愛娘の死
■title:解放軍鹵獲船<曙>にて
■from:歩く死体・ヴァイオレット
「あたたっ……」
「だ、大丈夫かっ!? ヴィオラ……!」
「は、はい……」
痛む身体を動かし、何とか上体を起こす。
心配してくれたラートさんが慌てて手を添えてくれたので、その助けも借りる。
状況はわからない。ただ、空っぽだった記憶は満たされている。そもそも「私」の記憶なんて無いに等しかったけど――。
「ラートさん、無事――じゃないですね!? けっ、怪我してませんか……!?」
包帯を巻いたり、火傷が見えているラートさんの身体を触ると、ラートさんは「俺はどうでもいいんだ」と言ってきた。
どうでも良くないですよ――と言いつつ、ラートさんの身体の具合を確かめる。逆にラートさんの手が私の両手を取り、「お前の方が大丈夫か?」と聞いてきた。
「お前は大怪我してただろ。あ……脚とか、大丈夫か?」
「え? えぇ……。まだ身体は痛みますが……」
無茶をしなければ問題ないはず。
脚も動く。まだ走るのは無理だろうけど、数日したら治ると思う。多分。
動作はするし、感覚もちゃんとある。身体はまだ痛むし、寝たきりだった影響でまだ上手く動けないけど……それでも死ぬほどじゃない。
「これ……バフォメットさんが治療してくださったんですよね?」
ありがとうございます、と伝えると、うずくまっていたバフォメットさんは――力なく首を振りつつ――応急処置をしただけだ、と言った。
『あとは、キミ自身の力で治るはずだ』
「……すみません。せっかく治していただいたのに……私は……」
『気にするな。スミレの件は……私が勝手に期待していただけだ』
明らかに落胆していたバフォメットさんが、ヨロヨロと立ち上がった。
ラートさんはバフォメットさんを警戒した様子で見つめつつ、私を庇うように立っている。……多分、そういう事をしてもらう必要がない。
バフォメットさんは交国軍の敵だけど……話は通じると思う。
むしろ……私達の味方かもしれない。
「さっきからお前らは……何の話をしているんだ? 結局、ヴィオラと『スミレ』って人は、別人ってことでいいのか?」
「ええっと……一応、私はヴァイオレットですけど。身体はスミレさんなんです。私が……彼女の身体を奪ってしまったんです。ごめんなさい……」
「ど……どういう事だ?」
『奪ったのではない。不可抗力だ。キミが気にしなくていい』
「でも……」
『結局、我々の知る真白の魔神では無理だった――という事だ』
私は起きたばかりで「現状」はあまり理解出来ていない。
繊一号で起きた戦いが、あの後どうなったかも――。
ただ、バフォメットさんの正体や、言っている事は理解できる。
当然、「スミレさん」についても――。
『スミレはもう死んでいる……そういう事だ』
「あぁん……?」
「ええっと……スミレさんと私は、身体だけ同じで――」
私達は人造人間。真白の魔神が造った人造人間。
ただ、元々は「スミレさん」しか存在しなかった。
スミレさんはバフォメットさんの娘だった。……スミレさん自身も、バフォメットさんの事を親として慕っていた。
直接の血の繋がりはなくても、2人は強固な絆を持っていた。その絆は目に見えるものではないけど、2人は確かに親子だった。
「でも……訳あって、スミレさんは亡くなってしまったんです」
「…………」
「それで、マスターが……真白の魔神が死者蘇生施術を試みたんです。スミレさんの遺体に対して……。でも、蘇生は失敗だったようです」
蘇生自体は失敗した。
マスターも「そうなる可能性が高い」と思っていたはず。
私の頭に、その時の記憶は存在しない。けど、マスターは本気でスミレさんの蘇生を試みたはず。……失敗する可能性が高いと考えつつも……。
「でも、身体の蘇生は成功したんです。その身体は……いま、ここにあります」
自分の胸を触りつつ、そう言う。
マスターは非常に優れた力の持ち主だった。多次元世界の技術の先取りしていたから、肉体の損傷は修理可能だった。
問題は魂。
魂に関しては修理しようにも、無くなっていただろうから――。
「スミレさんの死により、彼女の身体から魂は消失しました。無いものは治せません……。そこでマスターは既存技術で死者蘇生を試みました」
「既存技術……?」
『記憶のバックアップ移植だ』
私が言うより早く、バフォメットさんが説明の言葉を継いでくれた。
スミレさんを失ったこの方にとって……苦しい言葉だろうけど……。
『真白の魔神は「記憶のバックアップ作成」に成功していた。脳や魂に保存されている情報の転写に成功していた』
「それのどこが、死者蘇生と関係して……」
『死んだ人物と、まったく同じ記憶の持ち主を造れたら?』
「――――」
スミレさんは死に、魂は失われた。
けど、スミレさんの「記憶」のバックアップは存在していた。
