17、裏切りと狙撃手姉妹
浜比良祭まで後七日。アリスに自身の正体を明かしてから三日。遂にWUSUから脱退すると実穂とアリスが決めた日だった。この日は実働部隊が一番出払っている日だった。アリスは、基地に少しでもダメージを与えて逃げるつもりだった。監視カメラがいたるところに設置されているために、自分が敵と認識されることにそう時間はかからないだろう。だが、アリスもバックアップしてくれる。攻撃後の脱出に手間取ることはないだろう。
「アリス、準備はいい?」
「いつでも行けるよ」
二人の前にあったのは、WUSUが収集したデータが大量に積み込まれたデータコンピュータである。WUSUにとって今なくなって一番痛いのは、兵士でも施設でもなく、情報だ。第二次世界大戦、もしくはそれ以前から、情報が戦いにおいての重要な役割を担っていたことは間違いようがない。それは現代諜報戦でも同じこと。情報の優劣で、勝敗すら決することもある。第三次世界大戦においても、情報の漏洩によって一度、戦況がひっくり返ったこともあるくらいだ。
データを格納しているコンピュータへと、構えた桜鎚を勢いよく振り下ろす。コンピュータが内部でショートすると共に、大きく凹む。そこから間髪入れずに三度桜鎚を叩きつけ、コンピュータは潰れた。
背後の扉が閉まる。だが、これも予想の範疇であり、そこまで狼狽える必要はない。
「そんなものぉっ!!!」
桜鎚を扉へと叩きつける。扉は桜鎚の一撃の下に粉砕される。実穂とアリスは警報の直後に粉砕された扉の中から姿を現して動揺している基地兵を薙ぎ払い、走り出す。基地の外に出れば、後は予定されているヘリに乗ってこちらの基地まで逃げるという寸法だ。
こちらを敵だと認識したWUSU兵達が、銃弾を放ってくるが、実穂とアリスがそれぞれ広げた反射防壁によって、その全てが跳ね返される。それはつまり、銃弾を撃てば、撃った者が死ぬということだった。賢い者は自身も反射防壁を展開したが、そういう者に限っては反射防壁による反射角度を調整し、床の方へと銃弾を落とした。
いよいよ入口が近くなったところで、目の前を塞ぐ者が現れた。見上げることで、実穂とアリスはその顔を確認した。
「ベイブ少尉・・・・・・!」
ナルク兄弟がこちらの基地に着任したという話は聞いていた。ナルク兄弟がどういう人物なのかも知っている。向こうにいる時に会話を交わした回数は一度や二度ではなかった。その目の前を塞いだベイブの右手には、実穂に見覚えのある形の武器だった。
「それは・・・・・・桃斧槍!?」
「――の、模倣品のようなものだ」
模倣品とは言うものの、その完成度は外見だけでも十分に間違えるほどのものだ。WUSUはどこからか桃斧槍を入手し、さらにその構造を再現した武器を作り上げたということだろう。つまり、先日実穂がミーティングにて言及したことは、あっさりと突き崩されたわけだ。ベイブは巨大でありながら自分の身長よりも低い桃斧槍を軽々と持ち上げ、実穂達へ振り下ろしてきた。実穂は反射防壁を展開するが、向こうも同様に防壁を展開し、その効果を相殺する。実穂は両手で支えながら桜鎚でこれに応戦する。振り下ろされた桃斧槍を受け止め、押し合いを始める。しかし、いくら五神斬を持っているとはいえ、男女の差もあれば、元々の体格差も異常なまでに違うのだ。元よりこちらが勝てるわけがない。
そのことを熟知していた実穂は、そのまま桃斧槍を受け流して勝負を降りる。向こうはこの体格だ。桜鎚で叩いたところで、扉やコンピュータのように簡単に崩れてはくれないだろう。ならば、攻撃すること自体、体力も時間も無駄にする行為であると、実穂は心得た。
「アリス、脱出だけを考えて!」
戦闘前に決めていたことだ。コンピュータを破壊した時点で、戦闘になってしまうことは免れないと分かっている。だが、あくまで破壊後は逃げるために時間を取っている。戦闘は必要最小限に留める必要があった。ここで欲張って兵力も落とそうとすれば、返り討ちに遭う可能性があるのだ。
「逃ぃがすかよぉ!!!」
ベイブが実穂に向かって薙いできた桃斧槍を、身を屈ませてかわすと、ベイブの後方に位置している出口に向かって桜鎚を振り抜いた。扉は凹みこそしたが、破壊とまではいかなかった。その間にも、ベイブやWUSU兵達の攻撃は続いている。実穂とアリスは、その攻撃を凌ぎつつ、扉の破壊を行い、脱出しなければならない。
