過去:信頼の答え
■title:
■from:使徒・バフォメット
『少し、ネウロンを留守にするよ』
ある日、真白の魔神がそう言ってきた。
配下の使徒や一部の巫術師を連れ、めぼしい異世界を探す。人類連盟やプレーローマの息がかかっておらず、エデンの同志になってくれそうな世界を探す。
それこそ、ネウロンのような異世界を探してくる――と言ってきた。その手の遠征は珍しいことではなかったが……。
『スミレも連れて行くのか?』
『スミレはネウロンに留守番だよ。連れて行ったらキミが不機嫌になるでしょ』
『そうだな』
『キミとシシンも留守番ね』
シシンは大層不満げだったが、「今の本拠地はネウロンなんだから、がら空きにするわけにはいかないでしょ」とマスターは言った。
『がら空きではないだろう。ネウロン人も、かなり育ってきた。ネウロン防衛に関しては、もう彼らだけでも可能だろう』
『彼らは……。まあ、そうだね。キミ達ほどではないけど、彼らも強くなった』
『何か懸念が?』
『……巫術師は少し、増長しすぎだと思うんだよね』
『確かに、そういう節はある』
未熟な巫術師は多く存在している。彼らは自分達の力を根拠に、自分達を選ばれた人間だと驕っている。
だがしかし、ヴィンスキー達のような成熟した巫術師もいる。彼らはネウロンの闇を認識し、それを解決するために奔走している。
若く未熟な巫術師達も、ヴィンスキー達のような先達に導かれている。ネウロン人は、いつまでも子供のような存在ではない。……私はそう思っていた。
『彼らを子供扱いしすぎだ。もう少し信じてやってくれ』
『無理だよ。使徒達ですら、信用できないんだよ? それに何かあったときに……例えば彼らが武装蜂起した時、対応できる人員がいないと……』
『蜂起? 何のために? 我らはネウロン人を奴隷扱いしているわけではない。ネウロンの発展を……後押ししている協力者だろう?』
『こっちの認識だとね。けど、向こうが本心ではどう思っているか……』
『お前は彼らの文明を一気に発展させてみせた。彼らは真白の魔神やエデンによって、多くの恩恵を得たが、搾取されているわけではない』
彼らは真白の魔神を信仰している。
神とエデンに逆らえば、彼らの繁栄は止まる。
ネウロン人も成長した。だが、ネウロンの繁栄は真白の魔神の知識によるところが大きく、ネウロン人だけでは絶対に立ちゆかない。
全ての分野でネウロン人が成長したわけではない。
彼らは真白の魔神が与えた技術で成長しただけ。自分達だけで成長できる存在ではない。ネウロン人だけでネウロンを発展させていくのは不可能だ。むしろ、ネウロン人だけでは退行する可能性がある。
『それは彼らもわかっている。少なくとも、ヴィンスキー達はわかっている。頼りになるネウロンの同志達はそれを理解し、他のネウロン人にもそう教えている』
『本当に……?』
『本当だ。私はその現場を何度も目にしている』
私は、ヴィンスキー達のような人材と接してきた。
スミレや真白の魔神の懸念に――ネウロンの光と闇に触れ、彼らのような人材が必要だと感じていた。だから、彼らを育成してきた。
当然、私だけでは育て切れず、スミレやエーディン達の力を借りざるを得なかった。力を借りたおかげで、ヴィンスキー達は立派な人材に成長した。
そう思っていた。
彼らならば、ネウロンを上手く導いていけると思っていた。
『ヴィンスキー達は、プレーローマの脅威も理解してくれている。今後もエデンへの協力を約束してくれている。エデンに刃向かったところで、何の意味もないどころか……ネウロン人の首を絞める事は理解している』
『…………』
『お前が多くを疑うのは、仕方がない。むしろそれでいい。だが、私は彼らを信じる。彼らならきっと、ネウロンから闇を一掃出来る』
マスターはしばし思案していたが、チラリとシシンを見た。
シシンの意見を聞きたがり、シシンもそれに応えた。
『バフォメットが言う通り、ヴィンスキー達のような……ネウロン人の指導者層は蜂起なんて考えてねえだろ。アイツらはそこまで馬鹿じゃねえさ』
『……まあ、とにかく、キミ達はネウロンの防衛について』
念には念を、という事でいいでしょ――とマスターは命じてきた。
『もし仮に、遠征組に何かあったとしても、絶対にネウロンを離れないで。ネウロンの方が危うくなった場合、脱出して所定の合流地点に向かって』
『お前の身が危うくなっても、見殺しにしろという事か?』
『その通り。キミなら出来るでしょ?』
『無論だ』
マスターに対する怒りは、変わらずあった。