スミレさんの情報を死の瞬間まで記録していたわけではないから、完璧なバックアップではない。けど、彼女の記憶の大半は保存出来ていた。
『マスターはスミレの肉体を修復し、あの子の記憶保存媒体を私に託した。そして、私は昨日そのバックアップを使った』
「使っ…………。はっ……?」
『その子に、スミレの記憶を上書き保存した』
ラートさんが絶句している。
バフォメットさんの説明は……ちょっと性急かな。捕捉しておこう。
「私はスミレさんではありません。私はスミレさんの肉体に宿った、まったく別の新しい魂です。だから私の記憶はフェルグス君に会って以降のものしかない」
マウさんとロイさんに会って以降のものしかない。
最初から、私は「思い出す記憶」なんてなかった。
あくまで肉体に過ぎない。……私は偶然、肉体に宿ってしまった無関係の魂に過ぎない。私は「ヴァイオレット」でしかない。
「いや、待て……! ヴィオラは記憶喪失だろ!?」
「いえ、私自身の記憶なんて無かったんです」
私は記憶喪失じゃない。
失う記憶が、そもそも存在しなかっただけ。
「でも、ヤドリギとか混沌機関の整備方法とか、色んな知識が……!」
「それはスミレさんの知識です。ある程度……それが残っていただけです」
彼女の知識が、死んだ肉体にいくらか残っていただけ。
彼女の知識が……私達を助けてくれていただけ。
私は部分的な知識しか知らなかったけど、今は違う。
「それで……先程バフォメットさんが仰ったように、スミレさんの記憶保存媒体が肉体に上書きされたようですね。そのおかげもあって、私はバフォメットさんの事を知って――」
「――――!」
「ラートさん!?」
ラートさんが動き、バフォメットさんの胸ぐらを掴んだ。
バフォメットさんは抵抗せず、されるがままになっている。
「ちょっ……! 待ってくださっ――いたたっ……?!」
「バフォメットッ! つまり、お前は! ヴィオラを消そうとしたのかッ!?」
『ああ……』
「ヴィオラはヴィオラだった! 偶然、肉体に宿った魂だったとしても……! それでもヴァイオレットという1人の人間だったのに、テメエの娘の記憶を上書きして、ヴァイオレットを消そうとしたってことか……!?」
バフォメットさんは、私が消えてしまっても良かったんだろう。
バフォメットさんにとって、一番大事なのは「スミレさん」だ。
私は赤の他人。それどころか「娘の身体を乗っ取った他人」だ。
でも――。
「ら、ラートさん……。ちょっと、待ってください……」
お腹が痛い。あまり声を出せないでいると、部屋の隅にいたバレットさんがオロオロしながら近づいてきてくれた。
倒れそうな身体をバレットさんに支えて貰いつつ、ラートさんに声をかける。
「わ、私は……無事ですから。私は『上書き』で消えてません……」
「だとしても、消そうとしたんだろうが! コイツは……!」
『そうだ。私は、ヴァイオレットという個人に興味はない』
大事なのは、あくまで娘。スミレさんを蘇生したいだけ。
バフォメットさんの望みは、それだけだったはず。
『その子を消そうとした。その認識で間違ってない』
「…………!!」
「ラートさんっ……! おねがいですから、落ち着いてっ……!!」
怒っているラートさんに何とか落ち着いてもらう。
バフォメットさんから離れてもらって、その手をギュッと握って止める。
「ヴィオラ、お前……。お前自身の記憶、大丈夫なのか!?」
「はい。私、目覚めてからの記憶ってそんな長くないので……。上書き保存された『スミレさんの記憶』を受け取っても、記憶の容量に余裕あって無事だった~って感じですね」
「ホントか……?」
心配そうに疑っているラートさんに耳打ちする。
耳かきお好きですよね、と耳打ちするとビックリされた。
この情報はスミレさんも持ってませんよ。
「意識ない間に須臾学習を『ドバ~!』と入れられたので、起きた時に情報の洪水で頭がクラクラしましたけど……今は大丈夫です」
いまもさすがにちょっと、頭がぐわんぐわんしている。
けど、これはちょっとした情報酔いに過ぎない。
容量確保のための記憶消去は行われていない。
「私は無事なんで、怒らないでください。そもそも……私がスミレさんの身体を取っちゃったのが悪かったんですから……」
『キミがその身体に入っていなくても、スミレの蘇生は不可能だっただろう』
バフォメットさんは残念そうにしつつ、重ねて『気にするな』と言った。
『所詮、記憶のバックアップ。それで「スミレと同じ記憶を持つ者」が再生したところで……それは……おそらく、スミレではない』
「…………」
『私も、それはわかっていた。わかっていたから……決断できず、1000年間……バックアップを使えずにいた』
けど、目覚めて動いている「私」を見てしまった。
確保し、バックアップを投入せざるを得なかった。
