交国軍事委員会
■title:星屑隊母艦<隕鉄>にて
■from:星屑隊隊長
「…………」
甲板から繊十三号を見る。
ここからでも、微かに町の喧騒が聞こえる。
遠い昔。交国本土にいた頃。
家族で参加した祭りを思い出す音だ。
まだ幼い息子は好奇心旺盛で、祭りの屋台をキラキラした瞳で見つめていた。
対する私は周囲を落ち着きなく見回していた。複数の遮蔽物と肩をぶつけそうなほど溢れかえっている人の群れ。
こんなところで襲撃されたら、ひとたまりもない。オマケに私は丸腰だった。
楽しげな息子はあちこちに走っていきたがったが、気が気ではない私は小さな手を握っていた。この手を離してしまえば我が子を守れない。そう思った。
あの子だけではない。隣に立つ妻のことも――。
『あなた、落ち着いて』
妻は苦笑しながらハンカチを取り出し、私の額に当ててきた。
落ち着かず、脂汗を流していた私に「そんなに身構えなくていいから」と言った。私は確か「すまん」と謝罪した。
『今日は素子ちゃんいなくて残念だけど……でも、だからこそ、そこまで気を張らなくていいの。私達が襲われることなんて無いんだから』
その通りだ。冷静に考えればわかることだ。
あの日、私は休暇を過ごしていただけだった。
任務中だったわけではない。
だが、職業病の一種か。あの環境はどうにも落ち着かなかった。
大事な家族が2人も傍にいたからこそ、「ここで誰かに襲われたら守れない」という懸念が私の精神にヤスリをかけた。
『と、父さん!? だいじょうぶっ!?』
どうも私は青ざめていたらしく、それに気づいた息子もビックリしていた。
息子は私と妻の手をギュッと握りしめ、私達を大通りの外へ連れていった。そして焦り顔で「早く帰ろう!」と言ってきた。私の身を案じて。
大丈夫だ。
そう言った。
父さんは大丈夫だと言ったが、私の顔色は直ぐには回復しなかった。
息子は私の手を握りながら心配そうに見上げてきた。
『父さんにも苦手なものがあったんだ……。ごめんね、ボクがお祭り行きたいって言わなかったら……』
お前の所為じゃない。
情けないところを見せたな。
そう謝罪し、「少し休めば大丈夫だ」と告げた。
これも克服してみせる。信じてくれ、と告げた。
『……大丈夫! 父さんが休んでる間、ボクが父さん達を守るから』
息子はそう言ってくれた。
さすが、私達の息子だ。そう言うと、息子は照れ笑いを浮かべた。
『ボク、もっともっと強くなるから。父さんぐらい強くなるから!』
『まあ、頼もしい。じゃあ、将来は同じ職場で働けそうね』
いや、そうはならない。
私は知っていた。息子が何を目指していたか。
当時、私が歩んでいた道と、似た道ではあったが――。
『えっと……ボク、素子の護衛になるって約束したんだっ』
『あらっ、そうなの? 前は父さんみたいな近衛兵になる~って言ってたのに』
知っている。
泣いているあの子の手を握り、息子が約束していたのを聞いていたから。
照れながら、誇らしげに将来の夢を語る息子の姿は……とても眩しかった。
眩しく、嬉しいものだった。我が子の成長は、そう感じるものだ。
その喜びが、恐怖を押し流していったのを覚えている。
『でも、今は父さんと母さんの護衛だからねっ』
私が座り込んでいる間、隣に座った息子はずっと手を握っていてくれた。
妻も、ニコニコと微笑みながら手を握っていてくれた。
そうだったはずだ。
この思い出は本物だ。
けっして、偽物などではない。
小さな手と柔らかな手。どちらの感触も、もう覚えていない。
顔も、もう――――。
「…………」
「たい――」
「なんだ、副長」
背後から近づいてきた者に声をかける。
少し驚かれた。苦笑しながら「足音殺して近づいてきたんですけどね」と言われたため、「もっと遠くから殺してこい」と返す。
「お前の足音が急に消えた。驚かせたいなら、最初から気配を気取らせるな」
「うへぇ……甲板上がる前から殺し始めたのに。相変わらずズバ抜けてますね」
