夢:キミのいない明日へ
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:兄が大好きなスアルタウ
にいちゃんは長い間、色んな話をしてくれた。
ボク達が離ればなれになった後、何があったか話してくれた。
にいちゃんはボクに「楽しいこと」ばかりを話そうとしていた。そうじゃない事はボクに言いたくなさそうだった。
でも、ボクは「つらいこと」も聞きたかった。
にいちゃんがつらくて、悲しくて……それでも皆を心配させないために抱え込んでいた事を話してほしかった。ボクには話してほしかった。
重いものを1人で背負ってたら、その重さで潰れてしまうから――。
「兄ちゃんは大丈夫だ。全然、大丈夫だよ」
「にいちゃん。正直に教えて。お願い」
「いや、でも……」
「ボクも、お母さんとお父さんのこと秘密にしている間、苦しかった」
今でも苦しい。
家族でずっと、いっしょにいたかったから……。
「でも、今は大分……元気になったよ! にいちゃんとヴィオラ姉ちゃん、それとラートさん達と話して、元気になったよ」
皆がいっしょに背負ってくれたら、楽になった。
少しは苦しくなくなった。
苦しくても、にいちゃん達がいてくれるってわかったから――。
「にいちゃんも話して。つらかったこと、苦しかったこと」
「…………」
「1人で抱え込んじゃ、ダメだよ」
にいちゃんは話してくれた。
つらそうだった。
泣く事もあった。
でも、自分が思ったこと、つらかった事を吐き出してくれた。
ボクらは、たくさんお話をした。
楽しいお話より、つらいお話の方が多かったから――にいちゃんだけじゃなくて――ボクも泣いちゃうことあった。けど、話して良かった。聞けて良かった。
いまこの時だけでも、にいちゃんといっしょにいれて良かった。
「僕は、お前を守れなかった。守られっぱなしだった」
「そんなことないよ」
「ごめんな、ダメなにいちゃんで……。ホント、ごめ――」
「ダメじゃないもんっ!」
にいちゃんは、ぜんぜんダメじゃない。
守られてたのは、ボクだよ。
守られていたから、守りたいと思ったんだ。
「にいちゃんは、ボクの自慢のにいちゃんだよ。昔からずっと」
この先もずっと、ボクの自慢のにいちゃんだ。
この先のこと以外の話は、たくさん話せた。
この先のことは……まだ、話す勇気がなかった。
でも大丈夫。にいちゃんが元気だと思えば、きっと大丈夫。
だいじょうぶ……。
ボクらは時間を忘れてたくさん話をした。ぽっかり空いていた家族の時間を、にいちゃんの思い出話で埋めていった。そうしていると、時間が来た。
「フェルグス君。現の準備が整ったみたい」
ボクらが時間を忘れても、時間はボクらを忘れてくれなかった。
「そろそろ、夢から醒める時間よ」
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:死にたがりのスアルタウ
「ありがとうございました。僕らを匿ってもらって」
僕は府月に1週間ほどいたらしい。
時間を忘れてアルと色んな話をしていたけど、現ではヴィオラ姉さん達が新しい身体を用意して待ってくれているようだ。
アルと一緒に座っていた川辺から立ち上がる。アルに手を伸ばし、起き上がらせようと思ったけど――アルは自分で立ち上がった。
一緒に手を繋いで帰ろうとすると、アルは何故か曖昧な笑みを浮かべていた。恥ずかしいんだろうか? アルの姿は7年前から変わっていないから、ついつい子供扱いしちゃうんだよな……。
