ドミナント・プロセッサー
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:死にたがりのラート
「ヴィオラ、知ってるのか? そのドミナント・プロセッサーってやつ……」
「は、はい。あくまでスミレさんの記憶から……ですけど……」
やけに驚いた様子だったヴィオラに問いかける。
ヴィオラは俺の問いに答えた後、思案顔で「そうか……アレを使ったからネウロンは『平和』になったんだ……」と呟いた。
「試作型でも、多少の影響力は持っていたでしょうし……」
『多少で良かったのだ。ネウロン人は大した存在ではないからな』
「そういう言い方は――」
「…………」
「あっ、す、すみません、ラートさん……。私の知ってる範囲で説明します」
話題に置いてけぼりだった俺を見て、ヴィオラが説明を始めてくれた。
バフォメットに対して、「いいですよね?」と問いかけた。バフォメットが頷くと、ヴィオラは俺に視線を向けつつ喋り出した。
「統制機関は、真白の魔神の発明です」
「そこは察してたが……どういう機械なんだ?」
「いえ、機械というか術式なんです。その効果は『人体への干渉』です」
「人体への干渉……? え? おい、まさか――」
嫌な想像が脳裏をよぎる。
真白の魔神は相当ヤバい奴だ。
バフォメットはヴィオラは「比較的まとも」と言っているが、倫理観に問題あるのは間違いない。そのうえ技術力もとんでもない。
「人間を操る術式か……!?」
「ま、まあ……そういう感じです。でも、当時存在していたのは試作型なので、大したことは出来ないんです」
『ドミナント・プロセッサーの制御下にある人間に干渉し、思考を誘導する程度の力しかない。基本的にはな。特別な命令次第ではそれ以上のことも出来るが……』
思考を誘導するって事は、多少なりとも言動を操れたのか。
「それ使って、『争いをやめなさい』と念じ続けたのか?」
『大雑把に言えばそうだ』
真白の魔神が去った後、ネウロンには戦争への抑止力がなくなった。
だが、魔神は「シオン教」と「試作型ドミナント・プロセッサー」を残した。
『ネウロン人が争いなど考えないよう、命令を与えておいたのだ。それはドミナント・プロセッサーを通じてネウロン人を制御していた』
「……真白の魔神が『死ね』って念じるだけで、皆死ぬような状態だったのか?」
『残念ながら……試作型には、そこまでの力はない』
やっていたのはあくまで思考の誘導。
自殺を命じたところで、本人の「死にたくない」という思いには勝てない。普通の人間ならそこまで思い切った行動は出来ない。理性が働き、勝つ。
死にたいなぁ……と思っている人間の背を押す程度は出来るらしいが――。
『しかし、自分に大きな害がない命令なら、ドミナント・プロセッサーの制御が勝る。「争っても良いことはない」「戦争など愚か」「皆で手を取り合った方が効率的」と思考誘導を行うことで――』
「ネウロンに、1000年の平和が訪れた……」
強制的な平和だ。
けど、それでも……死者は減らせたのかもしれない。
真白の魔神が去った事は、ネウロンに大きな混乱をもたらしただろう。
混乱に突き動かされた奴らが暴走しかねない状態だったはずだ。だが、それを「思考を誘導する術式」で無理矢理押さえ込んだ。
ネウロン人達は、無理矢理押さえ込まれている自覚すら無かったかもしれない。
『私はさっさと眠りについたため、真白の魔神が去って間もない頃のネウロンがどれほど荒れたかは知らん。しかし、闘争を望む一部の人間が暴れたところで、全員がそうはならなかったはずだ』
「少しでも『平和を望む心』を持っていたら、ドミナント・プロセッサーがその気持ちを増幅するって感じか……?」
『そうだな。試作型ドミナント・プロセッサーは強い想いには抗えないが、逆に弱い気持ちは増幅する』
平和を望む心が多少あればいい。
それを術式が後押しし、想いのかけ算が発生する。
『平和が長く続けば続くほど、「平和なのが当たり前」という考えが堅固になっていく。いや、普通なら痛みを知らない世代が戦争を起こすかもしれんが――』
「戦争を起こそうにも、戦争用の兵器生産がそもそも行われていない」
戦争を起こそうにも、沢山の準備が必要になる。
準備が沢山いるってことは、それに携わる人も沢山いる。
関わる人が多いほど、その中に穏健派が紛れ込みやすい。1人1人の想いは小さくても、その想いをドミナント・プロセッサーが後押しし、「平和を望む者」が立ち上がる。
その声に呼応し、戦争準備に参加していなかった者達も動き出す。結果、戦争準備自体が頓挫してしまうって感じか……?
