毒の残り香
■title:<武司天>直轄領にて
■from:丘崎新陰流開祖・丘崎獅真
「引きずんな……! 自分で歩ける」
相変わらず我が道を征くな武司天の手を振り払う。
いまは大人しくついていく。……面倒だが今後の話をしておきたい。
建物の外で待っていた車両に乗り込み、武司天の直轄領を移動する。
ミカエルの旦那は<人類絶滅派>という派閥を……「人類は絶滅させるべき」という理念を掲げた派閥を率いている。
ここはそんな旦那が治めている土地だけあって、旦那の思想が行き届いている。といっても……そこら中で「人類は絶滅しろ! 死ね!!」と人間を殺す遊びが流行っている場所ではない。
<人類絶滅派>は「人類は絶滅させるべき」と主張しつつ、「しかしそれは安易な方法で達成されるべきではない」と言っている。
人類の絶滅は子孫を残させないことで、緩やかに達成されるべきだ――という考えを持っている。刃向かってくる者はさすがに殺すが、プレーローマに下ってきた人類は保護し、去勢によって「子孫を残させない」を達成している。
人類絶滅派は「天使と人類は敵対しているとはいえ、同じ理性的動物を一方的に虐殺するなどあってはならない」としている。
コイツらは人類を犬猫のように見ている。
人類! 可愛いね! 可哀想だね? 今の命はまっとうさせてあげるけど、子孫なんて残しちゃ駄目だよ――という歪んだ思想の持ち主達なんだ。
人類側としては「歪んでいる」と思うし、人類絶滅派以外の天使達からも「頭がおかしい」と思われているようだが、武司天達の武力は自分達の思想を押しつけるだけの力を持っている。
圧倒的な武力を持っているからこそ、人類側にも屈する者達が出ている。
誰彼構わず受け入れているわけではないし、投降したら去勢を受ける必要はあるが……プレーローマで暮らす事が出来る。
ある程度は労働する必要があるが衣食住を与えられ、様々な社会保障を受ける事も出来る。多くの病と無縁の生活を送れる。子孫は残せないが、「平穏な暮らし」が手に入る。
プレーローマの中でも人類絶滅派の領地は驚くほど治安が良い。
基本、天使の方が立場は上だが、だからといって天使が何をしても許されるわけではない。天使が気まぐれで人を殺した場合、厳しく罰せられる。
天使の方が優れていると主張するからこそ、天使としての義務を果たすべきという考えらしい。優れた存在として人類を守り、可愛がり、死ぬまでしっかり看取ってやるという考えが染みついている。
庇護下に置かれた人間達もその扱いを良しとしている。プレーローマに逆らったり犯罪行為を働かなければ、ずっと穏やかな暮らしが出来ると喜んでいる。
だからこそ、望んで武司天の支配下に下る人間も大勢いる。
天使と人間で階級の差は確かに存在するが、武司天と法の下でお互いに尊重しあって生きている――というのが人類絶滅派の領地だった。
プレーローマ内でも異質でありながら、それでも「歪な共存」が成立している場所だったんだが――。
「……武司天の直轄地でも、微かに空気がピリついてるな」
「やはり、わかるか」
「前に来た時と空気が違う。あんな事件があったからな……」
交国計画で一番被害を受けたのはプレーローマだ。
人類絶滅派の領地はプレーローマ内でも比較的被害が少なかったそうだが、それでも死者ゼロとはいかなかったらしい。
今代の真白が死に、交国計画は一応止まったんだが……その傷はしっかり残っている。人類文明圏よりもしっかりと傷が残っている。
「単に真白の魔神が造った兵器が暴れただけなら、『皆で手を取り合って復興していこう』って前向きになれるんだがな」
「兵器どころか、人間も暴れたからな……」
「一部の天使もだ」
人類絶滅派の領地で暮らす天使と人間は、それなりに上手くやっていた。
人類にとっては歪でも法を定め、お互いを尊重しあっていた。
しかし、尊重しあっていた二種族が殺し合う事になった。
交国計画に操られた者達が、プレーローマに対して牙を剥いてきた。
「こっちに来る途中で聞いた。アンタの領地で暴れた人間達に対し、権能を行使せずに言葉で落ち着かせようとした天使もいたと」
人類絶滅派の思想を守った結果、交国計画に操られた者達に殺された天使もいたそうだ。ミカエルの旦那も当然、その話を把握していた。
把握したうえで、「その逆に近い事例もあった」と言った。
人類絶滅派の思想はハリボテではなかったんだろう。だが、今回の事件によって人類絶滅派ですら傷を負う事になった。
隣人は、また襲ってきたりしないか?
このまま隣人として過ごしていたら、また命を脅かされるのでは?
