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銀河連合日本  作者: 柗本保羽
本編
47/119

-27-

 


 ……二重スリット実験という物理実験がある。


 これは、ドイツのテュービンゲン大学のクラウス・イェンソンが1961年、最初に行った実験とされている。


 はてさて、この実験は何かというと、量子の性質を実証する実験である。

 量子とはなにか? というと、早い話がこの世で最小単位といわれる物質のことだ。

 電子やら、光子やらと、そういった素粒子レベルの小さな小さな小さな……物質を総じて量子という。


 さて、ここでこの量子という物、現在の物理学では信じられないようなヘンテコな性質を持っている事が知られている。

 

 例えばの話……ある場所に、縦二つにスリットを分けた板を置いて、その後ろに超強力な粘着材を貼った板を更に置くとする。

 そこに、どこかのテッポーバカが、その2つのスリットめがけてエアガンを乱射したとする。

 すると、そのBB弾はどうなるか?


 当然ランダムに任意のBB弾が、その2つのスリットを通りぬけ、後ろの粘着剤の板に、ピトっとくっつく。その様は、おそらく縦長二本のラインを描いてBB弾はくっつくだろう。そして中にはスリットの間で弾かれるBB弾もあるだろう……まぁ普通はそうだ。誰でもわかる。


 では……これも例えばの話……どこかのテッポーバカが、ティエルクマスカが地球の調査資料で製造した、猫の形をしたロボットの小くなるライトで、ナノレベルのテッポーバカになり、量子サイスの弾を同じようなナノレベルのスリットに撃ちまくったとする。


 すると不思議なことに……

 その弾の着弾点は、二本のラインを描かず、なんと、大きな縦長の、沢山のしま模様になってしまうのだ。


 まるで量子は分身の術でも使ったかのように、沢山の縞模様を描き、己が性質と同じようなものを沢山粘着剤に張り付かせた縞模様を作ってしまうのである……


 テッポーバカは不思議に思い、弾を単発発射で撃ってみる。

 しかし、一発づつの量子BB弾を発射しても、どういうわけかスリットを通過する直前に……着弾点は、一発なのに、縞模様になってしまう。しかも着弾した量子は、先の通り、みんな同じ性質で、割ったような物ではないという。


 これにより科学者は、量子とは、光のような『波』の性質も持つ……という事がわかった。

 二つのスリットに波動を送ると、その波はスリットを通った途端にお互いの波が分岐し、干渉し合い、分岐に干渉、そして分岐を繰り返し、波の頂点をたくさん作る……これを『干渉波』というが、量子はこれをたった一個でもやってしまうのである。その波動の頂点が粘着板に到達すると、沢山の到達点ができる。なので結果、後方の粘着剤を付けた板には、一個の量子が、たくさん分身したようにくっついてしまう。

 縞模様の正体は、その干渉波の頂点が到達した状態なのである。


 しかし、ややこしいのはここからで……んじゃそれがどうして波のようにそうなるのかと……スリットの前に監視カメラでも置いて、一個の量子が波の性質にでもなる瞬間を観測しようとする。

 すると……量子はなんと……観測した途端に、縞模様にならず、普通のBB弾のように、縦長に二本ラインを描くようになってしまう……


 観測しなければ、同じ性質のものを縞模様のように分岐させ、観測するとそうならない……

 今まで知られていた物理の概念を覆してしまった世界が、量子という『物質』の世界なのだ。


 これがなぜそうなるか?

 科学者の中ではいろんな見解がある。

 物理学的なアプローチに、数学的なアプローチ、医学的なアプローチ。

 最近では、脳量子理論という「生物の自由意思」までも、量子学的見地で考えようとする向きまである。

 それはもう相当頭が良くなかったら理解できないような話ではあるが、実際のところ、その全てがまだまだ仮説にすぎず、今以て「これはそういう自然界の現象なのだ」という結果論で納得しなければならないのが現実である……


 さて、この事実がわかった時、大きく影響されたのは科学の世界だけではない。

 哲学の世界でもその影響は大きかった。


 『哲学』とは何か? というと、要するに『物の考え方』の学問である。科学とは少し違う。

 古くは「ゼノンのパラドックス」に見られる「飛ぶ矢は飛ばない」といったような、一見詭弁や寝言にも聞こえるような、悪く言えば「屁理屈」良く言えば「思考の原点」ともいうべきものが哲学である。

 哲学的思考の原点があって、その次に来るのが検証を求められる科学ともいえる。

 言ってみれば、哲学……つまり『物を考え、あるきっかけをもって発想し、何かを理屈づけて納得する』という行為があってこその知的生命体……と言い換えてもいいかもしれない。


 その哲学分野で、量子という存在についてある発想が生まれた。


 もし量子がそういうものなら、我々の住むこの世界も、突き詰めれば量子で構成されている。

 ならば、我々の認知できない自然界の現象で、常に世界はマクロの単位でも、ミクロの単位でも分岐するような状態であっても不思議ではない……しかし、量子の波動性を観測できないというのであれば、常に主観で生きる個々の我々は、その世界の分岐を認識できないし、できるはずがない。だから、もしかすると、この世には我々の知らない世界が……もしくは我々と異なった歴史を持った世界が何かどこかを起源にして分岐し、無数にあるのではないか?……と……


 そして、量子が共についに対を重ねるような性質を持つものであれば、似たものが似たような……しかしどこか違う性質の世界があって、それがどこかで通じ合っているという、そんな不思議な情況世界があってもおかしくはないと……

 

 それを現代の我々は……『並行世界』と呼んだ……




 ……………………………………




 ティエルクマスカ世界が抱える、種族存亡に関わる問題『精死病』……

 その病から唯一生還したといわれる人物、ナヨクァラグヤ。

 エルバイラの記録といわれる太古の手記を検証してみようと、柏木真人の発案で行われた実証実験作戦『カグヤの帰還』

 

 万難排し、当初の予定とはかなり異なるが、フェルの乗る実験機『イナバ』とともに、ゲート亜空間回廊壁へ共に突っ込んだ柏木とクラージェクルー達。

 

 その強烈な、なんとも表現しがたい情況を、薄らいでいく意識の中で次に目覚めた世界は……


 201云年の日本国だった……


 しかし何かが違う日本……

 柏木の経験がない日本……

 だが、柏木の記憶にある日本……

 そして、『体験』のある日本……


「一体これは…………」


 そうは思うが、思ってもその不思議さと、アタリマエの事と思ってしまう常識が脳内を乱れさせる……

 

 ……一番困惑したのが、『知らないけど知っている』という状態だ。

 

 彼は、あれから色々と身の回りにあるものをひっくり返して、今の『自分』というものを調べてみた。


 どうも彼は、TESではないゲーム会社のプロデューサーのようだ。年齢は自分の知っている自分と同じ37歳。

 そして、この日本にはTESという企業は存在しないらしい。


 趣味はサバゲーと、これはどうも同じらしい……複雑な気分……

 家の住所はその企業が指定した社員寮。TES時代と同じ住所の社員寮だった……

 出身大学は……大阪の富田林市近郊ある芸術系大学を卒業したらしい。名前は自分の知っている大学名とは違った。

 携帯の電話をみると……彼の一方の記憶では死んだはずの同期、遠藤といわれる男が生きていることと、大見や白木、美里の名前もあった……


 今日は土曜日らしく、おそらく繋がるだろうとみんなに電話をかけてみると、大見は自衛隊員だったが……階級は一尉で、まぁ普通にやっているらしい。

 柏木が久しぶりに電話をかけてきたということらしく、えらく驚き、懐かしがっていた。

 今度一緒に白木と飲みに行こうと言われた……


 白木に電話をかけてみると……彼も外務省の官僚をやっているようだ。しかし部署が違った。

 彼は今、北米局で働いているらしい。

 性格や件の能力もあのまんまだ……ただ違っていたのは、麗子という人物は知らないということだった……


「麗子ぉ? 誰それ? 知らんなぁ……俺は今彼女いない歴更新中だぜ、ぶはははは、おめーはいいよなぁ……クスン……」


 と言われた……

 そう言われると、ハタと思い出す。

 どうやら自分は、付き合っている女性がいるのだと……

 名前は……『竹村たけむら 玲奈れな』……


「えっ!…………」


 まさかと彼は思う……それは記憶と経験が一致する同じ名前だ……そう、彼が大学時代に付き合っていた女性の名前だった……

しかしお互い37にもなってなぜ……と思うが、どうも柏木の一方の記憶にある通り、もう一方の記憶でも、彼女とは大学時代に一度事実上別れてしまっていたらしい……しかしその後、ひょんなことから再会。また付き合いが始まったと記憶にあった……そして、来年に結婚の予定だとも…………


「俺が……玲奈と結婚か……」


 何とも複雑な気分……でも、それが当然な感情……色々と考えた挙句、悩んでもしかたがないということで、その後彼は記憶と体験に従って、幕張へと向かう……


 車は持っていないらしい。

 鉄道を乗り継いで幕張へ……家にあった新聞を色々と読みながら驚愕の事実を数々知る……


(日本の総理大臣……顔と名前は一緒だが、漢字と姓が違う……二藤部総理は…………三……? 三島先生は……生……太郎? で、財務大臣ってか……ふ~む……やはりどうやらこれは……)


 柏木は、電車に揺られながら、落ち着いて考えてみる……

 どういう理由で、どういう状況なのかはわからないが……あの亜空間回廊壁へ落ちた瞬間、自分がどうやらニーラの言っていた『並行世界』とかいう場所に飛ばされてしまったのだと理解した……


 並行世界……その言葉は柏木も知っている。まぁゲームネタとしてはお約束の設定だからだ……TESの自分であれ、この世界の自分であれ、そんな言葉ぐらいはわかるが……まさか現実に体験することになろうとは……と……


 なぜそう自覚できたか……普通なら夢オチとかそういう事を考えてしまい「あー俺はどうかしてるんだ。最近疲れていたからなぁ、はいおしまい」と思うところだが、 彼はティエルクマスカの技術を実証データレベルである程度は知っていたからだ。その記憶がきちんとあった。

 もし彼が今、この記憶にある知っている限りのデータを特許申請でもすれば、この並行世界をひっくり返すような一大事になり、億万長者にでもなれるだろう。


 そんな記憶を彼は覚えていた……

 夢、幻で、そんな記憶を持てるはずがない。まぁそんなところだ。


 そして、左腕に付けていたものも思い出した……PVMCGだ。


(あの時は記憶が混乱してたからな……思い出した……)


 この世界では言わずもがな、ヤルバーンは地球に飛来していない世界のようだ。

 まぁ、とりあえずは平和な世界なようではある。


 しかし似たような時事もちらほらあった。


 韓国の反日大統領の異常な行動。

 中国の台頭に軍備拡張。

 尖閣諸島の問題。

 竹島、北方領土。

 ウクライナ事変。

 従軍慰安婦の事実攻防。

 そして、この世界の米国黒人大統領が、もう一方の、柏木の記憶にある世界の米国より内向きで、これまた……いや、これ以上は言うまい。俺には関係のない世界だ……と彼は思う。


 そして、東日本大震災とその後……この世界もか……と……


 柏木の知っている元の世界では、ヤルバーンの飛来で解決に目処が付いた問題が、更に深刻化していたり目処がつかなかったり……そんな世界だった……

 彼はもし自分のいた世界でも、ヤルバーン事件が起きなかったら……こんな日本だったのかなとも思う……しかし、一方の経験を持つ彼にとっては対岸の火事どころか……そんな話だ…… 