『普段から準備をしておかねば、戦争など簡単には起こせん』
「ネウロンに軍隊が無かったのは――」
『軍隊も真白の魔神が解体を命じたからな。真白の魔神が去った後、再建しようとしても、それも失敗する』
そのうち、再建を試みる者すらいなくなったのかもしれない。
何で戦争するの?
皆で仲良くしたらよくない?
そんな考えで――。
「け、けど……必要に迫られたら……? 真白の魔神が去った後、ネウロンの文明は退化したんだろ? 飢饉が発生したら『誰かと争ってでも食べるものがほしい』って考える人は出たはずだ!」
『その場合は、シオン教団が介入・支援を行ったはずだ』
シオン教団は単なる宗教組織ではない。
寄付無しでもやっていけるだけの事業があった。一種の商業組織だった。
『教団は農業にも力を入れていた。真白の魔神は、農業に関しては技術の引き上げを最低限にした。そうしなければ大量の餓死者が出るからな』
シオン教団は農業協同組合まで設立していた。
それにより、農家への支援も行っていた。技術の指導、市場の構築、金銭の支援まで行い、ネウロン人が可能な限り安定した農業を続けられるよう支援した。
『もちろん、それでも死者は出ただろう。しかし、そもそも軍隊が解体され、兵器もろくにない環境だったため――』
「飢え苦しんだ奴らが、手を伸ばす武器すら直ぐ揃わない……」
大規模な軍事行動が取れない。
窮した時にはもう戦争準備すら出来ないほど、疲弊している。大人しく死んでいくか、シオン教団の支援にすがりつくしかない。
『シオン教の教義も、ドミナント・プロセッサーによる干渉が働きやすいよう工夫した。アレを作った使徒はそういう仕組み作りが得意だったからな』
真白の魔神が去った当初は、さすがにいくらか荒れたかもしれない。
けど、「強制平和化」の勢いが勝った。
平和が当たり前のものになっていき、ネウロン人は「温厚な人種」になった。
「実際……平和になっていたのはわかる。でも……」
本当にそんなこと、可能なのか?
それって「世界規模の洗脳」だろ?
ネウロンは辺境の世界とはいえ、世界1つ丸ごと支配する術式なんて……。
「そのドミナント・プロセッサーって術式、よく維持できたな……? 世界規模の影響力を持つなんて、術式とはいえ……莫大な維持費がかかっただろ」
『そうでもない。術式維持用の部品は、勝手に増えるからな』
「バフォメットさん……! その言い方はあまりにも……」
ヴィオラは抗議らしき声を出したが、バフォメットはまるで構う様子はなかった。淡々と言葉を続けた。
『部品とはネウロン人だ。奴らは奴らを統制するためのシステムの部品として勝手に増殖する。部品としての資格を親から受け継ぐ。奴ら自身が術式の媒体となる』
「……それこそ、巫術の才能が遺伝するように……?」
『そうだ。意外と早く理解したな』
「いや、意味がわかんねえよ」
自分なりに考え、言葉にしていく。
ドミナント・プロセッサーは「思考誘導」の術式。
その影響はネウロン限定とはいえ、世界規模の術式。
そんな術式、化け物並みの術式使いとか、神器使いでもなきゃ維持できないはずだが……真白の魔神はネウロン人を媒体とすることで「自動化」と「維持コスト削減」に成功したって事か?
