過去:「だって、お腹がすいてたから」 前編
■title:交国領<ゲットー>にて
■from:エデンの生き残り・ナルジス
「この子はこっちで診ておくよ。ナルジスも休んできなさい」
「大丈夫、私、まだ……」
そう言ったものの、ふらついて壁に手をつく。
言わんこっちゃないと言われ、手を引かれ、椅子のところに連れて行ってもらった。座ると直ぐに缶詰に入った食事が運ばれてきた。
久しぶりのちゃんとした食事にツバを飲み込む……という事は出来なかった。
飲み込むツバすらまともに出てこない中、「先にスープから食べなさい」と促され、胃の中に食べものを入れていく。
乾燥した土に水が染み渡っていくように、スープの温かさが身体を内側から温めていく。
その温かさに追い出されるように目から涙がこぼれそうな感覚がした。感覚がしただけで、実際には出てこなかった。涙すらまともに出せない状態みたい。
「大変だったな……。すまなかった、1人で別の農園に行かせて……」
「心配してたんだぞ」
「わた、しも……。エデンの、皆……どこにも……いないかと思って……」
ゲットーが大変な事になって、レオナール君を連れて2人で逃げ始めてからも……エデンの皆を探していた。
カトーオジさんが交国政府と交渉してくれたおかげで、私達は平和な世界で――ゲットーで暮らせるようになった。
その平和は壊れてしまったけど、「きっとエデンの皆も生きている」と祈りながら逃げていると、皆と再会できた。
ゲットーに長い冬が訪れて……ここに住んでいる人達と、交国の駐留軍の戦いが始まった事で、皆も大変だったみたい。
都市から離れた場所にある農園に隠れ潜む事で、何とか生き残ってくれていた。隠れている農園から偵察を出した時、私とレオナール君を見つけてくれたらしい。
皆に助けてもらったおかげで、私もレオ君も生きている。
レオ君は――この寒さとろくに食事が出来ていなかった事と、お母さんの事があったから――傷ついてしまっている。
生きているから、きっとまた元気になってくれるはず。……身体が元気になっても、心は直ぐにはどうしようもないだろうけど……それでも希望はあるはず。
生きていれば、きっと――。
「冬が終わるまでここに隠れていたら、きっと……助かるよね……?」
「いや、もう戦うしかない」
そう言ったのはオオバコさんだった。
元エデンの人間として、ゲットーにやってきたオオバコさんは配達の仕事をしていた。その仕事のおかげで、農園や冬越しのための物資を見つける事が出来たらしい。……オオバコさんが見つけたのは、それだけではなかった。
ゲットー中で、交国軍が住民を苦しめている。
厳しい冬がやってきたのに無茶な徴収を行って、自分達だけ生き残ろうとしている。そんな非道を許しちゃいけない――とオオバコさんは言った。
許しちゃいけないからこそ、偵察を出していたらしい。
交国軍と戦うために――。
「だ……ダメだよ。戦ったら、皆、死んじゃうんだよっ……!?」
それに、交国軍ではオジさんも働いている。
オジさんは特佐だから、ゲットーとは別のところで働いているけど、私達が交国軍と戦ったらオジさんに迷惑がかかる。
「それに……勝てっこないよ。私達じゃ、交国軍には――」
「何を言う。私達は誇り高い<エデン>の人間だぞ。エデンの誇りを忘れたか?」
「いや、そもそも……戦っていたのは、ほとんど神器使いのオジさん達で――」
「交国は非道を働いている!! それを正すために、因果応報の代行者たる我々が立ち上がるべきなんだ!!」
オオバコさんが聞いた事も無い大声で怒鳴ると、他の皆も「そうだ!」と叫び、立ち上がった。皆、戦う気になっている。
エデンの皆も、全員無事だったわけではない。
飢え苦しんで死んだ人も、交国軍に殺された人もいた。オオバコさんが皆を助けるまでの間に、犠牲が出ていた。
死んでいった皆の仇を取るべきだ――と皆が主張していた。
「ナルジス。お前も手伝うんだぞ!!」
「他人事だと思うな。キミもエデンの一員なんだからな!?」
「養子にとってくれたニュクス総長への恩を、今こそ返すべきだ」
「わ……私は……」
戦うなんてダメだよ。
皆、殺されちゃう。
そう言うことすら出来なかった。
怒り狂っている大人の前で、縮こまる事しか出来なかった。
どうしようどうしようと戸惑っているうちに、皆はそれぞれの持ち場に戻っていった。戦いの準備に戻っていった。
ここには銃火器だけじゃなくて、機兵もあるらしい。
旧型とはいえ、それなりに戦える機兵もあるらしい。
なんで、そんなものがあるの?
