5、不穏な動き
来琥が実穂との出会いを果たしてから一週間の月日が流れたが、特に変わったことはなかった。少なくとも来琥の周りでは。しかし、一週間という時間が経過しても、カナから、実穂に関する情報は知らされなかった。やはり、WUSUを相手には時間がかかるのだろうか。来琥が情報を求めてカナに連絡を入れてから、次に来琥がカナと通信したのは、十日後だった。十二時を回って少ししたころに、かなからの通信だった。
「カナ、お前――」
『来琥! ちょっと面倒なことになっちゃった。今、浜比良倉庫群を北西ルートで向かってる。できれば応援頼みたい・・・・・・きゃっ!!』
カナの悲鳴の理由は通信機ごしに聞こえる銃弾の音だと判明した。どうやらまだ撃たれてはいないらしい。参事を引き起こす前に、カナを救い出さなければならない。
「分かった! 亜里去と実には俺から連絡する!!」
『お願い!』
そこで通信は途絶えた。来琥の方から通信を切ったので、向こうの状況は完全に分からなくなってしまった。
来琥はすぐに通信端末を操作して亜里去を呼び出す。呼び出し中も、会話中も来琥は走り続けていた。
「亜里去! カナが危険だ! 指定ポイントで合流する!」
『はぁ!? 話が唐突すぎ――』
確かに唐突な話であることは自分でも分かっている。何せ自分だって唐突に話が来たのだ。少なくとも自分にばかり文句は言ってほしくはなかった。来琥は亜里去が苛立ちながらもまだ何か言いたそうなのを強制的に通信を切断することで断ち切ると、そのまま今度は実への連絡を入れる。
「実、応援を頼みたい」
『何故?』
「お前の力が必要だ」
『だが、断る』
「頼む!! カナの命がかかってる! 仲間なんだ、助けてやってくれ!」
『・・・・・・ちっ。指定ポイントは?』
実は舌打ちをしたものの、どうやら加勢には来てくれるようだ。そのことに安心した来琥は、すぐに実の質問に返答した。
「今送る」
そう言って来琥は通信を切断した。亜里去と実の両方にポイントのデータを送信すると、ただただ走る事に神経を集中させた。周りの人はただ一途に走り続ける来琥に一瞬とはいえ視線を送る者はいたが、それ以上気に掛ける者はいなかった。食品販売の路地を走り抜け、家電系統の路地を走り抜ける。あちこちの家電店は、新たに発売された立体ディスプレイタイプのテレビを路地に面したガラスによく見えるようにおいていた。やっている番組はそれぞれ違う。スポーツ、バラエティ、ニュース、アニメ・・・・・・。そのどれも、来琥の目に、耳に入らなかった。ただ一つ入っていたとすれば、ニュース番組のテレビに人が集まっていたことぐらいだろう。人が集まるほどの内容なのかと、こんな事態でなければ混ざっていたかもしれないが、今はそんなわけにもいかなかったので、家電の路地も黙って通り過ぎた。
カナは走り続けながら、来琥から送られてきた合流ポイントを確認していた。ここから、今のペースを維持しながら走り続けたとして三分。ペースダウンと敵の妨害を考えれば、必要時間は五分。それ以上の時間をかけているようでは、恐らく追手の男たちに殺されるだろう。何故自分が追われているのかは分からなかった。ネットワークが掌握やハックされた形跡はなく、無関係者のアクセスの形跡もなかった。少なくともゴツバネットワーク関係で追われているわけではないのだろう。もしネットワーク関係なら、ゴツバネットワークはとっくに崩壊しているだろう。
ネットワークに対してのハッキング技術は、二十二世紀くらいまでならネットセキュリティシステムの一歩前を進んだテクノロジーで各国家を恐怖と不安に陥れていたが、セキュリティシステムのそこからの革新はハッキング技術の何十歩も先を歩むものになっていた。個人経営のセキュリティは別だが、国家経営のセキュリティシステムの場合、国が特別に雇ったセキュリティマン――セキュリティマンは、簡単に言えばハッカーなのだが、国の人間が犯罪者同様のハッカーという名義で使うわけにはいかないため、便宜上、セキュリティマンにしている――によって内部データをアンロックさせるくらいに厳重なものになっている。
「ネットワークには情報は入ってない・・・・・・。もう、どうなってんの!!」
もし本当にハッキングされているとしたら、自分は存在意義を失ってしまう。自分は情報で成り立っている。情報がなければ、自分が自分でなくなってしまう。カナは呼吸を整えながら路地の角へと進路を変更させる。真っ直ぐな道を走り続けては、恰好の的だ。
