過去:ガキの躾
■title:ロレンス保有艦<バッカニア>にて
■from:<ロレンス>首領・伯鯨ロロ
タンブルウィード残党の主だった面々を連れ、ウチの方舟で今後の事を話す。
ロレンスは多次元世界一の海賊組織だ。傘下組織を含めればそこらの国軍の数倍の軍船を保有し、あちこちで活動している。
人手が多ければ、稼業の拡大も行える。「オレの奴隷達」には今後、ロレンスの仕事を手伝わせていく。
いくんだが……残党は女子供や爺婆ばっかりだ!
戦力として期待できねえから、違法農場や混沌の海のゴミ漁りやら、違法運送業を手伝わせるしかねえ。
それすら難しい奴も多い。自分達を取り巻く状況について、何も理解していないガキ共には勉強させたい。欲を言えば日の当たるところで遊ばせてやりたい。
よぼよぼの爺婆を働かせて死なせちまったら、本末転倒だ。
労働力として期待できねえから、ウチで何とか食わせてやらねえと――。
ただ、働ける奴には仕事を振っていく。
全員を養う余裕は、さすがにない!
「テメエらには悪いが、何とか仕事を作ってやってくれ」
『わかりました、首領』
『いつもの首領依頼ですね』
「そうだ! 悪いが、今回も頼らせてくれ」
『任せてください』
『当面の資金に関しては、マレニアの軍船売った金に期待していいですか?』
「おう。早めに金にするから、活用してくれ」
『ウチで買い取りましょうか? ちょうど、新しい船を調達したかったんで』
「ああ、じゃあ出来るだけ急いで資料送らせるわ。それ見て判断してくれ」
『はい、お願いします』
龍脈通信を使い、ロレンスの幹部連中とも連絡を取っておく。
オレは雑な仕事しか出来ねえが、幹部や参謀共は頭がよく回る。首領として無茶振りしても頑張って帳尻を合わせてくれるから有り難い。
『そういえば、今回もムツキが大活躍だったそうですね』
『ロレンスの次期首領候補として推されるつもりですかい?』
「馬鹿言え! オレはまだまだ現役だよ! アイツはただの弟子だ、弟子」
幹部のアホ発言を退け、通信を切る。
当面の敵は倒した。残党保護も完了した。
けど、大変なのはこれからなんだよなぁ~……。
あーあ、敵を全部殺せば終わりです――って殲滅作戦ばっかりなら楽なんだが……。生きていくには金がいる。養うべきガキが多いと面倒だ。
面倒だが、気づけばついつい扶養対象が増えてんだよなぁ。
「タンブルウィードの奴ら、ろくに食えてねえみてえだな。しっかり食わせろよ」
「はい。まずはスープとか、軽めのモノから慣らしていってます」
「良し良し。1週間で海中拠点に辿り着く。そしたらもっといいモノが食えるぞ~って奴らの食欲を刺激しておいてくれ」
「はいっ!」
糧食の担当者にも話をしておくと、アレコレと気になることを思い出したので、あちこち回って担当者と話をしておく。
ウチには金も食料も方舟も沢山ある。
伊達に多次元世界一の海賊組織やってねえ。
海賊稼業や人連加盟国の脅迫、その他の裏稼業でガッツリと稼いでいるからな。
だが……それだけあっても全ての流民を養えない。
陸も手に入らねえ。海暮らしを続けるしかない。
無人の世界とかに拠点作って、そこで違法な農園作ったりは出来るが……人連の奴らが見回りしてるから、根を張る事は難しい。
いつか追い出される。
人連の常任理事国は縄張り争いが大好きで、余所者のオレらが空白地帯に根を張る事すら許してくれない。
流民集団を追い出すために軍を派遣し、「治安維持のため」なんていいつつ、そのまま居座って現住民を支配し始める奴らだ。
おかげで、オレ達は混沌の海を彷徨って暮らさざるを得ない。
ゆえに流民。寄る辺なき民になってしまう。
海なら<混沌>というエネルギーには恵まれているが、混沌の海は死と隣り合わせだ。海が大きく荒れれば、最悪、方舟ごと死ぬ運命にある。