それでもはぐれないよう、手を繋ごうとしていると……僕らをずっと助けてくれていたオークが歩み寄ってきた。
「あ、エレイン。エレインも手を繋いで帰るか?」
少しはしゃぎながら言うと、エレインは首を横に振った。
『言っただろう。私はここまでだ、兄弟』
「あ……。そうか、ごめん」
『謝罪など欲しくない。出来れば、別の言葉が欲しいな』
「うん、ごめ――――いや、ありがとう、エレイン」
改めてお礼を言うと、エレインは満足げに頷いてくれた。
エレインが一歩引くと、夢葬の魔神が「さあさあ、あんまりヴァイオレットちゃん達を待たせちゃダメよ」と言ってきた。
現ではヴィオラ姉さん達が頑張ってくれているらしい。
普通、肉体が死を迎えた人間は死ぬ運命にある。でも、僕は府月に匿われている影響で魂の延命だけは成功し、新しい身体に戻れば復活の見込みがあるそうだ。
100%復活できるとは限らない。
でも、奥方様達も協力してくれたおかげで、そこまで分の悪い賭けにはならないそうだ。
「ありがとうございます。夢葬の魔神のおかげで……ヴィオラ姉さん達を心配させずに済みそうです」
「【占星術師】捕獲のお礼よ。貴方が掴んだ勝利よ」
「皆で掴んだ勝利です。僕だけじゃ……勝てなかった」
カッコよく勝てたわけじゃない。その証拠に、僕は死にかけている。
負ける事も多かった。現実に叩きのめされてばかりだった。
それでも進み続けられたのは、皆のおかげだ。
アルの名前が――存在が、一緒にいてくれたおかげだ。
隣にいなくても、弟の存在を感じるだけで勇気づけられてきた。アルが恥ずかしくない兄であろうとする気持ちが、僕を前に進ませてくれた。
「マーリンもありがとう。僕らの事を見守ってくれて」
「ボクは何にもしてないよ」
マーリンはそう言って笑い、元来た道を戻り始めた。
川辺から離れ、丘の向こう側に歩き始めた。また先導してくれるようだ。
アルの手を取ってマーリンに着いていこうとしたけど、僕の手は空ぶった。アルは先に駆けていき、帰り道の途上にある丘の上に行ってしまった。
「待ってくれよ、アル」
アルを追いかける。
丘の上で待ってくれていたから、直ぐに追いつく事が出来た。
帰ろう。一緒に。……僕らは一緒に帰るんだ。
「にいちゃん、迷子になっちゃダメだよ? 向こうの森の中を歩き続けていたら、皆のところに帰れるからね」
「…………。お前も、一緒に帰るんだよ」
呼びかける。
手を伸ばす。
けど、アルは手を取ってくれなかった。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:兄が大好きなスアルタウ
「ここから先は、にいちゃんだけ」
「…………なに、言ってんだ」
「マーリンが案内してくれるから、大丈夫」
「お前も一緒に帰るんだよ。こっちに……こっちに来るんだ」
ちゃんと言わなきゃ。
にいちゃんは、つらい事をちゃんと話してくれた。
だから、ボクもちゃんと話さないと。
にいちゃんが背負っている余計な荷物、下ろしてあげないと。
ボクは大丈夫だよって、伝えるんだ。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:死にたがりのスアルタウ
「お前はどこに行くんだ。ずっと夢の中にいるつもりか?」
それは無理なんだろ?
ずっとここにいたら、溶けて消えちゃうんだろ?
