割れた器
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:歩く死体・ヴァイオレット
「本当に……ニイヤドでそんなことが? 交国の人が……」
『ああ。交国人が実験をしていたのは確かだ。ニイヤドで行われた実験がドミナント・プロセッサーのネットワークを介し、ネウロン中に波及したのだ』
交国の言うことなんて、信用できない。
交国政府の発表なんて、信用できない。
それは前からわかっていた。ラートさん達と調べていくうちに、その考えはより強固になっていた。でも……これは、いくらなんでも……。
バフォメットさんの言う事が確かなら、交国は<赤の雷光>に罪を着せ、世界規模の人体実験を隠していた事になる。
赤の雷光が反交国活動していたのは事実だろうし……交国にとっては「テロリスト」なんだろうけど……それでも、魔物事件の罪まで着せるなんて。
「…………」
魔物事件には巫術師も関与している。交国政府はそう主張していた。
それなら「関与していない証拠を見つけよう」と思っていた。
無罪を証明したら、子供達も戦わずに済む。一般人に戻れる。
……甘い考えだった。交国政府がでっち上げた冤罪なら、どんな証拠を提示したところで握りつぶされる。正攻法じゃ……どうしようも無かったんだ。
『今の話は解放軍に伝え、解放軍の放送によってネウロン中に伝えてもらったつもりだったが……貴様らには伝わっていなかったようだな』
「「…………」」
愕然としているラートさん達に対し、バフォメットさんが追撃の言葉を吐いた。
ネウロン中に伝えたって、それは……。事実だとしても、大変なことを……。
「そんな放送、ネウロンの人が聞いたら――」
『解放軍に参加するネウロン人が増えたそうだ。「温厚」なネウロン人でも、家族や仲間を虐殺されたうえに騙されたとなれば、怒るようだな』
「な…………なんて、ことを……」
それは扇動ですよ、と告げる。
ネウロン人の復讐心を煽るだけ。
交国は確かに罪を犯した。とてつもなく悪辣な手口を使った。悪いのは交国だとしても……その事実を使って、扇動しているだけですよ。
そう言うと、バフォメットさんは「知ったことか」と吐き捨てた。
『私にとって大半のネウロン人はどうでもいい。……反逆者の末裔に対して愛しさを感じると思うか?』
「…………。タルタリカになったのは、ネウロン人だけなんですか?」
『おそらくな。魔物化はドミナント・プロセッサーを通じて波及したものだ。ネウロン人以外にも、個別に術式を叩き込めば魔物化は起こるかもしれんが』
「タルタリカになった人達を、元に戻せないんですか?」
くらくらとする頭を押さえつつ、言葉を絞り出す。
魔物事件で沢山のネウロン人が犠牲になった。
タルタリカに殺された人も大勢いる。けど、タルタリカになってしまった人達を元に戻せるなら……少しでも、ネウロンの人達を――。
『元に戻すのは不可能だ。タルタリカはネウロン人ではない』
「え、でも、タルタリカが生まれたのは――」
『ネウロン人は、ただの材料だ。奴らの血肉を材料にタルタリカという新たな生命体が創造された。そのショックにより、魔物化に抗えなかったネウロン人は死亡している。元に戻すなら死者蘇生の方法でも見つけるしかない』
「そんな……」
人間が材料になっただけで、まったく別の生命体なんて……。
『私は壊れたドミナント・プロセッサーの残骸を通じ、タルタリカ達を操る事が出来る。しかし、異なるものを元に戻すのは不可能だ』
「…………」
『出来るとしたら、進化を促すことだな。ひょっとすると、奴らは荒れ狂う化け物から新たな知的生命体になるかもしれん。奴らはネウロン人の特性を引き継ぎ、一部は巫術の才に目覚めているからな』
「…………」
『奴らは量産も可能になった。このまま増やしていけば戦力として――』
「やめてください! そんな、言い方っ……」
タルタリカはネウロン人じゃない。
けど、だとしても、そんな言い方……。
「貴方は……何がしたいんですか?」
バフォメットさんに問いかける。
この人は交国軍と敵対している。
真白の魔神の使徒として、プレーローマと戦っていたバフォメットさんは強い。強いけど無敵の存在じゃない。……交国軍の方がもっと恐ろしい。
ネウロン旅団だけならともかく、交国が本気で動き出したらおそらく負ける。神器使いが数人派遣されてきたら……今のバフォメットさんでは勝てない。
全盛期のこの人なら、並みの神器使いでは止められないだろうけど――。