『カナ! ポイントまでは!?』
来琥からの通信だった。ポイントまでの距離は約二百五十メートル。多く見積もれば・・・・・・。
「あと一分で行けるよ!!」
『いいか、ポイントの手前の曲がり角を曲がらずにジャンプした後、実の後ろまで行け!』
「よくわかんないよぉ!!」
『俺が指示を出す。そのタイミングでジャンプすればいい』
「もぉ!!」
カナの文句もむなしく、向こうから通信を切られる。
何度か角を曲がった後、合流地点に実の姿が見えた。姿といっても、こちらを見ている顔だけがかろうじて見えているようなものであるため、その全身を確認することはできなかった。
『俺の合図でジャンプしろ、カナ』
「う、うん」
これから何が起こるのか、作戦を何も知らないカナはそう答えた後に走行中でありながら唾を呑んだ。
「行けぇぇぇぇ!! カナァァ!!!」
来琥の声はすぐ近くから聞こえた。そのことに一瞬驚いてしまったが、すぐに振り切って空中に飛び出した。カナは元々遠くまで飛べるような身体能力は持ち合わせてはいなかったが、どこからか吹いた強風によって、通常よりも遠くへと体が運ばれた。どうにかその角に視線を向けると、そこには鈴嵐を握った亜里去の姿があった。足で着地したカナは実に庇われる形で抱きしめられる。
「ちょ・・・・・・!」
カナ自身は気づいていなかった。自分の顔が息切れではなく赤くなっていることに。
実は流れるように反対側の倉庫の陰まで移動し、再び飛び出した実が追手の男たちの足元に火球を飛ばす。男たちの足元から巨大な炎があふれ出る。そこでカナは気づいた。自分が空中に浮いている間に飛び越えた地面には油が撒かれていたことを。
追手きていた三人の男のうち、一人がその炎に全身を燃やされた。残る二人は着ていた防護服に火がついたが、燃え広がる前に手でかき消した。先ほどまで実が潜伏していた方の倉庫の壁から来琥が身を乗り出して刃薔薇から銃弾を放つ。連続で銃弾を放っているが、まだ全滅には至っていないようで、炎の向こうから銃声と共に銃弾が飛んでくる。来琥が遮蔽物となる壁で銃弾をやり過ごすが、それでも解決策は見当たらない。
カナは自分の目の前でその状況を黙って見ていた実の袖を引っ張った。
「ああ?」
実の声はこっちへの対応がまるで億劫と思わせるような口ぶりだった。だが、そう思われても構わないという決意の下で話を始めた。
「援護しないの?」
「何で俺が」
「仲間でしょ?」
カナは、自分でも分からないくらい強い目をしていたらしく、実が珍しくたじろいだ。深呼吸を一つした実が、カナに小さく「下がってろ」と呟くと、自身の胴体くらいはあるだろう火の球体を作り出す。来琥と亜里去がその火の存在に気づいて攻撃を中断する。追手の男たちが携行していた消火ビンで足元の炎を消火すると同時に、実は巨大な火炎球を放った。
「これはそんなんじゃ消えないぞ!!」
実の放った火炎球が、真っ直ぐに男たちに向かっていくが、男たちは全く慌てている様子はなかった。男たちは手首に装備していた端末のボタンを押すと、自身らの周囲に特殊な環境状態を作り出す。それに触れた火炎球は一瞬のうちに消え去った。
「亜里去!!」
「分かってる!」
来琥の素早い指示と同時に、亜里去が動く。男たちの前で鈴嵐を構えると、横薙ぎに振って、空調操作機構により生み出される真空刃を発生させる。特殊な防壁すらも貫通した真空刃は、防壁を突破されるとは思っていなかった男たちを恐怖と不安に満ちた顔にさせると同時に、腹部から二人同時に両断した。
戦闘終了後、改めて追手の顔を確認した来琥達は驚きに顔を歪めた。
「こいつら・・・・・・」
亜里去が目を丸くしていたのは、誰の目にも分かる変化だった。
「アメリカ人・・・・・・!?」
実穂の下に、司令部からの連絡が入ったのは、正午より少し前のことだった。
「はい・・・・・・では、私は兼任するということですね・・・・・・はい。それはもちろん。・・・・・・はい、分かりました。全力を尽くします。はい、失礼します」