今は大丈夫でも、いつか大丈夫じゃなくなる。だから一緒に帰ろう。
そう誘ったが――。
「ボクはもう死んでるから」
「帰るんだよ。一緒に」
「にいちゃんと一緒には行けないよ」
「…………」
何を言ってる。
お前はまだ死んでない。僕と同じで魂は生きている。
困惑し、マーリンに声をかける。
アルが変なことを言っている、と助けを求める。
「やっと再会できたのに、一緒に行けないって――」
「フェルグス君とスアルタウ君は、違うんだよ」
「何が……! 同じだろ!!?」
「キミは死の淵で何とか踏みとどまっている。帰るべき肉体がまだある」
新しい身体を作るうえで、まだかろうじて生きている細胞をヴィオラ姉さんが確保したらしい。それを使って僕を復活させるつもりらしい。
でも、アルはそれがない。
新しい身体を作ったとしても、そこに魂を定着させるためのものがない。
「フェルグス君の肉体は死を迎えている。けど、全ての細胞が死滅したわけじゃない。交国も力を貸してくれているから、キミは何とか生き残れるかもしれないけど、スアルタウ君の方は――」
「なんだよ、それ」
そんなバカな話があるか。
やっと再会できたんだ。
やっと見つけた希望なんだ。
アルは僕を庇って死んだんだ。
僕が、死ぬべきだったのに――。
「とにかく……! アル、一緒に帰ろう! 兄ちゃんと一緒に来るんだ!」
アルの手を掴もうとしたが、何も掴めなかった。
アルが川の方へ後ずさり、首を横に振った。
「ダメだよ。ボク、にいちゃんと一緒にはいられないの」
「なんで? なんでお前、そんな平気そうな顔してるんだよ!?」
死ぬんだぞ。
もう、一緒にいられなくなるんだぞ。
怖いはずだ。本当は。
だって、僕だって――。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:兄が大好きなスアルタウ
「なんで? なんでお前……そんな平気そうな顔してるんだよ!?」
「へへっ……」
大丈夫。
「ボクも、強くなれたのかも」
大丈夫なんだ。
「ボク弱虫だったけど……少しは、にいちゃんみたいに強くなれたのかも?」
大丈夫じゃないとダメなんだ。
にいちゃんに心配かけちゃ、ダメだもん。
大丈夫って言い続けていれば、きっと大丈夫になる。
そうだよね。
ラートさんみたいに笑顔で「大丈夫」って言えば、それが本当になるから――。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:死にたがりのスアルタウ
「弱っちいボクが大丈夫なんだから、にいちゃんも平気だよね?」
何でそんなこと言うんだ。
お前は弱くない。弱くないけど――。
「にいちゃんは、ボクよりずっと強いから大丈夫――」
「大丈夫なわけないだろ!?」
後ずさるアルに駆け寄り、膝をついて肩を掴む。
「ここでお別れなんて、僕は耐えられない!!」
「で、でもっ……」
「僕は!! お前みたいにっ…………強く、ないんだ」
本当に強いのはアルだ。
僕は、アルみたいにはなれなかった。
僕は僕に過ぎなかった。どう足掻いてもアルの代わりにはなれなかった。
アルみたいに物分かり良くなれない。大人になれない。
僕がアルだったら、笑顔で「大丈夫」なんて言えない。
絶対……耐えられず、泣いてしまう。
「僕は、お前に褒められるような出来た兄ちゃんじゃないんだよ……」
「そんなことないもんっ!」
「そんなことあるんだよっ!」
僕はスアルタウの兄ちゃんだ。
僕の方が大人で、身体も大きい。
でも、本当に強い兄ちゃんじゃないんだ。だって――。
「僕は、涙の一滴すら……ガマンできない……」
滲む視界で、アルを見つめる。
でも、どれだけ見ても、アルはちっとも泣いてなくて――。
「僕はお前と別れることなんて、納得できない!!」
7年前からそうだった。
アルを失った痛みに耐えられなかった。
仕方なかったなんて、割り切れなかった。
「僕は……ぼくは! お前みたいにっ……強く、ないんだよぉっ……!」
「に、にいちゃん……」
「弱っちくて、情けない兄ちゃんなんだよっ……」
「そんなことない……。そんなことないもんっ!!」
アルに押される。突き飛ばさない程度の力で押され、離れてしまった。
「にいちゃんは強いもん!!」
「ぁ…………アル」
「ボク、ずっとにいちゃんに助けられてきた。にいちゃんがいなかったら、ボク、自分で……。自分で命を断って、嫌なことから逃げてた!!」
言葉に詰まる。
アルが思い詰めていたのは、わかった。今はわかる。
ずっと父さんと母さんの事を抱えていた。苦しい想いをしていた。
それは、わかっていたけど――。
「僕がいなくても、お前は……きっと大丈夫だった。強い子だから――」
「違うもんっ! にいちゃんがいてくれたからだよっ!!」
