兄弟の絆
■title:<繊一号>の宿泊所にて
■from:死にたがりのラート
アルを俺の部屋に連れてきて、水を飲ませて落ち着かせる。
身体中の水分が全部出ちゃうんじゃ――ってぐらい泣いていたアルも、ようやく泣き止んでくれた。ただ、さすがに落ち込んでいる。
「にいちゃんに、きらわれ、ちゃった……!」
「フェルグスがお前を嫌うわけねえって。大丈夫だ」
「で、でも、いらないって……」
「あれは違うって。フェルグスは……俺達、交国人の事でイライラしてて……頭に血が上ってた。それだけだ。あんなの本心じゃない」
フェルグスは不安定になっていただけ。
明らかに狙って轢き逃げされかけた事で、心がグラついていただけ。
アイツは強いから大丈夫だろう、と油断していた俺達が悪いんだ。
「で、でも、ボク、にいちゃんに口答えしちゃったから……」
ベッドの縁に座ったアルが、また涙目になっていく。
背中をさすってあやしつつ、「大丈夫だ」と語りかける。
「あれぐらいで嫌いになったりしねえよ。大丈夫」
フェルグスも頭を冷やせば、落ち着いてくれるはず。
フェルグスは我が強いけど、弟のことは人一倍大事にしている。
アルもフェルグスのことをメチャクチャ慕っていて……2人はずっと仲良しだった。仲良しすぎて、今回みたいにケンカした事なんて無かったはずだ。
だからこそ、お互いに「どうすれば仲直りできるか」がわからなくなるのかも。
「ボクが悪いんです……。にいちゃんに、ウソついてっ……」
「アルは、悪いことしてないよ。なんつーか……ホント……タイミングが悪かったんだよ……。タイミングの悪さが玉突き事故を起こしただけだ」
アルはずっとショボくれているが、フェルグスに対する怒りは一切吐かない。
フェルグスの前で、俺達を庇ったぐらいだ。
「アルは……本当にフェルグスが大好きなんだな」
頭を撫でてやりつつそう言うと、アルはコクンと頷いた。
そして、涙声で喋り始めてくれた。
「にいちゃん……ずっと、ボクのこと守ってくれてて……やさしくて……」
フェルグスはいつも、アルの傍にいた。
両親に「アルの事を守ってあげて」と言われ、鼻息荒くはりきりながら、アルの手を引き、いつも構ってくれていたらしい。
アルが近所の犬に吠えられただけで、フェルグスは血相を変えて弟の前に飛び出し、庇ってくれた。相手が子犬でも、フェルグスは「わんわんっ!」と吠え、子犬を追い返して弟を守ったらしい。
アルが誰かにイジメられていると、頭から湯気を出しそうな勢いで怒り、たった1人でイジメっ子達を蹴散らすこともあったらしい。
イジメ……イジメか。
アルをイジメる奴がいたって話は、前にフェルグスから教えてもらったが――。
「ネウロン人は1000年も戦争せずにいるぐらい、平和を守ってきたのに……イジメする奴はいるんだなぁ」
「それは……ボクがどんくさくて、イジメやすいのが悪くて……」
「いや、お前は悪くないだろ」
ともかく、アルがイジメられた時は、フェルグスが直ぐ怒ってくれたらしい。
可愛い弟を守るために。
ただ、やりすぎる事もあったそうだ。フェルグスの反撃によってケガするイジメっ子もいたらしく、フェルグスはその事で怒られる事もあったみたいだ。
「でも、にいちゃんはそういう時も……ボクの名前は出さないんです。『気に入らないから殴った。それだけだ』って言うばっかりで……」
「そこまで徹底してアルを守っていたんだな」
アルが経緯を大人に説明しようとしても、フェルグスが止めていたらしい。
その影響でフェルグスは「手のかかる乱暴者」と見られていた。
確かにアイツはちょっと血の気が多いところがあるけど……基本的には「アル達のため」「ネウロンのため」に動いている感じがする。
アイツは何だかんだで、理屈で怒っている。
