19、理由≒過去
浜比良祭まで後三日。学内では各所がこれまで以上の仕事を持つことになった。特に仕事の量が増えたのは、各教室での展示用の材料の買い出しや飾り付けの用意などを担当する班である。そして、来琥達は、その班に属してしまっていた。他の班が帰り支度をしている間にも、来琥達はせっせと準備に勤しむことになった。
「よーし、今日の作業終わったぁ!」
実穂が背伸びしながらそのままぺたりと床に仰向けに倒れる。そのまま床でもぐぐっと体を伸ばす。来琥はその間にも今日出たごみをてきぱきと回収し始めた。何でか知らないが、自分の仕事は何故か帰り際にこの回収作業というもので増えてしまっていた。ただでさえかなりの仕事を背負わされているのに、という感覚が来琥の中にあった。
「さ、帰るか」
全ての仕事(来琥の追加分も含めて)が終わって、来琥達は帰路についた。奈美と別れ、世間話の中で、話題の一つは兄弟のことになった。ただ、実穂はいない、来琥には二人の妹、という二つだけで、会話は一瞬のうちに終わってしまった。
実穂とも別れ際の言葉を交わそうとした。だが、実穂は来琥を引き留めた。
「来琥君はさ、その・・・・・・今、好きな人とかいるの?」
来琥はその質問に終始狼狽えるほかなかった。だが、今まであってきたどの子も何十秒も頭の中に映像として映されるような人はいなかった。だが、その中でも僅かながら、来琥の脳内に残った者はいた。
「どうなんだろうな・・・・・・いても、もしかしたら自分で気づいていないのかもしれないな」
来琥が実穂へ返した答えはこれだった。来琥には、これ以上の答えもこれ以下の答えを用意できなかった。だが、そんな答えにも、実穂は笑顔で返した。
「別に無理して答えなくてもいいよ。うん、ありがと」
「針現、お前、まさか・・・・・・俺の事・・・・・・」
「べ、べつに、針現じゃなくてもいいから! 実穂で、いいから!!」
「え? あ、うん・・・・・・」
来琥はいきなり話を遮られてそう答えるしかできなかった。
「それと、私、WUSUから手引いたから」
「は!?」
いきなり変えられた話題は、全く予想外の話題であり、その内容もまた、来琥の予想を大幅に外れたものだった。
「私、元々対抗者達の人間だしね」
その言葉に、来琥ははっとした。先日初めて聞いたばかりの固有名詞ではなかったが、今、来琥の脳内を占めるウエイトはかなり大きいものだった。だが、来琥がそれについて言及しようとしたが、それを行う前に、実穂は走り去った。
帰宅した来琥は、家のソファで横になっていた亜里去を見つけると、その名前を呼んだ。
「亜里去」
しかし、亜里去の反応はなかった。生きてるのか死んでるのか分からないくらいにぐっすりと眠ってしまっている。来琥は溜息を一つついて亜里去のすぐ近くまで寄ると、その口を開いて叫んだ。
「起きろぉ!!」
「にゃぁぁぁー!!!」
いつもの態度や性格からは考えられないような声を挙げながら亜里去が飛び起きる。いきなりの出来事に、自分が寝ていたことすらあやふやになってしまっているほどに動揺していた。こんな亜里去を見たのは初めてだったために、来琥は声を挙げて笑っていた。ようやく自分の置かれている状況を少しずつ把握していった亜里去は、眼前で腹を押さえて笑っている来琥を見て言及を開始した。
「なっ、何笑ってんのよ!!」
「いや、亜里去も慌ててるところはかわいいもんだな、と思ってさ」
寝顔を見られたことと、思いがけなかったのであろう一言を浴びせられて、亜里去の顔が真っ赤に染まる。来琥の笑いは収まらない。
「べつにかわいいとか言われても、これっぽっちも嬉しくないんだからね!!!」
亜里去が右手の人差し指と親指で隙間を作って来琥に抗議してくるが、来琥は軽く受け答えすることとなった。
「それくらいは嬉しいんだな」
「な・・・・・・さ、三ミリくらいよ。そ、そんなの、嬉しいうちに入らないんだから!!」
「はいはい」
来琥の笑いは更に大きくなったものになり、亜里去はそれに比例して顔を赤くするしかなかった。