 そう思うと、やはり彼は元の世界の事を考えてしまう。

 愛妻はどうしているだろうか…… 


(フェル達……大丈夫かな……)


 そう思うと……


(ウッ!…………)


 ズキンと頭痛が走る……



 ……その後、彼は幕張に行き、仕事仲間だという遠藤とともにスケジュールをこなす。

 新作ゲームの発表会とやらも、無難以上にこなした……

 それどころか、この世界での彼を知っている人物が言うには、それまでの彼では考えられない程の素晴らしいプレゼンだったということで、やんやの喝采を受けた。

 彼の『経験』ではどうということのないものだったが、どうもそんな感じらしい……まぁいいかと思う。

 

 そして帰り際、柏木は遠藤にそれとなく……


「お前、最近顔色悪いぞ……定期的に健康診断いけよ……」


 と言ってみる……遠藤は相当訝しがっていた……


 ……その後、彼は渋谷に向かう。

 行きつけの喫茶店に入り、途方にくれてしまう……ってか、その喫茶店も、建物の趣は同じだが……別の名前だった……


(はぁ~……これからどうするかなぁ……ニーラ博士、頼むよぉ……)


 そんな時、スマートフォンの音が鳴る。

 体をまさぐり、その手に取る……知らないメーカーの、知らない機能のついたスマートフォン……でも知っている……なんともな頭の中身だ……

 画面に映るは、『玲奈』の文字


「……」


 フゥ……となる彼。まぁ、コッチの世界の彼のためにも、受けないわけにはいくまい……


「……はい、もしもし?」

『あ、真人?』

「……玲奈……か?……」

『う、うん……そうだけど……どうしたの? 真人』

「い、いや……で、何?」

『あのね、今、渋谷にいるんだけど、晩御飯一緒に食べようよ』

「あ、ああ……あ、そうそう、今俺も渋谷にいるんだけど……例の? 喫茶……店に……」

『ああ、あそこね。わかった、じゃ、今からそっちに行くね』

「お、おう……んじゃ待ってるよ……」


 切れた……


(玲奈か……)


 しばし待つ……


 玲奈がやってきた……

 やはり玲奈だ……柏木の両の記憶にある玲奈だった……ショートカットは学生時代から相変わらず。

 スマートな体形にいつもジーンズを履いて、活発な感じの女性……学生時代と同じだ……今思えば、よくもまぁ自分みたいなガンマニアと付き合っていたものだと……


 玲奈は手をピラピラ振ってやってきた。

 お互い37歳だが、最近の女性は歳食っても綺麗なもんだと思う。美魔女とかいう奴か? と。


「おまたせ、真人」

「お、おう……久し振りだね?」

「え? 何いってるの? 昨日会ったとこじゃないの……」


 あ、そうかと思う……片方の記憶を意識しなかった……


「あ、そ、そうだったな……はは、ゴメン」

「変なの……で、どこに食べに行く?」

「ん? そうだなぁ……」


 ポっと思いつく言葉。


「んー……カレーでも食いに行こうか」

「えぇ? カレーぇ? せっかくなんだからもっと他のにしようよぉ」


 フェルなら小躍りして喜びそうなんだが……と……


「………………………………え? フェル?……だ、誰だっけ?……」


 え? と焦る柏木。

 さっきまで覚えていたことが思い出せない……

 口に手を当てて考えこむ。

 頭のなかで反芻する柏木……


(二藤部総理……覚えている……三島先生、ティエルクマスカ、イゼイラ、ナヨクァラグヤ、ああ、覚えている……フェル……何だ? 思い出せないぞ……ニーラ博士……OK……シエさん……あ、覚えてた……)


 少し口元波線になる柏木。


(……ニヨッタ船長……OK……シャルリさんは……忘れんわな……フェル……フェル……)


 マズイ! と直感する柏木。

 

「れ、玲奈、め、メモあるか……メモ……」

「う、うん、あるよ、ど、どうしたの?」

「た、頼む、俺にくれ……」

「ほ、ほい……」


 柏木は玲奈からメモを引っ張るように取ると、とにかくがむしゃらに今記憶している元の世界の記憶をがむしゃらに記述しだした。

 その様子をビックリするような目で見る玲奈。

 その時でも、しばし特定のキーワードで頭痛がしばし走る。

 

「あ~ダメだ、ページが足りない……」

「どどど、どうしたの? 真人……」

「あ、ああ、アハハ、い、いや、新しいゲームのネタを思いついてね。忘れない内に書きとめておこうかと……」

「は、はぁ……」

「と、ちょっと、あそこの100均ショップ行ってノート買ってくるわ。待っててくれる?」

「は、はい……行ってらっしゃい……」


 柏木はダッシュで喫茶店を出る。

 

(まずい……マズイぞ……理由はわからんけど、どうもこの世界に何か影響かなんか与える記憶は消えていくみたいだ……早いところ書き留めておかないと……)

 


 段々と、この並行世界の構造に気づく柏木……

 このままではと……




 ………………………………




『モニター艦隊、各艦ディルフィルドアウト完了!』

『各艦、先の戦闘で、目立った被害はありません!』

『各艦から、モニターをすぐに開始できると報告!』


 冥王星、衛星カロン付近に設置されたゲートに姿を表したティエルクマスカ実証実験作戦モニター艦隊。

 各艦異常なし。

 先の戦闘で各員奮闘努力の甲斐あり、無事、この空間に到着した。

 

 初めてこの太陽系にやってくるイゼイラ人や他の種族は、みんな冥王星やカロンに興味津々。

 やはり彼らは冒険者だ。こんな暗黒の世界に浮かぶちっぽけな準惑星ですら興味の対象なのだ。


『ふぅ、帰ってきたな……いや、帰ってきたというのは可笑しいか? でも、何か懐かしいな……』


 ティラスがそう漏らす。

 現在副官のジェルデアは


『ははは、たった2シュウカンとチョットじゃないですか艦長、そこでポックリ逝ったりしないでくださいよ、まだまだコレカラなんですから』

『ん? なんの話だ? ケラー』

『いえいえ、コッチの事です』


 何のこっちゃとハテナマークが頭に灯るティラス。

 しかし感傷に浸るのもこの瞬間のみ。


『ケラー・ジェルデア。イゼイラ本国へ量子通信で報告。モニター艦隊全艦健在、異常ナシ。途中、ガーグ・デーラの奇襲を受けつも、これを撃退。少々作戦に変更あれど、当初の予定に変更ナシ。これから作戦第二段階に入る』

『了解……艦長、作戦変更点にクラージェの件、報告入れますか?』

『そうだな、そこは君の文官としての才覚に任せるよ』

『わかりました』


 要は、適当にお役所作文で報告してくれということだ。

 そういう点は、ジェルデアの専売特許である。

 『等』やら『鑑み』やら、そんな言葉を使って報告するのだろう、そういうところは日本とそんなに変わらない。

 ティラスはこういうところ、副官としてジェルデアを残した柏木の、咄嗟の人事才覚に感心したりする。


 そんな話をしていると、センサー担当員が……


『艦長! イナバとクラージェ双方の量子ビーコン信号捉えました!』


 興奮した顔で報告する。


『おお! で、何処に出た!』

『はい、えっと……タイヨウケイ、ガイエン部と呼ばれている場所から出ていますね……うわ、この場所からは、ほぼ正反対の位置になります……座標は……』


 センサー担当は、正確な位置を報告する。


『ほう、結構離れたな……亜空間回廊を逸脱すると、こんな風になるのか……』


 するとニーラがその話を聞いていたようにブリッジに入室してきた。


『かんちょ艦長、まァそれでも誤差の範囲ですヨ。むしろ良い位置に出たぐらいデス。コノ距離ならディルフィルド航行で一瞬でしょ?』

『マァ、そうですがね』

『デ、センサー担当サン。 肝心のバイタルデータは送られてきていまスか?』

『え、ええ、それが……』

『?』

『まだなんです……もうそろそろ送られてきてもイイ頃なんですが……』

『フ~ム、まさかバイタルセンサーに異常をきたしているとか……』


 ニーラは腕を組んで考える。

 ティラスも各艦に確認するが、回廊壁突入までの各種データは完璧に取れているが、その後は不明だという。


『かんちょ、これは現場に行ってみるしかナイデスね~』

『そのようですな……いかんせん突入の情況が少々異常というのもありましたからな……行ってみましょうか……』


 そして、艦隊は、現在位置からほぼ真反対の位置にある太陽系外縁部付近にディルフィルドジャンプを行った……




 ………………………………




「う、ううっ……ハッ……ここは……」


 気を失っていたフェル。

 気がついた……という情況……

 起き上がろうとする……


「アアッ! 痛っ!……うぐぅぅぅぅ」


 その激痛の元を見る……なんと、左腕が折れているようだ。

 そしてその腕が視界に入る……PVMCGを付けていた……


(あ、アレ?……マサトサンからもらった大事なウデドケイが……え?……ちょっと待って……私……そんなの貰っていない……マサトサンなんて知らない?……ううん知っているわ……私の愛する大事な人……私の命より大事な……家族になる人……でも知らない……どういうこと?……)


 フェルはハっと思い周りを見る……


(こ……これは?……デロニカの……残骸……え? え? どういうこと?)


 するとイゼイラ人らしき人の手が、その残骸から覗いていた


(!!)


 フェルは痛む腕を抑えてそこに這うように駆け寄る。


「あ、貴方、しっかり! しっかりしなさい!」

「フ……フリシア……ご、ご無事でしたか……よ、良かった……」


 そのデルンなイゼイラ人パイロットが発した言葉にハっとする。

 「……え!? フリシア!?」 とフェルは思う……フリシア……イゼイラ語で『皇女』の意味だ。

 イゼイラでは、次期旧皇終生議員の女性敬称として使われる……つまり、親が健在だということだ……

 言われて思うに、確かにその記憶はあるし、経験もあった……しかしそれを知らない自分もいた……


 その異常な状況に、科学者としてのフェルが今の置かれた立場を冷静に分析させた……

 目線を鋭くして、やっとのことで自分の周囲を冷静に見渡す余裕ができた……

 耳を澄ますと、地球の銃声に砲声が遠くに聞こえる……

 せ、戦場か? とフェルは思う。


(も、もしかして私は……イナバとクラージェが回廊壁に突入した時……あの瞬間……まさか……並行世界に……)


 しかし少しおかしいと思うフェル。

 並行世界に飛ばされたにしては、自分が自分でない……しかも骨折し、何らかの情況進行状態で意識を持っている自分に疑問を持った……


(え? もしや……意識だけが同位体の自分に同化している情況なの? そんな事って……)


「ウウッ……」


 パイロットが苦しんでいる……ピンク色の血を流す……かなりの出血だ。

 今はそんなことを疑問に思っている時ではないと、そのデルンを助けようをする彼女。

 フェルは痛む腕を使わずに、必死の形相でこのパイロットを残骸から引きずり出し、PVMCGで応急手当てをした……

 腕の痛さに、意識が飛びそうになるフェル……

 パイロットは気を失ったようだ……


 すると遠くから声がする……日本語のようだ。


「お~い! こっちだ! 見つけたぞ!」

「おいアレを見ろ! 良かった! 生きていらっしゃる! 対象生存確認!」


 ダダダっと走ってくる迷彩服に身を包んだ日本人達。

 自衛隊員だ。


「フェルフェリアさん! ご無事ですか!」

『ハ! ハイ! ココです!』


 思わず右手を大きく振るフェル。

 しかし、その声と近寄ってくるその姿に、ハっとし、脂汗がにじみ出る……


「良かった! ハァ……本当に……」

『エ! マ、マサトサン!』


 ポっと口を開けるフェル……

 確かに、胸の名札に「柏木」と書いてある。


「え!? フェルフェリアさん……なぜ自分の名前を?」

『エッ! い、イエイエイエイエ、ななな……なんでもナイです……アイタタタタ』


 腕を抑えるフェル。

 マズイという顔をした柏木が、すかさず医療用ハイクォートを取り出して、フェルを治療する。


『こ、これハ……ハイクォート……なぜこんなものをジエイタイが?』

「え? いや、知らないんですか? イゼイラとの協定で、全自衛隊員へ支給になりました……いや、本当に助かっていますよ。はは」


 そんなことを話しながらフェルを治療してくれる柏木。


「柏木一尉!」

 