日の光の無い暗い海で暮らし続けていると気が滅入りやすくなる。オレみたいな深人は平気な方だが、普通の人間は適度に日光浴びなきゃ身体を壊す。
オレはバカだからよく知らんが、確かビタミンDだかなんだかが不足するんだ。人工的に日光を再現する事もできるが、それだけで万事解決とはいかない。
普通の人間の身体は、混沌の海で生活していく作りになっていない。
混沌の海じゃ、森を切り拓いて畑と居住地を増やす……って事も出来ない。
食っていくためにはヤクザ稼業に手を出さざるを得ない。
んなことをやっていたら人連に睨まれるが、飢え死するよりマシだ。
それが悪循環になっていても、死ぬよりマシだ。
「…………」
流民の生活は、本当に酷いものだ。
人連の奴らは、「流民」ってだけで人間扱いしてくれないからな。
中にはまともな奴らもいる。けど、「まとも」だろうと自分達の生活を脅かしてまで流民を受け入れてくれる奴はそうそういない。
ウチは皆が頑張ってくれているから、流民全体の中では結構良い暮らしをしている方だと思う。けど、「十分幸せ」とは言いづらい。
大首領が――夢葬の魔神がガキ共を夢の中であやしてくれている。
けど、現実でも夢みたいに笑わせてやれない事が多い。
ガキだけじゃねえ。大人も皆、つらい現実に苦しんでいる。
つらすぎて、首をくくって死ぬ奴も大勢いる。
フラリと混沌の海に消えていき、それきり帰ってこない奴も大勢いる。
それでも何とか皆、必死に生きようとしている。
苦しみながらも家族で支え合って、懸命に生きている。
1人で生きていけるほど、混沌の海は優しい海じゃない。ここは地獄だ。
生きる手段が犯罪だから死ねって言う敵は、殺す。
貴様らは運がなかったのだと上から目線で言う敵も、殺す。
世界のために犠牲になってくれと言う敵も、ブッ殺す。
来世に期待しろという敵は、その来世とやらに送り込んでやる。
流民のために死んでくれや――と笑って殺す。
そうやって、何百年、何千年もこの海で足掻いてきたんだ。オレは。
足掻いているんだが……この暗闇、いつになったら抜け出せるのかね。
海面は遠い。
どれだけ泳いでも、オレ達はこの海の深みから抜け出せないでいる。
「オレは……この海のこと、嫌いじゃないが……」
この海は、人が生きる場所じゃない。
オレみたいな神器使いならいいが、人間の居場所じゃない。
長く暮らし、食べちゃいけないモノを食べていると<深人>になっちまう。
陸の人間が「半魚人」と呼ぶ存在になっちまう。
流民達は深人化を「海の祝福」などと言っているが、そいつは所詮、強がりだ。便利な変化だが、「変化」は差別に繋がる。
陸の奴らはオレ達を「普通と違う」として、差別する。
魚みたいなツラできもちわるい。くさい。人間じゃない。
そう言って差別する。
好きで深人になったわけじゃないガキ共の事も……普通と違うという理由で差別する。深人化しちまうと、陸で生きていくのは難しくなる。
どんどん、この深みから――不幸から抜け出せなくなる。
「おやっさ~んっ!」
その深みに足首をつけているガキが走ってくる。
不幸なんて感じさせない満面の笑みを浮かべ、駆け寄ってくる。
暗く沈んだ心を引き上げてくれる笑顔に、つられて笑っちまいそうになるが……ダメだ! コイツのことは厳しく叱ってやらねえと。
加藤睦月は今回、オレの言いつけを破った。
首領の言う事を聞かず、1人でタンブルウィードを助けに行った。
結果的にコイツのおかげで上手くいった事も多いが……ガキのくせに危ない橋を渡った事も含めて、しっかり叱らねえと……!
「おやっさ~ん!!」
「…………」
「おやっさ……ん……」
腕組みして待ち構えていると――さすがにオレがブチギレているを察してくれたのか、ムツキの声がトーンダウンしていった。
叱られた子犬のようになっていった。
けど、トボトボとした足取りで近づいてきた。クソッ! 可愛い!