「…………」
「つらくて、こわくて、どうすればいいかわからない時、にいちゃんが傍にいてくれた! だからボク、何とか耐えられたんだよ。ひとりぼっちじゃ、無かったから……」
アルは真っ直ぐな瞳でボクを見つつ、さらに言葉を続けた。
涙1つ流さず、しっかりした表情で言葉を続けた。
「ボク、昔より強くなったよ。けど……それは、にいちゃんがいてくれたからだよ。ボクはずっと、にいちゃんに助けられてきたんだ」
「…………」
「だからね? ボク、大丈夫だよ」
そう言って、アルは再び笑顔を浮かべた。
さっぱりとした表情で笑った。
僕はそんな顔で笑えない。
死ぬんだぞ。
もう会えないんだぞ。
何で笑えるんだよ。
何で、無理して笑ってるんだよ。
「何か……何か方法はないのか!? アルの魂は生きているんだろ!?」
色々知っている様子のマーリンに問いかけたものの、ゆっくり歩いてきていた夢葬の魔神が遮ってきた。「スアルタウ君は死ぬしかない」と言ってきた。
「生きて現に戻れる可能性があるのは、貴方だけ」
「じゃあ、僕の身体を――」
「貴方の新しい身体にスアルタウ君の魂が定着する可能性は無い。……けど、」
「方法があるなら――」
「スアルタウ君をこのまま死なせれば、再会の可能性はある」
夢葬の魔神はそんな事を言ってきた。
死んだら再会できないんじゃ――。
「死ねば、スアルタウ君は<根の国>に辿り着く可能性が高い」
「ネノクニ……?」
「人工的に創られた『死後の世界』よ」
ずっと昔、<守要の魔神>と呼ばれる魔神が1つの世界を創った。
その<根の国>は現実に存在する世界らしい。
多次元世界の根っこに存在するらしいけど……普通とは違う世界らしい。死んだはずの人々が流れ着く世界だと、夢葬の魔神は言った。
「<根の国>には源の魔神が遺した<転生機構>というものの完成品があってね。死者の魂の多くがそこで拾い上げられ、蘇生されているの」
「アルがそこに辿り着けば、生き返る……?」
「ええ。転生機構によって新しい肉体を得て、蘇るの」
淡々と説明してくれた夢葬の魔神から、アルに視線を戻す。
アルはしっかり胸を張って、「大丈夫って言ったでしょ」と言った。
「ただ、根の国は時の流れが大きく乱れている場所でね。スアルタウ君がいつ、根の国に辿り着いて蘇生されるかはわからない。1年先かもしれないし、何千年も先の話になるかもしれない」
「「…………」」
「通常、死した魂は意識を失う。スアルタウ君にとって死と転生の間の時間は一瞬の出来事になるでしょうけど……フェルグス君にとっては遠い未来の出来事になるかもしれない」
「アルが根の国で復活したら、直ぐに向かえばいいんですね? いや、僕が根の国に行けばいいんだ! そこで待ち続けていればいつか――」
「それは難しいかな。現状、根の国は鎖国状態だから」
そう教えてくれたのはマーリンだった。
根の国は多次元世界に存在する世界の1つだけど、普通の世界とは色々と事情が違うらしい。渡航すら困難な場所にあるうえに、界外の者を拒んでいるらしい。
界外の者でも、<転生機構>ってものを通してやってくる人なら受け入れられているみたいだけど――。
「でも多分、鎖国はいつか終わる。それがどれだけ先の話になるか……どういう形かはわからないけど、キミ達はいつか再会できるよ。きっとね」
「そうか……。そうか!」
まだ終わりじゃない。
僕らには、まだ先がある。
「フェルグス君の魂は親御さんがアレコレやっていた影響で頑丈だから、寿命の心配はしなくていいよ。不死身じゃないから、命は大事にしなきゃダメだけど」
「いっそのこと、いま死ねばアルと同じ世界で復活して――」
「絶対だめ!!」
死んで一緒に逝く案は、アルに却下された。
アルはとても怒った様子で僕を止めてきた。
「死んじゃダメっ! にいちゃんは生きるのっ!!」
「で、でも……」
「ヴィオラ姉ちゃん達ががんばってるのに、そのがんばりをムダにしちゃうのは絶対ダメだよっ! いま死んだら、姉ちゃん達が泣いちゃうでしょ!?」
「じゃ……じゃあ、ちゃんとお別れした後なら――」
「それもダメっ! ちゃんと……ちゃんと生きてくれないと、ボク、にいちゃんのこと許さないからっ! は……話しかけられても、無視するからっ……!」
「そんな……。いや、でも…………寂しい、だろ?」
いつか再会できるとしても、寂しいよ。
希望が残っているとしても、寂しいものは寂しいよ。
「長い間、お前に会えないのガマンしなきゃいけないのは……寂しいよ」
「それは……」
「お前だって、寂しいだろ?」
「さびしくないよ」
「うそつけ。さ……寂しいくせにっ……」
何で強がるんだ。
お前は強いよ。強くなったよ。
でも、不安なものは不安だろ?