 柏木の部下らしき自衛官が駆け寄ってくる。


「どうした?」

「大見一尉の班が、中国軍の歩兵部隊と遭遇、交戦を始めました……早くイゼさんを連れて後方へ……」

「そうか、それで大見一尉は?」

「コチラとは別の方向へ敵を誘導してくれています」

「大丈夫だろうな……アイツ……」

「全員、携帯障壁装置を装備していますので、歩兵部隊程度なら大丈夫でしょう」

「ああ、そうか……うん……戦闘車両は随伴していないんだな?」

「はい」


 そんな会話を聞くフェル。

 どうもこの世界の日本は、どこかと交戦状態にあるみたいだ。

 フェルの知らない記憶を目をつむって掘り返すと……

 ……チャイナ国と紛争状態にあるという記憶を掘り起こせた……

 そしてどうやらこの世界では、フェルと柏木は、お知り合いではないらしい。

 彼女の知らない記憶もそうあるようだ。

 とにかく情報が必要だ……フェルは自分の知っている記憶と併せて、状況を分析するために色々と聞くことにした……ソレが一番だ……と思った……


 色々その柏木一尉とやらに尋ねながら、自分の知らない記憶と状況を併せて整理してみるフェル。

 ……ちなみにフェルは今、柏木一尉におんぶしてもらっている……ちょっと嬉しい……

 どうやら後方へ移動しているようだ……


 色々尋ねると……フェルが気がついた場所は、オキナワケンという日本の南方にある自治体らしい。

 フェルは地球時間で46歳、イゼイラ年齢で23歳……これは彼女の知るフェルとも変わらない。

 そして大きく違ったのは……この時代の政権が、自保党政権は自保党政権だが、政権が変わったのは、つい最近の事だということだった……

 そして総理大臣は二藤部新蔵。閣僚の構成は違っていた……

 ヤルバーンがこの地球に到達した時、その時点では民生党政権だということだった……


 イゼイラとの交信の際、件の通信問題の件は、OGH傘下の研究機関が突き止めたらしい。

 そして交信に成功後、天戸作戦のようなものは行わずに、普通に彼らと交渉を行ったそうだ。


 しかし先のこの政権、どうやらヤルバーンがこの地に到達した際、どうしていいかわからず、当時野党の自保党が大反対をしたにもかかわらず、国連と共同で交渉を行ったという話だそうだ。

 まぁ、そういう風になるのは理解は出来る。彼女の知る世界でも、もしやもするとそうなっていた可能性は無きにしもあらずだったからだ。


 しかし問題なのは、ヤルバーンが日本のみと交渉をしたいと切り出した際、それを了承したはいいが、その際に供与された色んな情報を、国際協調の名のもとに……ヤルバーン側へは知らせず、秘密裏に海外へ流していたという。

 それがヤルバーン側に発覚し、交渉は全て凍結された。

 フェルの記憶では、その際、ヤルバーンの派遣議員である……


『えっ! ファルン?……私の……ファルン……』

「はい、フェルフェリアさんのお父様、ガイデル議員閣下が、ヤルバーン全権大使のヴェルデオ閣下を説得し、自保党の二藤部総理……当時は自保党の総裁でしたが……まぁその方と秘密会談を行って、民生党を政権から引きずり下ろすので、それまで待ってくれと、そういう感じで交渉をなさったそうです」


 フェルは、ふと疑問に思う。


『マサト……あ、いえ、カシワギサマは、イチジエイカンなのに、良くご存知ですね、そんな内政の事情を』

「ははは、ええ、まぁ……ソッチの方に身内がいましてね……白木っていうんですが……今ソイツの変な能力を買われて、総理秘書をやっています。で、その経緯でね……内緒ですよ?」

『ハイ……聞かなかったことにしておきまス……ウフフフ』


 (そっか……ケラー・シラキはファーダ・ニトベの参謀か……)と思うフェル……なんとなく納得。

 そして、この世界では生きている父と色々話した内容も、もう一つの記憶で思い出す……

 その目的は、『元の』彼女がいた世界と基本同じだ……

 そっか……ともう一つの彼女は納得する……

 しかし、そこから深刻な内容を聞かされる……


 この世界の二藤部は、政権を取ると、急に特定の国家とのヤルバーン共同交渉の停止を通告したらしい。

 それは中国、韓国、そして、ロシアだ。

 ヤルバーン技術情報の、軍事転用が疑われたためだ。

 国際協調の取り決めで、それは行わないとされていたために、そのような処置をすぐさま取った。

 しかし、時既に遅く、韓国以外の中国とロシアは、前政権が流したヤルバーンの技術情報を元に、ヤルバーン所有兵器にある程度対抗できる装備をすでに開発していたという……ちなみに韓国も開発していたが、実用化できなかったそうである……そう、いくつか提供されたハイクァーン原器が、いつの間にか外部に流出していたのだ。


 二藤部政権は政権移行したばかりで、その事を知ったのはつい最近の事だと。

 実に巧妙に隠蔽されていた事実だったらしい。

 彼は、すぐさま民生党の、当時の首相や閣僚を告発し、逮捕させた。


 しかし、中国がそれに呼応するかのように、尖閣諸島へ軍を侵攻させ、尖閣諸島を事実上占拠してしまったという……なぜにそんな暴挙に出たか……その占拠した部隊には、明らかにティエルクマスカ技術を応用した兵器が、実戦配備されていたからだという。

 

 当然日本は、防衛出動をかけた。

 そして……日中紛争が始まったそうだ……


 中国政府は沖縄の、いわゆる『独立派』といわれる中国の息のかかったシンパを沖縄で暴れさせ、混乱に乗じて沖縄近海に接近。特殊部隊を上陸させ、工作活動に出たという……


 フェルもそこら辺の事情は記憶にあった……

 たまたま沖縄へ親交記念行事でお呼ばれしていた人気者のフェルは、沖縄で起こった事態の急変で急遽、米軍に守られながら那覇空港で待機させていたデロニカに搭乗、離陸後しばらくして、何かの攻撃を受けデロニカは撃墜され、名護市多野岳のあたりに不時着したのだという。

 そこを救援に来た柏木達に、今こうやって助けられた……


 明らかに中国軍特殊部隊の仕業で、デロニカ残骸の奪取、よしんばフェルが生きていたら、拉致するつもりだったのかも知れないとの事を柏木は話していた。


 フェルも、その柏木の話と自分の知らない記憶とが整合性をとり始め、整理できてきたようだ。

 


 ……その後フェルと負傷したパイロットは、自衛隊の新型空間振動波エンジンを装備したヘリに乗せられて、九州の国分駐屯地まで運ばれた……


 フェルは基地応接室に案内され、ポツンと一人にされる。

 しかし物思いにふけることは出来た……


(これが……一極集中外交をしなければならない理由ですか……皮肉なものですね……私とは全然関係のないこんな世界で、私達の外交方針の正しさが証明されてしまっているなんて……)


 フェルはこういう並行世界のありようも少なからずは知っている科学者だ。その点、今別の世界で右往左往している柏木とは違い、冷静なものだった。


(でも……今私がこうしている間の、元の世界の私って、どうなっている…………)


 すると、フェルは「ハっ!」と目を刮目して思いつく……


(ま、まさか……精死病って…………いえ、そんな……でも……情況がみんなこんな風になるなんて……)


 そして次の瞬間……


(ウッ!……頭が…………)


 思わず頭を押さえるフェル……


 すると柏木がお茶を持って部屋に入ってくる。


「フェルフェリアさん、お茶を持ってきましたよ……って、どうしたんですか!」


 頭を押さえるフェルを見て狼狽する柏木。カップを傍らに置いてフェルに駆け寄る。


『あ、ア……貴方は誰?……』

「え? 私ですよ、柏木です。どうしたんですか!」

『あ、そ、そうか……カシワギサマ……え? 私は貴方を他の呼び方で呼んでいたような……アレ? 思い出せない……なぜ? ナゼ? イヤ……忘れたくない……違う? 忘れるんじゃない……記憶が……封じ込まれる……忘れてないけド……思い出せなくなる……イヤ……』


 あきらかにフェルの様子がオカシイと思った柏木は、深刻な表情で


「ちょ、ちょっと待ってて、今、衛生を呼んできます!」


 するとフェルは、部屋から飛び出そうとする柏木の裾をガシっと掴んで


『ダ、大丈夫デス……そ、それよりも……ここにいてクダサイ……お、オネガイ……』


 柏木はよくわからない状況に狼狽しながらも、わかったと言い、そういいつつも携帯を懐から出してどこかに連絡をしているようだ。


(ダ……ダメです。これは……まずいです……これが並行世界の法則ですか?……き、記録を取らないと……大変なことになります……)


 フェルはPVMCGを操作して、キーボードとモニターを造成すると、いつもの得意技な高速タッピングで、バババっと、思い出せる元の世界の記憶を怒涛のごとく入力し始めた……


 柏木は横でその様子を見て、唖然としていた……




 ………………………………




『ふぁーだぁ~! ファーダぁ~!』


 泣きそうな顔をするニーラ。

 参謀席からずり落ちるようにグデっと座る柏木の体を揺さぶる。


『ニヨッタ船長!』


 ジェルデアが大きな声で彼女を揺さぶり必死で叫ぶ。


『サディカーシェル! 起キロ!』


 シャルリを抱えて揺さぶるダル。

 事の異常性に、ただごとではないとダル艦長も乗り込んできた。


『ムゥ……どういう事だコレは……』


 クラージェブリッジに深刻な顔をして入ってくるティラス。

 彼もクラージェに乗り込んできたようだ……船内をくまなく見回っていたようである。



 ……冥王星宙域から、太陽系外縁部にディルフィルドジャンプしたモニター艦隊は、量子ビーコンの信号を追って、イナバとクラージェを探索した。

 ほどなく二隻を発見する事に成功はしたものの、通信を送っても何も反応がない。

 そして、クラージェの制御システムにアクセスし、状況を報告させると、『クルー、全員死亡』などというとんでもない返信が帰ってきた。

 びっくらこいたモニター艦隊クルーは、救助部隊を即時編成、両船に立ち入ったのであるが……


 そこで彼らが見たものは……


『ニーラ副局長、これは……ドういう状況か、わかりますか?』

『かんちょ……どうもこうも……信じられない事ですけど……みんな……精死病になっちゃっていまス……』

『は……はぁ!!?』


 目を丸くして驚くティラス。その話を聞いていたダルも、シャルリをそっとその場において、スっとんできた。


『ゼ、全員ガ……精死病ダト?……』

『これを見てください……』


 ニーラはPVMCGでスキャンした柏木の脳ニューロンデータを見せる……いや、見せたくても、データがない……データが取れないのだ……


 確かに……この現象は典型的な精死病の症状である。

 そしておそらく彼らがこの宙域に出現してから数時間は経っているだろう。それなのに死後特有の症状が見られない。

  

