【番外】ロンドンどんよりデート日和
「ふむ、千鶴。明日はお店も休みだ。せっかくだから出かけないか?」
私としては、ロンドンの発展具合も気になるが、千鶴と出かけて仲良くなるのも進めたい。
「良いですね。えへへ……『デート』という事になりますね」千鶴は少し恥ずかしそうに笑う。
「そうか。恋人となったら、そういう事をするのだったかね?」
「ええ、アキラ店長はジェームスさんと、いきなり結婚してしまいましたし。あれじゃ、倦怠期の夫婦ですよ。……私は、ちょっとそういう普通の事を体験したかったんです」
……それは良いな。やっと恋人となる、良い機会かもしれない。
「残念な事に私はロンドンに詳しくない。良ければ、この街を案内してくれないか、千鶴」
「ええ、ムラトさん。ここはあちこち思い出も有りますし、エマちゃんからお勧めスポットも聞いています。そうだ、今話題の大英博物館なんてどうでしょう?」
過去の遺産が展示されているのだったか。確かにせっかくの機会だ。公私ともに満足できる日になりそうだ。
「なんでも、ナポレオンから奪った『ロゼッタストーン』と言うものがあるんですよ。エジプトの遺産らしいです。細かい事は知らないですけど」
「ほう、面白そうな展示品だ。物理的に攻略する前に情報を知っておく必要があるな」
千鶴がそれを聞いて笑いだす。何かおかしな事を言っただろうか?
「いえ、何でもまだ解読されていないらしいです。見たって誰も読めませんよ」
「そうか、残念だな。クレオパトラの鼻の高さでも分かると思ったのだが」
ともかく、千鶴と街中を歩くというのは楽しいだろう。そう思いつつ、翌日を迎えた。
「……随分と雨が降っているな」成程、英国紳士が傘を携帯しているのは、実用だったのか。
ここロンドンの天気は変わりやすい。屋台の客足も遠のく時もある。仕込み中に晴れてしまい、昼休み中に売り物が完売した事も多い。
「日頃の行い……という訳でも無いか」元々何もしていないのだ。気にするだけ無駄か。
「ムラトさん、行きましょうか。まずはテムズ川から巡っていきましょう」
「おお、今日の千鶴はお洒落じゃないか。良く似合うよ」
嘘でも何でもない。色は渋めだが、長い手足と黒髪によく合う衣装だ。元々見た目が美しいが、それを強調しているのだと思う。
「頑張りました。横浜で買ったドレスなので、実は未来の着物なんですけどね」
「そうか、横浜にはホテル勤めをしていたと聞いたが、良い土地なのかな?」
「そうですね。近くに海軍の基地があって、船乗りさん達がレストランに来ていましたよ」
そちらも行ってみたいな。和食の本場にも興味がある。……やってみたい事や体験したい事が多すぎる。
約束の二年など、あっという間に過ぎてしまうのではないだろうか。
「そうですね。リスボンも好きですが、私にとっては故郷になるので、日本も好きですよ」
「そうか、千鶴は日本の海賊だと言っていたね。きっと良い所なのだろうな」
「あっ、ここがテムズ川の思い出の場所です。フルトンさんやマードックさんと一緒に徹夜して、小さな蒸気船を作ったんですよ。その頃は物凄い匂いで……」
心底嫌そうな顔をして思い出す千鶴。そんなに酷かったのか。
「船が爆発したのも良い思い出ですねぇ」船が爆発するのか、それは恐ろしい。
「……行動自体は酷いが、その徹夜は楽しかったのかい?」
「ええ、皆でワイワイと騒いで……お姉様と一緒に居ると、変人さん達が大勢集まってしまって、いつも楽しいですよ」
そこで色々と教えて貰った訳か。成程、思い出の場所と言うのも納得だ。こうして、話を聞きながら現地を訪れるのも面白いものだ。
テムズ川には大小さまざまな船が行き来している。荷物を積み込む者や、すれ違う船に挨拶する者。ロンドンらしい風景ではある。
「じゃあ、このまま川沿いに歩いて、宮殿までお散歩しましょう」といいながら、手を差し出してくる。
「良い街じゃないか」躊躇せずに手を握る。お互い見つめ合って笑う。
「……何て言うか、こういう事に憧れていたんです。私、普通の女の子になった事が無くて」
