過去:悪事の報い
■title:
■from:石守睦月
「お久しぶりです。お嬢様」
「その呼び方、いい加減やめない?」
<府月>ではちょくちょく会っているものの、現では久しぶりに会うお嬢様に「お嬢様」と言うと、少し嫌そうな顔をされた。
俺にとって、おやっさんの愛娘であるお嬢様はずっとお嬢様ですよ――と告げる。さすがに公的な場では他の呼び方をするけども。
「でも、こうして現で会えるようになって良かった」
「ムツキがやり遂げてくれたおかげだ」
「まだ道半ばですし、俺だけの力ではありませんよ」
交国の実権は握ったけど、交国を完全に掌握したわけではない。
流民のための真っ当な仕事作りはまだまだこれから。流民ばかりに注力する事も出来ない。交国や色んな国の人々にも気を配る必要がある。
可能な限り、多くの人が納得する環境を作る必要がある。……全員は不可能だとしても、妥協は許されない。
流民だけが救われても人類は変わらない。陸と海の境界を越えて手を取り合い、共に発展していくべきなんだ。
「それと、これを……。おやっさんの遺骨です」
「……ありがとう」
お嬢様に骨壺を渡す。
お嬢様は躊躇いながらも受け取った後、骨壺を抱きしめた。
玉帝の「説得」に成功した事で、俺達は交国でそれなりに自由に振る舞えるようになった。玉帝に取り入るために交国に持ち込んだおやっさんの遺体を取り戻す事にも成功した。
交国は遺体を解剖し、研究材料にしていた。おやっさんの遺体は原形が残っていなかったけど……火葬し、骨壺に収めてきた。
おやっさんは死んだ。殺された。
けど、せめて遺骨ぐらいはお嬢様に返したかった。
「父さんも……誇りに思ってくれている。ムツキは自慢の子だって」
「いや、俺は……! おやっさんの子供では……」
「でもムツキだって、父さんの事を父のように想ってくれていたでしょう?」
お嬢様は微笑み、「父さんもムツキを子のように想っていたよ」と言ってくれた。俺は……お嬢様を直視できず、目をそらしてしまった。
「ムツキの無実も、そろそろ証明できる。……ロレンスの皆にムツキは悪くなかったって、胸を張って言えるようになる」
「それはいいんですよ。もう」
「そうはいかないよ。ロレンスの皆を守ったムツキに、首領殺しの罪を着せたままなんて絶対に駄目だ」
おやっさんの死で、ロレンスは弱体化してしまった。
傘下組織も多くが離れてしまった。けど、未だにロレンスを立て直すために協力してくれている構成員も多くいる。
海賊組織の完全復活はもう無理だし、そもそも組織が復活する必要はない。新しい組織として……お嬢様が取り仕切る海運組織として新生していけばいい。
だから、俺の汚名もそのままでもいいんだけど……お嬢様は「そうはいかないよ」と言い、俺の無実の証明を行うつもりだと言った。
「ムツキは流民の皆に新しい可能性をもたらしてくれた。その事を評価してくれている直参幹部達の協力も得ているから、貴方は何の心配もしなくていい」
「……お嬢様」
再びお嬢様に向き直り、言葉を紡ぐ。
「おやっさんが死んだ後、お嬢様は府月経由で俺に会いに来てくれましたね」
「……うん」
「あの時、お嬢様は言った」
こう言った。
『貴方は父さんの遺体を見つけて回収しただけ。そうだよね?』
俺はそれに対し、「はい」と返した。
ただ、あの肯定は嘘だったんです――と明かす。
「あの時、俺が見つけたのは瀕死のおやっさんでした」
お嬢様は――俺に対して取り繕っていた表情を――堅くした。
俺がおやっさんを見つけた時、おやっさんはまだ死んでいなかった。
あの時はまだ意識があった。致命傷を負っていたけど、まだ生きていた。
でも、俺は「見つけたのは遺体だった」という嘘をついた。
「何故、俺が嘘をついたかわかりますか?」
「…………。わからない」
「…………」
「貴方は……父さんの、最期の言葉を聞いたわけだ」
「はい」
「…………あの人は、なんて言っていた?」
「もちろん、貴女の事を心配していました」
そう告げると、お嬢様の瞳が揺れた。
それ以外は言わなかったの、と聞いてきた。
その質問に答えず、俺は言葉を続けた。
「俺はおやっさんに『誰にやられたんですか』と聞きました」
「父さんは……なんて……」
「わからん。知らん。そう言っていました」
「――――」
「おやっさんは明らかに嘘をついていました」
意図的に下手人を隠していた。
おやっさんはカヴンの内部抗争に巻き込まれた。その陰には交国がいた。
