〈彼女〉は誰も選ばない
見る専門が書いてみた、おそらく突拍子もない、初短編になります。
ルビがちゃんとできていることが、今回の達成感です。
此方は6000文字以上の投稿になります。
新緑に寄り添うアンティークグリーンの屋根が特徴的な白亜のお屋敷に、〈深窓の令嬢〉が祖母と執事やメイドに囲まれて暮らしていた。
その〈深窓の令嬢〉はある一部の世界の人間には有名で、誰もが彼女を欲していた。
ある者は己の欲の為に、またある者は己の家の為に。そして、〈彼女〉自身に恋をしている者もいた。
そんな〈深窓の令嬢〉には、〈彼女〉の両親が残してくれた莫大な財産があった。世界の半分すら動かせるかもしれないという大きな権力の塊であるソレを、現在は〈彼女〉と祖母が管理していた。
もちろん、ソレに目が眩む者は〈彼女〉に近づき、「君一人では危険すぎる。僕も手を貸そう。僕が君を護ってあげる」と猫撫で声で語りかける。
大抵の深窓の令嬢ならば、優しい言葉にコロリと言ってしまうだろう。「そんな言葉が欲しかったの」「あぁ、なんて素晴らしい方なのでしょう!」と。
しかし〈彼女〉はそれに対して、深窓の令嬢らしからぬ侮蔑の視線を向けるのだ。そしてこうとも答える。
「誠に有り難いお言葉ではありますが、残念ながらお引き取り下さいませ。
私が貴方様に出来ることなど何一つありませんわ。どうか諦めてお帰りくださいますよう」
清廉なる聖女のような美しいその笑みで、相手の意に沿わない言葉を返していく。本来ならば、女は男に付き従うものだと考えている貴族社会の者ならば、このような言葉を返されては逆上してしまうだろう。
けれど可笑しなことに、誰であろうと〈彼女〉のその笑みを見た者で、見事なまでに逆上した者は居なかったのだ。そして、いずれは己を頼ってくるという慢心だけを持ち帰って、その日は潔く帰って行く。
それが〈深窓の令嬢〉、と〈彼女〉に会いに行く者の、ある一部の世界での日常の一連だった。
これがほぼ毎日のように行われるのだ。有名にならないわけがない。……それだけではないのだが。
もちろん、相手方も貴族社会の者。〈深窓の令嬢〉の予定に合わせて、予定を組んでくる。
すべては、〈深窓の令嬢〉の後ろにある豪華絢爛の財産目当て……あるいは〈彼女〉自身を目当てに。
* * *
「……う、ぁああああああああ!! もうっ!
くっそメンドクせええええええええ!!」
深夜の事。質素だが、使われているものは皆貴族社会の中でも一流品である品々に囲まれた部屋で、その声は響いた。叫んでも安心して良いことに、この部屋は防音だった。
その中でも天幕のあるクイーンサイズの真っ白なベッドに足を広げて横になっている、艶のある濡れた烏の様な髪の女性。
身に付けているワンピースは極上のシルクで作られた一級品、左手首にはめられているのは色の濃いブルーダイヤモンドのみで作られた〈奇跡の宝石箱〉と謳われるブレスレット。
白いワンピースに映える、幻のダイヤと言われる1カラットのレッドダイヤモンドのネックレス。こちらも傷一つない奇跡の品物だ。
そしてそんな高級品の中に似つかわしくない、少々錆びついた銀の指輪が右手の中指にあった。
彼女の名前はエレナ・アシオレート。ある一部の世界で有名な〈深窓の令嬢〉である。けれど、彼女は先ほど、〈深窓の令嬢〉とは思えない言葉を吐いていた。そして、ソレを彼女自身が嫌悪せず、まるでそれが自然体のように振る舞っている。
「どいつもこいつも金・家・下心!! 自分の都合を押しつけやがって!!
