領主の娘 1
「聞いてんのかよ、カペル!」
見慣れた幼なじみの顔が目の前にある。
「アギーレか」
夢想にふけっていたカペルの緊張が解れて笑顔が見えた。
いつの間にか、部屋には銀盆を運ぶ人々であふれている。
「お食事だってよ。お前の姫様は気が利いていいね」
下士官ですらなく、部隊長にすぎないがアギーレは同郷の出で軍に入った頃からずっと行動を共にしていた。
カペルにとっては気心の知れた仲間だった。
「ろくに顔も見ないで年増に決めていいのかよ」
「いやもう、最初に勢いで言っとかないと無理」
カペルは突然立ち上がると、大きなため息をついて髪に両手を入れた。
「あーどうしようめっちゃ緊張してきた。大丈夫かな。貴族の作法とかあるのかな」
「あるわけないだろ脱いだら全員同じだよどんな夢見てんだよ」
あきれた顔でアギーレがあけすけに言う。
「まだそこまでないって、早すぎる」
「何言ってんだよ?今さらそんな純情発言。そらロトならさ、『そういうのは、私は好かない。婦女は守るべき弱い存在だから(口真似)』とか言うだろうけど。あんなしたたかな生き物、この世のどこにいるかっちゅーの」
カペルはトゥアナの組まれた指と指輪を思い出しながら思う。
父親や夫、一族の男たちを殺した男にすぐ妻にと望まれ、受け入れられるものなのだろうか?
食事の皿に手を伸ばすと、肉を掴んでアギーレはうっすら笑った。
「いまさら坊ちゃんみたいな真似はよそうや。俺たちは腹を捌いて食う立場なんだから」
アギーレの大きな手の下で肉の筋が裂かれて分かれて行くのがはっきり見えた。
「あっちは必死で主導権を握ろうとしてる。お前は分かってて遊んでやってるんだろ?」
肉を食いながら、アギーレは付け加える。
「でもさあ、あの女ほんとにけろっとしてたよな?だって、遺骨あるじゃんよ、親父の。渡したんだぜサウォークが」
広間でトゥアナを目の前にして、カペルはかすかにためらったが、まっすぐに彼女の目を注視すると背後を指した。
「父上です」
姉妹の口からうめき声のようなものが上がり、その場にいた誰もが涙と愁嘆場を予想した。
ところが受け取った当のトゥアナは、顔色一つ変えずにあっさり、ひょいと隣の白衣で白髪の(二女のウヌワだ)に手渡した。 大したものが入っていないプレゼントの箱を渡すように。
「もらった方も鉄砲玉食らった顔で、えっ?は?何?て顔してたよな」
当惑のウヌワ以外の娘たちの反応は、さまざまだった。
蒼白だったり、涙をこらえきれなかったりする中に、まだ少女らしいが傲然と頭を上げた双子がいる。
鋼のように固い、冷たい怒りを孕んだ目が刺さった。
同じような光を帯びた目がいくつか、柱の影やカーテンの裾から見えている。
ここは敵地だ。
こんな視線には慣れているし、こちらは死んだ男たちと正面からぶつかり、命のやりとりをした仲、相手にしていられない。
全体として見れば、憎しみや怒りは決して多くはなく、むしろ不安、そして困惑だ。
この城全体を重苦しく覆っている。
異質なのはトゥアナだけだった。
娘たちはそれぞれに美しいが、カペルの目は見ないふりを装いながらもどうしても長女に戻って行く。
真っ直ぐ立っていて、表情には今にもなにかしら言いたげな、語る気色があった。
胸が激しく上気しているのが否が応にも目について、視線のやり場に困って目を逸らせた。
ずっと、彼一人に注がれたままの物言う視線を無理に引き剥がすように避けて、カペルは宣言した。
「明日は東地区へ侵攻するから、ロトを置いていく。一族の者たちは、片付くまで西の棟に幽閉とする」
──わたくしたちは、西の棟に参ります。中庭から直接行けて、それほど中央部から離れていませんし、離れは重い扉が一つしかないのです。
部下にロトが指示をする。
「ご令嬢がたを部屋へご案内しなさい」
「わたくしがいたします。」
白髪混じりの次女ウヌワが、はじめて口を開いた。
父親の遺骨は抱きかかえられたままだ。
確かに、ご案内すると言っても、この城の内部に精通しているのは彼女たちに違いない。
ウヌワが侍女たちに、母屋も離れも準備は整っていますね?と聞く声が聞こえる。
「……」
黒服の長女は、手を上げかけてまたおろした。
呼び止めるかのような仕草をしたが、唇を開いて、また噛んだ。
きっと唇を締めたまま去ろうとする後ろ姿をカペルはもう見てはいなかった。
ぞろぞろと残りの姉妹たちが引き下がる背中にカペルは、「長女殿はあとで私の部屋へ来るように」と一言、言い添えた。
サウォークがこちらをちらっと見た。
侍女たちが二人、年若な方が息を飲み、白髪頭の方がため息をついたのが見えた。
本人はといえば、目をぱっちり見開いて、顔色一つ変えない。表情も読み取れない。
薔薇色の小さな唇が動いて
「わかりました」
はっきりそう答えて、普通に去った。足取りも淀みない。
生き生きしていて踊るように翻ったスカートのすそから細い足首が見える。
照れがカペルの若い頬を真っ赤に染めて、つい満足げな笑みがこぼれるのを部下たちに隠せなかった。
彼女は少しだけ妙な顔をしたような気もするが、それが何なのかはわからない。
言えるのは、嫌悪感はないとしても、悲しみや不安さえなかった。
ふと、頬から唇のあたりを撫でた。頬にあの彼女の視線がまだ残っている。
カペルの頬もまた紅潮していた。