通信を切った後、実穂はゆっくりと息をついた。まったく、WUSUも大きく出てきたものだ。五神斬のことだけでも十分に面倒な任務なのに、そこに別任務まで請け負うことになるとは。五神斬を持っているだけで、負担を大きくしてほしくはなかった。どうせWUSUは、自分たちに味方する日本人スパイ要員としか実穂を見てないだろう。五神斬を持っていることで、日本に力の全てを委ねさせない、というのもあるだろう。こんな自分は一体何なのだろうか。人気者と言えば聞こえはいいが、日本人なのにアメリカに加勢する不幸者とすら言えるような気がする。実穂自身は不幸者として周囲から慰められたい気持ちではある。だが、人気者としてチヤホヤされたい気持ちもあった。
閑話休題。
「私、パートナー制あまり好きじゃないのになぁ~」
他国がどうなのかは知らないが、WUSUでは作戦の遂行はほとんどの場合、二人一組か、集団戦闘という形で行う。一人ではできないことが多いということでそうしているのだろうが、実穂はプライベートな時間までそのパートナーと過ごすことになるため、あまりいい気はしなかったのである。
「にしても、これから彼らはどう動くかな」
五神斬も超能力もある、彼らは。
「にしても、さっきの消火のトリックは何?」
「秘密はこの装置にありそうだな」
来琥はアメリカ人の手首についていた装置を取り外した。見た目としては直方体の端末のようだ。
「消火するなら、こいつらの周囲の空気振動をゼロにしたんじゃないか?」
実の火を出現させる原理は、空気振動によるものである。指定した部分の――といっても、能力所有者の周辺だが――空気を高速振動させることによって温度を急激に上昇させ、酸素を利用して熱を炎に変える。人が寒地で体温を保つために体を震わせるジバリングと同じ原理である。それが実が発生させる炎の正体である。元々こうした空気振動系の能力は基本は音を発生させることによる脳波へのダメージを狙ったものである。つまり言えば、火を発生させるのは、それの応用型ということだ。
もし空気振動をなくせば、温度の上昇は停止、及び温度低下によって火は消える。向こうは実の持つ超能力を完全に理解していた。
「だが、それでは空間振動系の超能力しか防げない。実用性は低い」
いくらいつものように冷静なまでの口調でも、攻撃をかき消された実が言うと負け惜しみにしか聞こえないが、実際そうだろう。
「それ以前に、空気振動を強制停止させるなんてこと、現代科学で可能なの?」
亜里去の意見に、誰も首を縦に振ることはできなかった。実の能力のように、空気振動によって音や火を発生させることは可能になった。何もない場所では空気は振動力が低いため、何もしなければ、停止までいかなくともほとんど動かぬ状態にはなる。だが、『強制停止』は現在の日本の技術では、超能力を持ってしても不可能なのだ。
「超能力者の可能性は?」
「待って。その装置よく見せて」
カナが来琥の話を遮って出てくると、来琥から装置を取り上げ、自分の端末に映し出される情報と照らし合わせた。やがて疑問が確信に変わり、カナは一度息を呑んだ。
「間違いない・・・・・・これはWUSUが開発した超念力発散加速装置・・・・・・!!」
「超念力・・・・・・!?」
来琥は思わず裏返りそうになった声を無理やりねじ込んだ。カナはそんな来琥や亜里去、実に構うことなく話を続けた。
「こいつらは、私たちのように脳回路の手術を受けた人工の超能力者でもない、生まれつきに能力を持つ、純粋種の超能力者だよ」
とある家電店の前、発売したばかりの立体ディスプレイ型のテレビの前にできたひとだかりの中で、一人の少女は佇んでいた。この人だかりは、このテレビを買うためにできたものではなかった。誰もがディスプレイに映し出されるその情報に釘付けになっていた。少女は日本風の顔立ちと髪型をしているが、その瞳だけは蒼く輝いていた。
(にしても、ミホはどこにいるんだろ?)
司令部から命令は受けているだろうに、未だ連絡がない。自分は早くミホの顔が見たいのに。どんな顔をしてるのだろうか。かわいいのかブサイクなのか。やせてるのか太ってるのか、バストは? ウエストは? ヒップは? 自分と仲良くしてくれるだろうか。不安も期待も、彼女は大きく膨らませ、パートナーとなる少女との出会いを待っていた。まるでそれが、自分の運命の出会いとなるような、そんな気がしてならなかった。
人だかりの中の立体ディスプレイに映った女性アナウンサーは、自分の手元にある原稿の内容を、全国へと発信していた。
『本日、現地時間午後七時ごろ、WUSUは我々日本に対して、超能力者の殲滅作戦を開始しました。WUSUは――』
ただありのままの事実を、無感情なまでに。