過去:愚かな神、愚かな使徒
■title:
■from:使徒・バフォメット
『ネウロン人は死ぬべきだ』
私はマスターにそう主張した。
『厚顔無恥なクズ共を殺して、何が悪い……!』
『…………』
『奴らは善良な同志の命を奪った! 奴らは裏切り者で、敵だ!!』
『キミの怒りはわかる』
マスターはそう言った。
『だが、ネウロン人の怒りも、驕りも、理解できる』
『だからどうした。奴らの事情など――』
『処刑は行わない。……蜂起に参加した者も全員赦す』
真白の魔神は、裏切り者達を処罰しなかった。処刑しなかった。
『我々はネウロンから出て行こう。彼らの望み通り、出て行こう』
それどころか、蜂起した馬鹿共の要求を飲んだ。
人質を救うために、一時的に要求を飲んだわけではない。当時はもう裏切り者を全員制圧していた。奴らは私とシシンの戦闘に巻き込まれ、倒れていた。
壊れた身体が腐り始めているのに、シシンの神器によって一時的に不死となっていた奴らは……マスター達に救われた。肉体の損傷を治してもらった。
死傷を負ったのに死ねない日々を過ごした事で、狂ってしまう者もいたが……マスターはそんな馬鹿共の精神も安定させた。治療した。
シオン教の死者蘇生伝承は、こうして生まれた。
真白の魔神は誰も殺さず、ネウロンを去る事を決めた。
それこそが「罰」になると、奴は確信していた。
『時計の針を戻そう。私達がネウロンに来る前に戻そう』
真白の魔神でも、時間を操作する事は出来ない。
だが、ネウロンの文明を無理矢理退化させる事は可能だった。
『元通りの文明にするためには、今の文明は破壊しようね。全てのネウロン人を生かしたまま、エデンがもたらした文明の利器は全て破壊しよう』
ネウロン人達は「やめてください」と懇願した。
蜂起に参加した者も、蜂起で虐げられていた者も、泣いてマスターにすがった。
だが、マスターは奴らの意見を聞かなかった。
『私達に出て行って欲しいんでしょ? 私達がいらないんでしょう?』
それならネウロンの繁栄も、共に去ろう。
繁栄によって増えた人口を据え置きで、繁栄に必要だったものを全て回収する。あるいは壊す。マスターはそう宣言した。
『そっ、そんなことをされたら……私達は死んでしまいますっ!』
『農業用の無人機無しで、どうやって作物を得ればいいんですか!?』
『天候予測用の機構も、全て没収……!?』
『戦闘用のものはともかく、作業用の機兵も……全て壊すのですか……?』
『方舟も、全て持って行く? あの、そうなると、各都市の輸送経路は……』
『鉄道も破壊するなんて……』
『知恵は、技術は――』
『この都市すら、全て……破壊するとなると――』
『私達は、明日から、どこで生きていけば――』
『キミ達の望みだろ』
ネウロン人で手を取り合って、助け合っていきなさい。
エデンはもうキミ達を助けないけど、それが本来の形だ。
『<永遠の冬>が来ないだけ、マシでしょ』
『子供達が、飢えて死んでしまいます!』
『大人達の食べ物を分けてあげなさい』
『お……大人の導き無しで、子供達が生きていけるはずがありません』
『そのうち、慣れるよ。私達のいない世界に最適化していくさ』
真白の魔神は笑顔でそう言っていた。
プレーローマに向ける顔と、同じ顔だった。
『キミ達の戦いの結果が、これだ。この傷を共有して学び、生きて逝きなさい』
文明の強制退化。
それがマスターの選択した罰だったが――。
『ハハハハッ! つまり、虐殺だなぁ! しかも、陰湿な虐殺っ!!』
『…………』
『バフォメットの方が、まださっぱりしてるぜ! …………ふざけんなよ、真白』
シシンは反対した。
『ネウロン人から文明の火を取り上げれば、大勢死ぬぞ』
『…………』
『エデンはネウロン人を増やすために……多くを養えるように、高度な農業技術を与えた。高度な医療技術で、死ぬはずだった人間も生かした』