これは、勝ちと負けの二択しかない戦いだった。
実穂とアリスが行動を開始する数時間前、対抗者達はWUSUより脱出してくる二人を回収するための準備を始めていた。今回、主戦闘を行うのは脱出してくる二人だが、ヘリに乗り込むまでを援護するのはこちらの仕事だ。
二人の少女の前には、日本支部の長である終間帝がいた。帝が二人に出した指示は一つだけだ。
『回収者を援護しろ』
それが、今回自分たちに与えられた任務だった。援護というと、人によっては不満を持つ者がいるかもしれない。それは、前線に出て戦うことができないというものがほとんどで、援護という言葉ばかりを嫌悪するものもいる。
だが、少女達は違った。自分たちが援護に回ることは当然のことであるし、逆にいえば、戦いの主役になる気は毛頭なかった。先週こそ、自分たちが中心として事を回したのだが。
「じゃ、行こうか、未奈」
「うん。未久姉ちゃん」
二人の少女の肩から紐で下げられていたのは、彼女達の上半身を軽く超えるであろう銃身のスナイパーライフルだった。
来琥と奈美は揃って学校に来ていた。授業が休みの土曜だからと言って、仕事がないわけではない。その仕事の量こそ、平日に比べれば少ないが、本来家で休むことができる日に学校に出てくるというその事実ばかりが、生徒達の首を精神的な意味で絞めていく原因であった。奈美は楽しそうにしているが、来琥も首を絞められる者の例に外れるわけもない。絶対的にWUSUから狙われている身ではあるが、これでも高校生としての表の顔がある。表がなければ裏が成立しないように、社会一般の人間として十分に認知されるぐらいの力はつけておかなければならない。
何度となく訪れた不況の波は、二十五年前に起こった不況を最後に、徐々に回復傾向にあった。それは、科学的な分野を中心に、人手が必要になってきたから、というのが一番言える。雇用が増えれば、不景気は自然に緩和される。給与を貯蓄する傾向にある日本人だが、企業もその傾向をある程度自分たちに振り向かせようとあれやこれやとサービスを展開し続けている。その結果、世の中の施設は利便性を増し、それの代償として自然物が減少しているというわけだ。
午前中だけの作業とはいえ、集合時間ぎりぎりに到着し、来琥は今日いるはずのもう一人の姿がいないことに気が付いた。そのことを奈美にすぐ質問した。
「針現がいないな。どうしたんだ?」
「実穂ちゃん、急用ができて今日は来られないんだって」
「・・・・・・そうか」
実穂が作る急用として考えられるのは、やはりWUSU絡みだろう。それ以外で何か急用を作るとはとても思えない。それは、WUSU、あるいは桜鎚としての実穂しか知らないからでもある。出会ってから、長くはなくとも、親しくなるには十分な時間を過ごしてきたが、実穂も来琥も、互いのことをほとんど知らない。表面上だけ仲良くして、話をして、大事な部分は決して見せようとはしない。それは、五神斬を始めとする戦闘関連のことだけでなく、人としての部分も、という意味合いも含んでいる。
「実穂ちゃんの分も、皆で協力してやっちゃおうか」
「ああ、そうだな」
来琥も奈美も、共に作業する者も知り得なかった。実穂の急用が、WUSUを脱退することだとは。
実穂は、扉の破壊作業とベイブの攻撃を回避することにただひたすら神経を集中させていた。アリスは反射防壁によって周囲のWUSU兵の銃弾を無効化し続けていたために、こちらに加勢する暇がなかったのである。扉は桜鎚による殴打によって、少しずつではあるが変形していた。この扉の素材が、変形させる限界に到達した時、扉は破壊され、逃走ルートを確保することができる。そして、それを行うことができるのは、他の五神斬にはない圧倒的な打撃力を持つ桜鎚だけだ。桜鎚が行うのは切断攻撃ではない。破壊活動だ。
「開けぇぇぇぇっ!!」
実穂が何度目か桜鎚を扉に叩きつけた時、さきほど叩いていた時とは若干ではあるが違う音が実穂の鼓膜を刺激した。それは、金属が衝撃に耐えている音を超え、悲鳴を上げている音に他ならなかった。実穂は間髪入れずにもう一方の端にある鎚を同じ場所に叩きつけた。