さびしいだろ? ……兄ちゃんのこと、嫌いになったわけじゃないだろ……?
「ボク、楽しみにしてるからっ! にいちゃんとまた会える日のこと」
「アル……」
「また会えたら、またいっぱいお話しよっ! 一緒にいられなかった時のこと、いっぱい教えて。……7年間のこと教えてくれたみたいに、いっぱい!」
満面の笑みを浮かべたアルが、僕の手を取ってくれた。
ギュッと握ってくれた。……元気づけるように。
「今度会った時は、ボクもいっぱいお話できるよう……色んな想い出作っておく! いっぱい友達作って、にいちゃんに紹介するっ!」
「…………。やっぱ、アルは強いなぁ……」
にいちゃんの負けだ。
そう告げると、アルは照れくさそうに笑った。
僕らは別れる事になった。
どれだけ先になるか、わからない。
けど、いつか再会できると信じて――。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:<夢想の魔神>の使徒・マーリン
「じゃあ、行こっか」
フェルグス君だけを連れ、夢の出口に向かう。
元来た道を通り、出口へ向かう。
スアルタウ君とオジ様は夢葬の魔神と丘に残った。スアルタウ君は元気に手を振ってフェルグス君を見送ってくれている。
「…………」
「マーリン? どうかしたのか?」
「いや。ちょっとね。昔を懐かしんでいただけ」
昔、友達に見送られた事を思い出していただけ。
仕事中なのに浸るのは良くないな、と思い直す。
フェルグス君は名残惜しそうにしていたけど、帰路についてくれた。
「……なあ、マーリン」
「なぁに?」
「ここは夢の中なんだよな? ここでの事は――」
「ハッキリとは覚えてられない。夢は夢として溶けていく」
<カヴン>の子らなんかは府月の記憶を持ち帰れるけど、フェルグス君は持ち帰れない。
弟と再会した事実すら、いずれ夢として消化される。
「けど、ここでの記憶が完全に消えるわけじゃない。夢の中の出来事だろうと、強い影響が残ることもある」
キミにとって、弟はそういう存在でしょう?
そう問いかけると、フェルグス君は静かに頷いた。
「さて……あそこが出口だ。あとはキミだけで行けるね?」
「ああ……」
「早く帰りな。皆が心配している」
現では今も生者達が足掻いている。
フェルグス・マクロイヒの魂は消えていない。
その事実に希望を抱き、足掻き続けている。
彼らの戦いを終わらせ、安堵させる事はキミにしか出来ない。だから早く帰りな――と促すと、フェルグス君が真っ直ぐこちらを見つめてきた。
「マーリン。ふたつ、頼みがある」
「断る。ボクは夢葬の魔神の使徒だ。現の事には干渉しない。対価があれば話は別だけど……今のキミに用意できる対価なんてない」
【占星術師】の身柄は、もうこちらで押さえている。
【詐欺師】がキミ達に遺し、英雄召喚のために使った<予言の書>も回収させてもらった。フェルグス君にはもう一切の交渉材料がない。
「マーリン達のルールはわかった。でも、話ぐらい聞いてくれ」
「う~ん……」
「マーリンとも、これでお別れなんだろ? 最後に話ぐらい聞いてくれよ」
「んも~……。仕方ないなぁ!」
話を聞くぐらいならいいでしょ?