『シ……しかし……ティエルクマスカ人だけならまだしも、なぜ大使まで……』


 そう、地球の歴史で、この精死病に似た症例など古今東西ないはずなのだ。

 もしあるのなら、この病気を地球に公表した時点で、彼らから何かのアクションがあるはず。それぐらいはわかる。

 

『…………』


 ニーラは先程までの泣きそうな顔をキリリと引き締め、自分の役割を思い出す。

 少々動転していたが、ティラスの言葉で、ハっとしたからだ……


 ティラスは、呟くようにポロリと漏らす。


『実験は……失敗か……これではとても……』


 するとニーラが「それは違う」と言う。


『……かんちょ、まだ失敗とするには早いかもですよ……』

『え?』

『もし、これが私達ティエルクマスカ人だけなら失敗とおもっちゃうところですけド、かんちょがサッキ言ったように、ファーダ大使が精死病状態になってるっていうのが……ちょっと疑問でス』

『た、確かにそうだが……』


 ふ~ムと、ニーラは腕を組んで、コメカミをクリクリさせながら目を瞑り、クラージェブリッジをうろうろしだす……で、コケた……スネをフーフーしてさするニーラ……


 しかしなにやらニーラの脳内で、思うところがあるようだ。


 救助部隊全員がニーラのその行動を凝視する……コケたところは各自脳内でカットすることにした……


 ニーラは、システム担当の、精死病状態にあるクルーをやさしくシートから降ろすと、その席へポンと座り、VMCモニターを立ち上げてポポポっと作業をしだす。


『……ヤっぱり……』


 ニーラの言葉に、ティラスとダルが、そのVMCモニターを一緒に覗く。


『この数値を見て下さイ……この複雑な数値は、回廊壁へ突入前のものですね……この船のシステムは、きちんとクルーのゼルクォート使用状況を監視していたということです』


 ニーラは、クルーのPVMCG管理用の使用状況監視データを説明する。

 各クルーは、突入前の安全対策として、パーソナルシールドを造成させたり、工具などのツールを造成したりと、何がしかの事でPVMCGを使用している。

 その使用状況のデータが、きちんと記録され、相応の変動値がシステムには記録されていた。


『デモ、この時刻……これはみなさんが回廊壁へ突入した直後……正確には数分後の数値ですけど……み~んなおんなじ数値になっちゃっています……』


 ティラスとダルは、フムフムとニーラの説明を聞く……


『では、この時に精死病が発症シタと……』

『そう考えて然るべきですネ……でも……』

『アア、我々ダケナラマダシモ……カシワギ大使マデトナレバ……コレハ……』

『うむ……これは『病気』とは……いえんな……これは……』



 『事故』だ……と……



 三人は、お互いの顔を見て、困惑な表情をする……

 そしてティラスは、再度そのVMCモニターを見る……

 まるで居眠りでもして、キーボードを押しっぱなしにしたように同じ数値がその後の時間軸に並ぶ。

 

『ん?』


 ティラスはモニターに流れる平坦な同じ数値を見ていると……


『お? とと……』


 ある場所でストップキーを押す。


『?……どうしたんですか? かんちょ』


 ニーラは何をしているんだという表情で、ティラスを見る。

 

『副局長、ここの数値が一つだけ変わっているのですが……これは?』


 ティラスは同じ数値が画面いっぱいに並ぶVMCモニターの中に、端の方にあるたった一つだけ数値の違う箇所を指さす。


『エっ!』


 ニーラはティラスを押しのけるようにVMCモニターへ顔を近づけてその数値を覗きこむ……

 すると途端にニーラは顔色が変わり、システムスクロールを逆に戻したり、先に進めたりと食い入るような格好でやっていた……


 更に、ニーラの顔色が変わっていく……


『クラージェシステム……』

【はい、ニーラ副局長_】

『こ、この……数値は……何かの誤差なの?』

【不明_】

『ふ、不明って……んじゃ、この数値はどこから検出されたものなの?』

【精死病実証実験宇宙船・イナバ 医療ポッドからです_】




 ポ……と口を開けるニーラ……

 ゆっくりとモニターから目を離し、後ろのティラスとダルに顔を向ける……


 その目は……涙で潤んで……一滴頬を伝う……

 

 そのサマを見たティラスは瞬時に察した!


『医療班!!! 直ちにイナバの医療ポッドを転送しろ!』


 船内通信で叫ぶティラス。


『ダダダだめです! 転送はダメです! 現場へ誰かを向かわせて下さイ!』


 ティラスのその言葉に思わず横から命令変更を怒鳴るニーラ。 

 びっくりするティラス。

 そしてニーラは、すぐに脳ニューロンデータを取れと医療班に怒鳴り散らす。


『ふ、副局長、なぜ転送でカグヤの医療室に運ばないのですか?』

『まだ様態が良くわからない状態で転送なんてしたらダメですよっ! 転送はある程度健康状態が明確な状況で行わないと、転送システムが、バイタルエラーを起こす場合がありまス。それが原因でせっかくの現状様態が変わってしまったら、元も子もナイです!』

『な、なるほど……り、了解です……』


 ニーラの迫力に押されるティラス。

 今のニーラ……いつもの可愛さはどこかへ行ってしまっている…… 





 ……しばし後、結果が送られてきた……

 医療班も声を震わせてニーラにイナバから報告する……


『ふ……副局長……あの精死病臨床患者から……脳ニューロンデータを取ることが……で……きました……』

『!!!…………よ……よーたいハ?』

『は……呼吸極めて微弱……脈拍も極めて微弱……新陳代謝機能も極めて微弱。ほとんど働いていません……これではさすがにわかりませんよ……これじゃまるで“生体機能停止刑”を受けた受刑者のようです……』

『エ?……で、では……仮死状態で……“生きて”はいるのですね……』

『はい、それは間違いなく……蘇生処置を施せば、覚醒すると思います……』


 その言葉を聞いて、ニーラは地面にへたり込んでしまう……


『や……やた……せ、成功だ……せ、成……功で……すよ……』


 全員、しばしの沈黙…………

 次の瞬間、


『や、やったぁぁぁぁぁぁぁ!!!』


 と大歓声が巻き起こる。

 みんなそこらじゅうで抱きつき、涙を流す……


『イヤ!、チョットまてまてまてまてまて……まぁ~てっ!!』


 ティラスがそう叫ぶと、場を制す。


『せ、成功って……じゃぁ、このクラージェクルーや、大使、フェルフェリア局長達はどうなるんですか!……これで成功だとは……』

『そ、それも……わ、わかりましタ……大体……おそらく……もしかして……』

『はぁ!?……わ、わかったって……?』


 ニーラは放心した状態で、そうポツリと漏らす。

 すると、横からダルが、ニーラの言いたいことを察し……というか、勝手に理解し……


『ティラス艦長、要スルニ、彼ラモ今回ト同ジ条件ヲ再現シテヤレバ、元ニ戻ルトイウコトダ』

『あ、そ、そうか……いや、しかしそれはそうだろうが、空間回廊壁に突っ込むのと同じ状況なんてどうやって……』

『ソレハワカラン。シカシイザトナレバ、今度ハ無人制御ノクラージェデ、回廊壁ニツッコマセレバイイダケダ』

『ダ、ダル艦長ぉ、そんな無茶ナ!』


 しばし放心していたニーラは、ハっと我を取り戻し


『かんちょ、別にファーダ達は死んだわけではないのですし、方法はなんとかなりますって。とにかく今はこの事を本国に伝えないト……』

『た、確かにそれもソウですな……わかりました。私達は一度カグヤへ戻ります』

『ハイ、あとコッチはワタシと、ジェルデアお兄サマにまかせてください。あ、それと……現状データの本国への転送はコチラから行います』

『了解です。よろしくお願いいたしますぞ、副局長』


 ティラスとダルは急ぎ各艦へ戻るために、駆け足でクラージェブリッジを出て行った……




 ………………………………




 ……ティエルクマスカ共和連合・イゼイラ星間共和国・本星イゼイラ。

 首都サント・イゼイラにある巨大官庁集合ビル・イゼイラタワー。

 その科学省のとある施設。


 今、科学省は蜂の巣をひっくり返したようになっている。

 ニーラが実験終了後、精死病の治療法になるカギを掴んだとの報告をうけた時、科学省は全員一瞬の沈黙のあと、大歓喜させた。

 そして、ニーラから実験のデータ……それは各モニター艦が調査したデータであるからして、物凄い量の量子データがバンスカ送られてきた。

 省のスタッフは「カンベンしてくれぇ~」な状態で、他の省のスタッフまで借り出して、そのデータをイゼイラ中央システムで分析する作業を行っていた……


 そこへ側近とともに息を切らせて入ってくる者。

 イゼイラ共和国議長のサイヴァルだ。


「ハァハァ……あ、君! 先程報告を受けたのだが、モニター艦隊の被験者が精死病から回復したというのは本当かね!」

「あ、議長! は、はい。カグヤのニーラ副局長から報告があって、物凄い量のデータが送られてきています。もう、処理するのにみんな右往左往しています!」


 サイヴァルは、その科学局の『活気』を通り越した『パニック』に驚愕する。

 なぜなら、もうこのイゼイラタワーにいる官庁職員総出で作業をしていたからだ。

 今、目の前を内務省の職員が通っていった……


「そ、そうだ……君、回復したという被験者は……な、何人かね!?」

「はい、全員という事デす」

「なっ! ぜ、全員だと!」

「ええ、ただ、生命反応が極めて微弱で……まだ仮死状態を脱していないようでして、もう少し様態を精査してから、覚醒治療を試みるとの事デす」

「そ、そうか……そうか、そうか……(ニルファ……ニルファが…………ケラー・カシワギ……やりましたなぁ……)」


 サイヴァルは溢れ出そうになる涙をなんとか抑える。

 彼はこの国の国家元首だ。そうそう涙を人前で見せるものではない。


「しかし議長、かなり困った事態にもなっているようでして……」

「ズッ……スン……ん、んん?どういうことかね?」

「いえ、なんでもイナバのモニター要員であるフリンゼ・フェルフェリア、そしてリアッサ副局長、一緒に突入したファーダ・カシワギ以下デロニカ・クラージェのクルーそれらもろとも全員が……精死病状態に陥ってしまったと……」

「ハァ! な、なんだって!? って、ケラーも一緒に回廊壁へ突入したのかっ!」


 サイヴァルは耳を疑った。

 そしてそのデルンスタッフの肩をとって揺さぶり……


「そ、それは本当か! まずいぞ! ケラーはニホンでも最重要人物だ! そ、そんなことになればっ!」

「ぎ、議長!お、落ち着いて! 落ち着いて下さいっ!」

「これが落ち着いていられるかっ! 外交問題もいいところだぞっ!……って、どうしてクラージェに乗船するのを誰も止めなかったんだっ!」

「さ、サイヴァル議長! まだ、まだ話には続きがあるんですって、お、落ち着いて……」

「はぁ、はぁ、ハァ、な、なんだ?……あ、す、すまないな君……聞かせてもらおう……」


 興奮するのをなんとか抑えるサイヴァル。

 襟元をクイクイと直しながら「いやすまん」とスタッフに謝罪し、近くにあった椅子を持ってきてその話を聞く。


 スタッフは、ニーラの通信文をVMCボードに表示してみせる。

 そこには……


『ファーダ大使が、精死病になってくれたからよかった』


 と書かれてあった


「ど、どういうことだ?」


 ……即ち、精死病とは全く縁も縁もない、全くの関係性をもたない柏木が、急に精死病になってしまったので、精死病のメカニズムがおぼろげながら見えてきた……と……

 そして、治療法も必ずわかると……どうもニーラには、ある程度の結論がついていることも書かれてあった……

 そして最後に……




 これは『病気』などではなく……『事故だ』……と……




 すなわち『事故の後遺症』かもしれないと……


「じ、事故だと?……ど、どういうことだ?……」



 彼は、そんな会話をスタッフとしていると、にわかにこのシステムエリアが騒がしくなる。

 サイヴァルと話していたデルンスタッフは……


「おい、どうした!」

「し、主任! た、大変な事が起きています!」

「ん?」

「さ、先程から政府中央システムの制御が……一部不能になっているんです!」

「なんだと!?」

「ディルフィルドゲート交通システムの全て、ハイクァーン総管理システムの一部、ゼルリアクター総合管理システムの一部、中央計算制御ブロック、そして……福祉生活省の、医療庁下にある……脳ニューロンバンク管理システム……このすべてが、何者かの侵入を受けて、制御不能に陥ってしまっています!!……」