『だが、お前に死なれると組織の運営が立ちゆかなくなる。反プレーローマの旗頭であるお前を失うのはマズい。それに――』
『……それに?』
『スミレが泣く。スミレを泣かせたら殺すから、生きて帰ってこい』
『難しいこと言うなぁ……。まあ、善処するけど……』
そう言い、真白の魔神は遠征に向かっていった。
シシンが「暴れに行きてえ~」とボヤき、スミレは寂しそうにマスターを見送っていたが……しばらくは平穏な時が流れていた。
だが、その平穏は一報で粉砕された。
『マスター達が、<武司天>傘下のプレーローマ艦隊と遭遇しただと?』
『ツイてねえな……。よりにもよって、あのオッサンのとこの艦隊かよ~……』
マスター達が遠征先で運悪く、プレーローマの軍勢と出くわした。
遠征組の中には、既に死者が出ているらしい。
何とか逃げようとしているらしいが、敵の追跡も振り切れないため帰還不可能になる可能性もある。
追跡されたままネウロンに帰れば、ネウロンの存在が露見する。
ネウロンの全戦力で迎えに行く案も出たが、それは却下。
ネウロン人は確かに成長したが、まだプレーローマの精鋭と戦えるほど育っていない。多数の死者が出る可能性が高い。
幸い、遭遇した敵の中には<武司天>という非常に強力な天使はいなかった。しかし、その傘下と戦っているため、その長がいつ出てきてもおかしくない。
『武司天が出てきたら、さすがに蹴散らされるぞ。真白達だけじゃ……武司天を倒すのは無理だろ。……ネウロンの存在がバレてもいいから、ネウロンまで来させて……そこで奴らを迎え撃つとか――』
『駄目だ。それをしたら、ネウロンが戦火に飲まれる』
一度は勝てるかもしれん。
だが、プレーローマはネウロンに「脅威」がいると知れば、全力で襲ってくるだろう。防衛戦で二度目の勝利を拾うのは不可能だ。
エデンとプレーローマでは、組織力が違いすぎる。数どころか質でも劣っているため、最初は勝てても……ネウロンを防衛し続けるのは難しい。
『だからといって、ネウロン人を連れて逃げる余力もない。方舟が足りんし、どこに逃げるのかという問題もある』
ネウロンの存在が露見したら、今までの苦労が水の泡と化す。
それどころか、多くの無辜の民が犠牲になる。
『……真白が死んだら、エデンも死ぬ』
『シシン。我らに与えられた命令は、ネウロンの防衛だ』
『…………』
『奴は自分のことも見殺しにしろ、と言っていた。マスターの判断に従うべきだ』
『しかしだな……』
『真白の魔神は、死んでも蘇る。死んでも、転生して……いつかどこかで再会できるはずだ。ネウロンだけでも維持できれば、再起の道が――』
私は、そんな事を漏らしていた。
漏らした後で「シシンは激怒する」と思ったが、彼は何とも言いがたそうな表情を浮かべるだけだった。
『転生したら、アイツは別人になる。そう思った方がいい』
『一度だけなら、そこまで記憶と人格への悪影響もないのでは――』
『100%無事とは言い切れねえ。真白は……死ななくても死ぬんだよ。転生するとしても、別物になっちまえば実質、「前の真白の魔神」は死んだも同然だ』
『…………』
『だからこそ、アイツはスミレを人柱にしようとしていた。仮に今の真白が死んだところで、俺は人柱を許すつもりはないが……今の真白が死ぬのも嫌だ』
シシンはマスターを助けに行きたがった。
マスターが死ねば、多くのものが終わりを告げると言っていた。
エデンは瓦解し、プレーローマに抗う計画も白紙に戻る。
だが、私は――。
『……真白の魔神は「来るな」と言っていた。何があっても、だ』
『…………』
『いま、遠征組が遭遇している敵は……ただのプレーローマの軍勢ではない。未だ撒けていないという事は、かなり厄介なんだろう』
『そうだよ、だから――』
『だからこそ、防衛に専念しよう。今更助けに行っても遅い。……それならネウロンの防衛に集中しよう。当初の命令を守るべきだ』
私はそう言った。
遠征組からも「ネウロンから動くな」という命令が来ていた。
『こっちはこっちで、何とかする』
マスターがそう言っていた。
だが、その連絡も数日で途絶えた。連絡が取れなくなった。
真白の魔神を含む遠征組が危ういという話は、一部のエデン構成員だけに伝えられていたが……誰かが漏らしたらしい。ネウロン中に伝わっていった。
ネウロン人にとっても、真白の魔神は重要な存在だった。だから「助けに行きましょう」と彼らも訴えてきたが、私はそれを退けた。