夢葬の魔神は、現を大きく変える力を持っている。
マクロイヒ兄弟の悲劇を防ぐことだって、理屈のうえでは可能だった。
でも……ボクらはもう、何もかも救うのは諦めたんだ。
夢葬の魔神でも限界がある。大いなる力があっても、全てを救うのは不可能だから「現への過干渉は控える」という決まり事を作った。
けど、府月は現ではなく夢の中。
話を聞くぐらいなら、問題ないでしょ。
「まず1つ。……エレインをここで受け入れてもらう事は出来ないか?」
「出来ない。……オジ様はもう限界だし、府月にとっても異物だからね」
あの人は【詐欺師】が無理やり召喚した――いや、創造した贋作英雄。
本来、この世界には存在しない。いつか消える夢幻に過ぎない。
けど、ここなら安らかに逝けるはずだし……オジ様の「最後の願い」ぐらいは聞いてあげられるはずだ。
「さすがにボクらでも、オジ様を助けるのは無理。……で、もう1つの頼みは?」
「それは――」
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:夢葬の魔神
「フェルグス君、ちゃ~んと送ってきましたよっと」
「お疲れ様」
マーリンちゃんがフワフワ飛びながら戻って来た。
スアルタウ君が心配そうに「にいちゃん、ちゃんと生き返るかな」と呟いたので、その頭を撫でつつ、「きっと大丈夫よ」と告げる。
現で皆が頑張っているから、きっと大丈夫。もし大丈夫じゃなかった時は、フェルグス君も<根の国>に辿り着くでしょう。紆余曲折はあるかもしれないけどね。
「記憶とか、大丈夫かな?」
「それこそ心配しなくても大丈夫よ」
フェルグス君の脳は真白の魔神との戦闘で破壊されてしまったけど、記憶なら魂にも保存されている。多少の記憶障害はあるかもしれないけど、親しい人達や日常生活に必要な事は忘れないでしょう。
剣の師に教わった事も、残るはずよ。
ただ、残らないものもある。その件に関し、マーリンちゃんがスアルタウ君に「ここでの事は覚えてられないけどね」と告げた。
「2人が再会できたのも、あくまで夢の中の話として処理される。本当に会っていた記憶は残らない」
「うん……」
「でも、無意味ではないよ。7年前にちゃんとお別れできなかった悔いを、少しは取り除けたはずだよ。たとえ夢の中の出来事でもね」
府月での経験は、まったく記憶に残らないわけではない。
<カヴン>の子ではないフェルグス君でも、多少は記憶が残るはず。「夢を見た」というあやふやな記憶になるでしょうけど、無駄にはならないはずよ。
まだ不安そうにしているスアルタウ君の背を、マーリンちゃんが撫でた。
背中を撫でて――視線の向かう方向を誘導しつつ――言葉を続けた。
「……もうガマンしなくていいんだよ。フェルグス君は帰ったから」
「うんっ……」
スアルタウ君が鼻声を出しながら蹲る。
マーリンちゃんが小さな背を撫でるたび、小さな涙がポロポロとこぼれ始めた。
再会の望みはある。
それでもひとまず死ぬし、1人でまったく知らない場所に行く事を心配させたくなかったのでしょう。
無理して堰き止めていたものが、ポロポロとこぼれていく。
「にいちゃんと、会えて……よかった……!」
「うん」
肩を震わせて泣く少年に、マーリンちゃんは寄り添い続ける。
優しいけど、ひどい子。
でも……そうね。それは確かに約定違反ではない。
咎める言葉を飲み込み。目をつぶって2人の言葉に耳を傾ける。
オークの英雄さんもマーリンちゃんの意図に気づいたのか、ハッとしながら動いた。さりげなく、スアルタウ君の視界を塞ぐ位置に移動した。
「ラートさんも、ヴィオラ姉ちゃんも……ロッカ君もグローニャちゃんも……ぶじで、よかった……!」
「うん、そうだね。でもそれはキミが頑張ったおかげでもあるんだよ? キミが命懸けでフェルグス君達を守って、巫術も託したから――」
「ちがうよぉ……!」
声を震わせたスアルタウ君が、服の袖で目元を拭った。
けど、それだけではどうしようもなかった。
「にいちゃん達が無事なのは……にいちゃんたちが、がんばったからだよ」
「そうかなぁ」
「そうだよっ。ぼく、なにもしてない。なにも――」
「そう思ってんのは、お前だけだよっ!」
響いた声に、スアルタウ君がビクリと肩を振るわせた。
森の方を見せないように動いていたマーリンちゃんやオークの英雄さんが、スアルタウ君から距離を取る。そんな中、1人の青年が近づいてきた。
弟の言葉に反論しつつ、目を潤ませながらやってきた。
「お前は、おれの……俺のっ! 自慢の弟だっ!!」
「にいちゃ……?!」
「守ってくれただろ! 助けてくれただろ! お前の存在に、俺がどれだけ元気づけられていたか……! そんなお前が、何もしてないはずあるか! ばかっ!」
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:兄が大好きなスアルタウ
「な、なんでっ……」
にいちゃんがいる。
泣きそうになってるにいちゃんがいる。
急いで涙を拭う。……拭っても拭っても止まらない。
止めなきゃダメ。
泣いてるとこ、見られちゃダメ! ぜったいだめ!!
