過去:荷物
■title:プレーローマにある貧民街にて
■from:アルヴィエル
「くそっ……!!」
急に来た女天使に脅され、新しい部隊に参加する事になった。
それだけならともかく、あの女に弱みを握られてしまった。
とりあえずあの女の部隊に参加せざるを得ない。だが、参加したところでどうする。アイツは「保護」を約束してくれたが、あんな怪しい天使の言葉なんて信用できない。
けど、逆らったところで詰んでいるし――。
「すまねえ、モチ……。やばい女に見つかっちまったみたいだ」
表向きは愛玩人間って事にしている同居人に……俺が命懸けで守らないといけない同居人に話しかける。
俺と女天使が話している間に起きたみたいだが、まだボンヤリとしている。
「ただ、直ぐに捕まることはない。今回の誘いに乗れば……お前に、もっとマシな暮らしをさせてやれるかもしれねえ。だから……」
「坊ちゃん。お友達が、できたんですか?」
「いや、友達というか、新しい上官というか……」
モチはニコニコと笑っている。
もう結構な歳で、頭も大分弱っているから……俺の話を理解できていないんだろう。それどころか、自分が置かれた現状もわかっていない。
なんと言えばいいか戸惑い、言葉を探していると……モチはニコニコと笑顔を浮かべたまま俺の頭を撫でてきた。
「坊ちゃんにお友達ができて、良かったです。坊ちゃんは……旦那様や奥方様と同じで、優しすぎて……天使の中で浮いちゃってたから……」
「…………」
「お友達は、大事にしなきゃですよ。坊ちゃん」
「あ……あぁ……」
枯れ木のように痩せ細った手が、俺の頭を撫でてくる。
昔と同じように。……けど、もう昔とは違う。
親父も母さんも、もういない。俺達を置いて逝っちまった。
モチも、もう……昔のようには――。
「……わかってる。友達は、大事にするよ……モチ」
「この間みたいに、ケンカしちゃダメですよ? 人間の悪口を聞いたからって、あんな風に……。私達のことなんて、気にしないで……」
「…………」
モチは俺の事を、ガキだと思っている。
大人になった俺の事すら、坊ちゃんのままだと思っている。
俺の所為だ。
俺がモチの人生を壊したんだ。俺がもっとしっかりしていれば、モチに十分な医療を受けさせてやる事が出来た。こんな事にはならなかった。
俺が不甲斐ないから、ずっと苦しい生活をさせている。
それなのに、俺を見ている時はずっと……笑っている。
「……ごめんな」
モチは俺が物心ついた時からの付き合いだった。モチは俺の家の使用人だった。
モチの方が2歳だけ年上で、俺は……モチの事を姉のように慕っていた。
親父と母さんは人間を大事にしていた。天使と人間なんて大差がない。人類絶滅派のように彼らを去勢するのはおかしいし、ましてや家畜のように扱うなどもってのほかだと言っていた。
多くの人間を「使用人」として家で雇い、匿っていた。
だから俺がモチを姉のように扱っても、優しく見守ってくれていた。俺にプレーローマの常識を無理に伝えなかった。
けど、俺達は「異常者」だった。
人類絶滅派ならまだ受け入れられる余地はあったかもしれない。法律は厳守するように言われたかもしれないが、それでもあんな事は起きなかっただろう。
俺達の周りにいる天使達の殆どは、「人類とはわかり合えない」「人類は家畜である」「人類は下等生物だ」と言っていた。
俺達が「そんなことない」「人類と天使もわかり合える」と主張しても、同調してくれる天使は殆どいなかった。……俺達は、妙な宗教にハマっている異常な一家だと見られていた。
周りにどう思われていても、俺とモチは家族だ。
モチだけではなく、ウチで保護している人間全員が家族だ。
俺はそう公言していた。親父と母さんに倣ってそう言っていたわけじゃない。俺自身が、皆の事を大事だと思っていたんだ。……周りに何と言われても、家族の事で意見を曲げるのはおかしいと思っていた。
本心で、そう思っていた。
それなのに、俺は――――。
『父さんと母さんが、処刑された……?』
俺が好き勝手言えていたのは、親の庇護ありきの事だった。
親父達は周囲に「異常者」として見られていたが、それでもモチ達を守り、自分達の考えを主張出来ていた。それはそれなりの権力を持っていたからだ。