こっちにはな、お前らに向ける情なんてぬぇーんだよぉ!!」
貴族らしからぬ物言いをこの部屋で、怒りを露わにしながら吐き出している彼女には、それこそ誰にも言えない秘密があった。
ソレはこの女と言うよりは男の様な言葉遣いに関わることであり、彼女自身においても「ふざけるな」と思うものだった。
「……くそっ、何時になったら戻れんだよ。
そもそも、なんで俺はこの女に憑依なんかしちまったんだ?」
……そう。〈深窓の令嬢〉はただの女性ではなかった。否、そもそもその中身は女性ですらなかったのだ。
彼女、否、彼は元来、〈深窓の令嬢〉のような貴族も召使ともかかわりのない世界……言わば一般社会に生きる高校生・磯部真樹という青年だった。
しかし、何の前触れもなく、ある日いつの間にか、気が付いたら、この〈深窓の令嬢〉の体を得ていたのである。
最初こそはパニックを起こした。
この屋敷にいる〈深窓の令嬢〉の祖母にも悪態を犯したり、この屋敷を支えてくれている執事やメイド達にも散々迷惑をかけた。
けれど、ソレを皆「両親を目の前で亡くしたから、気が動転して可笑しくなっているのだろう」と判断し、彼が〈彼女〉の身体に慣れる間ずっと支えて、手を差し伸べてくれた。
彼は〈彼女〉に慣れるまでの期間、部屋に籠っては寝ても覚めてもな生活を送っていた。
これがただの夢だと、この体の持ち主に体を返さなくてはと、家に帰りたいと。思いが重なって、ごっちゃになっていた。
けれど、しばらく部屋に閉じ籠っていても何も変化はなく、ただ〈彼女〉の身体が痩せ衰えていくばかり。自分の中に〈彼女〉の気配もなく、また、名前を呼んでも応えは帰ってこない。
そこで、彼は思ったのだ。有り得ないけれど、有り得そうなことを。「自分が〈彼女〉に憑依してした理由は分からないけど、〈彼女〉はとうに亡くなっているのではないか」と。
亡くなるのは何も体だけではない、心だって失われればそれまで、だ。
自分の呼びかけに答えず、憑依ならば居るはずであろう〈彼女〉の存在すらも見当たらない。もう、この身体に持ち主は居ないのだと。自分が抜ければ、抜けられるとすれば、この身体はそのまま死ぬのだと。
それはきっとただの推測にすぎない。けれど有り得ないこともないのだ。
どうして自分が憑依してしまったのか、その理由すらわかっていない状態で、この推測はあまりにも自分勝手なものだということも、彼は分かっていた。
だからこそ。
彼はもしかしたら帰ってくるかもしれない〈彼女〉のために、しばらくは生きてあげようと、思ったのだ。〈彼女〉だけではなく、自分は〈彼女〉ではないのに優しくしてくれている〈彼女〉の家族の為にも。
……と、思っているのだが。
* * *
「なーにがっ、“奇跡的にも復活を成し遂げたアシオレート侯爵家の令嬢、彼女に両親が残したのは跡取りと成るべく生まれた彼女への至宝の数々! 莫大な財産を手にした彼女の運命は!?”だよ……」
綺麗に畳まれた数か月前の新聞を広げ、ぶつくさと読み上げる彼。そこには一面に〈彼女〉として映っている、ぎこちない笑みを浮かべた自分の姿。
この新聞は貴族社会のみに配布される、貴族社会の為の貴族の嗜みのような物だ。貴族社会で今流行している噂話や宝石類の話を普段は載せているのだが、当時は〈彼女〉の復活はまさに奇跡と呼ぶに相応しいものだったのだ。しかし、コレのおかげで彼は豪い目に合っているのである。