大事な弟をイジメられたから怒る。
交国人がネウロンに来てから……何もかもメチャクチャになったから怒る。
「ピッピの時も、ボクのために動いてくれて……」
「ピッピ? ええっと……例のマンジュウネコのことか?」
「マーリンのことですか……? マーリンはスベスベマンジュウネコです」
ピッピは猫じゃなくて、小鳥。
ケガをした野生の小鳥だったが、アルとフェルグスが見つけて介抱してやると、すっかり懐いて一緒に暮らしていたらしい。
「でも、ボク達が目を離していた隙に……」
近所のイジメっ子達が悪さをして、殺したらしい。
イジメっ子達に対するフェルグスの報復の報復として。
「ボクと兄ちゃんは、その時、巫術に目覚めたんです」
2人は小鳥が命を散らす瞬間を、痛みと共に知覚した。
相手は小鳥だから、人間の死と比べれば軽い痛みだったものの、2人はその痛みに突き動かされ――嫌な予感に突き動かされ、ピッピのところに走った。
イジメっ子達もピッピを殺す気までは無かったのか、動かなくなったピッピの前で狼狽えていたらしい。フェルグスはそいつらを追い払ったものの、もう手遅れになっていた。
そんな事があった後、アルとフェルグスが「巫術師として覚醒した」という事は、周囲の大人達にも伝わる事となった。
近くに住んでいたシオン教の神父が急いで教団に報告し、幼い2人は教団の保護院に送られる事になった。
そうしないと危うい。
巫術師本人が不意に「人の死」を感じ取ってしまえば、強い頭痛に襲われる。
覚醒したばかりの幼い巫術師は特に危ういらしく、大人達は急いで動いた。
「ピッピのお葬式、ちゃんと出来てないうちに連れていかれる事になって……。それで、ボク、泣いちゃって……」
「…………」
親元から離された事もつらかっただろう。
アルは保護院で、ずっと泣いていたらしい。
そんなアルに寄り添っていたフェルグスは立ち上がり、「帰るぞ」と言った。
家に帰る。
帰ってピッピのお墓を、ちゃんと作る。
それでちゃんとお別れするんだ――と言いだしたらしい。
2人は教団の大人達に内緒で保護院を抜け出した。警備の人間の目は魂感知能力でかいくぐり、遠い実家を目指した。
アルとフェルグスの家は、保護院の近くにあるわけじゃない。蒸気機関車や馬車に乗って、ようやく辿り着ける場所にあった。
子供だけで辿り着ける場所ではないが、それでもフェルグスはアルを連れ、歩き出した。子供らしい無謀と勇気を胸に、歩き出したんだろう。
小さな手で、自分よりさらに小さな弟の手を引いて――。
「でも、ボクは歩いているうちに足が痛くなって……」
歩けなくなったらしい。
子供の足だ。無茶していたら痛むのは当然のことだろう。
「けど、にいちゃんがおんぶしてくれたんです。……にいちゃんだって、足が痛かったはずなのに……」
フェルグスはその後、しばらくアルをおんぶしたまま歩き続けたらしい。
家に向かって。
結局、2人とも疲れ果て、納屋の傍で引っ付いて眠り休んでいたところ、近くの人間が見つけて保護した。
その後、保護院に連れ戻されたらしい。
「ピッピとは、ちゃんとしたお別れはできなかったけど……。お墓は……お父さん達がちゃんと作ってくれてて……」
そこに関してはアル達も一応、納得したらしい。
ただ、保護院に連れ戻された後が問題だった。
大人達は叱ってきたが、そこは仕方ない。頭ごなしに叱ったりはせず、諭してくれたらしいが……問題はフェルグスの体調に現れた。
「にいちゃん、無理したから寝込んじゃって……」
高熱まで出して、しばらく寝たきりになったらしい。
アルは自分を責めた。
自分がメソメソと泣いていなければ、兄に無理をさせなかった――と。
