子は少しヒステリー気質があるし、王宮の生活では仕方がないことだが利己的に過ぎる、また既婚者だ。ベルガは感情的に過ぎるし、なかなか抑えられない上、あの美貌と泣き虫とのギャップが激しい。
だが、そんな「バランス」などというものが、育ちや状況の垣根を越えたりできるものだろうか──。
この姫君は、王宮とラベル地区をいったり来たりの育ちで、作法や礼儀は身につけているが、あの王宮の底意地の悪い遠回しなもってまわったやりかたに染まり切っていない。
そこがソミュールには合わず、太子に魅力なのだろうが…。
これは二人が寝室を抜け出してあいびきしてないか見張らねば…
「あー私はこんな時に何をくだらないことを!」
そしてロトはすべて話すことにした。
ここまで事態が来てしまっては、どうせ都への旅の間、二人きりになってしまうのだ。
その前に、あることはあることとして認めた上で、忠告をしておかねばなるまいと考えた。
ロトの話に勢いづいて、カペルの顔も赤くなるのを見て、ずっと二人を見る時に隠さなかったの苦々しい、しぶい顔がゆるんで、その代わりに深いため息が出た。
「彼女はあなたのことを、まあ…それなりには、好ましからぬ奴、と思ってはいないよう…です…ね」
ロトの最大の譲歩に、カペルは熱心に言う。
「おれはあの泣き虫美男や腹黒太子とはちがう。あの二人はあの子の気持ちなんてほぼ、関係ないだろ?おれはあの子の確かな心が欲しい。それに、彼女の心はこっちにあるって、そう信じてるんだ」