夢:夢中の種明かし
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:死にたがりのスアルタウ
「はい、到着っと」
「――――」
扉のようなものを潜ると、急に音と光が戻って来た。
周囲には珊瑚で作られたような木々が生い茂っている。森の中のようだけど……よく見ると、あちこちに廃墟が見える。
「ここは……?」
「ここは<府月>。ざっくり説明すると、夢の中にある異界だよ」
「……誰だ、キミは」
マーリンの声を使って、知らない誰かが喋っている。
猫耳の生えた女の子が、僕を見つめている。鍵のような形の大きな杖を持って、僕に対して微笑んでいる。……その口から、さっき聞いたマーリンの声が聞こえる。
「<府月>の事は覚えてなくても、ボクの事はわかるでしょう?」
「マーリン?」
「そうだよ~ん。これがボクの真の姿さ!」
「ウソだ。キミはほっそりしすぎだ。マーリンはもっとデブだったぞ」
僕がそう言うと、マーリンは杖を使って僕の頭を叩いてきた。
ごちん、という重い音と共に頭の中で火花が散る。痛みに呻いていると、自分の身体が治っている事に気づいた。
真白の魔神の攻撃で死んでいたはずなのに、全ての怪我が完治している……?
マーリンは僕の疑問を察したらしく、「現実の身体が何とかなったわけじゃないからね」と言ってきた。
「府月はあくまで夢の中。現実の身体はもう死んでるよ」
「死後の世界って事? つまり……ここが地獄なのか?」
「…………。死後の世界ではないよん」
マーリンはそう言い、府月について教えてくれた。
府月はマーリンが仕えている存在が作った場所であり、現実の世界とは違う。かといって死後の世界というわけでもない。
万人が訪れる事が出来る夢の世界であり、僕も何度かここに来た事があるらしい。ただ、普通の人間はここでの記憶を現実に持ち帰れないんだとか。
「……なんで僕をここに?」
「キミを生かすためだよ」
マーリンは杖を「くるり」と手中で回しつつ、「生かせると決まったわけじゃないけどね」と言った。
「府月には『魂を閉じ込める力』があるんだ。死にかけのキミの魂をここに誘えば、魂の死を引き延ばす事ができる」
「それが出来たとしても、肉体が駄目になっているから――」
「肉体は、ヴィオラちゃん達が何とかしようとしている」
ヴィオラ姉さん達は今も足掻いてくれているらしい。
交国の設備を作り、僕の新しい身体を作ろうとしているらしい。
ヴィオラ姉さん自身は最悪の場合、自分の身体を犠牲にしてでも僕を現に繋ぎ止めようとしているらしい。……ヴィオラ姉さんを犠牲にしてまで生きたくないな。
「本来、どう足掻いてもキミは死ぬところだけど――」
「魂を延命している間に新しい身体を作れば、死なずに済む……?」
「そういう事! 新しい身体に魂が定着するかは博打になるけど、ヴィオラちゃん達は必死に頑張っている。向こうの準備が整うまでは府月で魂を匿ってあげる」
マーリンが「実は猫系獣人だった」という時点で混乱しているのに、今更助かるかもと言われても……どう受け止めればいいのか。
ただ、マーリンも僕を助けようとしてくれているんだろう。
その事に礼を言いつつ、「無理しなくていいよ」と告げる。
「僕はもう、命を使い切ったんだ。こんな事して延命なんて――」
「キミの自殺なんて手伝わないからね」
「…………」
「キミは生き残った事に負い目を抱き続けていた。でも、自ら命を断ってしまえば、弟の頑張りを無駄にしてしまう。だから……誰かのために命を使う事で一種の自殺をしようとしていたんでしょ? 死にたがり君」
「…………」
「キミがいなくなったら傷つく人達もいるんだから、その人達の頑張りを無駄にするのは不義理だと思うよ。……とりあえず、もうちょっと生きてみたら?」
杖に寄りかかりつつ、マーリンはそう言った。
その声色は子供を諭すようなものだった。
「…………なんで放っておいてくれないんだよ」
「色々とねぇ……事情があるのさ」
「そもそも……キミは何者なんだ」
「質問が多いなぁ」
マーリンはボヤき、肩をすくめて「細かい事はいいじゃん」と言い、さらに言葉を続けてきた。言っても意味はないと言って来た。
「キミは府月の記憶を持ち帰れない。ここで何を話しても、現に戻ったら忘れちゃうんだよ。あくまで夢の中の出来事として処理されるからね」
「でも、今は覚えている。今は聞こえている」
知ってる事を教えてくれ。
そうじゃなきゃ、ここから追い出されるまで聞き続けるぞ。
そう言うと、マーリンは嫌そうな顔をしつつも「仕方ない」と言ってくれた。
「まあ、知らない人に助けられても『何で?』って疑いたくなるよね」
「知らない仲じゃないだろ。キミはマーリンなんだろ? ずっと一緒にいたじゃないか。皆には見えてなかったけど……いや、そもそも何で僕とアル、あとエレインにしか見えてなかったんだ?」
「質問を増やさないでよ! んも~~~~っ……!」
マーリンは面倒くさそうに天を仰いだ後、親指で自分の後ろを指さしながら「歩きながら話そう」と言ってきた。
「キミには、ボクの主に会ってほしいからね」
「その主っていうのは――」
「<夢葬の魔神>だよ。ボクはあの御方の使徒なんだ」
魔神には良い想い出がない。
ついさっきまで苦しめられていたところなので身構えると、マーリンは歩き出しながら「悪い人じゃないから警戒しなくていいよ」と言った。