兄に自分を背負わせたりせず、最初から止めるなり、一緒に歩くなりしていれば、こんな事にならなかった。そう思って、また1人、部屋で泣いていたらしい。
「でも……でもっ、にいちゃんが会いに来てくれたんです」
夜中。フェルグスは病室を勝手に抜け出し、アルに会いに来た。
兄が心配で泣くアルのところに戻ってきた。
「にいちゃん、『アルは泣き虫だから、泣いてると思った!』って言って……笑ってて……。それで、『にいちゃんは元気だぞっ! 大丈夫だぞっ!』って言って、窓の外で跳びはねたりしてて……」
弟を元気づけるために、また無理をしたらしい。
フェルグスの脱走に気づいた大人が怒って追いかけてきて、フェルグスは「やべっ」と言いながら逃げ回り、池に落ち、また体調を崩したらしい。
「にいちゃん、いつもボクのために無理してくれて……。無理させちゃって……」
「フェルグスはお前のこと、ホントに大好きなんだなぁ……」
単なる仲良し兄弟じゃない。
フェルグスはアルのことを宝物みたいに大事にしているし、アルもフェルグスのことを想っている。心配している。
……アル自身は守られていることを、引け目に感じているみたいだが……。
「ボク、にいちゃんのこと、大好きです」
「うん……」
「でも……でもっ……。きらわれ、ちゃって……」
「大丈夫。フェルグスは絶対、お前のことを嫌ったりしないよ」
再び目を潤ませ始めたアルを抱っこし、あやす。
不安だよな。心配だよな。
もし……もしも、アル達の両親が「無事」じゃなかった場合。
2人はもう、たった2人だけの家族になっちまう。
そこから仲違いして、ひとりぼっちになっちまったら……2人共絶対、さびしくてたまらないだろう。苦しくてたまらないだろう。
絶対、そんな風になっちゃいけねえ。
何とかしてやりたい。
俺がフェルグスになに言っても、嫌われるだけかもだが――。
「フェルグスがお前のために頑張ってきたのは、弟であるお前のことが大好きだからだ。だから絶対、お前のことを嫌いになったりしない」
「でもっ……ボク、にいちゃんの足を引っ張ってばっかりで……」
「そんなことねえよ。繊三号でお前がフェルグスを助けた事、忘れたのか?」
確かにアルは、フェルグスに守られてきたかもしれない。
けど、アルだって強くなっている。
羊飼い相手に勝てたのは、アルがフェルグスに力を貸したおかげでもある。
「兄弟の絆は、鋼より固いものだ。何があっても絶対壊れねえよ」
俺も弟を持つ兄貴だ。兄弟の絆に関してはよくわかっているつもりだ。
俺は……仕事の影響で弟と殆ど一緒にいられない。1年の殆どを離れた場所で過ごす。まったく会えない年だってあった。
でも、それでも、俺と弟の絆は繋がり続けている確信がある。
フェルグスとアルも、きっと大丈夫だ。
「にいちゃんに、お父さん達のこと隠してるの……ちゃんと話した方が……」
「…………。お前が言いたいなら、言うべきかもしれない」
フェルグスは、俺達がコソコソと調べ物している事を知っている。
けど、内容までは把握していないようだ。
アルが隠し事をやめたいなら、言ってもいいと思うけど――。
「両親の件は、かなり難しい問題だ。……今はまだ、無理して言わなくてもいいと思う。もうちょっと……その……情報が集まってからでも……」
「…………」
「俺達が心配しているような状態なんかじゃ、まったく無いかもしれないしな。それならそれで今まで通りで大丈夫なんだ」
簡単に言える話じゃない。
フェルグスだって、簡単には受け止められないはずだ。
両親が既に死んでいるかもしれない。そんな話、簡単に呑み込めるかよ。
アイツはもう心労で不安定になっている。
最悪、アルとフェルグスの仲に大きな悪影響を及ぼすかもしれない。
今は言わない方がいいんだ。…………多分。