「なに! ふ、復旧は!……放っておけば国民生活に甚大な影響がでるぞ!」

「いえ、甚大とまでは……最低限の生活維持に必要な制御は可能ですので、なんとか……」

「え?」


 すると、今度は医療庁のデルンスタッフが、この部屋に飛び込んでくる……

 何か声を震わせて……何かに畏怖するかのような表情だ……顔色が完璧に変わってしまっている……


「お、おい! コッチで何かやらかしたのかっ!」

「はぁ? 何言ってるんだお前、今こっちゃそれどころじゃない!」

「いいから! 何をやったんだっ!」

「何をって!……例のモニター艦隊のデータを中央システムにかけてただけだよっ!」

「いつ!」

「今さっき!」


 その医療庁スタッフは何かをしばし考えて……


「そ、それでか……」

「おい、一体どうしたんだ……」


 すると、彼は手の平を前にかざす仕草をして……


「いいか、驚くなよ……」


 そう言われて驚けないような話があるわけがない。スタッフもサイヴァルも、サイヴァルの側近も顔や顎を前に出し、乗り出して次の言葉を待つ……



「ナ…………ナヨクァラグヤ帝の……脳ニューロンデータが……活性化してる……こっちの中央システムに、ハッキングかけてるぞ…………」


 その驚愕の言葉に……サイヴァルやみんな……顔を最大限に歪めてお互いの顔を見合わせる……

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・


 ―イゼイラ中央ゲート管理局―


「だめだ! 制御できない! 何かわけのわからない場所に空間回廊を作ろうとしてるぞ!」

「亜空間回廊が逆転現象を起こしている……裏返して回廊を造っているのか!? なんだこりゃ!」

「まずい! 正体不明の波動を確認した……ゲートから飛び出すぞ! うわぁっ!」




 ―セルゼント州人工亜惑星管理ゲート―


「ゲート進入予定の全艦船を退避させろっ! ゲートに近づけさせるなっ!」

「ヘストル艦隊! 今近づくな! 艦隊を停船させろ!」

『こちらヘストルだ! どういうことだ! 状況を説明しろ!』

「こっちも訳がわからないんだ!……何? 正体不明の亜空間波動だと!」

『おい、どうしたっ!』

「間に合わない! どうする!?」

「知るかぁっ!」




 ―冥王星ゲート・ヤルバーン制御ルーム―


「シエ局長、こっちからの信号受け付けません!」

「ドウイウコトダ!……再度ヤッテミロ!」

「ダメです!」

「負荷ハドレグライダ!」

「破壊、破損の危険はなさそうですが……とにもかくにも数値が異常デス!」

「…………」

「局長?」

「……デロニカヲ2機用意シロ……クルーヲ集メテナ……一機ハ、メイオウセイヘ、モウ一機ハワタシトトモニ、モニター艦隊ノ集結地点ヘ行ク……オソラクハ、ニーラノ送ッテキタアノデータダ……」

「わかりました。ヴェルデオ大使や日本政府へは……」

「ヴェルデオニハ事後デカマワン、報告シテオケ。日本政府ヘハマダ、カシワギノ件ハ極秘ニシテイロ。コンナコトガ漏レタラトンデモナイコトニナル……ア、ソレト、タガワニモ連絡ヲ。ワタシト来テ欲シイト言ッテオイテクレ……ニホン人デ、アレヲ自在ニ扱エルノハ、今ノトコロアイツダケダカラナ」

「り、了解!」

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・




 ………………………………



 あの世界の柏木……

 あの日から数週間が過ぎた……


 彼の記憶の封印は加速度的に進み、もはやもう元の世界の記憶は殆どと言っていいほど思い出せなくなっていた。

 ただ、自分が並行世界『のような違和感のある場所』にいるということだけは、かろうじてまだ記憶にあった……


 柏木は、渋谷の喫茶店で、人目も憚らず猛烈にメモを取った記録や、帰宅してからもあらんかぎりの記憶を書き綴ったテキストデータを読み返している……


(全然覚えていない……一体なんなのだろう、これは……)


【フェルという名の誰か……身近な人だったような気がする】

【シャルリさん……600万ドルなサイボーグ姉さん。気のいいカイラス人……云々】

【リアッサさん……細身のクールビューティなダストール人……云々】

【ニーラ博士……早くこの状況を解明して欲しい。たのんます……云々】


 そして最後に……


【柏木真人よ、これは本当のことだ。お前の失った記憶だ! 絶対にこの記録を捨てるな! 寝ぼけて書いたんじゃないぞ!】


(それはまだかろうじてわかるよ……でも……ハァ、ダメだ。全然思い出せない……)

 

 しかし、その人格はかなりコッチの柏木のものが占めるようになってきていた……


「まぁ、いっか……わからんものはしゃーないな。よっと……」


 そろそろ時間だとばかりに支度を始める。

 今日は玲奈といっしょに、新居を物色しにいく日だ。

 カジュアルな服装に着替えて、家を出る。


「♪~」


 鼻歌でも歌いながら寮の階段を駆け下りる。

 近所の駅の広場で待ち合わせだ。

 いつものように、ご近所の方々と挨拶なんぞをしながら駅へ向かう。

 『彼の』いつもの日常、いつもの日々……休日はこんな感じで、何か特別なことがあるわけでもない、そんな日常……

 まぁ、来年には所帯を持つので、それが一番のイベントになりそうな、そんな日々……


 駅への道をのんびりと歩く。

 約束の時間までにはまだ間がある。

 そんなに慌てることもない……


「やぁ、真人ちゃん! 来年だって?」


 近所の本屋のオヤジが声をかける。

 

「ええ、まぁそんな感じで、ハハ」

「へー、じゃぁ寮、出て行っちゃうんだ……寂しくなるねぇ」

「そうですねぇ……おやっさんには色々と新刊予約なんかでお世話になっちゃって……あ、急ぎますんで」

「おう、じゃぁね」


 などと話をしたり……

 すると……


「あ、真人ちゃん、危ない!」

「え?」


 ドンっと人にぶつかる。

 女性のようだ。

 その女性のハンドバックをブチまけてしまった。


「あーほら、よそ見するから……」

 

 オヤジも飛んできてくれる。


「す、すみません、アハハハ」


 頭をかきかき、その中身を拾う柏木。 


「あ、ワシも手伝うって……ちゃんと前見て歩かなきゃ……もうだか………………」

「…………!!!???…………お、おやっさん?」


 本屋のオヤジが、VTRをポーズしたように止まっている。

 「えっ!!」と思う柏木……目をゴシゴシと擦る……オヤジを触ってみると……温かい……しかし、物を拾おうとする瞬間の状態で、極めて無理な姿勢で静止している……

 

 ハっとして、そのぶつかった女性を見る彼。

 女性は………


 ニィ~っとした笑顔をして、突っ立っていた……

 色白な……とても美しい女性だ……服装は、OLな感じではあるが……その中身がそぐわない……


「あ、あんたは……」

『…………そなた……そなたは、このやうなるところに何時迄もいてはいかんならむ?』

「……!!……」

『フゥ……わからざるや……そなたの試し……よきはかりごとではあれど、少々無茶がすぎたようじゃな……されど、良き試みでは、ありしやうじゃ……』


「え? な……なんなんですか、アナタは……それに……」


 柏木は周りを見る。

 八百屋のおばさん。近所のクソガキ……みんなポーズをかけたように静止してしまっている……


「時間が……止まっている!?……」


 そう呟くと、その女性は、首を横に振り、ちがうと言う……


『否……時が止まっておるのならず……妾達は今、時の刹那におるのじゃよ』

「時の……刹那?……」

『フム……』


 彼女は、仕方ないという表情で、いきなり柏木の頭を、アイアンクローでもかますよに、こめかみに手の平を当て、何かを引き出すように、ズズズっと…………もう一人の柏木を抜き出した……

 彼の体は……なにやら半透明状になっている……


『う、うわぁっ!』

『これで話しやすかろ?』


 その瞬間、元の柏木の意識、記憶が、まるでダムでも決壊したかのように溢れだし、瞬間、何がなんやらわからなくなるが……すべてを思い出した……


『はぁぁぁぁっ!……はぁーーーーー…………はっ……ハッ……はぁ~~……お、思い出した……ぜ、全部……』


 そして『!!』っと思った彼は、コッチの世界の柏木をバっと見る。

 彼は……なにか妙な驚きの表情な瞬間で、静止してしまっているようだ……


『脳クオルや、生体クオルのみが、世の繋がりに囚われてしまってゐしじゃ……そうか……そういふ事なりしや……』

『え?……貴方は?……』



『……コレは、なほ、知識の積み重ねなく、トーラルを無用に持て遊びし、妾達の業なのやもしれざるの……』



 何やら自分の世界に入り込んで、一方的に喋るその女性……とにかく口調が時代がかっている……

 そして、視線を柏木に向ける……


『そちは、大和の者かえ?』

『え? ヤマト? え、は、はい……日本国政府特務交渉官で、ただ今、イゼイラ特派大使を拝命しております柏木真人と申します』

『ニホン?……日、出ずる国な……今はさる国の名になっておるのか……よき国名じゃな……』

『は、はぁ……』

『大和の者の顔を見るも久しきの……良き面立ちじゃなる、主……』

『はぁ……って、いやいやいやいやいや、それより、貴方様は一体どこのどなた様で?……』

『フフフ、そのやうなる、どうでも良し。それよりも、そなた、早く戻らんといかぬのではないのかえ?』

『え?……戻るって……あ! そ、そうだ! 確か……クラージェが回廊壁に突っ込んで……意識が遠のいて……こっちにきて……あの俺に……同化? してしまって……それから……玲……奈……に会って……』

『カシワギとやら……これが『クオル』の世界じゃ、クオルの世界は可能性の世界……もしやもするとあったやもしれぬ世の理……それは刹那にずれても、限りなく、さて無限に違ふ理になる……本来それは、二つの人が同時に知るのなき物なのじゃよ……』


『…………??』


『まぁ、そなたには少々難解かの?』

『は、はぁ……しかしお一つお聞きしてもよろしいでしょうか?』

『ん? 何じゃ?』

『あの~ アナタ、なぜそんなふうに古風で、時代がかった……日本語を?』


 柏木は、段々と彼女の正体に……


『すまぬのう……妾はこういふ大和の言葉しか知らざるじゃ……立場が立場じゃて……確か……今風な……『早くおかえりなさいませ、柏木様っ』とかいうのはちぃと苦手でな……』