〈深窓の令嬢〉を狙う貴族社会の者共の魔の手と言う名の、豪い目に……。
彼が〈彼女〉として復活を遂げたのは、こんなことをする為ではなかった。
彼自身が〈彼女〉を探そうと、もしかしたら自分と入れ替わっているのかもしれないと考え、一般社会の自分の家に行きたかったのだが…。
そんな目的はコレのおかげで、数か月が経っても〈彼女〉に会いに来る存在は多く、また〈彼女〉として、〈彼女〉の両親の代わりになさねばならない管理や行事のこともあり。
予定を組んでも組んでも、今はまだ忙しすぎてなかなか行けることはなく。行けたとしても当たり前だが一人ではない上に、興味本位だと言ってもそんな〈深窓の令嬢〉が一般人の住宅地など行けるわけもなく。
……おそらくは誘拐される危険性を思ってのことだろうが。
かと言って、自分の目的の為にとはいえ、会いに来る貴族社会の者を疎かにしてはいけないと〈彼女〉の祖母に言い付けられている為に、思うように動けずじまい。
正確には……「貴女らしくもない。侯爵貴族の跡継ぎたる者、いずれ伴侶となるかもしれない相手を疎かにしてはなりません。」と言われたのだが。彼にとってはどうでもいいことだが、〈彼女〉にとっては重要なことだろうと考えて、動けないのである。
いっそのこと適当に婚約者でも決めてしまおうかとも思ったが、そもそも彼は〈彼女〉ではない。彼は〈彼女〉の代わりとはいえ、適当に婚約者を決めるべきではないと考えて止めた。
「……貴族社会にも一般社会の新聞は入って来るけど、ばあ様がダメだって言ってるしな。
あー……! このままじゃ八方塞がりじゃないか!」
唸る彼。姿は〈彼女〉の為に、表の〈彼女〉を知る人物は皆卒倒するであろう。こんな、起き上がっては胡坐を掻いて頭を抱えている〈深窓の令嬢〉など見たくもないはずだ。
「……とにかく、明日はエスパレット侯爵主催のパーティに出ないといけないんだよな。
しかも、よりにもよって〈深窓の令嬢〉に惚れてる野郎の家なんだよな……くそ、」
侯爵の子息こそは、大変気の良い相手である。そこは彼自身も理解していた。そしてそんな人物が〈彼女〉のことを誠に愛しているということにも、彼は気づいていた。しかし、彼は〈彼女〉ではない。
だから〈彼女〉に愛を向ける存在には、天然のふりをして、理解していないように誤魔化すフリをしているのだ。深窓の令嬢らしく、何も知らないために、相手の気持ちにすら気づかないフリを。何時か帰ってくるかもしれない〈彼女〉のためを思ってお節介だろうが……それでも慎重に、慎重に。
「…“〈深窓の令嬢〉は誰も選ばない”か。確かにな。
まぁ、俺は〈彼女〉ではないから……正確には“選べない”んだけどな。言えるわけがねえけど」
今日の夕刊である貴族新聞を手に、彼はその一文を読む。その核心を突くような言葉に、彼は〈彼女〉として疲れたように微笑む。
明日も〈深窓の令嬢〉として大忙しの彼は、果たして目的である本来の自分がどうなっているのか……知ることができるのだろうか?
* * *
──────果たして、〈彼女〉は何処にいってしまったのだろう。
そして、彼はなぜ憑依してしまったのだろう?