けど、親父達は処刑された。
どこぞの馬鹿天使がプレーローマ本土に人類の軍勢を――交国軍を引き込むため、交国政府と取引をしていたらしい。
結局、その取引は上手くいかず馬鹿天使は交国に捕まったらしいが、その事件の影響が親父達にも及んだ。親父達も馬鹿天使と一緒になって交国をプレーローマ本土に引き入れようとしたという罪で告発された。
アレはきっと冤罪だった。
親父達は政争で敗れ、罪を着せられたんだ。
親父達は人間を大事にしようとしていたが、同胞である天使達の事も大事にしていた。そんな親父達が交国軍なんて呼ぶはずがない。
親父達は弁明も許されず処刑された。冤罪だったから……キチンとした司法の場に行く前に口封じをされたんだろう。
親父達という大木に守られていた俺達は、厳しい日差しに晒される事になった。俺だけでは家を守る事が出来なかった。皆を守る事が出来なかった。
俺も責められた。
人類を保護しているのはおかしい。人類に洗脳され、プレーローマに仇なすつもりではないか――と責められる事になった。
『けど、キミは親に言わされていただけなんだろう?』
『お、おれは……』
『本気で人類を同胞のように扱うつもりなど、ないのだろう?』
異常な主張を続けるつもりなら、キミも罰さなければならない。
処刑しなければならない。そう言われた。
『死にたくないなら、プレーローマへの忠誠を示しなさい』
『どうやって――』
『愚かな両親が匿っていた下等生物を、全員殺しなさい』
銃を渡され、それで全て片付けるように言われた。
俺はガタガタ震えながら銃を手に取り、屋敷に戻った。
俺には親父達みたいな権力はない。俺じゃ、皆を守れない。
『皆、ごめん。おれじゃ……みんなを、たすけられない……』
そこで皆に全部話した。皆に謝った。
親父達みたいに出来なかったと、謝った。
『でも、俺も死ぬから! 皆を守れなかった俺達を、許してほしい……』
そう言って、命を断とうとした。
だが、皆が止めてきた。俺から銃を奪い、償いの機会も奪った。
『坊ちゃままで死なせてしまったら、我々は旦那様に顔向けできません……!』
『生きてください。アルヴィエル様』
『貴方のような天使がいる事が、人類の希望になるのです!』
生きてくれ。そう願われた。
皆を守れなかった俺に、生きる価値なんてないのに――。
『こんな日が来ることは……覚悟していました』
『我々はもう十分生きました。旦那様と奥方様、そして坊ちゃんのおかげで……』
『ただ、この子は……モチはまだ若い。この子だけは、何とか……』
『アルヴィエル様。モチを……モチをよろしくお願いしますっ……!』
親父達はいざという時のために、隠れ場所を作ってくれていた。
けど、あまり多くがそこに隠れて生き延びると、周囲にバレかねない。プレーローマの外に逃がそうにも、俺にそこまでの力はない。
全員は生き残れない。
1人ぐらいは誤魔化せるかもしれない。
『坊ちゃまに……一番、つらい役目を背負わせる我らをお許しください……』
『待って、私……私も皆とっ……!』
『駄目だ。お前は生きなさい。モチ』
『やだ、やだっ! お父さんっ! お母さん!!』
モチは皆と逝こうとした。
坊ちゃま、やめて、と泣いて頼んできた。
けど、モチは薬で眠らされ、隠し部屋に――。
『アルヴィエル様、これを……』
『…………』
大事なものを渡すように、家にあった斧と槌を渡された。
俺はその両方を使った。銃も使った。
俺は「家族」を殺した。
自分の言葉と共に、皆を殺した。
銃と斧と槌を使って、徹底的に殺し……当局の天使達を呼びに行った。
『ず、随分と……派手に、やったな……』
『すみません。ずっと、こうしたかったんです』
本当は人間なんて大嫌いだった。
親に押しつけられたから、仕方なく人間に配慮していただけ。
本当はずっと……こうしてやりたかった、と宣言した。
そう言う以外の選択肢を、俺は持っていなかった。
『これで、俺のプレーローマへの忠誠心を……ご理解いただけましたか?』
『あ、あぁ……。だが、この屋敷も没収対象で……これでは、価値が……』
俺は見逃してもらえる事になった。
モチ以外の皆を集めた広間の惨状を見て、天使達も軽薄な笑みを消し、青ざめながら帰っていった。バラバラ死体をキチンと調べていかなかった。
