過去:他人同士
■title:
■from:使徒・バフォメット
『『…………』』
シシンが去っていった後。
私とエーディンは、しばしその場に立ち尽くしていた。
何とも言いがたい気持ちを抱えつつ……だがそれを整理するための話し合いも出来ず、2人で黙って立っていた。
立ち尽くし続けていると、スミレがやってきた。
バツの悪そうな表情を浮かべ、1人でやってきた。
その表情は以前、見た事があった。
まだ幼い頃のスミレと真白の魔神と3人で、ネウロンの大地を散策していた時。真白の魔神が持っていたハンカチが強風に捕まり、飛ばされた事があった。
奴にとって大したものではなかったらしく、何の感情も浮かべていない表情で見送っていたが……スミレは違った。
スミレは咄嗟に動き、飛んだハンカチに飛びついた。
飛びついて、崖から落ちた。
あの子が地面に叩き付ける前に私の救援が間に合い、何とか助ける事が出来た。その時、スミレは笑っていた。
『スミレも、マスターのおやくにたてましたっ!』
そう言って笑っていた。
私はスミレを叱った。スミレの軽率な行動を厳しく叱り、スミレを大泣きさせてしまった。その後のバツの悪そうな顔に似ていた。
『お父さん、エーディン姉様……。怒らせて……ごめんなさい』
『…………。お前が謝る事ではない』
やってきたスミレは、開口一番謝った後に「話したい」と言ってきた。
バックアップと真白の魔神の件について話したい、と言ってきた。
『ごめん。私はいま、無理。ちょっと……頭を冷やしてくる』
エーディンはそう言い、その場を去って行った。
だが、去る前にスミレの手を取り、あの子の瞳を見つめながら言った。
『私は、何があってもスミレの味方だから。……けど、全肯定はできない。仮に貴女が望んだとしても、貴女をマスターの代わりにはさせない』
『姉様……』
『バフォメット、この場はお願い』
『ああ』
エーディンを見送った後、私達の間には気まずい沈黙が下りて来た。
話をしたいと言ったスミレも、どう切り出すか迷っている様子だった。
私はスミレに近くの長椅子を勧めた。私も隣に座り、スミレの話を聞いた。
『私は……皆の役に立ちたいの』
『皆のために犠牲になる、と言いたいのか?』
『…………。お父さん達は強いから、マスターの御役に立てている』
『お前は、十分すぎるほど皆に貢献を――』
『今は私の話を聞いて。……私は弱くて、いつも守られている。皆みたいに戦えない。それは、私が……戦闘の訓練とか、全然やってこなかった所為でもあるけど』
それは私が遠ざけたものだ。
スミレが戦う必要はない。だから遠ざけてきた。
お前にはもっと得意なものがあるだろう――と言って、別の勉強を勧めた。
戦闘から遠ざけた方がスミレは幸せになる。……我が真の担い手のように、戦場に赴いて、傷ついて、倒れるような事はない。
そう判断して、私は――。
『戦闘能力だけが全てではない。それはエーディン達を見ればわかるだろう?』
『でも、私は……エーディン姉様達みたいな働きも出来ていない。私は、マスターの手伝いしか――――ううん、その手伝いすら、ちゃんと出来ていない』
そんな事はない。
そんなはずはない。
スミレがいたからこそ、上手くいった事は沢山ある。真白の魔神の意を汲むのはスミレが上手かった。スミレがいたから、助かった者も沢山――。
『だから私、マスターの御役に立てる計画があるって知って……嬉しかったの。使徒なのに、皆のような働きが出来ていない私に出来ること、あるって……』
『…………』
『ああ、私が生まれてきた意味はこれだったんだって、嬉しかったの』
『それは…………』
おかしい。
そう言いたかった。
だが、またスミレに拒否されたらどうする。
そう思うと、私は言葉を止めてしまったが――。
『……私は、うれしくない……』
『…………』
『大事な娘が消えてしまうなど、私は……耐えられない』
そう言うことは出来た。
そう言うと、スミレはぎこちなく笑った。