『今のお前達が助けに行っても、足手まといだ。お前なら……わかるだろう、ヴィンスキー。一部の巫術師は確かにプレーローマ相手でも通用するが――』
『し、しかし……!』
『今はマスター達を信じよう。信じて、無事を祈ろう』
『……では、バフォメット教官と、オカザキ様の2人が助けに行くというのは……どうですか? 私達が駄目でも、貴方達なら絶対に助けに――』
『そのような命令は出ていない』
『確かにネウロン人は足手まといだと思います。ですが、お二人と一部の兵士で……敵に奇襲をかける。そこで生じた隙に乗じ、遠征組と一緒に逃げるというのは――』
『……駄目だ』
ヴィンスキーの提案は、可能かもしれない。
遠征組が壊滅していなければ可能だが、退けた。
ヴィンスキーはネウロン人部隊の中核を担う巫術師達を率い、我々に「遠征組を助けてください」と懇願してきたが……私は彼らの願いを退けた。
『私達を信じてください! どんな敵が来ても、必ずネウロンを守り抜きます!』
『信じている。信じているが、そういう問題ではないのだ』
彼らの事は信じていた。
信じていたが、私は――。
『お父さん、お願い……! マスターを助けてっ!』
遠征組の危機は、私の判断でスミレに対しても伏せていた。
だが、スミレにも伝わった。
スミレにも懇願された。ヴィンスキー達と共に懇願された。
信じてほしい。
助けてほしい。
『マスター達が死んでしまったら、エデンは……ネウロンは……』
『あの御方の生存は、エデンだけではなくネウロンにも重要なんです!』
『…………』
実際、その通りだ。
マスターという天才を失えば、エデンどころかネウロンも――。
『シシン。出立の準備を』
『わかった。だがお前、統制戒言で縛られていないのか?』
『命令はされた。しかし、今回は統制戒言を使った命令ではないようだ。……命令を破ることに抵抗を感じるが……何とか、逆らうことは可能のようだ』
術式を使って、強く命令されたわけではない。
覚悟を決めれば、逆らうことも不可能ではなかった。
あの時は、その程度の命令だった。
私とシシンは、一部の兵士を連れて救援に向かう事にした。
ヴィンスキーやスミレ、そしてエーディン達に留守を任せ――。
『バフォメット教官!』
『ム……』
『ご武運を……! 必ず……必ずっ! 無事に帰ってきてくださいっ!!』
『ああ。留守は任せたぞ、ヴィンスキー』
『はいっ!』
私は、見送りに来たヴィンスキーと拳を突き合わせ、別れた。
ネウロンから旅立った。
真白の魔神が戻ってくれば、いずれスミレがバックアップにされてしまうかもしれない。……それを避けるために見殺しにするのも1つの手だったかもしれない。
だが、私は欲張った。
スミレの命以外にも、スミレの幸福やネウロンの幸福を願った。
彼らのためには真白の魔神が必要だと、考えて――。
『戦闘は可能な限り避けるが、最悪は私とシシンで戦う』
ヴィンスキーが言っていたように、一撃離脱でプレーローマを叩く。
その隙に遠征組にも逃げてもらう。
遠征組との連絡が途絶えていたため、彼らを見つけるのに苦労した。だが、それでもプレーローマ側の動きを観察する事で、何とか遠征組を見つけた。
予定通り、私とシシンでプレーローマの艦隊を襲った。私達でも手こずる相手だったが、それでも何とか遠征組の生き残りを逃がすのに成功した。
私達は殿として戦った後、遠征組と合流した。
話に聞いていた通り、遠征組にも死傷者が出ていた。マスターまで怪我をしていた。彼女は、私達の姿を見て驚愕していた。
『なんで2人がここにいるの!?』
『お前を助けに――』
『ネウロンは!? スミレは!? なぜ、私の指示を……!!』
マスターは激昂していたが、直ぐに冷静に戻った。
直ぐネウロンに帰還しよう、と言ってきた。
『大丈夫だ。ネウロンにはスミレ達がいる。あの子達がネウロンを守ってくれる』
『確かにスミレはネウロン人に慕われていた。エーディンも、ネウロンを豊かにした。けど、あの子達の背景にはエデンという武力が控えていたから……ネウロン人が従っていたのは、その武力の影響も大きい』
『武力だけに従うほど、ヴィンスキー達は愚かではない』
私はそう主張した。
だが、マスターは――。
『魔が差して、彼らが暴走している可能性はゼロじゃない』
『…………』
私達はプレーローマを撒いた後、ネウロンに連絡を取った。
だが、応答はなかった。通信が繋がらなかった。
私はネウロン人を信じていた。
だが、その判断が誤っていた。
私もネウロン人も、愚かだった。
私達は、裏切られた。




