過去:ミカの旦那、襲来
■title:アイランド・ロディにて
■from:<ロレンス>首領・伯鯨ロロ
『貴様らは信用できん』
オレは、長く続いた交国とロレンスの取引関係を終わらせた。
交国が信用出来なくなった。だから終わらせた。
元々、交国に全幅の信頼を寄せていたわけではない。交国と取引したところで、ロレンスや流民が抱えている全ての問題が解決したわけじゃない。
だが、石守回路はまだ信用できた。
あの男は「仲間」ではないが「取引相手」として最低限の仁義を守っていた。だが、石守回路の死を契機に交国は本性を現した。
ロレンスを「都合の良い手駒」として使おうとする下心を隠さなくなった。流民の窮状につけ込んで、無茶な仕事ばかり振ってくるようになった。
交渉はしたが、満足いく回答は得られなかった。
これ以上は付き合ってられない。
オレはそう判断し、交国との取引関係を終わらせた。
ロレンスは交国より古い組織だ。交国ほどの経済力は無くても、<カヴン>でも指折りの巨大組織。裏社会では交国以上の地位を築いている。
だから、交国との取引がなくてもやっていける自負があった。
実際、交国との取引を終えた後も、ロレンスは武力は弱体化していない。多次元世界屈指の海賊組織として、今も多方から恐れられている。
弱体化はしていない。
だが、問題は発生している。
正確には「元々あった問題を解決出来なくなった」と言うべきか――。
「おう、邪魔するぞ」
「首領! 来てくださったんですね……!?」
「そりゃ来るさ。助けてくれって頼まれたし……そもそも、オレがお前達に助けてもらっている立場だからな」
ここはロレンス管理下のアイランド・ロディ。
ただ流民が暮らしているだけではなく、「病院」としての機能を持っているアイランド。ロレンス最大の医療拠点がここにある。
ロディにはロレンス構成員か否かを区別せず、流民内にいる病人や怪我人を収容し、治療を行っている。
収容人数に限りはあるが、ウチの管理下で最大かつ最高の医療環境が整っているから、重篤患者はロディに集め、保護している。
基本、大した金にはならん。
他所の組織から病人や怪我人を受け入れ、治療費を請求する事もあるが……シノギとしては大したものじゃない。
だが、必要なものだ。
どこの国家にも属さない流民にとってのセーフティーネットみたいなものだ。……身体を壊した時、誰にも頼れないのは恐ろしい事だし、家族しか頼れない環境というのも個々人への負担が大きすぎる。
流民だって人間だ。
こういうものも必要なんだが――。
「苦労をかけてすまんな……」
「我々は大丈夫です。ただ、患者は――」
「新しい医療用アイランドの建築と、場所の確保を急いでいる。増築代わりに病院船を5隻持って来たから、ひとまずそれを使ってくれ」
アイランド・ロディはロレンスの医療の要。
だが、医療崩壊の危機に瀕している。
ロレンスは今まで重病患者をロディ等のアイランドで治療するか、陸の病院に送っていた。だが、後者が殆ど使えなくなった。
交国との取引関係を終えた影響だ。
今まで交国、あるいは交国の息がかかった国家に、患者を預ける事もあった。ロディの医療環境にはかなり投資しているんだが、それでも限界がある。
重篤患者を助けるには、陸の病院に預ける方が確実。先進国の病院の方がロディよりずっと良い環境が整っている。
先進国でも必ず全員救えるわけじゃない。だが、ロディの設備では延命しか出来ない事もある。……オレが交国との取引関係を終わらせたから、今まで救えていた命が救えなくなっている。
救えなくなるどころか、医療体制が崩壊しそうになっている。
急ぎ、体制を立て直そうとしているが――。
「追加の人員も連れてきた。といっても、陸からさらってきた奴が大半だが」
「あ……。ありがとうございます……」
奥歯に物が挟まった物言いの医者に対し、「方法に問題を感じると思うが、これ以外の手段がない」「上手く使ってくれ」と押し切る。
新しい同僚が「拉致被害者」というのは、現場の人間としても困るだろう。だが、犯罪組織に来てくれる医療従事者なんて限られる。
多くの人間を救って回っている非政府組織の者達ですら、流民のアイランドに来る事はそうそう無い。奴らにとっての「人間」は陸の人間であって、海の人間は「人間の形をした別物」なんだろう。
もちろん、そんな奴ばっかりじゃないが……好き好んでアイランドに来てくれる医療従事者は、本当に限られている。
今までは交国のツテを使って陸に逃がした流民達が陸で学び、医者として帰ってきてくれる事もあった。だが……それも今後は難しくなるだろう。