「…………」
「…………」
「首領、あんまり怒らないでやってくださいよ~……?」
「この間の人連の襲撃も、ムツキ大活躍だったでしょ?」
「うるせえッ! テメエらは黙ってろ!!」
子分共がワラワラとやってきて、泣きそうなムツキを弁護しはじめた。
怒鳴って蹴散らし、ムツキを睨む。
「ムツキィ……。オレがなんで怒ってるかわかってるか?」
「ぉ…………おれが、おやっさんの言うこと、聞かなかったから……」
「そうだよ!! わかってんなら出しゃばるんじゃねえッ!!」
キチンと躾ねえといけねえから、怒鳴る。
こいつは神器使いとはいえ、まだまだガキだ。
才能がある。おそらく、オレを超える神器使いになる。
だが、まだまだ経験が足りない。咄嗟のことに対応できない弱さがある。
戦闘は危ない事だらけだ。下手したら死ぬ。
それに……ムツキには海賊稼業を手伝ってほしくない。
コイツはまだ深人化もしていないし、まだやり直せる。
結果さえ伴えば、過程なんて問題無いなんてバカの思考だ。マレニアだけならムツキだけでも蹴散らせたが、交国の神器使い相手はマズかったはずだ。
「ロレンスは軍隊じゃねえ、海賊だ。しかし、海賊にも海賊の掟がある」
「ごめんなさぃ…………」
あーーーーっ! 泣いた! 泣いちゃった!!
表情歪め、ボロボロと泣き出しちゃった! ……どうしよ。
クソッ! オレ仕込みの神器捌きで軍隊相手だろうがやれるガキだが、精神面はまだまだ未熟だ! オレがちょっと怒っただけで直ぐ泣くんだから~……!
ガキ相手はやっぱ苦手だ!
人連の軍隊相手なら殺して黙らせるって手があるが、ガキはなぁ~……。ムツキに限らず、泣かせないの難しいから苦手だぜ。
「首領~……。カンベンしてやってくださいよぉ」
「うるせッ! お前らは黙ってやがれ」
「でもですね――」
「首領の命令は絶対だ! 子分共は首領依頼に従わなきゃダメなんだっ!」
「そもそも、加藤はロレンス構成員じゃないっスよ?」
「ウッ……!」
子分の1人が余計なこと言いやがった。
他の奴らもハッとし、「そういやそうだ」「すっかり海賊仲間と思ってたが……」「首領もかわいがってるしなぁ」などと言いだした。
「構成員じゃないから、首領の命令に従わなくていいのでは?」
「おっ……オレが養ってんだぞ! 家主には従うべきだッ!」
「でも、ムツキは今回に限らず、アレコレと美品を鹵獲してくれますからね」
「調達部隊も喜んでますよ。正規軍の方舟や機兵が無傷で手に入ると助かるって」
「おやっさんが睦月の加入を断り続けているから、睦月にとって、おやっさんは首領じゃなくて『助けてくれたオッサン』ですよ。ただの」
「ただのオッサンが海賊の首領やってるわけねえだろ!? 常識的に考えて!」
オレ様を誰だと思ってやがる!
ロレンスの首領だぞ!?
カヴンの下部組織とはいえ、ロレンスは傘下組織を含めればカヴン内部で指折りの大組織なんだぞ!? 海賊としては多次元世界一と言っていいぐらいだ。
子分共があーだこーだと言ってくるので、地団駄を踏んでしまう。
クソッ! オレ、そんな頭よくないから口論じゃ勝てねえ……! そういう面倒くせえのは参謀共に任せてるのに、いま傍にいねえっ……!
「ぉ……おやっさん! 俺! どんなバツでも受けます!」
「む、ムツキ……!」
面白おかしく茶々入れてくるバカ共と違って、ムツキは良い子だ。
まだ涙目だが、言い訳せずに殊勝なことを言ってきた! 好き!
「ロレンスに入れば罰してくれるんですよね!? ロレンスに入れてください!」
「アホ! ボケ! 嬉々として海賊に入ろうとするなッ!」
言うほど良い子じゃねえわ。
海賊になりたがるのは悪い子!
でも、普段は真面目な良い子なんだよ。
良い子で、力もあって、深人でもない。
まだまだ日の当たる道に戻れる子なんだ。
「テメエはロレンスに入れてやんねー! けど、出て行かねえならこき使ってやる! 今日のバツとして、廊下の掃除でもしてやがれっ!」
ションボリ顔のムツキを追い払う。
胸がズキズキ痛んだが……アイツのためなんだ! くそっ!
