過去:独り、ふたり
■title:<癒司天>の管理領にて
■from:アルヴィエル
「モチ。俺を信じてくれ」
握れば折れてしまいそうな手を、そっと触り、語りかける。
「俺はお前を絶対に守る。……どんな手を使ってでも、お前を守るから」
ラフマ隊長はおっかない天使だが、約束は守ってくれた。
約束通り、モチが十分な医療環境のある場所に移してくれた。コソコソ隠れずに住む場所を用意してくれた。
この状況は「人質に取られた」とも言えるだろう。だが、俺がプレーローマを裏切らなければ大丈夫。ここにいればちゃんとした医療と介護を与えてもらえる。
俺がいなくなったとしても、モチは生きていける。
隊長が、約束を守ってくれれば……。
「それじゃあ、モチ。俺、行ってくるから」
ベッドの上のモチから、手を離す。
名残惜しさを胸の奥にしまいながら離れようとすると、モチはボンヤリとした顔のまま語りかけてきた。
「あらぁ……。坊ちゃん、お友達と遊びに行くのですか?」
「いやいや、仕事だよ、仕事。今回、ちょっと長くなるけど……でも、大丈夫」
念のため、ここの奴に賄賂も渡している。
大丈夫のはずだ。ラフマ隊長も必ず、約束を守ってくれる。
「お医者さんと看護師さんと、仲良くするんだぞ」
「でもねぇ、坊ちゃん……。あの人達、坊ちゃんの財布を盗んで隠すの。でも、モチがお願いして、ちゃんと取り返しておきますからね……」
「ははっ……。財布ならちゃんとここにある。大丈夫。安心してくれ」
お前はただ健やかに生きてくれればいいんだ。
お前が、俺の唯一の希望なんだ。
逃がすのが無理でも、せめて……最期ぐらいちゃんと――。
「あぁ、坊ちゃん。坊ちゃん! どこに行くんですか……?」
看護師に頭を下げて頼んでいると、モチが泣きそうな声で話しかけてきた。
「危ないですよ。ダメよ……。独りになっちゃ……」
「大丈夫だよ、モチ」
俺は独りじゃない。俺にはお前がいる。
俺は、お前のためなら何だってできる。
「必ず帰って来るから」
お前は俺の家族だ。俺の姉さんだ。
種族は違っても、違う時の流れの中にいても、それでも……。
皆が人類とわかり合う事なんて出来ない。
ペット扱いして誤魔化して、絶滅させてなかった事にする。
宥和を説きながら家畜として使い潰す。
多くの人間が穢れている。プレーローマで生まれた純血の人間だけが穢れていない。穢れている人間は殺処分するべきだ。
そんなクソッタレな考えが、プレーローマの「常識」として存在している。
それを変えるだけの力なんて、俺にはない。
この常識の中で、モチだけでも守っていくしかない。
これ以外の選択肢はない。……弱い俺には、こんな道しか選べないんだ。
■title:とある先進世界にて
■from:プレーローマ工作部隊<犬除>副長・ヨモギ
『ヨモギ、殿よろしく。彼らが逃げる時間を稼いで』
必ず帰る。
「了解です。護衛対象が逃げ切った後は、俺も逃げていいですか?」
『もちろん。ただし、その前に逃げたら彼女のこと、覚悟しておいてね』
「わかってます。隊長の命令は絶対ですからね」
守る。
それぐらいしか、俺には出来ない。
俺は無力だが、独りじゃない。
モチが待っているんだ。こんなところで――。
■title:とある先進世界にて
■from:プレーローマ工作部隊<犬除>副長・ヨモギ
「お疲れ。立てる?」
「……置いて行かれると思ってました。まさか、迎え付きの殿だったとは」
へたり込んでいたところに、ラフマ隊長の筋肉質な手が伸びてきた。
俺の手の方が大きいが、力は隊長の方が上らしい。「ひょい」と軽々と起こされた後、隊長は語りかけてきた。
「迎えに行くと確約は出来なかったからね」
「危ない橋を渡りましたね……」
「貴方は命令を忠実にこなした上で、自分が生き残るために最善を尽くした。最低限の事が出来る部下を使い捨てるほど、私も恵まれていないのよ」
「恩に着ま――いたたっ……!」
「しっかりしなさい。向こうはもう、私達を見失っている。あと10時間もあればここから脱出できるはずよ」
「重傷の天使相手に、無茶を言うなぁ……」
「隊長の命令は?」
「ハァ~…………! ……絶対、です」
「よろしい。では撤収しましょう」
ラフマ隊長の事は、正直、苦手だ。
苦手だが、今まで付き従ってきた上官の中では一番マシだ。
隊長の命令と厳しい状況の所為で、酷い目にあった。だが、隊長の助けもあって生き残る事が出来た。……今回も生き残る事が出来た。
また、モチに会える。