その背を小走りで追いかけ、横を歩く。
森の中にある壊れた石畳の上を歩いて行く。
「ボクらは<プレイヤー>って奴らが大嫌いでね。現への干渉は控えているけど、そいつらは積極的に狩っているの」
マーリン曰く、僕らを襲ってきた占星術師もプレイヤーらしい。
あの人が今回の一件に絡んでいた。マーリンはずっと前からあの人を狩るために網を張っていたらしい。僕らと行動を共にしつつ――。
「関係無い人に夢葬の魔神の使徒の姿が見えたら、プレイヤーに警戒される。だから僕の姿は殆どの人に見えないようになっているんだよ」
「何で僕らには姿を見せてくれたんだ?」
「…………。暇だったからだよ」
マーリンは僕から目を逸らしつつ、そう言った。
適当なことを言って誤魔化したように聞こえた。
ただ、悪意はない様子だったから、深掘りしない事にした。
僕らはマーリンに危害を加えられたわけじゃない。むしろ助けられていた。
家族と離ればなれになって心細い状況で、デブだけど可愛いマーリンの姿には何度も慰められてきた。マーリンは確かに僕らの心の支えになってくれていた。
でも――。
「事情があったなら、もっと早く教えてくれれば良かったのに」
「あんまり教えたら現への過干渉になっちゃうんだよ~」
「僕とアルが見えないネコと戯れている子供扱いされちゃうじゃないか」
「まあまあ……。キミ達は過酷な環境に置かれていたんだから、救いを求めて幻を見てもおかしくないよ。幼子が幻と話していても、皆そこまで気にしてないよ」
「今の僕は幼子じゃないんだけど」
「気にしない気にしない」
「多分、<エデン>の皆に『幻覚と話してる』って思われてるんだけど」
「ボクは気にしない気にしない」
お前ふざけんなと追い回すと、マーリンが「やば、道に迷った」と言いだした。
不思議な木々の間を進み、何とか元の道に戻って来た後、マーリンは髪の毛を整えながら「まあつまりボクはキミを利用してたんだよ」と言った。
「【占星術師】はキミを殺そうとしていた。それがわかっていたのにボクは何の情報も渡さず、キミを餌として利用してたワケ。現に戻ったらこの話も忘れちゃうから、今が怒り時だよ~?」
「まあいいよ。全部過ぎた事だし、マーリンの存在に癒やされていたのは確かなんだ。……キミがいてくれないと、僕は潰れていたかもしれない」
それこそ、レオナールみたいになっていたかもしれない。
心が壊れて、色んなものを壊そうとしていたかもしれない。
そうならずに済んだのはマーリンがいてくれたおかげでもある。その事に関し、改めて礼を言うとマーリンは少し表情を歪めて唸った。
「非難されるより、お礼を言われる方が困るよ」
「そう? 僕は気にしないよ。とにかくありがとう。傍で見守ってくれて」
そう言うと、マーリンはバツが悪そうな表情を浮かべたまま黙った。
理解が追いつかない状況だけど、少しだけわかった。
「僕の魂を府月で匿ってくれるのは、その……プレイヤー? って人を捕まえるうえで、僕を囮にしていたお礼って事かな?」
「うん、まあ、そういう理由もある」
そのプレイヤーさんはどこに行ったのか聞いたものの、マーリンは「それは教えてあげない」と言ってきた。
「他の理由もあるけど、それに関しては――。あっ、オジ様~!」
「あ……」
マーリンが手を振った方向に、僕もよく知るオークの姿があった。
エレインが瓦礫に腰掛け、森の一角にある大きな廃墟を眺めていた。……その瞳はサングラスに隠されていたけど、どこか寂しげな表情に見えた。
マーリンに呼ばれたエレインは片手を上げて応じつつ、ゆっくりと立ち上がった。僕とマーリンはエレインのところに駆け寄った。
「オジ様。まだ歩けそう?」
『うむ、問題ない』
「……まだここにいたい?」
『いや……いい。ここに座っていたところで、何も変わらんからな』
「そっか」
2人の会話を黙って聞いていると、エレインが僕に手を伸ばしてきた。
大きな手が僕を撫でてきたので、思わずビックリする。……エレインは実体がないから僕に触れないはずなのに府月だと触れるようだ。
『兄弟。真白の魔神討伐、よく頑張った。……私はお前を誇りに思う』
「真白の魔神にトドメを刺してくれたのは、エレインだ」
7年前、ネウロンから逃げる時にエレインは僕の身体で戦ってくれた。
あの時と同じように、僕の身体を使って戦ってもらった。向こうは魂が観えたところで、エレインの事は認識出来なかったみたいで……エレインの不意打ちは上手く決まった。
記憶と自我を消されたはずのバフォメットが手助けしてくれたおかげでもあるけど、真白の魔神を倒したのはエレインだ。その礼をちゃんと言えてなかったから、「ありがとう」と言って握手を求める。
「エレインも、ずっと傍で助けてくれてありがとう。マーリンだけじゃなくて……エレインや皆がいなければ……僕はここまで戦えなかった」
『皆の助力があったのは、お前が今まで皆を救ってきたおかげだ。善因ゆえの善果だよ、兄弟』
「いやいや……。エレインには救われっぱなしじゃないか」
エレインに関しては、まったく救えてない。
助けてもらってばっかりだった。
それなのにエレインは笑って、「私はもう救われている」なんて言って来た。
そんな事ないと言おうとしたけど、マーリンが「オジ様の言う事を信じなよ」と口を挟んできた。……そういえば「オジ様」ってなんだ?
