過去:楽園の闇
■title:
■from:使徒・バフォメット
『あっ! お父さん……! こんな時間からお酒飲もうとしてる!!』
『スミレ。今はまだ7時だ』
『朝の7時だよ!? 徹夜しただけでしょ!?』
シシンのおかげで、私は何とかスミレとギクシャクせずに済んだ。
真白の魔神殺害未遂の件も、不問となった。……こちらに関してはシシン曰く、「俺が何も言わなくても、どうせ不問だったよ」と言っていたが――。
ただ、真白の魔神と……マスターとの関係は、元通りとはならなかった。
私自身がそう望んだ。
『不満があるなら、スミレを連れて去ればいい』
『…………』
『無理矢理連れて行っても、スミレは結局……キミの判断に従うと思うよ』
マスターは私に出奔も勧めてきた。
スミレを連れて逃げたところで、追手は差し向けないと言った。
あの言葉は真実だったはずだ。マスター自身がせずとも、保険となるバックアップを求める使徒は……私達を追ってくるかもしれんが。
『私は逃げない。……スミレが、お前の傍を望んでいるからな』
『…………』
『あの子は、お前の役に立ちたがっている』
『……そう』
『だから、今はまだここにいる。貴様に力を貸す。……そもそも、どこかへ逃げたところで……いつか、プレーローマの脅威と向き合う必要がある』
私はスミレを一番に考えていた。
世界平和や人類の勝利は、スミレのためだ。スミレが暮らす世界を守るために、敵を倒す必要がある。だから結果的にプレーローマと戦っていただけだ。
『幸い、スミレの願いと私の願いは両立できる』
スミレはマスターの傍で、皆の役に立ちたいだけ。
あえて人柱になりたいわけではない。で、あれば――。
『お前を死なせなければ、バックアップは必要ない』
『…………』
『お前を守れば、スミレは死なない。……お前にスミレを殺させない』
『キミに守られたところで、私はまたキミ達を騙すかもしれないよ。自分の都合でスミレを使って、スミレを消すかもしれない』
シシンは真白の魔神を止めると誓った。
だが、シシンも完璧ではない。真白の魔神なら……シシンの目を盗んで犯行に及ぶのも不可能ではなかっただろう。
『お前が悪さをしない状況を作ればいい。お前も、スミレをあえて消したいわけではない。あの子は優秀な助手であり、秘書だろう? いた方がいいはずだ』
『そりゃ……そうだよ。あの子は、私の意を汲んでくれる。……必要以上に』
『お前が何と言おうと、私は<エデン>に残ってお前を守る。そうする事がスミレの幸福と生存に繋がるなら、父親として……そうすると決めた』
『…………』
『私が目障りなら、好きにしろ。しかし抵抗はさせてもらう。お前が犯行に及ぶまでは腰が重いシシンも、私が死ねば動いてくれるかもしれん』
『動くだろうね……。あの子は……』
スミレが笑顔で暮らせる多次元世界が欲しい。
あの子の幸せは、我々の勝利にも繋がっている。……マスターが何の憂いもなく安眠できる世界になれば、スミレも幸福になれる。
スミレの幸福のために、私は強くなる必要があった。
私だけでは足りない。それもわかっていた。
私はエーディンのように金稼ぎが上手くないし、スミレのように人付き合いも上手くない。シシンほど強くもない。
だが、頼れる同志はいる。
次代を担う若者達もいる。……そう思っていた。
そう思いながら、後輩巫術師達の指導に当たっていた。
『お前達は成長した。強くなった』
巫術師は増え、強くなった。
ネウロン人だけで大部隊を作る事も可能になった。
ネウロン人だけで運用する艦隊も展開できるほど、彼らは立派になった。
『もう、どこの戦場に出しても恥ずかしくない集団になった』
『いえ、まだまだです。バフォメット教官には、まだ一度も勝てていませんから』
『実力以上の自信を持っていた頃とは変わったな。ヴィンスキー』
『はは……。思い出すだけでも、赤面しそうになります。その件は』
まだ未熟な巫術師もいた。だが、それは当然だ。
ネウロンには新しい命が生まれ続けていた。新しい命が生まれる事で、巫術師も増えていった。頼れる戦力が増えていった。
新しい命は未熟なものだ。彼らはまだ広い世界を知らず、経験も乏しい。
しかし、我々がネウロンに根付き、「未熟な巫術師」を指導していった事で……「成熟した巫術師」も現れ始めた。
特に、「ヴィンスキー」という巫術師が頼りになった。
未熟だった頃の彼は、まったく頼りにならなかったが――。
『バフォメット教官達と出会って間もない頃、私は世間知らずの馬鹿者でした。しかしバフォメット教官やオカザキ様のような師に恵まれ、変わる事が出来ました』
『無駄な自信は研磨され、必要な自信と力が磨き抜かれたな』
『はい。教官達のおかげで――』
『いや。お前達自身の力だ。私達は、添え木のように……少し力を貸しただけだ』
ヴィンスキーは自分で戦うのは苦手だが、指揮を得意とする巫術師だった。
巫術の眼によって戦場全体を俯瞰し、兵士達を上手く動かす才能があった。「無駄な自信」は彼の才能を覆い隠していたが、その邪魔さえなければ、彼は私達ですら瞠目する才能を発揮していった。