「バフォメットさんは、何を目的として交国と戦っているんですか? 今更……ネウロンを守りだしたわけでは、無いんですよね?」
『…………』
「スミレさんを探していたんですか……?」
『それもある。だが、他にも目的がある』
それは当然、ネウロンを守るためではない――とバフォメットさんは言った。
虚空を睨み、恨みの籠もった口調でそう言った。
『ネウロン人など死んでしまえばいい。だが、それでも契約は守らねば』
「契約……?」
『1000年前、私はネウロンで眠りについた。修復されたスミレの遺体と共に眠りについた。現実から目を背けてな』
「…………」
『マスター達はネウロンを去ったが、私はマスターに頼んだ。バフォメットが眠る場所と起こす方法についての示唆を残すように、と』
「何故……?」
『…………。ネウロン人の愚かさを確かめたかったのだ』
使徒・バフォメットは強力な戦士。
神器は抽出済みとはいえ、単騎でネウロン旅団を屠れる力を持つ。
そんなものをネウロン人が手に入れ、ネウロン人相手に振るうか見たかった。
『奴らが再び戦争に手を染めようとしたら、笑ってやろうと思った。マスターの慈悲を受けてなお、まだ争いに走るのだな――と』
「…………」
『ただ、私が思っていたような事は、起きなかった。ネウロンは実際に平和になったようだ。ネウロン人の自制心が素晴らしかったとは思わんがな』
「仮にネウロン人が貴方を起こしたところで、貴方は従わなかったでしょう?」
『いいや。従っていたさ。それが「契約」だからな』
バフォメットさんは疲れ果てていた。
ネウロン人に対する憎しみを抱きつつ、反逆事件を起こしたネウロン人の処刑も禁じられていた。……マスター達に止められていた。
スミレさんを失って……バフォメットさんは自暴自棄になっていた。
『私はマスターに逆らえない。そういう仕組みになっている』
「統制戒言を……<ドミナント・プロセッサー>の個人特化版をかけられているから、逆らえない」
『そうだ。ドミナント・レージングの仕組みを、私を起こした者にも適用するよう、マスターに頼んだのだ』
「貴方を起こした人を『契約者』と見なし、その奴隷になろうとしたんですか?」
『ああ。道具と言ってもらって構わん』
「貴方が憎むネウロン人相手でも、従っていたんですか……!?」
『あぁ、もう、どうでも良かったからな』
バフォメットさんが自嘲した。
その自嘲には怒りを感じた。けど、それ以上に自棄の色が濃かった。
『私が言いなりになるのを良いことに、ネウロン人が「世界を支配したい」「敵を皆殺しにしろ」と命じるのを見たら……笑えると思ったのだ』
「…………」
『どうだマスター、どうだ獅真! 貴様らが許したネウロン人は、子孫もまとめて愚かだぞ! そう言って……笑ってやるつもりだった』
「…………。笑えましたか?」
『……いや、私の思った通りにはならなかった』
ため息の後、言葉が続いた。
『私を起こしたのは確かにネウロンの人間だった。植毛は無かったため「ネウロン人」かどうか知らんが、確かにネウロン側の人間だった』
そんな人間に起こされた。
『あの男が、私の「契約者」となった』
「…………」
『だが、奴は「守ってくれ」と命じてきた』
契約者の命令は絶対。
真白の魔神は、バフォメットさんにそんな枷を与えた。
バフォメットさん自身に頼まれて、そんな改造を施した。
『私が思っていたほど、ネウロン人は愚かでは無かったのかもしれん。……だからといって奴らに対する恨みは消えないが、今更虐殺する気も起きん』
「ネウロンを守って、と命じられたから……?」
『いや、奴はそこまでの願いは吐かなかった。守る対象はあくまで2人だけだ』
「…………? バフォメットさんが与えられた契約者の枷って、一度契約者になったらいくらでも命令出来ますよね……?」
『ああ。「死ね」「殺せ」と追加で言われたら、その通りに動く事になる。契約者の命令は絶対だ。しかし、私を起こした契約者は死んだ』
そう言い、バフォメットさんは視線を動かした。
何故か、バレットさんを見つめつつ、指さした。
『そいつが殺した』
「……え?」
『私を起こした――いや、起こそうとした契約者は、契約の儀式中に殺害された。儀式の場に交国軍人が押し入ってきた事でな』
バレットさんが目を見開いている。
おまえ、まさか、あの時の――と言いながら。
『貴様が私の契約者を射殺した所為で、私の覚醒は中途半端なところで止まった。おかげで直ぐには動けなかった。……タルタリカはある程度動かせたが』
「バレットさん……?」
「ちがっ……! おっ、俺は……!」
バレットさんが頭を振りつつ、後ずさった。