バフォメットとヴィオラに聞くと、概ねそういう理解でいいらしい。
『真白の魔神も暇ではない。ネウロン人如きのために、自ら術式を維持するほど暇ではない。ゆえに自動化を行ったのだ』
「ネウロン人は『巫術の才』を遺伝的に受け継ぐみたいに、『ドミナント・プロセッサーの媒体』という特製も受け継いでいるのか」
『そうだ。ネウロン人は非巫術師も含め、一種の術式使いなのだ』
全ネウロン人の術式使い化。
その術式により、全ネウロン人を制御する。
『ドミナント・プロセッサーは、媒体となった知的生命体の脳の処理能力を借り、干渉を行う。そこらのネウロン人、1人1人の処理能力などたかが知れている。本人すら気づかない形で術式処理を行っているため、なおさら弱い』
「けど、沢山のネウロン人を束ねれば……」
『ネウロン全体を包む術式に出来る。奴らは「術式行使装置」と「術式通信網」にもなっているのだ』
複数のネウロン人によって、ドミナント・プロセッサーは維持されている。
1つ1つの力は弱くても、1人1人が術式行使に必要な作業を分担する。さらに1人1人が中継アンテナの役目までこなす事で、世界すら覆える。
『術式維持に必要なエネルギーも、ネウロン人で解決できる』
「栄養補給で……?」
『違う。混沌だ』
混沌は知的生命体の感情から生じる。
術式の媒体となった「ネウロン人」が、エネルギーの生産装置の役目も担う。
『実に効率的だろう。媒体が経年劣化で壊れても、子孫という新媒体が補充できるのだ。媒体としての才能は巫術と同じく遺伝していくからな』
「…………」
『愚かなネウロン人でも、上手く使えばそれなりに役に立つ。奴らも人間だからな。その脳を束ねれば、そんじょそこらの演算装置を圧倒できる処理能力と通信網が構築できるわけだ』
人こそが、最高の自立情報処理装置。
バフォメットはそう言った。
「……非人道的だな」
『逆だろう。人道的だ。実際、平和になっただろう?』
「それは…………そうかもしれねえけど……」
平和だったのは事実だろう。
けど、それって「合意」の上で行われた事なのか?
そう問うと、『当然、合意など取っていない』という言葉が返ってきた。
『愚かなネウロン人の許可などいらない。奴らは我らを裏切った』
「それはあくまで『昔のネウロン人』だろ?」
現代のネウロン人には、関係ない話だ。
親の罪を、子に負わせ続けている話じゃないのか……?
「……アンタら、まさか、最初からネウロン人を操るつもりだったのか?」
『…………』
「試作型だかなんだか知らねえが、実際にネウロン人を操る術式は出来ていた。で……アンタらは自分達の手駒を欲しがっていた」
ドミナント・プロセッサーを使えば、人間をコントロールできる。
コイツらは何も知らないネウロン人を都合良く使おうとして、しくじった。
しくじっていたとしても、最初から利用しようとしていた。自分達の目的のためにネウロン人を騙そうとしていたんだ。
「お前ら、ネウロン人の『巫術師化施術』と一緒に、ドミナント・プロセッサーを仕込んだんだな? ネウロン人を魂までしゃぶり尽くす勢いで――」
『阿呆が。試作型ドミナント・プロセッサーが機能していたら、ネウロン人は最初からもっと従順だった。反乱など起きていなかった』
「あっ……」
『試作型はあくまで反乱鎮圧後に起動したものだ。ネウロン人に「平和」をくれてやるためにな』
「じゃあ、どのタイミングで『ネウロン人の改造』をやったんだ? 巫術師化と一緒じゃなきゃ、反乱鎮圧後に全ネウロン人をわざわざ改造したのか?」
『そこまで大げさな事はしていない。奴らの食事に「術式細機」を仕込んだだけだ。それにより、奴らが気づかないうちに媒体として改造したのだ』
ドミナント・プロセッサーは、ネウロン人の合意など取らず作動させた。
ネウロン人が知らないうちに、ナノマシンで人体改造して――。
『そもそも、ドミナント・プロセッサーは「人間用」の術式ではない。人間にも転用できるから使っただけだ』
「何相手に使うつもりだったんだ……?」
『天使だ』
真白の魔神達はプレーローマと敵対していた。
だが、プレーローマは強大で、真白の魔神達も苦労する相手だった。
『真白の魔神は天使達に術式細機を打ち込み、自分の傀儡にしようとしたのだ。敵を捕虜にすればするほど、戦力が増える』
「まるで将棋だな……。それも非人道的だと思うが」
『相手は人間ではない』
結局、天使相手には上手く作用しなかったらしい。
奴らは人間じゃない。普通の人間とは身体構造が異なる。
『試作型ドミナント・プロセッサーでは、奴らを傀儡に出来るだけの力はなかった。改良が進めば天使すら支配下に置けるかもしれんが――』
そこまでスゴい技術が実用化していたら、噂ぐらい聞いてそうだ。
けど、少なくとも対プレーローマ戦線にそんな技術が使われている――って話は聞いた覚えがない。俺はそこまで情報通じゃないけど……噂も聞いた事がない。
真白の魔神が天才なら、そのうち完成させる可能性はあるのか。
……いや、死ぬたびに記憶を失うなら、ドミナント・プロセッサーの作り方や使い方に関しても忘れていくのか……?
