プロローグ
「行ってきます」
誰にも聞こえない位の小さな声でそう言って、バイト先であるコンビニを目指して家を出た。辺りは真っ暗だった。当然だ。既に時刻は夜中の十一時なのだから。
大学を中退してから一年、コンビニの深夜バイトをしながら生活していた。二十歳なるというのにこんな生活を続けて一体僕はどうなるんだろう。コンビニへ向かうこの時間はよく将来が心配になるのだった。僕は手に持った懐中電灯をギュッと握りこむ。
「しかし、世の中も物騒になったものだ。小さい頃は男が懐中電灯を持って街を歩くなんて考えられなかったのにな」
僕が住んでいる場所は、都心から少し離れた田舎とも言い難いけど都会とも言いづらいそんな中途半端な街だ。そんななんとも言えない中途半端な街でさえ、今はとても危険なのであった。というのも、数年前から突如合われた超人的な力を持った悪者、通称ヴィランが暴れだしたからだった。もっとも、ヴィランの出現に合わせて同じような力を持った正義の味方であるヒーローも現れたから、完全に世界は世紀末ひゃっはーになったわけではないのだけれど。しかし、そんなヴィランに影響を受けた素行不良な人間の数は尋常じゃない位に増えて。まぁ、とにかく、そんなヴィランの出現で、こんな中途半端な街でさえ男が懐中電灯片手に歩かないと危険な世界になってしまったのだ。世知辛いね。
そんな感じでいつものように自分のことや世の中のことを憂いながら歩いていると、ふと路地裏に何かの物音を感じたのであった。
「ん?なんだか音がしたような」
その日、僕はその音を無視するべきだったのだ。その音を無視していたのなら、こんなにも僕の人生が狂うことはなかったんだろうと思う。ま、狂う前の人生が幸福だったのかはわからないけど、でも、それでも、ここから先の胸糞悪い展開を知らずに生きれたのなら、きっと道を踏み外すことはなかったのだと思う。
僕がそんな物音がした方へ向かうとそこには……
「あ~、なんだ?にいちゃん。何か用かよ。あ?」
品性の無い顔でこちらを睨む数人の男と、そんな下品な男たちに囲われた高校生位の女の子の姿があった。
「く……」
なんともタイミングの悪い場面に出くわしてしまったようである。世の中物騒になったとはいえ、まさか本当にこんな場面に出くわしてしまうことになるとは思わなかった。男に囲われた女の子と目が合うと、その瞳は明らかに恐怖の色に染まっており、僕に助けを求める目をしており、万が一にも男の女友達Aではないことがうかがえる。
「あ、たす……むー」
女の子が何かを言おうとすると、すかさず男が女の子の口に手を当てて言葉を封じる。
「俺達は楽しく遊んでるだけなんだよ。なんか文句でもあのか?あ?」
鼻にピアスを開けた長髪の男がそう言うと、周りの男たちも「そうだぜ?」「あーん」と声を上げる。なんだよ。このありきたりな不良集団は。そんな風に思っても、僕の体は全身で警戒しており、口の中もからからに乾燥していた。
「な……何も文句はない……です」
僕はそんな集団から目を反らしてかろうじてそう呟く。
「そうか。ならいいんだよ。さっさとどっかいきな」
ごめんよ。僕にはどうすることもできないんだ。身長はそこそこあるけど、格闘技をならってるわけでもないし。一対一ならともかく、こんな何人もいる中で女の子を助けるなんてできるわけがないよ。警察を呼ぶから許してくれ。心の中で全力で言い訳を言いながら僕がその場を去ろうとすると。
「いて!!」
「た、助けて下さい!お願いします!」
「このアマ!よくもやりやがったな。」
「キャッ!!」
ガンと、何かがぶつかった音がする。振り返らなくても分かる。きっと、男に噛みついた女の子が殴られたのだろう。
「く……」
ここで逃げていいのか。
そもそも僕の人生なんて糞みたいなもんじゃないか。
コンビニと家の往復で、何もしていない。
それならここで女の子のために戦って死ぬのも悪くないんじゃないか?
僕の心にそんな思いが沸き起こる。
そして、気づくと、僕は懐中電灯を振り上げて長髪の男に殴りかかっていた。
「いい加減にしやがれ!」
僕はまるでヒーローのように男達に立ち向かった。そう。まるで物語の主人公のように。しかし、ヒーローだったのはその一瞬のみで……
振り下ろした懐中電灯が男の頭にぶつかるも。男は体制を崩しただけで倒れはしなかった。そして、その目を怒りで滲ませて、こちらをきっと睨んだ。
「お……まえ。ただで済むと思うなよ。この糞雑魚が!」
「ひぃっ!」
そこから僕は一方的に男から殴られ続けたのであった。それは最早戦いではない。ただの一方的なリンチであった。そしてさらに悲惨なことに、殴られている時に、ぼこぼこに殴られている僕を心配そうにみつめる女の子の姿が映ったのであった。
そんな……かっこつけて女の子を逃がすこともできないなんて……
「はぁ。はぁ。もういいだろう。さぁ、お楽しみといこうぜ」
「い、いや、やめて……」
僕は地面に倒れながら、女の子が叫ぶ声を聞きながら、しかし、何もすることができなかった。ただただ、心の中でごめんよと呟き続けることしかできないのであった。そして、遂には体の痛みに耐えきれずに意識を手放したのであった。