バフォメットさんから、怯えた様子で距離を取っている。
「おっ、お前……! あの場に、いたのか……!?」
『石像が無かったか? アレは、眠りについていた私だ』
「――――」
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:使徒・バフォメット
『私は完全覚醒していなかったとはいえ、貴様らを見ていたぞ』
ドミナント・プロセッサーが壊れていく衝撃を感じ取り、意識は目覚めていた。
契約の儀式は行われておらず、身体の方は覚醒していなかった。
だが、見ることは出来た。
『貴様の悪行を見ていたぞ。貴様はネウロン人を虐殺しただろう』
「――――」
『機兵の脚で人を蕃茄のように潰し、機銃掃射で――』
「お、俺はっ! ちがうっ! 作戦で……!! ネウロン人のテロリストが、<赤の雷光>が! 人里離れた遺跡で、化学兵器の準備をしているって聞いて……!」
遺跡。それは私達が眠っていた地下基地の入り口部分だ。
マスターは、基地の入り口を遺跡として偽装していた。
契約者達は――このオークが言うところの「テロリスト達」は、基地の機械を使って私を表層まで運び出した。そこで契約の儀式をしようとした。
私を起こし、助けを求めようとしていた。
そこに交国軍人がやってきて――。
『貴様らは警告もせず、攻撃を開始した。仲間の軍人達と共に大勢殺した』
「そ、そういう命令だったんだ!! おれは……おれはっ……!」
『統制戒言による契約に縛られる私と違い、貴様は虐殺命令など断れただろう』
「お前に何がわかる! 俺には、故郷に家族が……!!」
『そんなものはいない。貴様らにいるのは、夢幻の紛い物だ』
「うそだッ! ウソだウソだウソだッ! そんなのっ! そんなの……!」
私に怯えるオークが、頭を抱えて蹲った。
ああ、私に怯えているだけでは無いのか。
交国が罪を着せた赤の雷光を、「作戦」「命令」という大義名分で虐殺した罪が怖いのか。今更怖がっているのか。
あるいは、ずっと怖がってきたのか? 震えていたのか?
現実を察していても、夢幻に逃避してきたのか?
『貴様の言う「化学兵器」とやらはあったか?』
「そ…………それは……。おれは、知らないっ! 敵をやっつけた後、後処理は……べつの、部隊が来て……! おれは、そんなものの専門家じゃないから――」
『無かったのだ、化学兵器など』
表層部の偽装遺跡だけではなく、地下にも無かった。
それなのに貴様らは正義ヅラをして、偽装遺跡に退避していたネウロン人を虐殺した。ちんけな武器しか持たず、恐怖で震えていた羊共を皆殺しにした。
いや、皆殺しではないな。
例外がいたはずだな?
「あそこには……たしかに、テロリストがいた! 赤の雷光がいた!!」
『魔物事件の罪を着せられた、ちんけな集団の事か?』
「――――」
『先程も話しただろう。魔物事件を起こしたのは交国人なのだ』
「ちがう。ちがうっ……! そうだったとしたら、おれのしたことは――」
ただの虐殺だ。
交国にとって、赤の雷光とやらは確かに「テロ組織」だったのだろう。
だが、奴らは魔物事件など起こしていない。
ネウロン人如きが、大したことなど出来るわけがない。
赤の雷光は方舟どころか、機兵すら持っていなかった。
手作り感満載の武器を手に震え、顔には疲弊の色をにじませていた。
仲間同士で身を寄せ合い、励まし合う虫けらに過ぎなかった。
ただ、人型兵器はいた。
私を使えば大事を起こせたかもしれないが、起こせていない。
そもそも、大事を起こす気さえなかったのかもしれない。
やるとしても、単なる正当防衛だったかもしれない。
交国軍、あるいはタルタリカの脅威から身を守る手段が欲しかっただけで――。
『私を起こしかけていた契約者は、私に「守ってくれ」と命令した。自分に致命傷を負わせた貴様らを「殺せ」ではなく、大事な者を守ってくれと言っただけだ。それなのに貴様らは――』
「ホントに知らなかったんだ!! おれは、命令されただけで……!!」
『夢幻の正義に酔い、「悪」を殺すのは楽しかったか?』
「おれは! 俺は――!!」
「待ってください! 待ってくださいっ……!!」
ベッドから下りてきたスミレの身体が、転げるような勢いで私に飛びついてきた。錯乱するオークに迫る私を止めてきた。
「バレットさんは、ただ命令に従っていただけです! 貴方の契約者を殺したとしても、逆らいようのない命令だったんです!」
『勘違いしないでほしいのだが、私は感謝しているのだ』
「えっ……?」
そこのオークを殺すと思ったのか?
