1.死を知らぬ
日常に潜む光と影。私たちの世界のほとんどは影になっていて見ることはできない。誰かが生きていくために誰かが死んでいく。当事者はそのことに気が付かない。自分が今日誰かの加害者になっていること。明日誰かの被害者になっていることに…
幸せを手にしているという錯覚は人を愚かな存在にする。周りが見えず、現状に疑いも持たず日々を怠惰に生きていく。そもそも幸せとはなにか?誰かによって作られた幸せは本当の幸せなのか?実はあなたのその幸せは何者かによって創られ、明日を生かされているだけなのかもしれない。
銀行から出てきた男は記帳したばかりの通帳に目を向ける。そこには家賃の引き落としや先月使いすぎてしまったクレジットカードの引き落としに加えて”生存税”と記載され、多くの金額が口座から引かれ今月も貯金の余裕はないと肩を落としている。男が自宅につくと扉の前には段ボールがひと箱おいてあった。宛名も特にないその男は躊躇せず靴を脱ぎながらその箱のガムテープを破る。その中には錠剤が束になって入っていた。そこに同封されていた紙には〇〇〇〇年〇月分と書かれ、そこには "生存税”の文字もある。男はその中から本日分である一錠の薬を取って口に含んだ。その後テレビをつけると、今度変わるらしい元号にちなんだ企画の番組がやっていた。”五つ目の年号を迎える人たち”という番組名だった。しかしその画面には車いすどころかしわのある人は映らなかった。若々しくテニスなんかしている人や老舗の町中華といったような店を持ち、いかにも重そうな鍋を軽々とふる様子は大学生であるはずの自分と比べても遜色ない若々しさ、いや自分以上にその人生は活き活きして見えた。
急激な少子高齢化に伴った社会福祉のための費用の増加。労働力の低下。政府の財源の低下。永遠と思われたこれらの課題への対策として日本の政府は医学による奇跡ともいえる策を講じた。現在の日本人は老いることもなければ、病にかかることもない。健康体のまま生き続ける。日本人は文字通り不老不死なのである。かつての権力者たちが水銀と硫黄を混ぜて飲んでまでしてもこぞって求めた楽園がそこにある。かれらの人生に”死”という文字は存在しない。彼らは”死”を知らない。
税金さえ払えば。彼らは通称”生存税”と呼ばれる税金を納めることによって明日を永らえる。明日を買って生きていくのだ。しかし、もちろん税金を納められないものもいる。政府はそんな彼らに”死”という名の罰を下す。不老不死と思えた彼らの人生の終止符を打つ存在こそ”死神”なのである。多くの人はその存在を知らず、死ぬ時まで”死”の存在も知らず、彼らの人生は”死神”によって刹那に幕を引く。しかし殺す側の彼らもまた”生存税”に縛られた存在なのである。彼らは幼少期に両親が生存税を払えず法に基づき殺され、政府に引き取られ、その仇ともいえる対象から洗脳を受けた被害者の一人。政府は洗脳を繰り返すことで真実を隠蔽し、秩序を保ち、国民を騙し、今日もまた人を殺す。想いのまま日本を創り上げる。支配する。この世界において政府は神と等しい存在になったのである。
腕には黒のブレスレット、サイドバックに特殊なナイフ、これこそ”死神”の象徴ともいえる装備。一般人は彼らの存在など知らないのだからこれくらいの装備のほうが目立つことなく日本社会になじむことができる。いや擬態するといったほうが正しい。一般人のように日々生きているように見えて、幼いころから”殺し”の教育を受け、たったそれだけが彼らが生きる価値だと刷り込まれてきた。そんな彼らもこの非人道的な政府のシステムの被害者である。彼らはみな孤児である。それも生存税を支払うことができなかったために殺された親である。そして政府はその”殺し”という事実を隠ぺいするために、幼い彼らを洗脳するため引き取って”死神”として育て上げる。多くの子供はまさか育ての親である政府こそ親の仇であるなんて考えもしないだろう。教育を受けその事実を知るころにはとっくに彼らは洗脳されているため、「親が死んだのは当然の報いだ」と思っているだろう。それほどまでに日本政府の神的な力は恐ろしいものである。