『フフっ、ハハハ、そうですか……そうですか……』

『フフフフ……そなた、おもしろきおのこよなる』 

『そういう貴方も……あのお話からは、とてもですが……ハハ……』

『ん? 何の事かえ?……まぁよい。フフ、さて、そろそろ行こうか……そなたの仲間や、好いた者も、そろそろ目が覚めてるうて』

『え! フ、フェルもなのですか!……こ、この状態に!?』


 コクンと頷くその女。


『もう良きや?』

『ち、ちょっとまって下さい……』


 そう言うと、柏木は、もう一人の静止する自分の元へ行き、声をかける。


『……おい、俺……玲奈と……仲良くやれよ……エアガンはいくつか売っぱらえよ。じゃないと、捨てられちまうぞ……ま、そっちの世界も大変みたいだけど……ヤルバーン、来たらいいな……あ、でも、そうなったらフェルとは他人になっちまうな……あ、それからあのゲームだけどよぉ……あのパラメーター設定はどうかと思うぞ……異星人って、そんなに超能力者じゃないって……俺が言うんだから間違いない……俺ならなぁ……』


 クドクドとしばし……


『……こんなもんか……じゃ、頼みます……』


 コクンと頷く彼女。

 すると、女性は柏木の眉間に、白く細長い指をピっと当てると……


 …………


「え? あれ?……あ、ああ! すみません! うわっ、こんなにばら撒いちまって……」

「いえいえ、もうそんな、私もよそ見していたのが悪いのですから……」

「真人ちゃぁ~ん、これが新たな恋の始まりって……」

「何いってるんっすか! そんなこと聞かれたら玲奈に殺されるっすよ、俺なんか………………………………………………………………」




 ………………………………




 あの世界のフェル。 

 あの日より、数日が経ったある日……


 中国軍との、EEZ近辺での戦況は膠着状態に近い状態ではあったが、フェルの乗ったデロニカの撃墜事件が発端となり、ヤルバーンはこの紛争へ本格的な介入を始めた……

 そのせいもあって、沖縄県近海で活動していた中国軍の勢力を、一気に尖閣諸島方面まで押し返すことができ、ヤルバーンは、現地米軍とも暫定的な直接集団的安全保障を確約する協定を結ぶことにより、彼らは米軍の作戦も補佐するようになっていた。

 その米軍補佐担当の指揮官は、シエ・カモル・ロッショと、ゼルエ・フェルバス両一等カーシェル。

 日本側仲介武官として、久留米彰 将補があたっていた。


 しかし、中国軍が開発した重粒子炮搭載兵器により、ヤルバーン軍も余裕での戦闘というわけにはいかない状態になっていた。

 重粒子炮を搭載した戦闘機に戦車、それに海上艦艇、潜水艦にまで装備しているようだった……

 そして、今後の情況次第では、近いうちにも、イゼイラ本国防衛総省の援軍を要請する可能性もあることを示唆していた……

 

 フェルはまだ、元の世界の自分の記憶は、いくつかはかろうじて残っていた。

 そしてこっちのフェルもアッチのフェルも、基本優秀な科学者である。

 あの時、鬼のような速さで書き留めたデータを読み返して、自分の意識は並行世界にあることは自覚できていた。

 

(このままでは……もう数日で、私が元いた世界の記憶は全て……)


 そうは思うが、その理を知るフェルにとって、この世界の行き着くところには、あまり興味を持たないようにしていた。

 この世界の自分の事も確かにあったが、今、記憶のあるうちは、自分の両親にも会わないようにしていた……理由は、両親も馬鹿ではない。そしてそういう事象の理も、ある程度は理解できる人物である。いらぬ詮索をされるのもよくないと思ったからだ……

 本心を言えば、一度生で話をしてみたいとは思う。しかしそこは堪えたのだ……正直つらい。


 しかし……自分の想い人……赤の他人の柏木真人には、やはり情が移ってしまう。

 そういう事もあって、彼女はヤルバーンに連絡し、救出してもらった部隊のあるここ、国分駐屯地に、技術顧問という立場で、イゼイラ機材の指導を行っていた……


 しかし、それから更に数日が経ち、やはり理には逆らえず、彼女の記憶は両の人格の知識とは関係なく、やはり薄れていく。


 そして、この世界の人格が、彼女を支配していく…………



『ハイ、ア~ンして、カシワギサマ』

「え? いや、それは……ちょっとマズイですって、フェル……さん?』

『ム~……あの時助けてくれたお礼なのデスから……私の立場も考慮してくださいでス……ハイ、ア~ン』

「は、はぁ……いやぁ……」


 アーンして、肉じゃがを食わされる柏木。

 ここは駐屯地内食堂。

 柏木一尉は、駐屯地司令より、フェルの補佐官を仰せつかってしまった……いや、フェルが手を回して、柏木を指名した……コッチの人格のフェルがそうした……


 食堂で柏木を貫く殺視線。

 男性自衛官もさることながら、女性自衛官視線は、重力子兵器なみに……痛い……


(柏木ぃ……後ろ、きぃつけぇや……)

(不潔…………)

(なんでアイツが……俺もいただろう……)

(コロス……)


 そんな呪いが彼にかけられているよう……


「よう柏木、今日もメシがうまいってか?」


 大見がトレイを持って、その場所のみ亜空間な席へやってくる。


「オーちゃん……」


 助かった……というウィンクをする柏木。

 大見の助け舟に、チョッとプっとするフェル。


「ははは、仲のよろしいこって。夫婦円満結構なことじゃないか。」

『エ! フウフですか!……ンム~~』


 モジモジするフェル……


「おい! オーちゃん……たのんますよぉ……」

「まんざらでもないんだろ?」

「あのなぁ……って、それより……オーちゃん、どうだ?白木と連絡取れたか?」


 すると大見は少し前かがみになって左右に目配せをする……

 フェルもその言葉に目つきが変わり、前かがみになり……



「(ああ、ロシアは折れたそうだ……韓国は、ヤルバーンが示威行動をした。ジルフェルドナントカとかいう兵器で、連中の駆逐艦を一隻“使用不能”にしたそうだ。しかし、まぁ信用はならんな……)」

「(そうか……で、イゼイラ軍の介入は?)」

「(いやぁ、そこまでは……)」

「(ふーむ……フェルさん、何か分かりますか?)」

『(ハイ……恐らく確実かと……私のこの記憶でハ……)』

「(え?……『この記憶』?……)』

『ア、イエイエ、お気になさらぬよウ……』


 そんな彼らの世界の、深刻な話をする三人。

 すると、食堂に急を知らせる通達が入る。

 偵察部隊が帰還したが交戦、かなりの負傷者が出ていると……



『……大変デス!』

「ええ!……あ、そうだ。この間搬入された医療カプセル、使い方わかりますか? フェルさん!」

『モチロンです! 私もお手伝いしまス! 早く行きましょう!』


 三人は頷く。

 そういうと彼らは脱兎の如く食堂を飛び出し、倉庫に向かい、日本製のビニールが被せられた新品の医療カプセルを急ぎ持ちだし、三人で押して走る。


 ……


『ウウッ……』


 包帯を巻きつけられた自衛官が、ヘリから降ろされる。

 しかしその一人が予想以上にひどかった。

 目を思わず背けるフェル。

 女性自衛官が、腹から世界地図のような血糊を戦闘服にまとい、青ざめた顔で担架で運ばれてくる。


「早くこっちに!」

「よし、ソッチ持て! せーのっ! よっしゃ、これで、頼みます!フェル…………………」


 柏木が、フェルに頼むようにする格好で、急に静止する……

 大見が女性自衛官の腹を抑えて、必死の形相になった状態で。静止している……


『エっ!……』


 ギョっとするフェル。

 一体何が起こったのかと。

 柏木のような素人ではないので、科学者の知識でその状況を理解しようとするが……何がなんだか理解できない。


『コ、これは……』


 すると、フェルの服を、グイっと引っ張る力を感じる。

 その方向を見ると、血まみれの女性自衛官が、フェルの服を引っ張り、ニィと笑顔を向けていた。


『キ……きぃやぁぁぁぁぁぁ!』


 その様にドデっと尻餅をつくフェル……まぁそりゃそうだ。そんなホラー映画のような状況で、普通になれる奴なんざいない。


「よっこらしょっと……そなた、そんなに怯えるでない。妾は化け物などではありませんよ」

 

 いや、全身血まみれの兵士にんなこといわれても……と普通は思う。

 医療ポッドから起き上がる自衛官。そっと大見の腕をはずし、ポッドの中を出る。


「ん? あぁなるほど、これはごめんなさいね。こんな格好では驚きもしますか」


 自分の体を見て、納得する自衛官。

 そういうと、その自衛官は、スっと体をなでると、綺麗なおろしたての迷彩服を着た、普通の女性になった……


「へ?」


 尻もちなフェルに、彼女はそっと手を差し伸べる。

 プルプルと首を振って後ずさりし、拒否するフェルだが……


「大丈夫ですよ、フェルフェリア。貴方は妾を知っています。妾の名を持つものよ……」

「え?……ま、まさか……」

「さぁ、手を……」


 恐る恐る手を差し伸べるフェル……すると、尻餅をついたフェルと、手をとって立ち上がるフェルが二つに別れる……

 途端に、押し込まれていた記憶が、滝の如く流れだし、頭の中に表現のしようがない感覚がフェルを覆う……

 そして、ゆっくりと目を開けて、もう一人の自分を見た。


「あ……わ、私が……」


 フェルは尻餅をつき、手を伸ばす自分を見下ろしていた……

 そして、ハっとし、自衛官の方を見る……


「私の始祖名を知っている……そしてその皇族のしゃべり方……あ、あなたはもしや……」


 その言葉に、コクンと頷く自衛官。

 フェルは驚きの表情を持って、跪いて、ティエルクマスカ敬礼をした……


「ウフフ、よいのですよ、フェルフェリア。今の妾は、所詮は写身の者。そんな大層なものではありませぬ」

「エ! で、では……フリンゼは、あの封印されていた……」

「はい。そなた達の……そして、そなたの愛する者の知恵が、妾をここへ呼びました……」


 そして彼女は、柏木に話した内容と同じような言を話す。

 自分たち、ティエルクマスカの民の業……知らぬこととはいえ、此度の災いを作り、今の今まで放置されてきたのではないか? ということを……

 柏木では、その言葉を理解するに少々オツムの知識が専門ではないため理解しがたかったが、フェルはその言葉を難なく理解した……


「で、ではやはり……マサトサンの言ったとおり……フリンゼは私達がやろうとしたことと同じ事を試そうと……」

「はい……なので妾はもう一度ヤルマルティアへ行きたかったのですが……当時の妾には、それはできぬことでした……いつかイゼイラの民の誰かが、知識を積み重ねて、同じ事を成そうとしてくれたらと思ったのですが……フフフ、まさかヤルマルティアの者がソレを成すとは……やはり、知識の積み重ねを理に逆らわずに行ってきた民と、我々のような生きるためだけに藁をもすがった者達との違いなのでしょうか?」


 フェルもその言葉にコクンと頷く。


「フリンゼ、で、では……マサトサンも私と同じように……」

「はい。でも、もう目覚めている頃だと思いますよ……しかし、なかなかに良きデルンですね……ちぃとオツムの中身に偏りがあるようですが、ウフフ」

「ハイ、でも、それがマサトサンなのです」


 ニコリと応えるフェル。

 自衛官はコクンと頷く。


「では、そろそろ行きましょうか?」

「ア、でも……」

「ん?」


 フェルは医療ポッドと大見と、フェルの位置関係を、困った顔で指さす。


「あ、なるほど……そうですね。これはこれは……」


 そういうと自衛官は、再度医療ポッドに横たわり……


「ま、まぁ……この者のケガは……まぁいいでしょう。そういう事もあります」

「ハイ、フリンゼ」

「では……」

「あ、ちょっと待って下さい」


 フェルはもう一人の自分に駆け寄ると、中腰になって……


「もう一人のフェルサン……マサトサンは、チョードンカンですから、もっと押せ押せで行かないとダメですよ。いざとなったら押し倒してでも……あ、それと、シエには要注意ですっ! 彼女はマサトサンを食べちゃいますからねっ! 気をつけないとダメですよ……」


