ブロセリアンド解放軍
■title:神に見放された地にて
■from:死にたがりのラート
妙な質問をしたエノクさんが、車に戻っていく。
運搬車の扉が閉まる音が聞こえた。今度こそ手術を進めてくれるらしい。
俺達が話をしている間、史書官はせっせと茶を淹れる準備を進めていた。お湯が沸いたので、あとは史書官だけで出来るだろうと思ったが――。
「さ、ラート様。ここに座ってくださいな」
「俺は見張りが――」
「貴方は私達に恩義があるでしょう? フェルグス様を助けてもらう、という恩義がある以上、同席してお茶を飲むぐらいはしてくださいな」
確かに……付き合うのが筋か。
周辺を警戒しつつ、史書官の傍に立ったが、「座ってください」と促された。今のところ敵が来る気配は無いので、仕方なく史書官の対面に座る。
カップに入った茶を受け取り、少しだけすする。
「竜のウンチを土代わりに育てたお茶の葉です。美味しいでしょう?」
「俺は味覚が無いけど、さすがにマズく感じてきたぞ……。聞きたくなかった」
「まあ! これ、結構お高級なものですからね? 交国の起こした戦争の所為で、今は一層手に入り難くなっているんですから……」
史書官はニコニコと笑いつつそう言った。
適当に聞き流し、話を聞く。
「アンタらも、繊一号にいたのか?」
「ええ。調査から戻ってきたところでした。で、運悪く事件に巻き込まれ、エノクと2人で逃げてきたのですよ」
「交国政府の監視は?」
そう聞くと、史書官はお茶をすすった後、「戦闘の所為ではぐれちゃいました」と言った。監視を撒いたの間違いじゃねえだろうな……。
「しかし、アレは何だったんでしょうね? タルタリカの襲撃に乗じて、交国軍……というか<ブロセリアンド解放軍>が蜂起したって感じですか?」
「いや、羊飼いの仕業だ」
例の放送は聞いたらしいが、正確な情報はわかってないらしい。
助けてもらっている恩もあるし、繊一号で何があったか説明する。
不確かな噂とか、巫術師が暴れていた事は出来る限り伏せて……。
俺の説明を聞いた史書官は、興味深そうに聞いてきた。「貴方達が言うところの『羊飼い』には会えましたか?」と聞いてきた。
その問いに頷きと、詳しい話を返す。
「奴は『バフォメット』と名乗っていた。あと『最初の巫術師』とも言っていた。アンタの推測通り、羊飼いの正体は<真白の魔神>の使徒だったんだろう」
「繊三号で貴方達が勝利したものの、仕留められてなかったのですね」
「みたいだな……」
繊三号の戦いで、俺達は羊飼いを海門経由で混沌の海に追い出した。
あとは荒れ狂う混沌が奴を殺してくれると思ったが……あの野郎、奇跡的に生き残ったらしい。強いうえにしぶといとか、嫌になる相手だ。
「繊三号での戦いからそうなんだが……羊飼いはタルタリカを自由に操っている様子だった。繊一号に来たタルタリカも、奴が操っていたもんだろうよ」
「ネウロン旅団、再び大打撃ですか」
「ああ。繊一号でも……軍人が大勢死んだはずだ」
一般人も死んでいるかもしれない。
ただ……俺達が逃げる時、町で一般人の姿は見なかった。
戦闘前から避難所に逃がされていたのかもしれない。繊三号でも一般人の被害はそんなになかったし、羊飼いは一般人の虐殺は避けたいのかもしれない。
…………なんでだ?
繊一号どころか、ネウロン中で無茶苦茶やりやがった奴なのに、被害を受けているのは交国軍ばかりだ。
羊飼いが黒幕と考えられる事件では、一般人の被害はそんなに聞いていない。ゼロではないが極端に少ない。
奴は「敵はあくまで交国軍」と考えているのか?
犯罪者のくせに随分と紳士的だ。
もしくは……何か目的があるのか?
例えば「ネウロン人を助けたい」って考えがあるとか……。
……本当にそうか?
奴は<真白の魔神>の使徒だ。史書官の推測通りならそうだ。
真白の魔神は<叡智神>と同一存在で、叡智神はかつてネウロン人に反抗され、ネウロンを出て行った。その使徒がネウロン人を守る義理なんてあるのか……?