『…………』
『結果、奴らはエデンが介入しなかった時より、増えた。膨れ上がった人口は、文明の強制退化で一気に減るだろう。とんでもない数の人間が死ぬぞ』
『…………』
『ただ、飢えて死ぬだけじゃねえ。限られた食料を奪い合って、ネウロン人同士で争うだろうな。奴らは「巫術師」と「非巫術師」って禍根があるのに、より一層……同じ人間同士で争う理由が出来ちまう』
『棍棒の時代に戻してあげれば、巫術師も非巫術師も大きな差はなくなる。平等な殴り合いで、お互いの命を奪い合える。それが彼らの望みの果てだよ』
シシンはマスターに詰め寄った。
マスターの頬を叩くために、手を上げたが――。
『…………』
シシンは自分の手の平を見つめ、それを下ろした。
手ではなく、言葉を振るった。
『スミレは、どう思うだろうな』
『…………』
『アイツは、泣くだろうな。お前を説得しようとするかもしれん。けど、お前を責めないかもな。むしろ……蜂起を止められなかった自分を責めるだろう』
『……あの子には、何の責任もない』
うっすらと笑っていたマスターは、その笑みを消した。
シシンを睨み、言葉を続けた。
『キミとバフォメットが、ネウロンを離れていなければ……』
『仰る通りだ。スミレが殺されたのは、俺達の責任だ』
『…………』
『責任取って腹を切れって言うなら、いまこの場で切ってやる。だが……それはそれとして言わせてもらうぞ。くだらん腹いせはやめろ』
『…………』
『テメエがやろうとしている事は、ただの腹いせだ。ただの虐殺だ。自棄になって「ネウロン人が望んだから~」とか主語をデカくして、それを薄っぺらい大義名分にしてるだけだろうが!』
『…………』
『お前は、自分の決断でどれだけ多くのネウロン人が死ぬか……わかっているはずだ。下手したらネウロンは完全に滅びる』
『…………』
『源の魔神やプレーローマが、人類文明にやってきた事と……同じような結果を作り出そうとしているんだぞ? それぐらい、わかるだろうが! エデンの誰よりも頭良いんだから、わかってるはずだろ!?』
『…………』
『棍棒の時代に戻せば、巫術師も非巫術師も平等? んなわけねえだろ。巫術師は「巫術の眼」がある。魂の位置が観えるだけでも、紛争に役立つ』
『……でも、巫術師の方が数が少ない。非巫術師側は数の暴力に頼れる』
『それで平等だと? くだらん事を言うな』
真白の魔神でも、巫術の力を消すことは出来ない。
不可能ではなかったかもしれないが、ネウロン中に「巫術師の血」が広まった以上……それら全てに対処するのは困難だった。そんな暇はなかった。
『文明の利器を奪って、俺達がネウロンを去ったところで……元通りにはならねえよ。そもそも、奴らは元通りなんて望んでない』
『…………』
『お前が、ネウロン人に苛ついているから……蜂起した馬鹿共の主張を取り上げて、それを曲解して……「キミ達の望みはこれでしょ?」と腹いせの道具に使ってるだけだろうが! ガキかテメエは!!?』
『……うるさい』
『黙って欲しいなら俺を殺せ。俺を統制戒言で縛っていない以上、黙らせる方法は他にねえぞ。あるいは……大人しく俺の話を聞くか、だ』
シシンは真白の魔神に語りかけ続けた。
時に怒鳴りながら、真白の魔神を説得し続けた。
エデンが無責任に去れば、ネウロンは終わる。文明がそのままだろうが、文明が退化しようが、エデンという「抑止力」が失われれば戦争が起こる。
文明がそのままなら、それは大規模な戦争になる。文明の利器を使い、ネウロン人同士で憎しみの連鎖を築き上げていく。
文明を奪えば、小規模な争いになる。だが、膨れ上がった人口を養えなくなり、多くが死ぬ。飢えと苦しみから逃れるために、新たな争いの火種が生まれる。
『時計の針を戻そう? 真白の魔神のくせに戯れ言を言うな! 時計の針が戻らないってことは、お前が一番、身に染みてわかってるだろ!?』