ムツキが去ると、周りの子分共がオレを責めてきた。
「首領……。ムツキのションボリ顔、見ましたか?」
「心が痛まないんですか?」
「鬼、天使、海賊」
「テメエも海賊だろうが……!」
「いい加減、入れてやったらどうですかぃ?」
ムツキは神器使い。
まだガキだが、腕っ節はロレンス内でも上位のもの。
素直で真面目で戦力にもなるから、入れてやったら――なんて事を子分共が言ってきた。くそっ、お前らだけ「良い兄貴分」ヅラしやがって!
「お前らだって最初は『ついてくるな、クソガキ』って……密航してでもオレについてくるムツキを叱ってただろ!?」
「いや、何度も命を救われてたら、さすがに態度軟化しますよ」
「オヤジより優秀な時あるし……。いででででっ!」
首相批判をしたバカの頬をつねってやる。
これは正式な構成員躾だ!
「アイツはマジで優秀だから、海賊として鍛えていけば……ロレンスの将来は明るいですよ。オヤジだってカトーの力は認めてるでしょ?」
「神器使いとしてはな」
アイツはオレを超える神器使いになるはずだ。
ムツキの神器は「流体干渉能力」を持っている。
その力により、大量の水を操り、武器に出来る。
操作できるのは水に限らない。
炎や雷すら干渉してみせる。
機兵や方舟の流体装甲も、ムツキなら紙のように破壊できる。
ムツキは流体どころか、混沌にすら干渉できる。……そこがヤバい。
「けど、アイツは真面目で優しすぎる。海賊に向いてねえよ」
「あー…………まあ、俺らって犯罪者ですもんね」
「そっか……。ムツキは結構、人殺し避けてますもんね」
海賊にとって、まともすぎるのは弱点だ。
アイツは流民としてまとも過ぎる。
長所とも言えるが、流民にとっては致命的な弱点だ。
今は神器の力でゴリ押し出来ているが、あの優しさを大事に抱えたままだと、ムツキはいつか死ぬ。優しさがアイツを殺すだろう。
「けど、海賊以外の仕事なら十分できるでしょ。ロレンスは海賊稼業メインですけど、他にもアレコレやってるわけですし……」
「ロレンスの首領はオレ様だ。構成員の加入・脱退もオレ様が管理する。オレが『ダメ』って言ってんだから、ダメなんだよ」
「良い後継者になりそうなのに……」
「バカ! オレはまだまだ隠居するつもりねえからな? テメエらが寿命で死んでも、神器使いのオレは一線で戦い続けてるだろうよ」
「おやっさん、いま何歳でしたっけ?」
「もう覚えてねえ。ロレンス首領になったのが新暦270年頃で……」
「うわ、もう首領就任から900年ぐらい経ってんですか」
「そうだよ。交国なんかよりずっと古い歴史の持ち主だぞ、オレ様は」
エラいんだぞ、崇めろ、と言うとバカ共が「ははーっ」と平伏するフリをしてきた。まったく、大好きだぜお前ら。
コイツらも、他の皆も、オレよりずっと年下だ。
赤ん坊の頃から知ってる奴らも少なくない。
ちっちゃい手を伸ばしながら、「おやっちゃ~ん!」と言いながら駆け寄ってきたチビ時代からよく知っている。昔も今も可愛い奴らだ。
しわくちゃの爺婆になるまで見守って、何人も看取ってきた。
オレは不老不死。
コイツらは定命。
死ぬなバカって言っても、その命令だけは聞いてくれないんだよなぁ……。
皆、申し訳なさそうにオレを置いていくんだ。
ごめんなさい。後は頼みますって言いながら、希望達を託して逝く。
まあ、流民だから……寿命で死ねる奴は少数派だけどなぁ。
コイツらも、オレを置いて死んじゃうんだろうな……。
「…………。バカ話してる暇あるなら、仕事しろ。仕事」
ちょっと泣きそうになってきたので、誤魔化して子分共を追い払う。
陸が手に入ればな……。
地平線の先までたっぷりある大地が手に入ればな。
可愛い子分共の命を、海賊稼業なんかで削らせないで済むのに。
あーあ…………なんでオレら、流民になっちまったのかねぇ。
なんでこの多次元世界は――。
「…………」
「オヤジ、オヤジ」
「なっ……。まだ仕事サボってるやついたのか!」
急に話しかけられたからビビリつつ、応対する。
すると、不思議そうな顔をされながら問われた。