夏休みに入る前、亜里去と戦闘を行い、亜里去に二度目の雷を浴びせようとした対駕の前に立ち塞がったカナは、その時に殺陣椿を持つことの理由を問いただした。対駕はそれに対し、仕方なく、その理由をカナに話し始めた。
十年近く前、対駕は磁力車との事故に巻き込まれた。正確には、巻き込まれかけた。磁力車がこちらに向かって突き進むのを遠くに見ていた対駕は、道路を渡ろうとしたのだが、そこで自身の足につまずいて転倒した。だが、そうして転んでしまったタイミングが悪かった。磁力車のドライバーは自動運転に任せて自分は車内で眠っていたのだ。自動運転ならば、あらかじめ地図に記載されている障害物や路地、信号などを記憶し、それに沿って動くことができるが、元々地図データに含まれていない。道路通行者は感知することはできない。手動運転ならば、ドライバーの判断で止まることもできるので、それによる事故の可能性は激減するのだが、当時(現在もだが)、日本で起きていた事故の過半数は磁力車、その自動運転中のものであった。
成す術もなく、そこに座り込んでいた対駕を、何者かが押し出した。対駕は転がりながら磁力車の真交通路から外れる。しかし、そこで轢かれる可能性があるのはその押し出した人だった。
対駕を押し出したのは、一人の少女だった。それも、見た目だけでいえば、まだ子供である自分よりもいくらか年齢が低い。多分、見た目だけでなく、実際に年下だろう。
対駕がその少女の危機を目の当たりにして、自分にも何かできないかと立ち上がろうとしたが、先ほど押し出された時にすりむいた膝の痛みとほんの僅かにできた不安で、動くことはできなかった。
そこに、いつからそこにいたのかは分からなかった少年が現れ、少女の名を叫びながら、少女を引き寄せようと手を伸ばした。少女がその手を掴み、少年がぐっ、と引く。しかし、完全に引き込む前に、少女の足が磁力車の頭部にぶつかり、足から飛ばされる。少年はどうにかそれ以上轢かれないような位置になるくらいまでは少女の手を掴んでいたが、大きくとんだ少女を無理に引き寄せることもできず、少女は二、三メートルの距離とはいえ、地面を転がった。少年が手を離した後に勢いに負けて倒れるのと、磁力車が異常を感知して強制停止したのは、ほぼ同時に起こったことだった。
結局、三人は奇跡的に軽傷で済み、運転手は運転責任不十分として刑罰を受けた。三人とも、医学上軽傷、というにも、少女は一度は意識を失っていた。幸い、その失っていた時間も短く、一番傷が酷かった足も、現代医学でも十分に治療可能な範囲、損傷だったために、報道では「軽傷」と言われた。
対駕が自分を助けてくれたその少女の名を知ったのはそれからそう遠くはなかった。
「暴走を制御する!?」
来琥と亜里去の二人きりの幕間劇が終わり、来琥は笑いを完全に抑えたところで、本題に入った。その内容は、五神斬が三つ以上揃った時に起きる暴走を、意識的に制御し、理性のうちに行動できるようにする、というものだった。五神斬としての能力を最大限に生かせる環境を作りながら、それに呑まれないだけの力を手に入れる。人によっては、雲を掴むような話だと、持ち上げたサジをそのままゴミ箱へと持っていきそうだが、亜里去や来琥、当人達にとっては、それを行うことで今までよりも戦闘がずっと有利になるのだから、これを逃す機会はなかった。
「まだ暴走の回数が一回しかない。あの違和感の後に体を襲う様々な内部的苦痛を和らげるなり、耐えるなりすれば、理性を保ちつつ、五神斬の力を十二分に発揮できる」
もちろん来琥には、そうするための理由があった。これからも五神斬との戦いは続いていく。それは、オリジナルとだけでなく、疑似タイプの五神斬とも、という意味である。オリジナルの五神斬と戦うようなことになれば、来琥と亜里去で向かった際には暴走は免れない。その時に制御することができれば、少なくとも理性を失って力任せに攻撃してくる相手よりも冷静な戦い方で追い詰めることができる。そして、これは希望の範疇に過ぎないのだが、この暴走の制御を利用して、最終的には、五神斬を三つ以上揃えずに、五神斬の力を解放させることを目指す。平常時にも疑似品を大きく上回る攻撃を行うことができれば、もうどんな相手が来たとしても、怖いものはない。