「けど、ネウロン人相手に使ったのは……非人道的に感じる。本人達のためだったとしても、合意も取らずに洗脳をするなんて……」
『貴様らよりマシだろう』
「なに――?」
『交国政府は、揺籃機構なるものを使い、貴様らを制御している。貴様らは平和どころか家族すら与えられず、軍事利用されている』
交国よりマシだ――と言われた。
返す言葉が見つからない。
交国政府が、本当にそんな事をしているなら……俺は……。
「私は……真白の魔神がやった事を、諸手を挙げて賛成できません」
俺が黙り込んでいると、ヴィオラが口を挟んできた。
悲しそうな表情でバフォメットを見つつ、言葉を続けた。
「確かに、真白の魔神は慈悲深いのかもしれません。あの御方――いえ、あの人のやったことで救われた人も、確かにいたのかもしれません」
『…………』
「けど、平和が全てを解決してくれたわけじゃない」
平和はネウロン人から「牙」を奪った。
戦争も、兵器も、戦う意志も奪った。
それによって「平和」が訪れたが――。
「過剰な平和は、ネウロン人から抵抗力を奪いました」
『……交国に対する抵抗力か』
「はい……。ネウロンはろくに抵抗できずネウロンを支配され、主権を奪われました。……バフォメットさん達も、そうなる可能性を予想していたのでは?」
『…………』
バフォメットはしばし無言だった。
ただ、真っ直ぐ見つめてくるヴィオラ相手に根負けしたのか、口を開いた。
『1000年、平和だった。ネウロン人は十分、平和を楽しんだだろう』
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:歩く死体・ヴァイオレット
「子供達は、そんな長生きしてません。1000年も平和を享受してません」
『…………』
「子供達は、エデンの反逆者じゃない。その遠い子孫に過ぎないんですよ……?」
親の罪ですらない。1000年前の話なんて。
もう、ほぼ他人程度の血の繋がりでしかない。
エデンにも葛藤があったと思う。
彼ら全員が無慈悲だったわけじゃない。
ネウロン人を気遣うこともあった。仲間として接することも、当然――。
「侵略してきたのは交国だとしても、エデンの選択の結果でもあるんです」
『…………』
「エデンはネウロンを無菌室にした。それがネウロン人のためになると主張し、彼らを争いという病原菌から遠ざけた」
『…………』
「それで救われた人も、確かにいたはずです。でも……エデンは何の罪のない人達に対しても、それを押しつけた。『平和のため』と言いながら、最後まで責任を取らなかった」
交国という病原菌を、入ってくる前に処理しなかった。出来なかった。
結果、ネウロンという無菌室は壊滅状態に陥った。
そうなる可能性なんて、わかっていたはず。
責任が取れない事もわかっていた。
真白の魔神なら予想がついたはず……!
「スミレさんが、こんなことを望んでいたはずが――」
『黙れ』
片手で顔面を押さえていたバフォメットさんが、そう呟いた。
『スミレの口で、スミレの言葉を語るな』
「…………」
『貴様は、違う。…………スミレでは、無い』