ただ、おやっさんは他の組織にやられたわけじゃない。交国に殺されたわけでもない。両方との戦闘で負傷した様子だったけど、それは致命傷にはならなかった。
どちらも返り討ちにしていた。
「おやっさんは手練れの神器使いです。不意をつかれたとしても、そう簡単に負けるはずがない。<湖月の館>の夢弔の聖女や<デカローグファミリー>の掟の番人達ならともかく……」
百歩譲って前者だったとしたら、湖月の館の長である胡蝶様が俺を助けてくれたのはおかしい。胡蝶様がおやっさんを殺そうとするはずがない。
後者は事件当時、沈黙を守っていた。
ファミリーの傘下組織は動いていたけど、後に粛清されている。彼らがおやっさんの襲撃に参加していたのはデカローグの首領の命令ではなく、暴走だったらしい。……交国の誰かに扇動されていた節もあった。
そもそもデカローグの首領は交国まで来て俺の喉元に剣を突きつけ、「ロミオを殺したのは誰だ?」と問いかけてきた。
これは俺達の問題ですと訴えると、「沈黙を守るならキミの汚名もそそげないぞ」と言ってくれた。
それでもいいと言うと、溜息をついて帰っていった。納得はしていないようだったけど、こちらの話を聞いてくれたようだった。
「おやっさんは襲撃を撃退していました。多少、負傷していてもそれは致命傷ではなくて……疲弊はしていても生きていた」
「…………」
「でも、おやっさんは死んだ。直接の死因は心臓への銃弾でした」
それが致命傷になっていた。
しかも、その銃弾は正面から放たれたものだった。
……犯人はその辺の偽装を出来る立場にいたのに、していなかった。
おやっさんは、その銃弾を誰に撃たれたか知っていたはずだ。俺がおやっさんを見つけた時、おやっさんはまだ生きていたのだから。
だから、俺は誰の犯行か察してしまった。
「おやっさんは、自分を撃った人を庇っていました。最後の最期まで……」
「…………」
「挙げ句の果てには、『仇討ちなんて絶対に考えるな』って――」
「…………」
お嬢様は天を仰いでいた。
やがてポツリと呟いた。
「父さんは……なんで私を庇ったのかな」
「それは……!!」
荒らげそうになった声を飲み込む。
努めて静かな声色で話しかけることにした。
「貴女が……大事な娘だったからですよ」
「血も繋がっていないのに」
「血縁なんて関係ない。それはお嬢様だってわかっていたでしょう?」
信頼されている事もわかっていたはずだ。
おやっさんは遺言で、後の事をお嬢様に託していた。任せていた。
貴女を愛していた事は、普段の振る舞いから伝わっていたはずだ。
でも、それでも……お嬢様は――。
「……何で、おやっさんを撃ったんですか……」
「殺したかったから、殺したんだよ」
お嬢様は俺に背を向け、そう語った。
その顔をよく見ながら話しかけようとしたが、鼻水をすする音で踏みとどまった。正面からお嬢様を見る勇気が失せてしまった。
「首領を殺して、ムツキに罪を着せて……私が組織を乗っ取るつもりだった」
答えを聞くのが怖かった。
事件当時は問い詰められなかった。
「…………違うでしょう。お嬢様は、そんなこと考えてなかった」
「…………」
「貴女はあくまで、皆の事を考えていたんだ」
おやっさんもお嬢様も、目指すところは同じだったはずだ。
2人共、流民の未来を案じていた。
ただ、過程で致命的なすれ違いを起こしてしまったんだ。
「お嬢様はカヴン内部がきな臭くなった時点で……俺を遠ざけていた。おやっさんと同じく、俺を『巻き込むまい』と思って『来るな』と言っていた」
「…………」
「俺はお嬢様とおやっさんの忠告を聞かずに戻った。その結果、俺がおやっさん殺しの犯人にされたのは……お嬢様も予想外だったはずだ」
罪をなすりつけるつもりなら、「来るな」なんて言わなかったはずだ。
むしろ、「助けて」なんて言って呼び戻していたはずだ。
「…………違う、ムツキに罪をなすりつけようとしたんだ」
「嘘ですね」
「私が父さんを殺した。だから、『私がロミオ・ロレンスを殺した』と自白するだけで良かった。そうしなかった時点で、私は――」
「そんな事をしたら、ロレンスは弱体化するどころではなくなる」
もっと酷い事になっていたはずだ。
おやっさんはお嬢様を信頼して、色んな仕事を任せていた。ロレンスにとってお嬢様はとても重要な人材だった。
あくまで外様の人間として、時折関わるだけの俺と違って……お嬢様はロレンスの正式な一員だった。幹部だった。おやっさんが最も信頼していた右腕だった。
だからおやっさんは、お嬢様に後の事を託したんだ。
最後まで庇い続けたんだ。