それどころか同じ天使ですら危うい。また同じような事が起こったら、生き残った自分達ですら危うくなるのでは――という疑念に襲われる事になった。
平和な国が一瞬で国民同士で殺し合う戦争に発展したかと思えば、一瞬で平和が戻って来た状態だ。……平和が戻って来たところで、全て元通りとはいかない。
街の様子を見ると、全員が必死に日常を取り戻そうとしているようだが……疑念という傷をお互いに抱いているからこそ、ギクシャクした空気も流れている。
さすが武司天直轄領だけあって、あからさまな排斥運動は起こっていない。
今のところ、理性が勝っている。
むしろこの空気感を気にして、天使の方から人類に歩み寄って何とか傷口を治そうとしている光景も見かける。……だが、簡単に癒える事は無いだろう。
「さすがに、アンタの領地では……事件後の虐殺は起きてないか」
「恥ずかしい話だが、殺害事件が数十件報告されている」
プレーローマでも屈指の治安の良さを誇る人類絶滅派の領地でも、その手の事件は起こっているらしい。ただ、1件辺りの死者は多くても2人程度のようだ。
それはあくまで「人類絶滅派の統治下だから」というだけで、それ以外の場所に関しては虐殺が発生しているらしい。
特に酷いのは<癒司天>のところらしい。
癒司天は「人類との宥和」を訴える事もあるが、あくまで「天使が上、人類が下」という思想の持ち主だ。それだけなら人類絶滅派と大差ないが、癒司天達は人類を愛玩動物ではなく、家畜と見ている。
人類を奴隷兵として使うのは日常茶飯事で、去勢はせずとも「繁殖」させて労働力として酷使する。人間を奪ったところで、誰かの所有物を壊した程度しか咎められない。最悪、一切咎められないから遊び半分で殺す奴もいる。
それが当たり前だったからこそ、今回の事件の後遺症は一層酷くなった。
癒司天の部下達が治めている土地では、事件後も数万単位の虐殺が何件も起きているらしい。当然、大半の死者が人間だ。
「さすがのラファエルも自分のところの人間を……奴隷を腹いせで殺すほど馬鹿じゃない。今回の事件で一番被害を受けたのはアイツの陣営だからな」
「復興のためには労働力が必要だもんな。でも、癒司天の部下の中にはその辺の勘定が出来ない馬鹿が大勢いるわけだ……」
交国計画によって大打撃を受けたのに、今度は自分達の領地を痛めつけている馬鹿がいるらしい。
癒司天はそれがマズいとわかっているから部下に止まるよう命じているが、多くの部下が「奴隷共が反乱を起こした」「戦友が奴隷に殺された。報復しなければ」と騒いで暴走しているらしい。
常日頃から人類を軽んじていたツケを支払わされているんだろう。それに巻き込まれている人間はたまったもんじゃねえだろうが――。
「癒司天のところがそれだけ荒れてるから、アンタも戦後処理に駆り出されているわけか。自分のところも無傷ってわけじゃねえのに」
「仕方ねえさ。ラフィのところが弱りすぎると、ウチも無関係じゃいられないからな。……俺がもっと強ければいいんだが……」
「アンタが今より強かったら、もう人類滅んでるよ」
少し前の人類文明圏で起きていた事が、プレーローマでも起きているんだろう。
癒司天の支配地域は「交国」みたいなもんだ。
完全に滅びてしまうと、そこが防衛線の大きな穴になる。そこを敵陣営に突かれると他所も大きな被害を受けるから、他派閥だろうと事態の沈静化に協力せざるを得ないって事なんだろう。
人類文明にとって、これは1つの好機だ。
人類連盟が音頭を取って連合軍を結成し、プレーローマ領に一気に攻め入るべきだろうが……それが出来るほど人類も一枚岩じゃない。
連合軍結成は無理でも、騒ぎに乗じて癒司天の領地を切り取りにかかる人類国家はいるんだが……そっちは武司天が睨みを利かせてきたらしい。
人類は今回の好機も活かせないだろう。
プレーローマ側も人類文明の疑心暗鬼を煽る工作をして、一層動きづらい状況を作ってくるだろう。結果、膠着状態が作られるのがオチだろうな。
第三勢力の動きによっては、一気に状況が動くかもしれんが――。
「それでシシン。お前はいつものように真白の魔神の尻拭いをするんだろう?」
「ああ」
「改めて協力しないか? さすがに今回の真白の遺産は、お互いの手に余るだろ? キッチリ葬るつもりなら、こっちも情報と戦力を出すぞ」
「とか何とか言って、遺産を掻っ攫おうとするんじゃねえの?」
「その疑念がちらつくのはお互い様だろう。お互いに警戒し、監視し合えばいい」
ミカエルの旦那は義理堅い方だが、為政者として非情な判断もする。