約束を守れる。
■title:<癒司天>の管理領にて
■from:アルヴィエル
「まだ完治してないでしょ? どこへ行くつもり?」
「直ぐに戻ります。ちょっとモチの様子を見に行くだけです」
「…………。やめておきなさい」
隊長は俺を止めてきたが、俺は必死に頼んで見逃してもらった。
今は作戦行動中じゃないんだ。
そうだ、花束を買っていこう。
モチには、少しでも明るい場所にいてほしい。
「モチ!」
花束を抱えて、病室に駆け込む。
モチがいる。老いて痩せ細っているが、血色はそこまで悪くない。
モチも元気そうで良かった。
「あらぁ……新しい子?」
「…………」
「貴方も、旦那様と奥方様に……保護されたの……?」
「……モチ?」
「ひどいケガ……。貴方もたくさん、イジメられたのねぇ……」
「いや、俺は……」
「大丈夫だからね。ここには、貴方を守ってくれる優しい天使さんがいるからね……。大丈夫……。あとで、坊ちゃんの事も紹介するから――」
老いはモチから俺を奪った。
俺からモチを奪った。
モチは生きている。そう長くないが、それでも生きている。
モチはモチだ。別人になったわけじゃない。
生きてくれているだけで、十分だと思うべきだ。
つらかったもんな。
……さびしかったもんなぁ。
一緒にいてやれなくて、ごめんな。
守ってやれなくて……ごめんな。
■title:<癒司天>の管理領にて
■from:アルヴィエル
「あら、おにいさん。この家にはもう慣れた?」
「……うん。皆、良い奴ばっかりだからなぁ」
新しく買ってきた花を花瓶に飾りつつ、モチと談笑する。
モチをこの病院に入れてもらえて良かった。体調はずっと良いみたいだ。
モチの時計は、昔に戻っちまった。でも、それで良かったんだ。
皆がいた頃の方が寂しくねえもんな。後はもう、つらい想い出だけだもんな。
「なあ、モチ……さん。散歩にでも行かねえか?」
そう誘うと、モチは笑顔で応じてくれた。
昔から俺に向けてくれていた笑顔。
でもそれは、別に特別なものじゃない。
誰に対しても同じ笑顔を向けるほど、モチは良い奴なんだ。
車椅子を持って来て、モチを乗せる。
「どこに行きたい? モチさんの行きたいところに行こう」
「じゃあ、今日は貴方を案内してあげましょう。あまり家から離れると危ないから、庭を見て回りましょう。家から離れなければ、ここは楽園よ」
「ああ……」
俺は何も出来なかった。何もしてやれなかった。
守るどころか、奪ってばかりだった。
これはその報いなんだろう。
「…………? おにいさん、どうしたの? 目が痛いの?」
「大丈夫」
まだ大丈夫。
「俺は大丈夫だよ。……モチさん」
まだ戦える。
だって、まだモチは生きている。
「モチさん、俺、また来ていいかな?」
散歩から帰り、病室に戻ってから問いかける。
モチはニコニコと笑顔を浮かべながら、「坊ちゃんの財布を知らない?」と言ってきた。跪き、手を取って「また来るから」と語りかける。
「財布を、返してあげてね? 坊ちゃんは、貴方を守ってくれて――」
声を振り切り、走る。
病院を出てもなお、走った。
「――――!!」
走っても、走っても……何も変わらなかった。
変わらない以上、俺は戦い続けなきゃいけない。
モチを守る。周りが変わっていっても、俺は変わりたくない。
モチを守り続けよう。何があっても、命懸けで。
弱い俺でも、それなら……出来るはずだ。
■title:<癒司天>の管理領にて
■from:プレーローマ工作部隊<犬除>隊長・ラフマ
「またあの女のところに行くつもり?」
「はい」
ウチの副長はそれなりに優秀だ。
ただ、あの女が絡むと途端に駄目になる。
これ以上、性能が落ちると困るから悪徳看護師の件は片付けたけど……あの女に関しては手出ししようがない。アレを壊したら、ヨモギが壊れる。
「もう行く必要ないでしょ。彼女はもう、貴方の手を離れたのよ」
「…………」
「もう貴方がいなくても、彼女は生きていけるのよ」
誰かに世話をされないと生きていけないが、その誰かはコイツじゃなくていい。
アレは荷物だ。
ただの荷物だ。財産でも、希望でもない。
捨てた方が、楽になれるのに――。
「諦めた方が、楽になれるはずよ」
「それは上官としての命令ですかい?」
「…………」
「隊長。俺が欲しいのは、救いじゃねえんですよ」
ヨモギはそう言い、また休暇をあの女のために費やしにいった。
空虚な笑みを浮かべたまま、白い花弁の花束を手に行ってしまった。