笑いながらやってきた副長が隣に立ち、「何か悩み事ですか」と聞いてきた。
「オレで良ければ聞きますよ~?」
「私に悩みがあると思うのか?」
「いまの隊長の背中、いつもより小さく見えましたから」
「…………」
「や、悩みはマジであるでしょう。星屑隊は問題児ばっかりですからね。ラートはバカみてえに突っ走るし、レンズはよくケンカするし、他のバカ共もアル注やってバカ騒ぎしているし」
「私は、貴様の事も問題児だと思っているよ」
正直にそう言うと、副長はおかしそうに笑いながら「反省してま~す」と言ってきた。副長として信頼しているが、その言葉は信用できん。
「オレは問題児なので、問題児の気持ちはよ~くわかりますよ~? 問題児代表に悩みを打ち明ければ解決策、見つかるかもですよ?」
「幸いなことに、今の悩みは貴様ら関係ではない。今日は休め」
今日は副長に仕事を振りすぎた。
本来ならアル注にふけり、酒臭い息を吐きながら機嫌よく休んでいたはずだ。
それを奪ってしまった以上、今からでもアル注をすればいい。……いや、あんなイカれた行為をわざわざする必要はないが……。
「頭がしっかりしてるうちに聞きますよ。結構、深刻なお悩みでしょう?」
「……我々が第8巫術師実験部隊を預けられた経緯、覚えているな?」
副長が「もちろん」と頷く。
第8は、久常中佐に疑われている。
正確には久常中佐の落ち度で明星隊を失い、玉帝が派遣した研究者を危険に晒した責任を回避するため、第8に罪をなすりつけたがっている。
我々は第8を監視し、証拠を集める任を与えられた。
久常中佐が期待する働きはしていないし、積極的にしたくないが――。
「ニイヤドでの一件絡みで、久常中佐に何か動きがあったんですか?」
「今日になってようやく、その件の一次審問が行われた」
「はっ? えっ!? 軍事委員会の審問、まだやってなかったんですか!?」
「声が大きい」
交国軍事委員会は交国軍の諸問題解決のために動く。
軍で不正があれば捜査して裁き、指揮官の判断に問題があればそこも審査する。今回は後者に関しての審問が行われた。
「一次審問なんて、ウチが第8預かる前にやってそうなもんですが……」
「報告書を提出し、軍事委員会の担当者が軽く話を聞いた程度だったらしい」
「軍事委員会の動き、遅すぎませんか……? やっぱり久常中佐が軍事委員会に干渉して審問を遅らせてたんじゃないんですかねぇ」
「仮にそれが出来たとしたら、もっと遅らせるだろう。久常中佐を有利にする証拠は何も見つかっていない。それに、中佐に軍事委員会に干渉する力はない」
「でも、久常中佐の親は……あの玉帝ですよ?」
副長は表情を険しいものにし、「あんなやらかしやっといて、まだ中佐やってること事体がおかしいんですよ」と言った。
「仮に中佐が何も言ってなくても、軍事委員会の方が勝手に忖度するでしょう」
「いや、それは有り得ん。玉帝は忖度されようものなら、その判断をした担当者のクビを切り、再審査させるような方だ」
「厳しい人とは聞きますが、それでも我が子はかわいいものでは?」
「それも有り得ん」
玉帝にとって、子供は部品だ。
兵士や国民と同じく「交国」という巨大な兵器を構成する部品でしかない。
反交国勢力をあぶり出すために、自分の娘を囮に使うような御仁だ。玉帝に我が子に対する情などない。無能に対しては、殊更厳しい方だ。
久常中佐は愛されていない。
絶対にそうだ。
「玉帝は過去に、我が子相手だろうと容赦なく裁いた事がある。海神家の事件を知らんか? 玉帝の権威を笠に着た玉帝の子による巨額の横領事件だ」
副長は頭を掻きつつ、「浅学なもんで知りません」と正直に言ってきた。
軽く解説し、あの事件の結末を教える。
「事件の首謀者は玉帝の子だったが、玉帝はその子を自ら処刑した」
「しょ、処刑!? 自分でっ……!?」
「それだけ大きな事件だったのだ。国家と臣民に対する裏切りだと言い、公の場で自ら手を下したのだ。泣き叫ぶ我が子を前にしてな」