『…………』
『陰湿な復讐はやめろ。自棄になるな。いまのお前の判断は、組織の長としてやっちゃならねえ判断だ! エデンの大義に、瑕疵を作ってんじゃねえよ』
『別に、私は……復讐、なんか……』
ネウロン人など、本心ではどうでもいい。
便利だから利用していただけ。
飼い犬に手を噛まれたところで、これぐらいなら問題ない。
怒る理由がない。復讐なんかじゃない。
『私の判断が、間違ってるって言うの?』
『そうだ。テメーは個人的な感情に振り回されている。そのくせ魔神としての体面も取り繕おうとするから……スミレの死に泣く事も出来ない!』
『――――』
『アイツのこと、ホントは大事にしてただろ!? 最初は人柱として利用するつもりだったのに、人間として大事にしちまったから犠牲に出来なくなって――』
『違う。あの子は、私の……都合のいい……。わたしの……』
『泣きたいなら泣けよ。それで何かが解決するわけじゃねえが、俺の前でぐらい泣き言を言えよ。出来ない我慢をして、自棄になって戯れ言を言わなくて済むように……泣いておけよ。ネウロンの整理の前に、自分の心の整理をしろよ』
シシンはそう言ったが、マスターは泣かなかった。
乾いた笑みを――壊れた笑みを浮かべるだけだった。
『俺は、今回の判断には反対だ。お前を殺してでも止める』
『じゃあ、どうしろって言うの……?』
『…………』
『蜂起の首謀者達の処刑を行って、それで手打ちにしろって言いたいわけ? ネウロン人なんかと、また手を取り合えって言うの?』
『…………』
『お互い、背中にナイフを隠して?』
『エデンのネウロン撤退自体は、反対しねえ』
ネウロン人との共存が不可能だと判断するなら、それでもいい。
『ネウロン人に対し、怒っているのはお前だけじゃない。全てのネウロン人が悪いわけじゃないが……絶対、今回の事件は確執が生まれる』
『…………』
『ネウロンから出て行くのは、別にいい。それで避けられる争いもあるだろう。だが……後始末を考えてくれ』
エデンが撤退しても、多くのネウロン人を助けられる方法。
エデンが去った後も、飢餓や戦争を止める方法を考えてくれ。
シシンはそう言った。
『俺の頭じゃ、妙案が思いつかん』
『…………』
『俺がネウロンに残って……ネウロン人達を諫めて回るのも1つの手だ。奴らが戦争を起こそうとしたら、俺が全力で止める』
『キミがエデンから離脱するのは、困る。ネウロン人如きのために、キミを人柱に捧げるなんて嫌だ。そもそも……キミだけじゃ無理のはずだ』
『言ってみただけだよ! 言っただろうが、妙案は思いつかねえって』
だが、真白の魔神なら何か思いつくはずだ。
シシンはそう言い、マスターを見つめながら言葉を待った。
マスターは窓の外を見つめ、しばし考え込んでいたが――。
『……全員を救うのは無理』
エデンはネウロンを放棄する。
ネウロンから多くの文明の利器を奪う。
『でも、死者を可能な限り減らすのは……出来る』
『じゃあ、それをしようぜ。命令をくれ』
『シシンに出来る事は大してない』
『お前の愚痴を聞くぐらいは出来る。あと、茶を運ぶぐらいは出来る』
『……スミレみたいに、美味しいお茶を淹れること出来ないくせに』
『チッ……! そうだよ! その通りだよ』
『……ネウロンは放棄するけど、ネウロン人のエデン構成員を全員置いていくのは……やめた方がいいと思う?』
『本人達の意志次第だろ。そいつらとの面談なら、俺がやるが――』
『お願い』
マスターは一度決めた事を変えた。
マスター達は……私から復讐の機会を奪い、ネウロン人共を「救い」始めた。
私の意志など、踏みにじった。
『なあ、バフォメット。お前も色々、思うところがあると思うが――』
『死ね』
『…………』
『全員、死んでしまえ』
『…………』
『エデンなど、滅びてしまえ』




