泪ちゃんと凛華
玄関の鍵を閉めてほぅっ、とため息を漏らす。いまのは私の妹で十四歳の凛華。今日はあいつは居ないと思っていたが、すぐに出かけてしまったので問題ない。馬鹿にされずにライブ映像を見られる。いつも平日の昼はもう一人家に居るが、それに関しては顔をあわせることはない。
それにしても凛華はやな奴で、泪をほんとの名前を呼んでくれないし、泪の神のことを理解しない。
それもこれも全部、人の羨む容姿を持っているからだ。長い髪は絹に似て、(妹の唯一にコンプレックスだった癖っ毛は気づいたら縮毛矯正されていた。)唇はほんのりとさくらんぼみたいに色が差していて、長い睫毛に覆われた瞳はくるくるとよく動く。そんな全ての要素が、幼さの残る生意気そうな表情を湛える。おまけにダンス部で鍛えた長い手足は曲線でできた健康な細さで、無邪気な子鹿を思わせる。性格は無邪気ではないが。両親も親戚も、凛華が物心つくころから、かわいいねえ、誰に似たのかねえ、と口々に言いあっていた。
それにひきかえ私は髪は真っ黒で眼つきは険しく、背は168センチもあって、帰宅部かつ運動には無縁の手足は男の子みたいにがりがりだ。太陽を浴びないことと、寝不足のせいで頬も唇も蒼白く、服装にも無頓着だ。それでも、涼やかで形の良い眉毛だけは私と妹を姉妹と証明できるくらい似ている。まあ、何が言いたいかというと、凛華は美しさを盾に身勝手に生きているということだ。
私のことを「バカもも」と呼ぶのもそうだ。実は私の戸籍には、「氏名」のところに「尾崎桃乃」と記されている。物心つく前に勝手につけられた名前なんて本当の名前じゃない。そんな名前を呼ばれるのは耐え難い。私は尾崎泪だ。ある有名な詩人は猫には三つの名前があるという言葉を遺したくらいだから、人間だって二つ名前を持っても多すぎはしないはずだ。
今の凛華と同じ歳、だから中学三年生で十四才のとき、家族にそう打ち明けたら、桃乃という名前をつけた母は泣き、父は受験生なんだからくだらないことを言わず勉強しろと言った。凛華はその場では何も言わなかったが、後で、ばーか、あったまおかしいんじゃねーの、ぶーす だとかなぜか容姿のことまで馬鹿にされた。
そのことがあってから家族とは少し壁ができたにしろ、両親は諦めて私を泪ちゃんとか、なみちゃんとか呼んでいる。
気を取り直して部屋着に着替えたら、DVDプレーヤーにライブDVDを入れる。画面の向こうでは、会場がさあああ、と明るくなり、歓声があがる。神の姿が大写しになる。体から命が抜け出て、テレビに吸い込まれる。
だんだん、感覚が冴えていく……
凛華。わりとすき。