玉帝による口封じだったのではないか、という説もあるが、それは有り得ん。
玉帝の権力は絶大だ。横領せずとも、国庫など好きに出来る。
忖度するような腐敗など「不具合」とし、徹底的に潰す。玉帝にとって交国の人間は全て部品なのだ。……おそらくは自分自身すら部品の1つなのだ。
人類の敵を倒す。
その目的のために動く機械のような御仁だ。
「あの事件は軍事委員会の人間も絡んでいた。関与していた上層部の人間のクビは全て飛んだ。一部の者は物理的にクビを飛ばされた」
「わ~お……」
「軍事委員会もその一件は覚えているはずだ。ゆえに忖度とは考えにくい」
「じゃあ、何で審問が遅れたんでしょうね。そこまで難しい事件とは思えませんが……。絶海手前にあるド辺境の世界で起きたことだから対応が遅れたとか……?」
その可能性は否定できんが、正直わからん。
ネウロンは戦時下にあるが、そこまで過酷な戦場ではない。現場検証等のためにニイヤドに行くのも不可能ではない。
軍事委員会は審問が遅れた理由を「処理すべき案件が多かったため」などと言っていたが、軍事委員会らしくない言い訳だった。
玉帝は軍事委員会すら裁いた事があるとはいえ、軍事委員会の仕事を軽んじていない。兵士達に規律を守らせるために軍事委員会にも力を入れている。
様々な案件があるとはいえ、案件の多さで処理が遅れることなど、そうそう無いはずだ。あってはならない。
だから、本当の理由は別にあるはずだ。
「それで結局、ニイヤドの件は誰の責任になったんですか?」
「結論は保留になった」
「じゃあ、二次審問も行うってことですか」
「いや、それも不明だ」
副長が呆れと困惑が入り混じった顔を見せる。
軍事委員会の対応がおかしい。それをよくわかってくれたようだ。
おかしいし、どこか煮えきらないと言うべきか。
審問中、技術少尉どころか久常中佐も喚き散らし、「自分に責任はない!」という言葉を何度も吐いていた。見苦しいものだった。
技術少尉はともかく、久常中佐の判断に「問題」があったのは明らかだったが……軍事委員会は結論を出さなかった。
私の所感では久常中佐の責任が問われる内容だった。明星隊の敵前逃亡も重く考えられているが、そもそも中佐の采配に大きな問題があった――という事は軍事委員会も正しく認識している様子だったのだが。
「ニイヤドにいた研究者って、玉帝が派遣したんでしょ? 一応、重要な調査だったんでしょ? それなのに判断保留とか……気味が悪いですね」
「そうだな。……まあひとまず、ニイヤドの件は我々や第8巫術師実験部隊に責任が問われる事態にはならないだろう」
「そいつは良かったけど、な~んか引っかかりますね」
軍事委員会の動きがおかしい。
タルタリカの動きもおかしい。
ここ最近、おかしなことばかりだ。
どちらも巫術師が絡んでいると言うのは、さすがに言いがかりか……。証拠もなくそのように判断したら、私もおかしな者達の仲間入りだ。
考え込んでいると、副長が冗談めかした口調で「オレ達、知らず知らずのうちに巨大な陰謀の真っ只中にいたりして?」などと言ってきた。
考えすぎだ、と返す。
だが本心では否定しきれなかった。
そもそも、交国のネウロン侵攻そのものが「おかしい」のだから。
■title:星屑隊母艦<隕鉄>にて
■from:肉嫌いのチェーン
甲板で内緒話をしていると、隊長の端末が鳴った。
通信が来たようだ。
いつもの無表情で通信に出た隊長だったが――表情が珍しく険しくなった。
本当に僅かな変化だったが、オレにはわかる。僅かに眉間にシワを寄せていた。
通信を終えた隊長は黙りこくっていたが、こちらから話しかける。
「まさか、新しい面倒事ですか?」
「そのまさかだ。上はウチを面倒事のゴミ箱と思っているのかもしれん」
「ははっ……。次は激戦区送りですか?」
「いや、人を預かってほしいそうだ」
まさか、またガキが増えるのか。
そう思ったが、どうやら違うらしい。
「今度は大人だ。……ただし、ビフロストの<雪の眼>だ」