庇護下に置いた人間達はキチンと守っているが……所詮は旦那も「天使」だ。信用しすぎるのはマズいが、旦那の言うようにお互いに利用するのはアリだ。
今回の件に関しては、緩めに協力関係を結んでおこうと約束する。
俺としては天使にも人類にも交国計画を利用させるつもりはない。最悪、両陣営を裏切って交国計画を葬りに走らにゃならんが、転生した真白を見つけるところまでは協力できるはずだ。
「プレーローマ側も大変な状況だが、交国もなかなか厳しい立場だな」
「まあな。けど、時計の針が戻らない以上、何とかやりくりしていくしかねえ」
「玉帝が死んだのも惜しい。もう、あの子のアップルパイは食べられないな」
「アンタにはそんな機会ないだろ。最初から」
リンゴは天使を天敵と定めていた。
何人もの人間がプレーローマに懐柔されて消えていく中、アイツは揺るがずに天使に立ち向かい続けていた。三大天の旦那とも馴れ合うはずがない。
そう思ったんだが――。
「ふふん。あの子にアップルパイの焼き方を教えたのは俺だぞ?」
「…………。何の冗談だ? そんな機会、存在しなかっただろ?」
「あったさ! あの子とは<夢葬の魔神>の庭で何度か会っているからな」
「はぁ? ウソだろ?」
旦那曰く、リンゴが幼い頃に会っていたらしい。
面白い冗談だな、と返すとミカエルは笑顔で「信じる信じないはお前の自由だ」と返してきた。リンゴの性格を考えると冗談だと思うが……どっちかわからんな。
「ただ、交国はそこまで揺らいでいないな。長年に渡って交国を支配してきた玉帝が死んだというのに。それだけムツキが……黒水守が上手くやったという事か」
「何の話だ?」
黒水守一派は交国の実権を握っていた。けど、しらばっくれておく。
ミカエルの旦那は笑って「とぼけるなよ」と言ってきたが、適当に誤魔化す。……三大天の旦那なら、交国の変化を前々から察していてもおかしくないが明言するのは避けておこう。
交国は変わる。
玉帝が握っていた権力は分散していくだろう。
結果、民主化が進むかもしれない。
民主化によって皆の意見が尊重されると言えば聞こえはいいが、決定権を持つ者が増えれば増えるほど国家の「速度」は鈍化していく。
以前までは玉帝の一存で一気に事が進んだ。
それが出来なくなれば、交国は弱体化する。民衆にとって民主化は喜ばしい事かもしれないが、国家にとって良い事とは限らない。
速戦即決が困難になれば、交国は軍事国家としては弱体化していくだろう。玉帝の死以前に、別の問題もあっただろうし弱体化は不可避のはずだ。
ただ、交国計画の起こした騒乱によってプレーローマが大打撃を受けた以上、この隙に国家の大規模な改修を進めれば……交国は新しい強さを手に入れるかもしれん。難しい舵取りをする事になるだろうが、希望はあるはずだ。
「……そういや旦那、アンタは石守睦月を支援していたらしいな?」
「支援というほどの事はしてねえよ。ちょっとした縁があっただけだ」
黒水守・石守睦月は武司天が送り込んだ工作員じゃない。
ただ、ミカエルの旦那としては交国を引っかき回す一手として、流民の加藤睦月を交国に送り込んだ。交国の民主化を進むために神器使いを送り込んだ。……そんな意図があったんじゃないのか?
…………。
いや、さすがに考え過ぎか。
「ただ、今回の件では支援を約束する。しばらく仲良くしようぜ、シシン!!」
「ずっと仲良く、ってのは無理なのか?」
「おっ!! ついに俺の軍門に下る気になったか!!?」
「そうじゃねえ。そういう話じゃねえよ」
武司天・ミカエルは天使だ。人類絶滅派の筆頭だ。
ただ、人類の事も気にかけている。
歪な思想の持ち主だが、癒司天なんかよりは信用できる。
天使と人類は長く争ってきたが、争わずに済むなら……武司天・ミカエルは信頼できる。いまは人類の敵だが、旦那が人類との争いを終わらせる気になってくれれば、他の天使達も止められるかもしれない。
「武司天陣営と人類が手を組み続ける事は、出来ないのかって話だ」
「不可能だ。人類と天使は相容れない。そうなっちまったのは源の魔神に従った天使の所為だから……お前らには悪いと思うけどよ」
苦笑しながらそう語った旦那の瞳には、諦観の色が濃いように見えた。
考えを変えるつもりは無いらしい。
「けど、アンタのやっている事が……人類を緩やかに絶滅させる事が不可能だとしたらどうするよ? そうなったら考えを変えざるを得ないだろ」
「そうだな。その場合は俺達がこの多次元世界から退場するか……あるいは、考えを変えてお前達と向き合っていかなきゃならんのだろうな……」