それは、その真意は、
誰にも理解できないものである……。
……そもそも、〈彼〉と〈彼女〉が、〈同じ世界の人間〉とは限らないのに。
* * *
……むかしむかし。と言っても物語を始める決まり文句として使っている言葉でしかないけれども。
とある世界のどこかに一人の高校生が居ました。男の子です。平凡な家庭に生まれながらも、理数系で優秀だった父親の遺伝子をより強く受け継いだ彼は、頭脳明晰で人の気持ちを読み取ることが得意な青年でした。
ただ、唯一の欠点と言えば、理数系で難しい問題に当たると、解けることは解けるものの、その日の夜は何をしても起きることのない…言わば爆睡状態になるのです。
そんな彼の平凡で有意義な生活は、突如闇に包まれてしまうのです。それはある日の事でした。彼の住む国ではそろそろ深夜と呼ばれるに相応しい時間になる頃のこと。
彼の住んでいる地域で、大規模な地震が発生しました。彼が生きている中でも、彼の両親が生きている中でも今まで感じたことのないものでした。おそらく歴史においても2度とない大きさでしょう。
その日は、彼はちょうど難しい問題を解いていた日でした。……そう、彼は爆睡していたのです。だからこそ彼は起きることなく、また彼の両親の呼びかけに答えることなく……。
ただ夢の中で、思っていたことがありました。それは目覚めれば忘れてしまうような、夢の世界での願い。
正確には、夢の中の自分が願った、心の内の想い。
『違う世界を見てみたい』と。
そしてそして。これもまた別の物語の始まりを語るための言葉ではあるけれど。
同時刻で、しかし違う世界で、美しい少女に悲劇が訪れていました。正確には彼女と彼女の両親とに。悲劇はただの偶然によって起きたモノでした。
出かけ先からの帰り道。もうあと少しで屋敷と言う手前で起きた悲劇。予想だにしていなかった、その偶然。
偶然突風が吹いて、偶然彼女らの乗っていた馬車の車輪に向かって手のひらサイズの石が転がって行き、偶然にもそれに気づかず車輪がそれにぶつかって、そのまま馬車が転倒したという偶然。
よくある事故だったのです。そして、その馬車に乗っていた彼女の両親は彼女だけでもと守り、彼女はそんな両親らに守られて生きることとなりました。
されど、されどです。彼女は見てしまった。お揃いの白い帽子を被っていた母の頭から帯だたしい血が流れ、その帽子を赤く染めあげている姿を。いつも自分に厳しくも大切にしてくれている父が、父の胸から、愛用のステッキが心臓を貫いている姿を。
かくも残酷な場面を彼女は見てしまった。愛しい人が一瞬でいなくなる、喪われてしまったそんな場面を。
そして、彼女だけは屋敷が近かったこともあって、生き延びたのです。
しかし、彼女は。彼女の心はダメでした。無理でした。脆かったのです。弱かったのです。だから壊れてしまいました、そして壊れる寸前に願ったのです。
『死にたい』と。
* * *
偶然にも同時刻の悲劇。
違う世界で違う願いを欲した喜劇。
それを〈何か〉は叶えました。
いいえ。〈何か〉なんていませんでした。
そして、誰かが叶えたのではなかった。彼と彼女が、それぞれの願いを叶えてしまったのです。
こうして、彼は〈彼女〉になって異世界の少女として生きることになり。
そうして、彼女は〈彼〉になって異世界の青年として死ぬことになった。
けれど、どちらにも非がある訳でもないのです。
ただの偶然。重なった願い。重なった言葉。重なった夢。重なった望み。
ただそれだけなのです。
けれども。それに気付くこともなく、彼は〈彼女〉として生きなければならないのでしょう。
なぜなら、彼の探したい〈彼女〉はとっくに〈彼〉として死んでしまっているのだから。
それも違う世界の、同じ国で。
彼がいつ真実に気付くかなんて、それこそ……彼が真に〈彼女〉が死んでいると認めるまでは、おそらくは。
されど、それは、彼が彼の本来の居場所に帰れない事を指すのでしょうけれども……。
これは、物語ではないのです。〈彼〉にとっても、〈彼女〉にとっても。
有り得ない。けれど有り得てしまった入れ替わり。
果たして、この先彼はどのような未来を得るのでしょうね。
これは本当に突拍子もない話です、本当に有るか無いかどうかは別と考えても。
私の脳内から引っ張り出してきた、ただの物語なのです。
なんて、最後まで格好つけてみます。(笑)
では、ご覧いただきありがとうございました!