『ごめん。でも、私は……マスターのために働きたいから……』
『…………』
『マスターを助ければ、皆を……世界を救うことができる。私1人が消えるだけで皆が救われるなら、素晴らしいことだって思ったの』
その答えは変わっていない。
だが――。
『でも、ついさっき……丘崎先生に叱られたの』
『シシンに?』
風呂場に行くと言いながら、風呂場とは逆方向に向かったシシン。
奴は、スミレと真白の魔神のところに向かっていたらしい。
2人と会い、先にスミレと話をした。その後、スミレを私達のところに行かせ……部屋に残って真白の魔神と話し始めたらしい。
奴はスミレと話した際、スミレを軽く叱ったらしい。
『自己犠牲を喜ぶのは歪んでいるって』
『…………』
『育った環境が特殊だから、そうなった責任は俺達にある。けど、お前の判断はおかしい。お前は頭がいいが、価値観は狭いバカだって、呆れられた』
『シシンめ。スミレを、馬鹿だと? なんて失礼なことを――』
『先生を怒らないで。……先生は、多分、正しいんだと思う』
『…………』
『正しいけど、私は……正しいだけじゃ納得できない』
『…………』
『ただ、その……ごめんなさい。私、お父さんの気持ち、全然、考えてなくて』
スミレはそう言い、私の手に触れてきた。
無骨な私の手と違い、繊細で小さな手だった。優しい手だった。
『私、「皆の役に立てる」って言いながら……お父さんの気持ち、全然……考えてなかった。エーディン姉様の事も、考えてなかった』
『…………』
『丘崎先生に言われたの。「お前の判断は、お前が消えることを悲しむ親父を無意識に除外している」「お前はバフォメットやエーディンを傷つけたんだぞ」って……。そう、言われたの』
スミレは申し訳なさそうに目を伏せつつ、「心配してくれたのに、逆らってごめんなさい」と言ってきた。
『いや…………いい。私も、お前の気持ちを考慮出来ていなかった』
スミレが自分の「生まれた意味」に悩んでいるなんて、知らなかった。
特殊な出自でも――人造人間でも、私と血の繋がりなんてなくても……私は気にしていなかった。そんなもの関係無いと思っていた。
だが、スミレは違った。
作られた命だからこそ……真白の魔神という超越者に作られたからこそ、「命の使い道」に悩んでいた。そんなもの、悩む必要はないのに。
スミレの命は、スミレのものだ。
それをわざわざ、誰かのために使う必要はないのに――。
『スミレ。お前は十分……皆の役に立っている。私はそう思っている』
何もかも口に出す必要はないと思っていた。
スミレは賢い子だから、わかってくれると思っていた。
『私にとって、お前はとても大事な存在だ。お前が……マスターを想うように、私もお前を想っている。自分の命より、お前の事が大切だ』
『…………』
『そんな私が、「マスターのためなんかに死ぬな」と言っても、説得力は無いかもしれん。だが、私はお前に生きていてほしいんだ』
私達は家族だ。
私は、お前の存在にいつも助けられてきた。
スミレがいたからこそ頑張れた。窮地でも膝を屈せずにいられた。
スミレという守りたい存在がいるからこそ、プレーローマという強大な敵を倒す必要がある。そう思えた。
敵を倒すためには「エデンにいるのが一番」だと思った。真白の魔神に付き従っていれば……私は……私の宝物を救えると信じていた。
『お前がいなくなることなど、耐えられない』
『お父さん……』
『消えないでくれ。逝かないでくれ』
ずっと傍にいてくれ。
愚かで、情けない私はそう懇願した。
スミレは言葉では応えてくれなかった。
私達に悪いとは思いつつも、「マスターの力になりたい」「皆の役に立ちたい」という想いが変わらず残っていた所為なのだろう。
スミレは、簡単には変わらなかった。
だが、黙って抱きしめてくれた。
私達は違う存在だ。完全に理解し合うことは出来ないのだろう。だが、それでも傍にいることはできる。……家族になる事は出来る。