その答えは、直ぐにわかった。
「交国軍への宣戦布告は?」
「完了した。カトーの名を使っておいた。これで奴が蜂起を扇動している事になる。交国政府が素直に信じるとは思えんが――」
「多少、揺さぶりをかけられるだけで十分だ。無能なカトーは特佐としての信頼を失っている。あえて鵜呑みにし、処分の口実にするかもしれん」
「まあ、なんでもいい。役立たずの総長代行にも、少しは活躍してもらわないと」
夜。
農園の一室で、オオバコさん達が話をしていた。
こそこそと、変なことを話していた。
交国軍と戦おうとしている皆を止めるために、年長者のオオバコさんを説得しにいったものの……説得が絶対不可能だとわかった。
ここに銃火器や機兵を隠しておいたのは、オオバコさん。
密かに運び込んで、ゲットー住民の蜂起を扇動したのもオオバコさん。正確には、オオバコさんが所属している組織が動いていた。
組織は、エデンとはまったく別の組織だった。
「ゲットーの蜂起は十分に過熱している。そろそろ俺達はズラかっても……」
「まだダメだ。プレーローマからの撤退指示は出ていない」
「オレ達を…………切り捨てるつもりじゃないよな?」
「…………。そんなわけがないだろ? 俺達はしっかり仕事をしている。馬鹿な住民を扇動し、馬鹿なエデン構成員も煽って……交国の拠点の1つであるゲットーに大打撃を与える事に成功した。このまま任務をしっかり果たせば、プレーローマへの移住権を手に入れられる」
「でも、マーレハイトの時はダメだったじゃないか」
「アレはカトーとファイアスターターのクソ野郎共が生き残ったからだ。奴らがあそこで死んでおけば作戦は大成功だったのに……。奴らの所為でケチがついちまっただけだ」
「…………」
「とにかく、今度こそ任務をカンペキにこなそう。オレ達はエデンと心中するためにエデンに入ったわけじゃない。プレーローマのために……自分達の未来のために、潜り込んだだけで――――誰だッ!!?」
「…………!!?」
盗み聞きしているのがバレた。
急いで逃げた。大変な話を聞いてしまった。
オオバコさん達は、プレーローマの工作員だった。
ずっと前から、紛れ込まれていたんだ。
エデンが解散した後も、エデンを使って騒動を起こそうとしている。
オジさんの存在も、利用しようとしている。マーレハイトでも、いまここでも、ずっとプレーローマが動いていたんだ……!
気づいた時にはもう、私は農園を飛び出していた。
レオナール君を抱っこし、必死に逃げていた。
ここにいたら殺されてしまう。
それに、真実が葬られてしまう。
「ナルジス、ねえちゃ……」
「逃げよう……! 逃げて、誰かに知らせないと――」
オオバコさん達に見つかったら、口封じに殺される。
だから私はレオナール君だけ連れて逃げた。……エデンの誰が裏切り者かわからないから、レオナール君だけ連れて――。
「ねえちゃん、あれ、なに……?」
「――――」
オオバコさん達は追ってこなかった。
農園に交国軍の機兵が降り立ち、戦闘が始まった。
エデン側でも機兵を起動させ、応戦しようとしていたけど……簡単にやられた。オオバコさん達はあっさり鎮圧されていった。
■title:交国領<ゲットー>にて
■from:エデンの生き残り・ナルジス
「…………」
オオバコさん達が、あの後、どうなったかわからない。
私は……怖くて、逃げちゃったから……。
プレーローマに扇動された「エデンの生き残りによる蜂起」は、完全に始まる前に潰された。けど、それで終わりにはならなかった。
ゲットーで燃え上がり始めた怨嗟の炎は、燃え続けている。
交国軍の増援がやってきた事で交国軍側が圧倒的に優勢になったみたいだけど……それでも終わらない。反交国側の勝ち目が完全になくなったのに、戦いは終わらない。
死んだ人は帰ってこない。
苦しんだ事実は変わらない。
憎しみの炎は燃え続けている。
私とレオナール君は、交国軍の人達に拾ってもらった。
蜂起に参加していると思われたから、「投降」という形になったけど――。
「あの中に、何人の人食いがいるのかね」
「そういう事を言うな。仮に……そうだとしても、ゲットーがここまで悲惨な状況である以上、それ自体は――」
私とレオナール君。そして、私達以外にも「投降」してきたゲットー住民を受け入れてくれた交国軍の人達の中には、私達を化け物みたいに見る人もいた。
私も、化け物に見えているのかな。
私も……交国軍の人達を、化け物だと思う気持ちがある。
誰が敵で、誰が味方なのかわからない。
ゲットーの混乱を扇動したのは、多分、オオバコさん達のようなプレーローマの工作員。でも、交国の人達も……人を殺している。
レオ君のお母さんを……レミさん達を殺したのは、交国だ。
交国が無茶な徴収を行わなければ、ここまで酷い事には――。
「…………」
恨むのも、憎むのも疲れた。
この感情に身を任せていたら、きっと、もっと酷い事になる。
誰が敵で、誰が味方なのかわからない。
けど……この流れを断ちきらないと。
これ以上、問題を大きくしないために……誰かを信じないと。
私は弱い。けど、出来ることはあるはず。
私が見聞きした事を打ち明けよう。
交国の中でも、しっかりした立場の人に打ち明ければ、きっと――。
「あ……あのっ……。特佐さんに、お話したい事があるんです……!」
「特佐は多忙でな。話があるなら、代わりに聞くが――」
「どうしても、特佐に直接お話したいんです! お願いします……!」
信じよう。
信じて一歩踏み出そう。
必死にお願いした結果、特佐の部下の人が取り次ぐと約束してくれた。
「犬塚特佐は出撃中でな。帰ったら必ず、キミが話をしたがっている事を伝える」
「し……信じて、もらえるんですか?」
「当たり前だろう? 俺達も特佐も、キミ達のために……民衆のために戦っているんだ。守るべき相手を信じるのは当然のことだ」
軍人さんは胸を張ってそう言ってくれた。
信じて良かった。きっと、これで何か変わるはず。
私はお母さんやオジさんみたいに、多くの人を救うことは出来なかった。……エデンの人達を、誰が味方かわからないから全員見捨てた。
でも、これできっと――。
「――――」
パンッと乾いた音が響いた。
立て続けに響いた。
「え……?」
音がした場所には、レオ君がいた。
レオ君が銃の引き金を引いていた。
私に親切にしてくれた交国軍人さんの拳銃を奪って、軍人さんを撃ち殺した。