 驚愕の表情で静止するフェルに、何やらクドクド説教するフェル。

 チョット長めな説教に、自衛官も困惑……汗マークが付いていたり……


 フェルは柏木と大見を見る……

 この世界でも、白木を含めた彼らが、何か大きなことをやるのだろうと、そんな予感をする……


「がんばってくださいね……」


 静止する柏木の頬にキスをするフェル…… 


 そして……


「もうよいですか?」

「はいです」

「そうですか、では一つ、そなたに託したいことがあります」

「はい、なんでしょうフリンゼ」

「そなたの頭の中に、あるものを植え付けておきます……元の世に戻ったら、それをすぐに記録なさい……元の世とて、その理は同じ……今までの記憶は、すぐに忘却の牢獄へ押し込められてしまうでしょう……」

「私の……頭に?……それは一体……」

「妾自身が忘却した、記憶の欠片です……今の瞬間なら、貴方に渡せます。お願いしましたよ」

「え!? は、はい……でも……」


 自衛官は、医療ポッドに寝そべりながら、フェルの眉間に指を当てると…………



 ………………



「クソっ柏木! ソッチ抑えろ! 出血がひど……って!、あ、あ、あ、アレェ~?」

「オーちゃん、何やって……って、え、え、えぇっ! なんじゃこりゃ……治ってる……」

『ヘ……あ、アレ? なんでワタシ尻もちなんカ……』

「いやいやいや、イゼイラの医療ポッド、効き目ありすぎでしょコレ……迷彩服まで綺麗になってるし……」

『エ? そ、そんな機能はナイでスヨ……どど、どうなって……………………………………




 ………………………………




 クラージェブリッジに運び込まれた医療ポッド。

 そこには、精死病にかかってしまったクルー達が横たわ……


「うはぁぁぁっ!……ってイデェッ!!」


 急に目醒めて起き上がり、医療ポッドのフタになるクリアケースに、頭を豪快にぶつける柏木真人大使で大佐。


「いだぁぁぁ……って、こ……ここは……」


 ふと横を見ると、ケース越しにニーラが必死の形相でVMCモニターと格闘している。

 柏木は、ドンドンとケースを叩く。

 ニーラはその音に気づいたのか、コッチを向く……そして向こうを向きかけて……またコッチを向いた時は、目の玉飛び出さんばかりの表情……ダッシュでこっちに駆け寄ってきて、ケースをプィ~ンと開けると……


『フ、ファーダ!……ふあぁだぁぁあぁ……』


 顔面クシャクシャにして柏木に飛びつくニーラ。オイオイ泣いている……


『ニ、ニーラ副局長! み、みんなが目を!……って……ファーダ!……大使! 大使もですかっ!』


 ブリッジに飛び込んでくるジェルデア。


 そして、ブリッジに横たわるクルーが次々に、ハっという感じで目を覚ましていく……

 まるで何事もなかったかのように、次々とクルーが目を覚ますそのサマに、カグヤや、各艦艇から派遣されてきたクルーは、驚きを隠せない。

 と同時に間をおいたあと、歓声をあげてクルーの横たわる医療ポッドに駆け寄る。

 みんな目を涙を潤ませて仲間の生還を喜ぶ。

 肩を叩いたり、頭を叩いたり、抱き合ったり……そんな中、デキてる関係が発覚したりと、大騒ぎになった……


「……おはようございます、ニーラ博士……」

『ハイぃ、オハヨウですぅ、ファーダぁ……グスン』

「ジェルデアさんも、ご心配おかけしました」

『ハ……ハイ……よ、良かった……良かった……本当に……でも、なぜ……まるでファーダはご自身の境遇をご存知のような……』


 涙に濡れるジェルデア。

 しかし柏木のその言葉に、当然の疑問が口に出る。


「あ、そ、その辺の詳しい話はあとで……フ、フェルは!?……」

『ふぁーだ。フェルお姉サマはイナバで……その……』

「あ、大丈夫です。多分フェルも戻ってきているはずだ……」

『エ? 戻ってきている? ど、どういうことですか?』

「ええ、その話もあとで詳しく……通信機は?」

『あ、ハイこれ……』


 柏木は、通信インカムのようなものを受け取ると、


「フェル、イナバ、応答しろ。 フェル! 戻ってきてるんだろ? リアッサさん!」


 するとフェルが前面VMCモニターにドカンとデカイ顔で映しだされる。


「フェル! って、どわっ!」

『マサトサン!』

「は、はいぃ?」

『フェルお姉サマ!!……良かっ……』

『ニーラチャン、喜び合うのはアトでいいですっ! マサトサンも! とにかく目が覚めた皆さん! 『アノ記憶』を出来る限り記録して下さイ! 早く早く!』

「え? あ……そうかっ、なるほど……わかったっ!」

 フェルのその言葉に、柏木やシャルリ達、他、精死病状態だったクルーは、すぐさまその真意を理解した……リアッサはバックでもうその作業を始めていたようだ。


 病から生還したクルー同士は頷きあう。

 そして、彼らは再会の喜びも後回しにして、みんな医療ポッドから飛び降りると、PVMCGを立ち上げて猛烈な勢いで、自分の記憶を記していく……


 ジェルデアは訝しがる顔で


『ニ、ニーラ副局長……彼らは一体何をしているのですか? 病み上がりなのに……』

『フ~ム、フェルお姉サマのあの言葉……やはり私の推測は正しかったミタイですね……』

『エ?』

『ジェルデアお兄サマ……今は彼らの作業が終わるのを待ちましょう……話はそれからですネ』

『は、はぁ……』


 ……そして、カグヤやグムヌィル艦内で、件のイゼイラで起こった異常事態の対応をしていた両艦長も、クラージェクルーが全員、急に精死病から生還したという報を受け、腰をぬかさんばかりに驚いていた。

 そしてそれ以上に驚いていたのは、イゼイラで起こった騒動であった……




 

 ………………………………





 イゼイラで起こった中央システムハッキング事件。

 その原因は、ニーラが送信したモニター艦隊の実験結果であった。

 そのデータを、突如覚醒したナヨクァラグヤ帝の脳ニューロンデータが自律的にハッキングをかけ、そのデータを暴走したかのように分析し、イゼイラの交通や医療、科学計算などの諸々なシステムを一時的に乗っ取り、その後、イゼイラ星間国家全域のディルフィルドゲート制御システムまで乗っ取って、正体不明の亜空間回廊を形成させ、そこで発生させたこれまた正体不明の亜空間波動をゲートから逆流させて、ゲート外に放った……


 当初、そんな超大規模な亜空間波動をゲート外に放たれたらどうなるか、それは大災害を予想し、イゼイラ全域に緊急事態令を発したサイヴァルだったが……


 その発せられた波動の被害は全くなく、むしろ優しいそよ風のように、ゲート周辺の惑星を揺らし、しばし後にナヨクァラグヤの脳ニューロンデータは、すべての制御を元に戻した後……また沈黙したという……


 その後、各自治体から次々と驚愕の報告が入ってきた……

 

 各自治体医療機関に収容されている精死病患者から、次々と脳ニューロンや、その他のバイタルが記録可能になったという。

 バイタルデータが記録可能になった……ということは、少なからず生きているという事。

 つまり、イゼイラ的には、その状態から治療が可能になる……ということでもある。

 

 そして……当然イゼイラ本星でも、同じことが起こっていた……



「ぎ、議長!レントゥーラ総合医療センターに収容されていた精死病患者が!」


 議長府執務室にノックもせずに飛び込んでくる彼の側近。


「ああ、わかっている。今レント医務長から連絡があった……ふぅ、もう私は驚き疲れたよ……はは」

「き、奇跡です……議長!」

「フ……奇跡か……奇跡ね……いや違うよ君」

「え?」

「考えてもみたまえ、一連の騒動は、全てに相関性がある……その原点をたどれば、どこに行きつくかね?」

「は……確かに……そうですな……彼ですか?」

「そういうことになるな……フフ、本当に大した方だよ、彼は……」


 そういうと、執務机からゆっくり立ち上がると、横にある棚からイゼイラの酒のようなものを取り出して、グラスを三つ指で挟んで側近を誘うサイヴァル。


「ま、君もどうかね。一人で祝うのは寂しいもんだ」


 ニっと笑って側近を応接机に招く彼。


「ハっ、恐縮です議長。では遠慮なく」


 サイヴァルは外にいるフリュな秘書も部屋に呼んで、「今日の仕事は終わりだ」とばかりに彼女も部屋に誘う。


 そして、三人はイゼイラ風に、チビチビやりながら議長室で話す。

 ツマミはイゼイラ的な乾物と……地球のチーズだったり……そんなものをハイクァーンで造成して、ささやかな祝杯を挙げる。


 サイヴァルは、感無量な笑顔で、その酒のようなものをあおると


「これの研究のきっかけが、やっとつかめたな……長い長い歴史だよ……」

「ええ、万単位な周期の問題ですからね、我々にとっては……でも、これでもう恐怖に脅えずに済みます……我々にも『希望と悠久』が見えました……」

「結果論だが、ファーダ・ニトベは約束を守ってくれた……」

「ええ、『1000年先』の話が……できますね……やはり『彼』ですか……で、ニホン政府には?」

「いや、まだ連絡はしていないよ。もう少し落ち着いてからだな。ハハ、まぁしかし、正直一時期はどうなる事かと思ったが……」


 しかし……とサイヴァルは目を少し真剣にして……


「精死病患者は、発症してから数十周期……長い者では数百周期レベルで肉体現状維持の症例もある……その患者たちが今後完治した後の生活や……心のケアも必要になるな……」


 それはサイヴァルとて例外ではないからだ。

 ニルファ……そう、彼の妻とはもう、相当な肉体年齢の差が出てしまっている……彼自身が、その代表者の一人といっても良かった。


「ええ、まぁ結果的には『生体機能停止刑』の囚人のような状態だったわけですからね……」

「ああ……しかもニーラ副局長の推測レポートでは、信じられん予測が書かれてあった……あれが本当なら、またこれはこれで、新しい問題になってくるな……」

「はい、その報告書は私も読みました……でも、みんなで……国民みんなで知恵を出せば、それも乗り越えられますよ、議長」

「ああ、そうあってほしいものだ……」


 コクコクと頷くサイヴァルだった……



 ………………………………



 太陽系外縁天体域。

 『カグヤの帰還』作戦・旗艦―機動母艦『カグヤ』以下、モニター艦隊。

 『デロニカ・クラージェ』


 今、クラージェの上部には、六角形な大皿の上に乗った、食べ残しの『卵のウサギさん』のように、イナバが、ちょんと乗っかっている。

 というのも、あの回廊壁突入時の衝撃は相当なものだったようで、格納庫にある機材や機動機械が固定していたにもかかわらず、もうそれは配線は吹っ飛ぶわ、物は盛大に落ちてくるわでドチャマカな状態になってしまい、ただ今、格納庫の整理整頓中だったりするからである。結構時間がかかるらしい。