「で、その方法はどうすんのよ?」
「暴走は何度も行った上でその耐久性を上げるしかない。疑似タイプの五神斬が流通しかけている今、オリジナルを持つやつを一人、俺は知っている」
「ま、それを言うなら私も一人は知ってる。多分、私の提示するやつとやった方がいいと思う」
「まさか、殺陣椿か?」
「逆に誰がいるのよ。運が良ければ、暴走状態であったとしても殺陣椿を撃破できるでしょ」
それでは暴走の制御を目的とする意味がない気がするが、亜里去の目的は元々殺陣椿に復讐することだ。復讐が決していいことだとは思わないが、どうしてもそうしなければならないというのなら、本人の意思を尊重するしかないだろう。もっとも、復讐しようとして、前回は失敗したのだから、そう簡単に事が進むとは思えないのだが。
「まあいい。じゃあ、殺陣椿の位置は確認できるか?」
「呼び出せば、来る可能性はある」
あくまで可能性の範囲。それでも、亜里去はその可能性に賭けるだろう。亜里去が過去のどういう経緯に基づいて殺陣椿に復讐しようとするのかは分からないが、それでも、自分は亜里去を今まで振り回してきたのだ(先ほども会話の中で相当振り回したと自覚している)。ここは少しでも亜里去に協力するべきだ、と来琥は心の中でそう決めた。
一人の女性は、貨物物資に紛れ、対抗者達の南部メキシコ基地へと到着したところだった。メキシコ内では、数十年前から無法地帯となっている一帯があり、その中に対抗者達の基地が紛れ込んでいるのだ。こうした隠れて活動するはずの組織は、人気のない場所に基地を立てるのが基本だ。だが、無法地帯に建てられたこの基地は、周囲もそうであるように、企業審査というものがない。メキシコ警察やWUSUの調査員が送り込まれたことは何度かあったが、無事に帰って来た者はほとんどいない。そのほとんどは、専用の拷問室において、何十年にも渡っていたぶられ続けている。ここでは、仲間以外は全て敵という考えがむしろ一般的なのだ。だからこそ、地元の住民ですらない女性は、身を隠しながら進むほかなかった。指定されていた基地まで自分の足で歩いてきたのである。女性は、入口に置かれている指紋認証装置に自分の右手の人差し指を乗せた。装置のセンサーがタッチに反応し、指紋をスキャンする。そして、たった今読み取った指紋と、対抗者達のデータベースを参照し、指紋が一致しそうな候補をいくらか選び出す。その上がった候補を順番に調べていき、どれか一つでも当てはまれば、先に進めるが、もし一つもなければ、そこで終わり。先には進めない。
指紋認証装置は、データベースの中に全く同一の指紋を見つけ出し、認証した。女性は奥に進み、被っていたフードを脱いだ。頑丈な扉に開けられた隙間から、いかつい目つきの男が、女性を日本人だと確認すると、日本語で質問、というよりは、合言葉を求めてきた。
「回復十年?」
「破壊一年」
その質問に何の思慮も躊躇もなく、女性は全くの正答である合言葉を放った。その顔には、得意げな笑みも、不安げな顔も見当たらなかった。
隙間の向こうの男がその回答が正答であると確認すると無表情に頷きながら扉のロックを外し、開いた。
扉の向こうでは、主に原住民を中心としたコミュニティが形成され、雑談や世間話、次のミッションや状況説明をそれぞれ行っていた。ただ、さすがにWUSU加盟国であるメキシコの中に建てられた基地であるゆえに、その緊張感は日本のそれとは全く違う。雑談や世間話を行っていても、それに対して無駄に盛大な笑い声を挙げるような者はいなかった。
女性は、そうした人を避けながら進み、人とすれ違いながらも基地の通路を一人、無言で進んでいった。そして、入室の許可を得るためにインターホンで確認を取り、その許可が下りたところでスライド式の扉に手をかざし、自動的にその扉が開く。その中に一人座っていた基地の支部長に向かって敬礼し、女性は自らの名と身分、そして目的を伝えた。その様子は、形容するならば、
「日本支部より、核兵器攻撃阻止のために派遣された、木嶋相子であります」
WUSUの作戦開始日まで、後三日。