「私も同じだよ。全て初めて尽くしさ」
少しずつ、お互いの心が近づいた気がする。千鶴も普通の生活を送って来た訳ではない。普通の事に憧れるのは、自分も同じだ。
「私にとってはこの時間は掛け替えの無いものだ。期限付きのモラトリアムという奴だな。自由に人々と触れ合い、楽しむ義務があるのだ」国に戻れば否応なしに、皇帝として振舞わなければならない。
私にとっての自由とは、ただの遊びではない。様々な事を経験し、皇帝としての責務を果たすための行動なのだ。だが、これ位なら許されるだろう。ほんの短い思い出作りだ。
「ふふっ、何だか変ですねそれ。『楽しむ義務』って、なんだか可笑しいですね」
「そうだな、面白いな。自分のいる意味と言うものは、どうあっても変えられないらしい」
二人で笑い合う。こういうのでいい。……何気ない一言に意味があり、ちょっとした思い出が私にとって、貴重な物なのだ。
ロンドン塔を眺めながら、テムズ川沿いに歩いていく。何という事もない、普通の風景に囲まれ、普通の人として過ごす。そんな体験が今は嬉しい。
「大英博物館に着きましたよ。どうやら同じ目的で来ている人が多いみたいです」
「この街は何処に行っても賑やかで楽しそうだな。アキラ店長が自分の居場所と言うのも分かる」
「お姉様は、ここにスラムがあった頃からいたそうです。ジェームスさんやダニエル君と出会ったのもその頃らしいですよ。スラムの子供達を笑顔にしたのが、商人の第一歩だとか」
何とも店長らしい話だ。何処に行っても周りを振り回すのか、いつの間にか人に囲まれて皆を笑顔にする。そんな人なのだろう。
「千鶴は、アキラ店長が好きなのだな」
「ええ、お姉様には色々な物を貰いました。私も何かしてあげたいけれど……お姉様はいつも勝手に解決してしまって」
そういう話をしながら、二人で笑う。確かに、気が付くと何でも解決してしまう人だ。
我ながら面白い人に出会った事は、とても幸せな事なのだろう。
「私は幸せなのだろうな……。今ここに居るのも笑い合えるのも、人との出会いがあったからだ」
「そうですね。もっと幸せになっても良いと思いますよ。『きっと明日はもっと良い日になる』って、お姉様の口癖ですもの」
本当に、千鶴に会えて良かった。自分の別の未来から救い出して、こうして楽しませてくれる。
王妃にしたいと、独占するのも本来は許される事ではないかもしれない。だが、こうして一緒に歩んでくれる人、それだけで自分には十分幸せなのだ。
「……千鶴。王妃の件、もし嫌なら、断ってくれても良いのだよ」
「そんな事はありませんよ。とても良い話だと思っています。まだ、覚悟が出来ていないだけで……」
「そうか、それは良かった。無理を言っていると思っていたからな」
自分は皇帝である。権力を笠に着て、無理矢理命令を聞かせる事だって出来る。
だが、それでは意味が無い。一人の人間として、男としてきちんと向き合って貰いたいのだ。
「そうですね……お友達は卒業しましょうか。恋人ではなくとも、もう少しだけなら……」
「それは良かった。……実はね、心配していたんだ」
お互い、思っている事をぶちまけてスッキリして笑い合う。……何とも、ぎこちないが初めての経験なのだ。そういう物なのだろう。
「大体、お姉様はその辺がポンコツでしたからね。全然参考にならないんです!」
「ははは、そりゃ良い。あの人にも苦手な事があるとはな」
二人して大爆笑した。まったく、面白い変人達だ。私には、退屈する暇さえない毎日だ。
一通り街を巡って、お腹が空いたのでダニエルの所でディナーにする。
「千鶴は和食かね、それともフレンチ?」
「そうですね『イギリス料理』と言うのはいかがでしょうか?」
「そうだな。ダニエルの『イギリス料理』堪能する事にしよう。アイツの料理には負けられんしな」
私は、普通の男女として当たり前の事をしながら、やはり自分の決断に間違いはない、この女性と共に生きて行きたいと決意を固めるのだった。