違う。全然違う。
私は正直、契約者などどうでもいいのだ。
私の想像と違う命令だったとはいえ、奴は所詮ネウロンの人間だった。
本当に「ネウロン人」だったかは知らんが、ネウロン側に立っていた。赤の雷光というのは、そういう組織だったのだろう?
『契約者の仇討ちなど命じられていない。今後、命じられる可能性もあるが……今のところ命じられていない』
「今後……?」
『私を起こそうとした契約者は、あくまで守護を求めた。自分が本当に守りたい相手の守護しか命令出来なかった。他の命令を出す前に死んだからな』
奴は守護を優先したかったのだろう。
ネウロンのために戦っていたかもしれないが、優先度はそれが先だったのだ。
まあ、それも私の推測に過ぎないが――。
『契約者が死の直前に願ったのは、「息子と妻の守護」だ』
契約者は死んだ。
そこのオークが、他の「テロリスト」達とまとめて殺した。
しかし、命令は生きている。
そして、ひょっとすると新たな契約者も――。
『バレットと言ったか? 貴様、1人だけ生かしただろう?』
蹲っているオークを摘まみ上げ、問いかける。
スミレの身体が止めてくる。だが、止められない。
スミレの身体は戦闘用のものではない。
『貴様ら、テロリストは皆殺しにしたが、子供は生かしたはずだ』
「――――」
『その子供は、契約者の守護対象だ』
しかも、単なる子供ではない。
私を起こそうとした契約者と血縁関係があるなら、その子供は――。
『あの子供をどこに連れていった? それとも後で殺したのか?』
「知らない! こ、ころしてないっ! こどもを、ころすわけ……!!」
『では、どこに連れていった?』
あの時、私はまだ自由に動けなかった。
このオークと所属部隊は、虐殺を行った後、後処理は他の部隊に任せていた。
ただ、生き残った子供は連行していった。
契約者が「守ってくれ」と言った対象の1人を、コイツらは連れていった。
「交国の役人に引き渡したんだ! ころしてないっ! しんじてくれ!!」
『本当か?』
「こどもを、こっ……ころせる、わけっ……!! おれは、命じられただけで……! ちがう。おれは……。テロリストを、止めようとしただけで……! みんなを、守ろうと……! 魔物事件なんて起こした、テロリストを……!」
締め上げ、情報を絞り出す。
だが、大した情報は得られなかった。
ネウロンのどこかの開拓街にいる――かもしれない。
あるいは、界外に連行されていったかもしれない。
少なくとも、このオークはあの子供は殺さなかった。
テロリストの死体にすがりつき、泣き叫んでいようと、子供に関しては「テロリストの一員」としてみなさなかった。だが、責任など取らなかった。
嘘ばかりつく交国の役人に引き渡した。生きていない可能性もあるが……逆も有り得る。子供なら大した脅威には考えられなかっただろう。
生きているなら、見つかる可能性はある。
『改めて感謝しよう。命令の対象が死ななかったのは、貴様が最後の一線で踏みとどまってくれたおかげだ』
締め上げていたオークを下ろす。
ゲホゲホとむせているが、死にはすまい。
軽く締めただけだ。今後も殺す必要はない。
殺す価値もない。所詮、交国の雑兵だ。
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:不能のバレット
そんなつもり、なかったんだ。
俺は、俺達は、後進世界を救うために派兵された。
そのはずだった。
命令されたんだ。言われたんだ。
俺達は、正しいって。
あんなことになるなんて、思わなかったんだ……。
だって、知らなかったんだ。
殺さなきゃ……みんな、守れないって……。
ネウロンが、あんなひどい状態になって……。
もっとひどい状態にならないと、誰かがやらないとって……想って……。
おれは……ただ、守りたかっただけなんだ。