ロレンスの方で留学費用を捻出しても、受け入れ先の問題がある。ロレンスの存在を隠して支援しても、繋がりがバレる可能性もある。
高度な技術を必要とする人材は、これからも不足していくだろう。
ロディの設備と人員を無理矢理強化しても、やはり限界はある。海賊稼業でどれだけ稼いだとしても、何もかも金で解決できるわけじゃない。
流民全体を見たら、ロディに収容しないと生きていけない重篤患者はほんの一部。皆が皆、大怪我を負ったり、大病を患っているわけではない。
組織内には「重篤患者は切り捨てるしかない」「そもそも、ロレンス構成員以外の流民を受け入れる必要がない」と言う者もいる。
死にかけの奴らを救ったところで、大した金にならない。
セーフティーネットなど不要。
そんなものより、もっと稼げるシノギに投資した方がいい。
そう言う奴も、大勢いる。
だが、「悪事を働いてでも流民を救う」のがオレの組織だ。
今更その生き方を曲げる事は、出来ない。
悪事を働いている時点で、問題なのはわかっている。
傷口を血で洗うような方法だとわかっていても、悪事に頼るしかない。
頼りたくないという者もいる。
家族や組織に負担をかけたくないという者もいる。
そういう奴らが海に身を投げようとする事もあるが、止める。……暗い海の中で1人寂しく苦しみ、死んでいくなんて絶対にダメだ。
死は救いじゃない。断じて違う。
仮に死ぬとしても、せめて……温かいベッドの上で看取られるべきだ。
「首領。彼らにも……死の自由を与えるべきです」
「…………」
「希望者には、安楽死の手配をするべきです。……我々がどれだけ力を尽くしても、彼らの痛みや苦しみまでは取り除けません」
「だが、一度そういう手段を用意すると、周囲に強要される奴らも出てくるはずだ。家族や組織の負担になるから、さっさと死ぬべきだってな」
強要されている感覚がなくても、流されて死んでしまう奴もいるはずだ。
「本人が納得していたとしても、死は救いなんかじゃ――」
「人によっては救いになるんです。ずっと痛みと戦っている子達もいるんです」
「…………」
ロディの医療崩壊危機は、ロレンスが抱えている問題の1つに過ぎない。
交国との取引関係を終えた影響は、これ以外にも色々ある。
どれもロレンス全体の事と比べたら「些細な話」だ。
元気なロレンス構成員達は、今日も酒場で騒いでいる。略奪品を椅子代わりにして、船内で即席の酒場を作り、どんちゃん騒ぎしている。
だが、それが出来るのも元気なうちだけだ。
海賊はいつ何時、大怪我を負うかわからない。海賊稼業は危険なものだ。ハイリターンだろうと、相応のリスクも付き纏ってくる。
戦闘によって身体を欠損させ、前みたいに戦えないどころか……前みたいに生活できなくなった構成員は大勢いる。大勢いた。
中には、海に飛び込んで行く奴もいた。
もう戦えない以上、皆の邪魔にならないよう命を絶つべき。
海賊達の中にそういう暗黙の了解があった。いや、今でもある。昔よりマシになっただけで、今でもそういう空気は残っている。
今までずっと助け合って戦ってきた仲間が、脚の一本を失っただけで「終わった人間」扱いされる。そして……潔く死ぬことを求められる。
餞と称して酒を沢山飲ませ、前後不覚の状態にして海に送り出す。それで「良いことをしてやった」「良い最期を迎えさせてやった」という空気を出して、自分達の悪事を有耶無耶にする。
身体の大半を無くした仲間が、大量の酒を飲みながら泣き、「ありがとう」「オレは幸せ者だ」と言う光景。言わされる光景。
あの空気が嫌だった。
同じ海の人間なのに、仲間を人間扱いしなくなる瞬間が嫌だった。
見捨てたくねえよ。
弱った奴らが可哀想だから助けるってだけじゃねえ。
オレが嫌なんだ。
あんな光景、もう二度と見たくない。
組織全体から見たら、重篤患者は確かに「一部」に過ぎない。
だが、小さな問題を放置していたら、それはいつか大きな問題に成長する。
そもそも、当事者にとっては大問題なんだ。オレ達は組織に属しているが、その前に1人の人間なんだ。普通の人間は、一度死ねば終わりだ。
この問題を解決したい。
皆のためにも、オレ自身のためにも。
解決したいが……解決手段は限られている。ロレンスは大組織だが、所詮は犯罪組織だ。先進国のようなセーフティーネットは築けていない。
「何とか、手を探す。もう少し……耐えてくれ」
ロディの医者達に頼み込む。
声を絞り出す。
苦しむ患者を救う手段は、確かに存在している。
だが、アレは「救い」と言っていいのか?