「…………」
「おっ、ラート様。頭がボンヤリしてきましたか? それとも考え事?」
「あ、あぁ……。スマン……」
少し、考え込み過ぎた。
それに……倦怠感が強くなっている気がする。
しゃんとしないと、と思いつつ、茶を一気に飲み干した。
「繊一号の事件の裏に……使徒・バフォメットがいたとしたら、私が逃げたのは失敗でしたね。あそこに留まって、彼の使徒と接触すれば良かった」
「そりゃ無茶だろ。殺されるぞ」
雪の眼の上にいる<ビフロスト>は中立の組織。
交国どころか、プレーローマとも中立の組織だ。
だから犯罪者相手でも殺されない約束があるのか――と聞いたが、さすがにそんなものはないと言われた。じゃあ危ないだろ。
「逃げて正解だよ」
「私的には不正解です。まあ、エノクに首根っこを掴まれて車に叩き込まれ、窓から脚を突き出した状態で脱出開始したんですけどね」
「エノクさんは苦労人だな……」
護衛対象が嬉々として死地に飛び込むと、護衛は苦労するだろう。
繊一号から逃げた後も、この人に付き合わされていたうえに……フェルグスの手術までしてくれている。頭が下がるよ、ホントに……。
「幸い、追撃はされなかったんですけどね。使徒・バフォメットが今回の事件に絡んでいて、彼がタルタリカを操っていたなら納得ですね」
「何で……。ああ、そういう事か」
いま、羊飼いはブロセリアンド解放軍という組織をでっち上げている。
放送を通じ、交国軍人にそれに合流するよう、促してきている。
「繊一号で軍人を待ち構えるために、あえて繊一号で待ち構えているって言うのか? ブロセリアンド解放軍なんて嘘組織、誰が信じるんだよ」
「あら。ブロセリアンド解放軍は実在する犯罪組織ですよ?」
「えっ……?」
「犯罪組織といっても、人類連盟の認定ですけどね」
<ブロセリアンド解放軍>という組織は、400年ほど前からいるらしい。
そいつらは「反交国」を掲げ、地下活動を行っていたらしい。
だから交国も人類連盟も、解放軍関係者を摘発していたそうだが……なかなかしぶとい組織なんだとか。400年も生き残るのは、確かにしぶとい。
「こういう形で表舞台に出てくるとは、ちょっと意外です。機が熟したって感じなのでしょうかね~?」
「まさか……羊飼いは解放軍設立にも関わっているのか?」
「いやぁ、そこまでは知りません。設立に関わっていなくても、利害が一致して組み始めたのかもしれませんよ? 使徒・バフォメットも交国と敵対しちゃってますからね~」
混乱する。話についていけない。
ブロセリアンド解放軍が実在する? 嘘っぱちの組織じゃない?
仮にそうだとしても――。
「ブロセリアンド解放軍が放送で言っていることは、さすがにウソだろ?」
俺達に関する話。
あれはさすがに偽情報のはずだ。
解放軍が実在していたとしても、そこまではさすがに――。
「あ~、その話は交国との契約上、言えませんね」
「…………」
「冗談です。まあ、あくまで解放軍の話と限定してしまえば――」
史書官も放送の件は詳しくないらしい。
ブロセリアンド解放軍が言っている件の、真偽は正確に知らないらしい。
「しかし、彼らが言っているような噂なら、何度も耳にしましたね」
「……所詮は噂だろ。要するにウソなんだ。交国があんなことしてるはずない」
「でも、あの放送ってなかなか興味深いんですよね。連日、交国がオークの皆さんを騙して不正を働いている証拠を提示してますからね~」
「…………ぜったい、ウソの証拠だ」
そうじゃないとおかしい。
そうじゃないと、ダメだ。
俺達の家族が幻? 存在しない?