「マーリン、エレインとはずっと会話してたのか? 僕の知らないとこで」
「いいや? オジ様に『おい、マーリン』『お前、あのマーリンだろう?』と聞かれても『にゃぁん』と鳴いてただけだよ?」
どういう意味かわからず、戸惑う。
エレイン曰く、エレインの原典となった人がマーリンに似た人物を知っていたらしい。マーリンも一応面識があるから、気安く「オジ様」と呼んでいるそうだ。
エレインはマーリンを「普通のネコではない」と察していたらしい。マーリン本人がずっとネコのフリをしているから、「何か考えがあるのだろう」と思い、マーリンの都合を尊重していたそうだ。
その事で謝られたけど、何の支障もなかったから良かっただろう。……いや、マーリンが他の人に見えない事は早く教えてほしかったけど……!!
その件に関しては水に流すとして――。
「エレイン、身体は……大丈夫なのか?」
エレインはずっと前から消耗していた。
いつか消える存在だと言っていた。
真白の魔神に勝つために無理をさせたから、余計に消滅に近づいたはずだ。
その件について聞くと、エレインは――今日の夕食を言うような口調で――答えてくれた。「もう消滅する」と言った。
血の気が引く。かける言葉に迷っていると、エレインはまた僕の頭を撫でてきた。愉快そうに笑いながら「気にするな」と言ってきた。
『今のところは大丈夫だ。府月なら、しばらくは消えずに済む』
「そうそう。ウチの王様のおかげだからね~? キミ達がろくに言葉を交わせずお別れせずに済むのは。感謝してよ~?」
「ごめん、エレイン……。僕が頼り過ぎたから――」
『頼ってもらうために傍にいたのだ。本望だよ、兄弟』
マーリンが府月に連れてきてくれたおかげで、最後の言葉を交わせた。
でも、府月に連れてこられた所為で、余計に熱いものがこみ上げてきた。
言葉とは別のものがあふれ出てくるのを堪え、改めて礼を言う。
言うべき言葉を言えないまま別れるのはつらいと、わかっているから――。
□title:府月・遺都<サングリア>88丁目
□from:贋作英雄
『…………』
ろくに喋れなくなっている兄弟の肩を抱く。
私に対し、無理をする必要はない。
私は所詮、夢幻の存在。
別の多次元世界にいた英雄の贋物だ。
私はここで終わりでいい。望みは、叶った。
ただ、兄弟の人生はこの先も続いていく。
『マーリン。ここでの事が終わったら、兄弟をしっかり現に戻してくれ』
「送り届けるけど、蘇生まではさすがに請け負わないよ。あくまで【占星術師】捕縛のお礼として、一時的に魂を匿っているだけだからね」
あとは運次第だ、と言われた。
きっと大丈夫だ。
彼女達が上手くやってくれるだろう。
兄弟は1人ではない。頼りになる人々に囲まれている。
『さて……そろそろ行こう。マーリンの主が待っているのだろう?』
落ち着いてくれた兄弟の背に手を回し、マーリンに先導を任せる。
ずっとしょぼくれた顔をしていたら、少々マズい事になるはずだ。
この先で待っているのは、マーリンの主との謁見だけではない。
府月は魂を留めておく力を持っている。
そのおかげで兄弟は命を繋いでいる。
府月にいる事で、死の重力に何とか逆らえている。という事は――。
「はいはい、こっちだよ~」
先を行くマーリンについていく。
丘を越えると、川があった。そのほとりに女性の姿があった。
「あそこにいるのがボクの主、<夢葬の魔神>様だよ」
『…………』
遠くに見える人影が、こちらに向けて小さく手を振ってきた。
その姿に息を飲みつつも会釈する。
マーリンはいち早く主に近づいていき、気安い様子で「魔王様、ただいま戻りました~」と声をかけた。夢葬の魔神は満足そうに微笑み、頷いた。
「――――」
兄弟も彼女の方を見て、息を飲んでいた。
ただ、兄弟のそれは私とは理由が違った。
川のほとりにいたのは、夢葬の魔神だけではなかった。
彼女の背に、四つ葉型の植毛が生えた少年が隠れていた。
7年前から匿ってくれていたのだろう。
あの御方が、ずっと……。