 他、各部署も機材が少なからず吹っ飛んでしまていたりと修理修繕の真最中。

 しかしイナバの方はなんともない。さすがはエッヘンパワーが詰まったニーラ会心の作であったりする。


 そういうわけなので、イナバは上部格納庫ハッチの近くに鎮座して待機中。

 ニルファ以下の実験被験者も、現在仮死状態から蘇生中なので、下手に動かすわけにもいかず、そのままの状態にされていた。

 クルーが、イナバとクラージェを行ったり来たりで随時監視状態であったりする。

 

 さて、この太陽系にも、ナヨクァラグヤ帝のニューロンデータが引き起こした亜空間波動は、冥王星ゲートより、太陽系全域に放射された。

 そのおかげで柏木やフェルも、件の経緯で生還できたわけだが、被験者たちは、その前で既に仮死状態ではあるが生還はしていたので、亜空間波動の影響はなく、かような治療措置に入ったのである。


 そんな状態で、何とか落ち着きを取り戻しつつあった諸氏……

 柏木はカグヤや艦隊責任者に、それまでの事情を詳しく話し、会合を行う事にした……



「え~では、みなさんが脳クオル? ですか? と、生体クオル? が並行世界に行ってしまった時の、体験レポートを、思い出せる限り書いて頂いたわけですが……みなさん、やっぱりもうかなり忘れてきてます?」


 諸氏全員手を挙げる。


 ……今、柏木は、クラージェ・ミーティングルームで、代表者を集めて『並行世界体験レポート発表会』みたいな事をやっていた……


「はぁ、やはりですか……かくいう私もそうなのですが……ではちょっと皆さんの体験談を紹介していきましょうか……」


 VMCモニターをピコピコやる柏木。


「で~……シャルリさん……」

『なんだよぅ~』


 なんかバツの悪そうなシャルリ。


「これ……なんなんっすか? 本当にこんな世界へ?」

『そうだよ』

「え~っと? 【ガーグなマオー討伐を? イゼイラの皇子に頼まれて倒しに行ったユウシャになっていた……】で?【マオーを討伐する寸前に? 時間が静止して、マオーに諭されてコッチに帰ってこれた……】って……何のギャグなんですか? コレ」

『仕方ないじゃんかよぉ~ 本当にそんなのだったんだしー』


 ミーティングルーム全員爆笑。


「ははは、まぁ、それでも貴重な体験なのは確かですね……しかし、これは並行世界というよりも、ほとんど『異世界』ですね……どうです? ニーラ博士」

『ハイ、そういうパターンはある意味スゴイですねぇ……私達の世界と、ほとんど共通性がアリマセン。クオル分岐集合値や、時間軸事象同期率がほぼゼロですから、そんな世界があるという事実だけでも、学術的にはトテモ貴重デすよ』

『ほらみろ、大使ぃ~ すげーだろ、アタシ』

「ははは、ハイハイ。そういうことにしておきましょう……では次に私ですが……」


 そう言うと、フェルが眉間に皺を寄せてム~な表情。


『マサトサン……』

「は、はい?」

『コの……“タケムラレナ”って、フリュ……なんですか!? コレは! 誰ですかっ!……』

「え? いや、俺の大学時代の元カノ……って、あ、フェル。これは『アッチ』の話なんだからな、誤解するなよ! (コッチでもいたけど……)」

『マ、マサトサンが浮気したぁ……浮気者ぉ……ふぇぇぇ……』


 ハンカチを歯で噛んで引っ張り、悔しそうな顔で泣き出しそうになるフェル……ってか、そのハンカチはどこから出してきたんだと……


「うわ、泣くなフェル! 勘違いするな! アッチではヤルバーン来てないんだから!」

『ヘ?……ソ、そうなのですカ?』

「あ、ああ……まぁそれで俺も至って普通なサラリーマンだったみたいでね。俺の前職をずっと続けているような、そんな世界だった……という感じみたいだな……」


 記録をスライドさせながら、自分の書いた記憶を読む柏木。


「まぁ……新聞やニュースソースだと、あの世界でもコッチの世界みたいな問題がてんこ盛りだった……コッチじゃフェル達が来て解決しそうな問題が、より深刻になってたりな……考えさせられるよ……」

『そうなのですカ……デモ、私の行った世界は……もっと深刻デした……』

「ああ、そうみたいだね……フェルの例は、コッチの地球世界情勢をみても、メチャクチャ参考になるよ……」

『ソウですね……一番感じたのは……ティエルクマスカの外交方針が間違っていなかったというトコロです……』

「ああ……」


 この件は、みんな深刻な表情で聞いていた……


 で……


「リアッサさんも……これまた微妙ですねぇ……」

『ウム、ナンダカヨクワカランカッタゾ……ナゼ私ガ“ロシア国”デ潜入偵察ヲセニャイカンノダ?』

「さぁ……?」

『デ、ロシア国ノ開発シタ、イゼイラ技術転用ノ機動兵器ヲ破壊シナキャナランカッタガ……会ッタコトモナイ、イル・カーシェルノ命令ヲウケテダナ……』


 これにもみなさん爆笑……なんじゃそりゃと。

 まぁ、精死病になった時は、みんな必死だったが、終わってみて、こんな体験談を聞くと……何かこれまたいろんな意味で貴重な話が盛り沢山だった。


 しかしみんな笑いはするが、よくよく考えるとそんな世界が現実にあるという事実。

 そう考えると、自分ももしかしたら別の世界から……と思うと、何か不思議な感情が湧いてくる。

 みんなそんな感じだった……


 可能性の世界……それを体験したであろう精死病患者の人々は、これからどういう人生観で今後を生きていくのだろうか……


 そう思うと柏木も、彼の見た世界、その世界の事象をやはり政府の仲間に伝える必要があると感じざるを得なかった……これはとても重要な事である……



 宇宙は広い。


 

 この太陽系や、銀河系、そしてティエルクマスカ銀河があるこの世界だけでも、それはもう無限ともいえる広さなのに、まだこれに人の数だけ、可能性を持つ宇宙があるとは……


 その宇宙では、ある人とある人が共有する世界もあるのかもしれないが、少なくともクラージェクルーや、ティエルクマスカの精死病にかかった人の数に近い数だけの宇宙はある。

 これはトンデモナイことだ。

 今回の騒動では、精死病の原因と、はからずもナヨクァラグヤ帝のニューロンデータのおかげで、その治療も行うことができたが……それ以上に大きな科学的収穫もあったのだ……これも重大な事である。


 真の意味の宇宙の広さとは、こういうことを言うのだろうと柏木は思う。

 はからずも、今地球で唯一の並行世界帰還者になってしまった彼。

 なんとも感慨深いものがあった。


 ふと彼は思う。

 もし自分が、あの日本へ行ったのなら、もし別の可能性で、この今の自分に他の世界の自分がいたりすることも……と、思ったが、考えるのをやめた。考えても仕方ない。


 そして、こんな事も考えてみる。

 よく、幽霊が見えるという奇特な方がいるが、アレもあながち頭のナニな人ではなかったりするのかもと……

 ニーラや、あのOLサンが話していた、『クオル』が、ほんの刹那、何かの拍子でズレた人だったりしたら……

 そんな人なら、その刹那にズレた世界の、向こう側にある某かを感じたりすることもできるのかな? と……


 そんな事を思う自分のバカな考えに、思わず吹き出しそうになる彼……


 しかし……まぁ、今はとにもかくにも、めでたいのかな?……と。

 まぁ……結果良ければ、それでいいじゃないかと思う柏木であった……



 ………………………………



 その後、すぐにクラージェの片付けや、修理を手伝う柏木。

 Tシャツにジャージ姿で、まるで年末大掃除な感じの彼……大忙しである。


『マサトサン、お疲れ様でス』


 フェルが冷たい飲み物を持って来てくれる。

 

「ああ、フェル。ありがと」


 それをグイっと飲み干す柏木。


「ハァ~……うめっ!」

『ウフフ、ホント、お互い大変でしたね、マサトサン』

「ああ、そうだなぁ……でもまさかフェルのご先祖様が助けてくれるなんてね……かぐや姫と話したなんて、どうやってみんなに説明すりゃいいんだよ、はは……」

『ウフフフ、そうですねぇ……でもマサトサン。今回はコウイウ形になったですけど、まだこれで終わったというワケではないですヨ』

「ああ、そうだな……精死病から回復できたのは、イゼイラ管轄のディルフェルドゲート周辺自治体の人達だけらしいし……あと、俺達と……」

『ハイ、根本的な原因の究明と、みんなに施せる治療法の開発はコレカラですから』

「そうだな……みんなをみんな、あんなふうに亜空間回廊壁に突っ込ませるわけにもいかないだろうし、ディルフィルドゲートを暴走させるような危険なことをするわけにもいかないだろうし……」


 柏木は、少し一休みという感じで近くの資材ケースに腰を掛ける。

 フェルもそのとなりにチョコンと座る。


『ハイですね……それとニーラチャンは、この精死病……病気じゃないかもしれないって言っていますし……』

「え? それは……どういうこと?」

『マダその点は仮説なので、発表できるようなものではないそうなのですが……治療法もなんとかなるかも知れないって言っていましたヨ』

「へぇ~、ニーラ博士が……彼女がそう言うなら、期待したいな」

『エエ、そうですね』

  

 そんな話をしていると、フェルのPVMCGに通信が入る。


『フェル、ソロソロ患者ヲ船内ヘ移送スルゾ。手伝ッテクレ』

『ア、はいでス、リアッサ。すぐにいきますネ』

『デート中、スマナイナ、クククク』

『モう!』


 そういうと、プチュンと通信を切るリアッサ。


「ははは、これで最後の仕上げだな」

『ハイ。患者サンを船に載せ替えて、カグヤと地球に行くだけでス』

「他の艦船は?」

『ココでお別れだそうでス』

「そっか……ダル艦長達ともお別れか……でも、俺もちょっと地球……あー、日本に帰りづらいなぁ……」

『エ? どうしてデすか?』


 柏木は、イゼイラが『竹取物語』の実証実験をするという名目で、なにがしかの宇宙船が日本へ飛来すると言ってしまっていたからだ。

 そのデータを取る準備万端、やる気マンマンで地球は待ち構えているに違いない。

 しかし……その本当の理由……精死病のデータ取りと、その結果としての今の状況で……話が終わってしまったからだ……なんともはやな表情の柏木……


 フェルは、柏木のその話を聞いて、コロコロと笑う。


『アハハハ、確かにそうでしたネ、ウフフフ、どうしましょうか、マサトサン』

「おいおいフェル、笑いごっちゃねーんだぜ?……どんな言い訳をしましょう?」

『マァ、カグヤを持っていくのですから、それで許して貰いましょうヨ』

「いやいやいや、日本はそれでいいかもしれないけどさぁ……米国とかさぁ……まぁヨーロッパやロシアは勝手にやってるだけで知ったこっちゃないけど……」

『ウフフフ、頑張って考えてくださいね、マサトサン。では、私はイナバにお手伝いに行ってきまスヨ』

「あー、冷てーなぁ……」

『ウフフフ、じゃ、またあとでネ』


 そういうとフェルはイナバに行く。

 柏木は苦笑いで手をピラピラ振る……


 そんな感じで、日本への帰還作業に移行しつつあるカグヤとクラージェ。

 準備はもうすぐ整うだろう……


 次の目標は日本。

 短い間ではあったが、我が家への帰還……


 各艦船、意気揚々……





 しかし……彼らは、一つ忘れているものがあった……


 奴らは確か…………隻だったはず……


 それを思い出せる者は……今はいない………… 





 




 

 

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