実際の戦場に連れて行って索敵を任せ、経験を積ませ、指揮も任せていった。彼は緊張しつつ、挫折もしつつ……仲間の死に涙を流す時もあったが……立派な巫術師に成長していった。
昔は頼りない苗木だったが、立派な若木に成長していた。
『私は、もっと教官達に頼られる人間になりたいんです! 強くなれば……巫術師ではない弟のことも、守ってやれますから……』
ヴィンスキーだけではなく……他の巫術師達も成長していた。ネウロン人部隊の中核を担う人材は、確かに育っていた。
全ての巫術師が頼りになったわけではないが、指導した巫術師達が成熟した事で……彼らに指導を任せられるぐらい、ネウロン人は成長していた。
実際に指導を任せ、私は使徒としての仕事をこなす事が増えていった。
ただ、何もかもヴィンスキー達に任せられたわけではなかった。
『教官、少し相談が……』
『次の遠征訓練の件か?』
『いえ……。…………。大っぴらに言えない話なので、2人だけで……』
『わかった』
ヴィンスキー達も、自分達で全てを抱え込む事はしなかった。
キチンと相談してくれる事もあった。
『すみません、実は私事に近いのですが……。市井で働いている巫術師達が、例の選民思想を広める秘密集会を開いているようなのです』
『…………』
ネウロンは繁栄した。
だが、繁栄の光が生み出す影は、解決しきれなかった。
増長する巫術師は消えなかった。全てのネウロン人が巫術師になれなかった事もあり、同じネウロン人でも「違い」が生まれた。
その違いが諍いや差別を作り、ネウロンに闇を作り上げていた。
『例の選民思想、ということは――』
『巫術師は特別な存在。神に選ばれた存在。そんな巫術師が……非巫術師を統べるのは当然のことだ、というものです』
巫術師の中には自分達の力に溺れ、酔う者もいた。
真白の魔神や使徒にへりくだりつつも、それ以外には高慢な振る舞いをする巫術師もいた。奴らは差別的な言動をやめなかった。
『お前の弟と、殴り合いの喧嘩をしていた奴らか』
『その件は…………申し訳ございません。弟も、カッとなって……』
『お前が謝る必要はない。顔を上げろ』
非巫術師側も黙っておらず、暴力沙汰や……場合によっては死人が出る事もあった。ネウロン人は1つにまとまる事が出来ていなかった。
だが、それでも――。
『彼らの思想が行き着く先は……スミレさんの授業で想像がつくようになりました。全て理解しているわけではありませんが、異世界の事例をいくつも紹介されると……彼らが危うい事をしていると、少しは理解できたつもりです』
『…………』
『彼らの思想はネウロンに大きな争いを生みかねません。彼らを止めないと……。それも、真っ当な方法で。その方法は……私や有志の巫術師だけでは、思いつきませんでした』
ヴィンスキーは頭を下げ、「助けてください」と言ってきた。
ネウロンのために、未来のために、子供達のために力を貸してください――と言ってきた。自分達だけでは「良い方法」を思いつかない、と言って。
『我々が、自分達の尻拭いも出来ない情けない者達だということは……わかっています! ですが、教官やスミレさん達に頼るしか――』
『その手の問題は、既にエーディン達と対応を検討している。逆に……ネウロンの巫術師達の意見も聞きたい。お前達も協議に参加してくれないか?』
『それは……! 是非っ!! 参加させてくださいっ! ……でも、申し訳ありません。ネウロンの問題なのに、エデンの皆さんの手を煩わせて――』
『ネウロンの問題は、エデンも深い関わりがある。無関係とは言えん』
ネウロンに巫術を持ち込んだのは我々だ。
『エデンにも責任がある。だから、協力させてくれ。協力もしてくれ』
こちらからもそう頼み、手を結ぶ事もあった。
真白の魔神が育てた楽園。
繁栄した楽園にも、確かに闇があった。光に満ちた世界ではなかった。
楽園と誇れないような闇があった。
だが、光もあった。……あったはずだ。
エデンだけではなく、ネウロン人達も問題に取り組んでくれていたはずだった。善良なネウロン人が……ネウロンの問題に立ち向かっていたはずだった。
未熟で愚かな巫術師は、確かに存在している。
だが、真っ当に成長した巫術師も、確かに存在している。……そう思っていた。
ネウロンは繁栄し、成長した。
全てが良い方向に進んだわけではないが、全てが悪い方向に進んでいたわけでもない。闇に立ち向かう光は、確かに存在していた……はずだった。
『……お前なら、スミレを嫁にやってもいいかもしれんな』
『本当ですか!?』
『冗談に決まっているだろう。そういう事を決めるのは、スミレ本人だ。まずはあの子に……1人の男として認めてもらうのだな』
『教官の邪魔より、そちらの方が……大変そうなんですよね』
『貴様。私が邪魔だと言いたいのか?』
『うっ! そっ……! そんなことは~……! あッ!! スミレさん! ちょうどよかった!! ちょっと、お話がっ……!!』
『ふっ……。まったく……』
私は、ネウロンに光を見いだしていた。
希望の光を見いだしていた。
……私は、愚かだった。
期待するべきではなかったのだ。
信じるべきでは、なかったのだ。