冗談じゃねえ。……本当だったら、俺達一体、何のために……。
「しょ、証拠なんて捏造できる。誰も……ブロセリアンド解放軍なんていう、怪しい団体の言葉なんて……聞かねえよ……」
「そうだといいですねぇ――」
「――――?」
史書官の声が、遠くから聞こえた。
いや、目の前にいる。
目の前にいるのに……なぜか、遠ざかっている感覚がする。
「――――」
「おっ。やっと効き始めましたか」
「――――?」
史書官が「くすり」と笑った。
何がおかしいか聞こうとしたが、舌が回らない。
持っていたコップが落ちた。……手が、上手く動かない。
「少し、眠くなるお薬を混ぜておきました」
「て…………テメェ…………」
「ラート様、ろくに眠っていないのでしょう?」
休まないと、死んでしまいますよ。
そんな言葉が…………、――――。
■title:神に見放された地にて
■from:史書官ラプラスの護衛
「エノク~。指示通りにラート様を眠らせておきましたよ」
「そうか」
車内にやってきたラプラスから報告を受ける。
ラート軍曹は疲れ果てていた。
目は虚ろで覇気もなく、いつ倒れてもおかしくない状況だった。オークゆえに無理が利いていたのだろうが、怪我人である以上、休んでもらわねば死ぬ。
再び車外に出て、地面で眠っているラート軍曹のところへ行く。
ワタシの護衛対象は気が利かないため、ラート軍曹を寝かせるだけ寝かせて放置している。寝床を整えてやった後、運んで寝かせる。
改めてラート軍曹の身体を診たが、今のところ問題はない。軍曹の方が少年より丈夫なこともあり、こちらは多少、手当するだけで良さそうだ。
「せめて、今夜ぐらいは休んでもらう」
「ですね。ラート様は問題ないとして、フェルグス様の方は大丈夫そうですか?」
「処置しなければ、本当に脚を切断しなくてはならん」
死ぬ可能性は低い。ただ、前の状態に戻すのが危うくなる。
ワタシが処置さえ施せば、リハビリで済むだろう。技術少尉の処置だけでは脚が壊死しかねない状態だったが、今ならまだ間に合う。
「長期のリハビリは必要だが、再び歩ける日が来るだろう」
「リハビリ出来ますかね? 交国が特別行動兵相手にそこまで手厚い支援をしてくれるとは……とても思えませんが」
「では、<ビフロスト>の方で引き取ってくれるのか?」
そう言ったものの、ラプラスは肩をすくめるだけだった。
あの少年にそこまでする価値を感じていないのだろう。実際、組織としてリスクを冒すだけのメリットも無いように思える。
彼は特別行動兵。交国の管理下にある少年兵だ。
交国との外交問題に発展しかねないから、ビフロストの外交部も「元のところに返してきなさい!」と言うのがオチだろう。ラプラスの権限なら押し切れるだろうが、そこまでやるまい。
ラプラスと言葉を交わしつつ、車内に戻る。
少年を見つつ、言葉を吐く。
「この子は奇跡的に生存した。何故、生存したのか気になる」
「ラート様の話だと、スアルタウ様をフェルグス様が庇い……2人をラート様が庇ったのですよね?」
「ああ」
彼の記憶は多少、混乱しているかもしれない。
だが、大筋は問題ないだろう。
問題ないが大きな違和感がある。一番生存率の高い子が死に、残る2人が生き残った。ラート軍曹は「アルの輸血のおかげだ」などと言っていたが――。
「ともかく、手術をしてこの子を生かす。問題ないな? 史書官」
「ええ。さすがに、この程度のことで目くじら立てたりしませんよ」
ラプラスは笑みを浮かべたまま目をつむり、そう言った。
雪の眼は歴史蒐集を行っており、史書官達はあくまで「観測者」の立ち位置厳守を求められている。歴史への過干渉は史書官も護衛も基本的に禁じられている。
史書官の命が脅かされた場合、正当防衛は認められている。だが、少年の生死は史書官には関係無い。史書官次第では「見捨てなさい」という判断も有り得る。
「情報収集のために、現地の方々と交流するのも大事です。フェルグス様の証言も気になるので、チャチャッと生かしちゃってください」
「わかった」
有り合わせの医療器具を手にしつつ、少年に向き直る。
眠っている。意識がない。一応、麻酔はもう打っておいた。
自己紹介ぐらいはしておこう。
「改めて正式な自己紹介をしておこう。ワタシは神罰機構の天使だ」
ラプラスが「ちょっと」と言ってきたが、構わず続ける。
「<死司天>のサリエルと言う。現在は『エノク』という偽名を使い、雪の眼の史書官・ラプラスの護衛を務めている。そして、今からキミの手術を担当させてもらう。手術といっても、手当の延長の簡単なものだ。安心してくれ」
「コラコラ。サクッと正体を明かさないでくださいよ~」
「この子は眠っている。ワタシが何を言っても聞こえまい」
一応、名乗っておきたかったのだ。
この子は放浪者の息子だからな。
「手術を始める。ラプラス。邪魔だから退出してくれ」
「はいはい。お茶飲んでますから、何かあったら言ってくださいな」
「見張りもしろ。働け」
「私、貴方の護衛対象なんですけど~……」
「タルタリカが来る可能性もある。警戒しておけ」
来た場合、ワタシが対処する。
ラプラスが襲われた場合、雪の眼にも「正当防衛だった」と言い訳できる。