「お嬢様が下手人として捕まって殺された場合、ロレンスは……いや、ロレンス構成員はもっと大変な目に遭っていた」
組織は今以上にバラバラになっていただろう。
ロレンスが守っていた人々は、今以上の不幸に見舞われていただろう。
今のように新組織を作る事も出来なかったはずだ。……悔しいけど、俺にはお嬢様のように皆をまとめ上げ、組織を改革していくだけの力はない。
所詮、俺は神器使い。ただの戦闘屋だ。
組織運営に携わっていたお嬢様のような専門家じゃない。
「皆の事を想っているお嬢様は、捕まるわけにはいかなかった」
だから自白なんて出来なかったんだ。
自白しようとするなら、俺は止めていた。
おやっさんが俺の立場なら、きっとそうしている。俺自身もお嬢様を命懸けで守りたいと思っていた。……今だってそうだ。
「お嬢様がおやっさんを殺したのは、仕方のない事だったんですよね?」
「……違う」
「貴女は止むなく、おやっさんを撃ってしまったんだ」
おやっさんは焦っていた。ずっと前から焦っていた。
流民を救いたいのに、救いきれない現状に焦っていた。
交国に縋ろうとしたものの、交国はロレンスを利用する事しか考えていなかった。……お嬢様の案を踏みにじった。結果、ロレンスと交国の関係は破綻した。
それで一層、おやっさんは思い詰めていった。
その結果――。
「おやっさんは、大きな戦争を起こそうとしていた。標的は後進世界だった」
最終的には人類連盟ともやり合うつもりだったんだろう。
おやっさんは戦争の準備をしていた。
まずは後進世界を襲い、流民のための土地を……世界を武力で手に入れようとしていた。多分、そこまでなら上手くいっただろう。
けど、力による現状変更は人類連盟が許さない。
自分達に対抗できるほどの勢力が育つのを、人類連盟の常任理事国は許さない。だからロレンスが後進世界を支配し始めた時点で動く。
ロレンスと人連加盟国の大戦争が始まっていたはずだ。
おやっさんだって、そうなる可能性はわかっていたはずだ。わかりきっていたはずだ。……それでも、おやっさんは大戦争に踏み切ろうとしていた。
それしかないと、思い詰めていたんだろう。
「お嬢様は、戦争に反対していた」
凄惨な戦争で国も民も失った元王女という過去も、その判断に強く影響していたんだろう。ただ、それだけではなかったはずだ。
お嬢様は「皆」の事を考えていたんだ。
おやっさんも「皆」の事を考えていた。
けど、2人共……過程が異なっていたんだ。
「おやっさんがやろうとしていた大戦争は、絶対に長引く。最初は勝てたとしても、勝ち続けられるとは限らない」
後進世界相手に勝てたとしても、人連加盟国相手の戦いは厳しいものになる。
ロレンスは大海賊組織だったが、所詮は犯罪組織だ。先進国相手に長年に渡って戦争を続けられるだけの体力は無かっただろう。勝つのは難しかったはずだ。
そう言うと、お嬢様は「父さんだってそれはわかってた」と言った。
「それでも……賭けに出るしか無いって……」
「…………」
「今までずっと耐えてきた。それでも駄目だった。だから……」
大戦争を起こそうとした。
おやっさんにはそれが出来るだけの力があった。
勝てるかどうかはともかく……。
「父さんは、皆を救おうとしていたの。流民の皆を救うためには、もう賭けに出るしかないって……」
「お嬢様は戦争には反対していたんですね。……犠牲が大きすぎるから」
お嬢様は俺に背を向けたまま頷いた。
最終的な勝利者になれるか怪しい戦争。
戦争が起きる時点で、誰かが死ぬ。その誰かは敵味方双方から出る事になるだろう。……大きな戦争になると、死傷者はとてつもない数になるだろう。
「戦争になったら、弱い人から死んでいく。流民だけじゃない。陸の人達も……何の罪もない人が大勢死ぬ事になる」
「…………」
「父さんは『犠牲が出るのは仕方ない』と言っていた。けど、私は……それに納得できなかった。だから父さんを説得したけど――」
「おやっさんは、説得に応じなかったんですね」
お嬢様は「博打なんて打たずに耐えるべき」だと主張したようだった。
けど、おやっさんはずっと耐えてきたんだ。
1000年以上に渡って耐え忍んできた。
俺達よりずっと前から生き続けて、大勢の味方が死んでいくのを見てきた。それに耐え続けてきた結果……天秤が傾いてしまったんだろう。
耐え続けて死者を増やすより、犠牲覚悟で打って出る道を選んだんだろう。……おやっさんもお嬢様も、皆の幸福を願っていたのは同じだったはずなのに……。
「父さんは止まらなかった。『理解してくれ』の一点張りだった」
「…………」