両目を覆う。それでも、涙は全然止まってくれなかった。
「マーリン、にいちゃん帰ったって……!」
「ごめんね~。ウソついた」
「なんでっ!? 干渉しないって、言ってたのにっ……!」
「それは現の話。ここは、夢の中だよ」
「ずるい、うそつきっ……! なんで、なんでっ! なんでっ……!」
「俺が頼んだんだ。マーリンに、ウソをついてくれって――」
にいちゃんの声が近づいてくる。
直ぐ傍にやってきて、ボクをギュッと抱きしめてきた。
「お前が無理して笑ってるから……一芝居打ってもらったんだよ」
「なんでっ……!」
「俺が『帰った』って聞いたら、お前が……油断してくれると思ったんだ。卑怯な手だけど、こんな形じゃないと……お前の本音を、引き出せないと思って……」
手を退けて、にいちゃんを見る。
にいちゃんも泣いているけど、泣きながら笑ってた。
「無理してると思ったら、当たってたな。……兄ちゃん相手に無理なんかしなくていいのに、お前ってヤツは、ほんと……」
「ムリなんかしてないもんっ……!」
「気を遣ってただろ? 俺を、心配させないように……」
「ちが……。ちがっ……!」
ちがわない。
にいちゃんを、心配させたくなかった。
いっぱいつらい事あったにいちゃんを、これ以上、傷つけたくなかった。
だから、ガマンしてたのに――。
「お前が考えてることなんて、お見通しだ」
「なんでっ……」
「そんなの、決まってるだろ」
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:弟が大好きなフェルグス
「俺が、お前の……兄ちゃんだからだよ」
良い兄ちゃんじゃない。
強い兄ちゃんじゃない。
でも、「そうなりたい」と思っているんだ。
お前のことが、大事だから――。
「父さんと母さんの時は、お前が不安がってること……気づいてやれなかった。だから、おれ……お前のこと、気をつけて見て――」
気づいたところで、救えるほど強くない。
俺は無力だ。
でも、弟に無理させたくないんだ。
「守ってやれなくて……ごめんなぁ……」
大事な弟なのに。
大事だって、わかっていたのに守れなかった。
守りたかったのに、守れなかった。
「でも、絶対……お前を見つけ出してみせる」
絶対見つけ出す。
お前がどこへ行っても、見つけてみせる。
「どれだけ時間がかかっても見つけ出す」
「…………」
「だから、信じて……待っててくれ」
そう告げると、アルは頷いてくれた。
俺は絶対、諦めない。
いつの日か必ず、お前を見つけ出してみせる。
「ぼくも、がんばる」
アルは俺に抱きつきながら、そう言ってくれた。
「にいちゃんが恥ずかしくないような、強い弟になってがんばるから……」
「お前は、どこに出しても恥ずかしくない弟だよ」
「もっと……もっと! 強くなるからっ……!」
「そうか。それも、楽しみだなぁ」
俺達はまた、離ればなれになる。
けど、存在していた事実は変わらない。
俺達が家族ってことも、変わらない。
今までと同じ。これからもずっと、俺達は――――。