微かな希望を抱きながら。
この人にとって……スミレさんは、本当に大事な存在だったから……。
私の中にはスミレさんの記憶がある。だから、それを理解出来てしまう。
「結果的に、ヴィオラが消えずに済んだだけじゃねえか……! マジの記憶喪失になる一歩手前みたいなもんだろ……!?」
「ラートさん……」
ラートさんが心配してくれるのも、わかる。
私はヴァイオレット。「スミレさんの記憶を持っている」ヴァイオレットだ。
だから、ラートさんが心配してくれるのもわかる。
「バフォメットさんを怒らないでください。お願いです」
説得し、止めてもらう。
その後、バフォメットさんに改めて謝る。
「本当にごめんなさい……。私に使ったから、バックアップも消えちゃいましたよね……? マスターなら、私から吸い出すことも可能かもですけど……」
『いや……いい。おかげで、諦めがついた』
「…………」
『キミの中で、スミレの記憶はどうなっている?』
「ほぼ定着しています。けど、何と言うか……自分の記憶だと思えません」
100万本の映画を一気に見た気分。
スミレさんの記憶を受け取ったことにより、彼女の感情や知識は理解できる。
けど、あくまで他人事。感動的な映画を見て、心は震えたものの……本質的には他人事。「登場人物と私は別人」という認識が強い。
「マスターの須臾学習は一瞬で膨大な情報共有可能な素晴らしい発明です。けど、一瞬過ぎるのも考え物かもしません……」
『定着が早すぎるからこそ、強く他人事と感じてしまうのか。なるほど』
「実際に体感すると、そんな感じです。時間はかかりますが……バックアップが体感した時間と同じ時間で定着作業した方がいいかもしれません」
それはそれで須臾学習の強みが失われる。
そもそも、「真の死者蘇生技術」じゃない。
蘇生ではなく、完全複製体に至る技術だ。私の場合、肉体以外の複製は実質出来なかったから……そういう意味では失敗している。
ただ、マスターにとっては記憶定着速度も重要だったはず……。1日程度で定着が終わるならともかく、数十……数百年がかりは論外だろう。
それでもマスターと会ったら改善案を提言してもいいかもですね――と言うのは避ける。バフォメットさん相手にそれを言うのは無神経過ぎる。
私達の話を何とも言いがたそうな顔で聞いていたラートさんに対し、「とにかく私のために怒らないでください」と言う。
「私は無事です。ヴァイオレットの記憶はキチンと残ってます」
「結果的にはな……」
ラートさんが大きなため息をつき、バフォメットさんを軽く睨んだ。
「お前らがやろうとしたことって、要するに……記憶のコピーだろ? これのどこが死者蘇生なんだ」
『お前が言いたいことはわかる。記憶が同じでも、魂が異なればそれは別人と言いたいのだろう? ……だが、当時の私は……それしかすがれなかったのだ』
「つーか……別にヴィオラの身体じゃなくて良かったんじゃないのか? この子はもう、この子の自我があるんだし……他に肉体を用意出来なかったのか?」
「須臾学習は、身体も重要なんです」
例えばディスク型の情報記憶媒体があったとしましょう。
その中には誰かに記憶が入っています。
けど、それ単体では読み取れません。
紙や石版のように、人間の眼で読み取れる情報は限られますからね。
「読み取り専用のハードも必要なんです」
「ゲーム機のソフトが、どのゲーム機でも読み取れねえようなもんか……?」
「ですです。その点、スミレさんの身体は『特別』でした」
彼女は「神器使いの遺体」を使って造られた人造人間ですからね。
それも、あの真白の魔神が手がけた特別製の人造人間です。
私も身体だけスミレさんと同じなので、同じ事は出来るんです。
その辺の人や、半端な性能の人造人間を造ったところで、スミレさんの記憶を入れることすら出来ない。凄い技術ですけど、汎用性は高くないんです。
まあ、マスターのことなので、将来的に解決できるかもですけど――。
「……なあ、おい、話を戻していいか?」
少し考え込んでいたラートさんが、そう言った。
「そもそも……スミレって人の身体は、バックアップとして造られたのか?」
『そうだ』
「最初から、そういう目的で真白の魔神が造ったものなので……」
材料も特別なものが必要だった。
だから、マスターは「神器使いの遺体」を使った。
バフォメットさんを騙して使った。
『元々、スミレの身体は真白の魔神用の器だった』
「真白の魔神の記憶を、スミレって人に上書きしようとしたってことか? それで『自分自身のコピー』を造ろうとしたのか……!?」
『その通りだ』
ラートさんの表情が「驚愕」から「嫌悪」へ変わっていく。
まあ……そういう反応になりますよね。
真白の魔神は、とても優秀な発明家でした。
優秀過ぎて現代倫理の遙か先を走っているとこ、あったんですよねー……。