破壊が成功したのは一瞬のことであった。桜鎚の与えた衝撃によって、金属の扉が破壊され、空いた穴から太陽光の光を差し込ませた。太陽光と共に、燻っていた風が勢いよく基地内に流れ込んでくる。その光と風に、ベイブを含むWUSU兵が攻撃を中断せざるを得なかった。実穂はアリスの名を叫んだ直後に、その穴へと飛び込むと、その穴から手を伸ばした。アリスはその手を取り、穴の外へと飛び出す。数百メートル先に、ヘリが降下していくのが見える。あそこがゴール地点。周囲は基本的に何もない。いくらかの廃棄された建物はあるが、それ以外はほとんど荒地となっている。それは、殺伐とした場所ほど逆に基地が目立たなくなるという逆転の発想である。以前は、たくさんの建物の中に身を隠すことで、周囲の建物同様に一企業としてカムフラージュすることもできたが、企業審査が厳しくなったゆえに、密集したビル群の中ではむしろ逃げ場がなくなってしまうという状況に陥ってしまったのである。そこで、公に動くことのできない組織は、こうした人気のない場所に建設するようになった。いくつか残っている廃墟は先代のそうした組織の基地の名残である。
「アリス、怪我はない?」
「うん、大丈夫」
実穂はアリスの無事を確かめると、ヘリに向かって一直線に走り出す。百メートルほど走ったところで、後方から叫び声と共にこちらへ向かってくるWUSU兵の姿が見えた。足止めにと、反射防壁を実穂とアリスのもので二重にしてかけていたのだが、それらを突破してきたらしい。だが、それも想定済みであるし、それに対する対処も、すでに準備してある。
基地から溢れるようにして出てきたWUSU兵の眉間を、その弾道をほとんどずらさずに貫通する。その様を初めて見て、そこに銃弾が吸い込まれていくような錯覚に陥るのは、一人や二人ではないだろう。それほどズレがないということだ。
それでも、悪あがきのように飛んでくる銃弾はある。アリスが一応反射防壁を展開しているからとはいえ、その銃弾は全くそれた弾道を飛んでいくのがほとんどであった。まぐれ当たりで反射防壁に当たれば、そのまま自分たちに返ってくるのだから、本当に悪あがきの銃弾であった。
「見えた。行くよ、アリス!!」
「うん!」
二人の視線の先、十数メートルのところに、ヘリは着陸していた。プロペラは常時回転を続け、いつでも離陸できる体勢を作っている。すでに援護の射撃は止んでいた。恐らく、自分たちと同様に逃走の準備に入ったのであろう。ここにあまり長居しては、遅かれ早かれ身を滅ぼすのは分かっているのだ。幸いなことに、援護射撃によって、実穂、アリスと追手のWUSU兵との距離は更に開き、すぐに追いつけるような状態にはなかった。
実穂とアリスがヘリを眼前に捉えるまでに近づいたとき、二人の少女がこちらへ駆け寄ってきた。
「未久、未奈! ありがとう!!」
「お疲れ様。行きましょ」
そう言って、狙撃手の二人はヘリに乗り込む。実穂もヘリに乗り込み、ヘリの下で俯いていたアリスを呼んだ。
「アリス、さあ、乗って」
「ホントにいいのかな・・・・・・」
「え?」
それは、ここにきてアリスが初めて見せた、弱気の面だった。
「私なんかが行っても、いいのかな・・・・・・」
実穂は、自分が無駄に重荷を押し付けてしまったような感覚に初めて襲われた。裏切ったとはいえ、元々WUSUに所属していたのだ。WUSUにいた自分のように、白い目で見られる可能性はあった。
だが、と実穂は思った。それを、全力で自分が守らなければならない、と。自分が経験してきたこと全てを、アリスに背負わせる気はなかった。どんなに言及されても、どんなに邪魔者扱いにされても、自分が連れてきたのだ。咎めは受けるし、全力で庇って見せる。そのために、実穂は自身の正体を明かしたのだ。上に報告されるリスクを大きく孕みながら。それでも、伝えたのだ。それに嘘偽りはなかった。
「もちろんよ」
実穂は、その言葉に顔を挙げたアリスに笑顔を見せた。迷う必要はない。自分はやるべき責務を果たしたのだ。
「ようこそ、反西端アメリア連合勢力組織、対抗者達へ!!」
アリスは、実穂が差し出した手を取って、ヘリに乗り込んだ。