「ムツキが真面目さが『弱点』なのは、わかります。けど……それは矯正していけばいいでしょう? 何でアイツのロレンス入りを頑なに拒むんですか?」
本人が入りたいって言っている。
だから、いいじゃないですか――と言われた。
「ムツキだって、尊敬するオヤジのやってる事なら……覚悟してるでしょ。一緒に血まみれになる覚悟は、きっと持っているはずです」
「……オレにはオレの考えがあるんだ。アイツは入れてやらん」
「本人が望んでいるのに?」
「ああ」
アイツはダメだ。
アイツは、オレ達とは違う。
ムツキはただの流民じゃない。オレと同じ神器使いだ。
神器使いは貴重な存在だ。どの国でも、どの組織でも重宝される。ムツキはかなり強力な神器の持ち主だから、仕官先には困らない。
そして、アイツはまだ深人化していない。
まだ、大手を振って陸に上がれる人材だ。
プレーローマに捕まってつらい目にあって、その上、家族まで失ったアイツには幸せになる権利がある。……既に全身血塗れでも、幸せになる権利がある。
子供は悪くない。悪いのは世界だ。
世界を1つ滅ぼしたとはいえ、アイツ自身は悪くない。
「……オレのワガママで加入断ってんのは、自覚してるよ」
アイツには、オレとは別の道を歩いて欲しいんだ。
オレはここから離れられない。
愛しい流民共を捨てて逃げる事が出来ない。
流民を救うために足掻き続けるつもりだが、深い海の底から見えない空を見上げていると、「ロレンスの首領になっていなければ――」なんて「可能性」を想う時がある。後悔はしていないが、ふと考えてしまう事がある。
ムツキなら、オレが歩めなかった可能性を征けるだろう。
ひょっとしたら……その先に、流民達の「救い」があるかもしれない。
オレは、その可能性に賭けたいんだ。
アイツ自身のためを想う以上に、アイツの可能性に賭けたいんだ。
ムツキは海賊組織に収まる器じゃねえと、信じたいんだ。
だからこそ、立派な「就職先」まで用意してやってんだが――。
「…………おい、ムツキ」
オレに言われた通り、廊下の掃除をしていたムツキに声をかける。
ロレンスに入れない。入れてもらえない。
その事が余程つらいのか、まだメソメソしていたが……掃除はキチンとしている。バカ真面目すぎるよ、コイツは。
「ちっ……。アァ~…………」
ちょっと怯えた表情で見上げてくるムツキに対し、かける言葉に迷う。
後頭部をボリボリ掻いた後、用意していた言葉を絞り出した。
「お前、ちゃんとメシ食ったか?」
「えっ……?」
「タンブルウィード助けに行ってから今まで、ろくにメシ食ってねえだろ」
掃除なんていいから、メシに行くぞ――と誘う。
その程度の誘いなのに、ムツキはパッと表情を明るくしやがった。
犬の尻尾がついていたら、ブンブン振りそうな勢いで――。
「おやっさんも食べてないですよね!? 俺、ごはん作りますっ!」
「誰かにテキトーに作ってもらえばいいよ。何が食いたい?」
「海獣肉!」
「えぇー……。アレ食うと、お前もそのうち深人になっちゃうぞ」
神器使いだから耐性あるかもだが、食い過ぎると半魚人になっちまう。
オレみたいに、鯨と融合したような姿になるかもしれない。もっと魚らしい姿になるかもだし、鱗とか触手が生えてきてもおかしくない。
深人になるのも、悪いことばかりじゃない。
けど、日の当たる陸を歩きたいなら――。
「俺、深人になりたいですっ! おやっさんみたいなクジラになりたいっ!」
ムツキは瞳を輝かせ、無邪気にそう言った。
本気でそう思っているんだろう。真面目でバカで、困った奴だ。
バカバカバカバカ……! 手放すのが、イヤになっちゃうだろぉ……!?
「…………ハァ……。まあとにかく、食堂行くぞ~」
「はいっ!」
オレ達は流民だ。
日の当たらない海の中じゃ、食い物の選択肢も限られる。贅沢は敵だ。
海獣肉を食えば、海に呪われる。
半魚人として後ろ指を指され、生きていく事になる。
でも、それを祝福みたいに喜ぶムツキの笑顔が、とても眩しかった。
海面から見上げた太陽より、ずっと眩しかった。