アレに縋るという事は、彼らに大事なものを捨てさせるという事だ。
出来れば避けたい。……避けたいと思っているが――。
「……オレが何とかする」
首領が、何とかするしかないんだ。
祈ったところで、夢葬の魔神はオレ達を救ってくれない。
■title:アイランド・ロディにて
■from:<ロレンス>首領・伯鯨ロロ
ロディでの仕事を済ませ、居室で酒を飲みながら待機する。
ここでの仕事はもう終えたが、用事は残っている。
ロディで待ち合わせをしている奴がいるから、そいつが来るまで待つ。あまり時間がかかるようなら、こっちから迎えに行くことも考えていたが――。
『おやっさん。睦月です。例の林檎酒、手に入れてきましたよ』
「おう。悪いな」
待ち合わせをしていた相手がロディ近海まで来たらしい。
通信しつつ、首尾良く上手くいったかをそれとなく確認する。
ムツキには交国に潜入し、1人の交国人を逃がす仕事を頼んでいた。
単なる夜逃げなり国外逃亡なら、そこまで大した仕事じゃないんだが……今回は相手が悪かった。交国政府相手に人を1人逃がす仕事だった。
石守回路が残した秘匿回線を使った依頼だったとはいえ、相手が相手だけに断るつもりだったんだが……ムツキが「俺が行ってきますよ」と言いだしたので、ムツキに任せる事にした。
一応、対象を連れ出すのには成功したようだが――。
『ただ、瓶にヒビが入っているようで……。瓶の補修をお願いしたいんです』
「おう、わかった。人を手配しておくよ」
どうやら救出対象が怪我をしているらしい。
救出中に交国軍から攻撃されたのか、あるいは政府に拷問でも受けていたのか……。おそらくは後者だろう。
幸い、ここはアイランド・ロディだ。腕利きの医者達がいる。
多少の怪我なら何とかなるはずだ。隠し港から入港させて、素性を隠して入院させておこう。依頼内容はあくまで「交国領外への脱出」だが、これぐらいはアフターサービスでやってやらないとな。
報酬は前金として全額受け取っているし――。
『あと、すみません。それ以外にも問題が……』
「ん? なんだ?」
『面倒な方に追跡されているので……そちらの対応をお願い出来ますか?』
交国軍に追われているのか? 珍しいな。
奴らが追っ手を出してもおかしくないが、混沌の海でムツキが撒き損ねるのは珍しい。……ただ、そこまで切迫しているわけではないようだ。
追ってくる相手も誰かわかっているらしい。
追跡者の名前を聞いた時、オレは思わず渋面を浮かべてしまった。
多分、通信先のムツキも同じような顔してんだろうなぁ……。
「とりあえず、お前の方で応対してくれ。こっち着いたらオレが引き継ぐ」
『すみません……。追跡を撒く努力は、したんですが……』
「気にするな。事故…………いや、天災みたいなもんだよ」
ムツキとの通信を終え、医者の手配をしておく。
ロディの隠し港に向かい、いつでも救出対象を手術室に担ぎ込めるよう準備させておく。とりあえず、「追跡者」の応対が先だが――。
「……来たか」
隠し港に2隻の方舟が入ってきた。
1隻は、ムツキ達が交国に向かうのに使っていた方舟。
だが、ムツキはもう片方の方舟から下りてきた。「追跡者」の注意を引くために乗り込んで、適当に雑談していたらしい。
その追跡者はガハハと笑いながらムツキと談笑している。ムツキの方は笑っていないが、追跡者はそんな事はお構いなしに1人で笑っている。
まあ、「1人」って表現がおかしい相手だ。
正確には「1体」だな。
笑っている追跡者は、鎧のような筋肉を纏った金髪赤眼の男だった。
白いスーツを着ているが、ガタイが良すぎてパツパツになっている。
「おっ! ロミオじゃねえか! お前もいたのかよ!?」
見た目相応のバカデカい声で、金髪赤眼の男が声をかけてきた。
「お久しぶりです。ミカの旦那。……何でムツキのストーカーしてんですか?」
「勧誘だよ! 勧誘に決まってんだろ!?」
金髪赤眼の男は粗野な笑みを浮かべ、「ムツキはロレンス構成員じゃないから、引き抜きじゃねえよな?」と言ってきた。
確かにその通りだ。ムツキはどこかの組織に正式に所属しているわけじゃない。
ただ、アンタのところは絶対行かないと思うが――。
「さて、俺が来たって事は、どう持て成せばいいか……わかってるよな!?」
「……厨房ですね?」
そう言うと、ミカの旦那は歯を出して笑った。
「そうだよ!! 厨房だよ!! さっさと案内してくれ!!」
「……ハァ。わかりました。オレについてきてください」
「おう!! だが、どうしたロミオ!! 何か悩みでもあんのか!? 疲れた顔してんじゃねえか!! 俺で良ければ話を聞くぞ!?」
「……急に<武司天>が来たら、誰だって疲れた顔になりますよ」
うるさいうえに、アホのような強さの天使だからな。
襲撃じゃなくて良かったよ、本当に。
武司天・ミカエルの注意を引きつつ、ムツキと目配せを交わす。
オレがこの天使の注意を引いてる隙に、救出対象を手術室に担ぎ込め。