おかげで1人生きている事を誤魔化せた。
俺は両親の友人の手を借り、モチを隠し部屋から逃がした。
そのままプレーローマの外か、せめて人類絶滅派のところに逃がしてやりたかったが……それは出来なかった。
親父と母さんが死んだ頃から「異常者」の摘発が苛烈になっていき、数少ない頼れる天使も一気に減っていった。
あれからずっと、モチを匿い続けてきた。数少ない協力者の手も借りつつ守ってきたが……その協力者も今はもういなくなった。
モチは、一度も俺を責めなかった。
責めてほしかった。……楽にしてほしかった。
けど、モチは……一度も、俺を……。
…………。
不甲斐ない俺は、モチを生かす事しか出来なかった。
窮屈な思いをさせていた。時には1ヶ月近く、便所の個室で暮らさせてきた。匿うために、やむなく……。それでもモチは一度も俺を責めなかった。
ずっと、俺に優しい笑顔を向けてくれた。
『坊ちゃん、貴方は自由になっていいんです。私なんて捨てて――』
『ひとりに、しないでくれ……』
『坊ちゃん……』
『お前まで、死んじまったら……。おれは、おれはっ……!!』
オレは、自分のためにモチを生かし続けた。
モチを生かすことが、贖罪になると信じて……。
それが本当にモチのためになるとは、限らないのに……現実から目を背けた。
俺は親父達のように誰かを救う事が出来なかった。
誰ひとり、助けることが出来なかった。
俺は人類の希望なんかにはなれなかった。
モチを無理やり、生かし続けてきただけで――。
『アルヴィエル。お前、また勝手に殺したな?』
『あの下等生物は、まだ遊びに使えたのに……!』
『上の指示は、ここに人間を殲滅する事です』
俺は俺のために、人間を殺し続けた。
自分の罪悪感を殺すために、愚直に任務をこなした。
現場の天使が捕虜で遊ぶ余地も、潰した。……自分が見たくないから。
『殲滅後は速やかに帰投する。そう指示されていたはずです』
『チッ……! あぁ、そうか、お前は人間殺すのが大好きだもんなぁ!』
『…………』
何とか生きて帰れば……狭くてボロい家に帰れば、モチがいる。
何年もまともに外に出せていないのに、それでもモチは笑顔で俺を出迎えてくれた。それが苦しかった。……人を殺す時よりも苦しかった。
毎回、どのツラを下げて帰ればいいかわからなくなった。
モチを逃がしてやる事すら出来ず、ずっと閉じ込めて生かしているだけ。それでも任務をこなしていれば、もう少しマシな生活をさせてやれると思っていた。
思っていたけど、俺は結局、モチに何もしてやれなかった。
モチから大事な人を奪っただけで、何も……。
『坊ちゃん……。私、どんどん物忘れがひどくなっているようで……』
『うん、うん。大丈夫だ。気にするな。俺が……俺がついてるから』
『坊ちゃんの重荷になりたくないんです』
『重荷なんかじゃない』
本当は重い。
苦しい。
でも、それでも――。
『俺は、お前の存在に救われているんだ』
大事だからこそ、重いんだ。
大事だからこそ、救われているんだ。
モチは俺の希望なんだ。
『殺してください』
やめろ。
『死なせてください』
やめてくれ。
『自分が、自分じゃなくなっていくのが……坊ちゃんにこれ以上、迷惑をかけて、苦しませるのが怖いんですっ! 嫌なんです……!』
俺は大丈夫だ。
モチはモチだ。昔と変わっても、お前はお前だ。
俺の、大事な……家族だ。
皆の事を「家族」と言っておきながら、あんな事しか出来なかった俺に……そんな事を言う資格はないだろう。けど、それでも……。
『もう、死なせてください……。苦しいんです……』
俺を独りにしないでくれ。
こわい。独りになりたくない。
こんな狂った世界に、独り取り残されるなんて嫌だ。
「…………」
モチはモチの言う通り、変わっていった。
今はもう、自分が変わった自覚すらないんだろう。
「…………」
モチの細い首に手を伸ばす。
伸ばした自分の手を、自分で掴んで止める。
だめだ。それだけはだめだ。
でも、モチを楽にしてやった後、俺も後を追えば――。
「……もう、いやだ」
もう、殺したくない。
もう、家族を失いたくない。
でも、自分だけ楽になる勇気もない。
だったらもう、あの女天使にすがるしか――。