「戦争の準備はどんどん進んでいって……そんな時、カヴンの内部抗争が起きた」
交国が焚きつけた内部抗争により、おやっさんは多方から狙われた。
内部抗争に乗じ、おやっさんを排除しようとした人々が大勢出てきた。
おやっさんはそれらを返り討ちにしたが、無傷では済まなかった。
「奴らは父さんを殺せなかった。大怪我は負わせたけど、父さんはアレぐらいなら……多分、問題なく生き残っていた」
「…………」
「私は負傷している父さんを見て、『今しかない』と思った」
殺してでも止めるしかない。
流民の英雄を殺す千載一遇の好機が、よりにもよって娘のところに転がり込んできた。……おやっさんとは別の理由で思い詰めていた娘のところに――。
「あの日、父さんは私を見てホッとした様子だった。何でかわかる?」
「……お嬢様を助けに来たんですね」
「……ええ。父さんは、私なんかを……助けにきたのよ……。わざわざ……」
お嬢様も襲撃され、おやっさんに対する人質にされていたらしい。
けど、おやっさんはお嬢様を助けるために奮戦した。お嬢様を守った。
血まみれのまま笑顔で手を差し伸べ、「もう大丈夫だ」「巻き込んじまって、ごめんなぁ」と言っていたそうだ。
そんなおやっさんに対し、お嬢様は銃を向けた。そして撃った。
殺してでも、父親の戦争計画を頓挫させる道を選んだ。
「撃って、怖くなって、父さんを捨てて逃げたの」
その言葉も本当なんだろうか。それすらも嘘なんじゃないのか。
おやっさんが、「逃げろ」と言ったんじゃないのか。
自分はもう助からないと考えたおやっさんが、せめて娘は守ろうとした。誰に心臓を撃たれたのか最後まで明かさないまま、死んでいった。
そうなんじゃないのか?
……俺が、そう思いたいだけか?
「何で…………何で俺に相談してくれなかったんですか?」
「父さんを慕っている貴方が、私側についてくれた?」
「っ……。それは…………」
「仮にムツキも一緒に説得してくれたとしても、父さんは止まらなかったよ。ロミオ・ロレンスは、きっと止まらなかった」
「…………」
お嬢様が振り返り、俺を見てきた。
拳銃を抜き、俺に手渡してきた。
「ロミオ・ロレンスの仇は、ここにいる」
「…………」
「貴方には、私を殺す権利がある」
「無いですよ。そんなもの」
おやっさんは命懸けで娘を守ろうとした。
それが答えだ。
「俺はおやっさんの遺志を継ぎます。貴女を殺すのではなく、守ります」
「……殺してよ」
「嫌です。……あぁ、あと、自殺なんて考えないでくださいね」
それこそ許せない。
おやっさんの命を奪ってまで、皆を救おうとしたんだ。
投げ出すのは許さない。
過去を変える事は出来ない。俺達はもう、戻れないんだ。
「貴女はこれからも皆のために足掻いて、しわくちゃのおばあさんになるまで生き延びて、皆に惜しまれながらベッドの上で天寿を全うするんです」
「勝手に決めないでよ……」
「楽に死ねると思わないでください。……けど、苦しみ過ぎないでください」
貴女が抱えていた罪を俺は知っている。
1人で抱え込まないでください。そう言い、お嬢様の手を両手で握った。
その手は震えていた。
「俺も出来る限りお嬢様の事を助けます。道半ばで倒れる可能性もありますが……それでも出来る限り、ご一緒させてください」
「交国に帰っちゃうくせに……」
「ははっ……。そこは勘弁してください。仕事あるんで……」
まだまだ交国でやらなきゃいけない事があるんです。
俺達は未だ道半ばだ。
けど、目指している場所は同じだ。……おやっさんとも同じだ。
皆、同じ場所を目指していたはずなんだ。
「今度こそ、ちゃんと助けますから。もう二度とあんな事が起きないように」
「…………」
俺達は正義じゃない。
流民を救うために無茶もやっている。俺達の手も汚れている。
俺は卑怯な手段を使って、交国の実権を握った。
人類のため、皆のためと言い訳しながら、横暴を働いた。
本質的には玉帝と大差無い存在だ。
俺達が行動を起こしたことで、大勢の人が不幸になるかもしれない。
こんなはずじゃなかったと、言いたくなる未来も待っているかもしれない。
それでも進む。俺達は進むしかない。
ただ……猛進してはいけない。時折立ち止まって、この道で正しいのか悩んだり……振り返って過去を想い、よく考えるべきだ。
道半ばで倒れる事もあるだろう。
悪事を働いた報いを受ける日が来るだろう。
でも、それでも歩みを止めたくない。
俺達が踏みならした道が、誰かの役に立ってくれるはずだ。
俺は、そう信じる。……信じたいんだ。




