【番外】93日だけの皇帝陛下
「千鶴。ちょっと、そこの皿を取ってくれないか?」ここは19世紀初めロンドンの街角。この屋台ではトルコ料理と言う名の無国籍料理が、ちょっとした人気となっている。
私の名は『ムラト5世』。オスマン帝国の第33代スルタンである。つまる話、多くの臣民から『皇帝陛下』と呼ばれる存在なのだ。何の因果でロンドンの路地で料理屋を開いているか、説明をするのは難しい。
……一言で言うと『人生経験』を積むという話なのだ。かつて造船所で働いたロシア皇帝だっていたのだ。料理屋で働くオスマン皇帝がいたって、間違いでは無い筈だ。
「ムラトさん、こっちの注文をお願いします。テイクアウトです」注文票には、ケバブサンドにひよこ豆のスープのランチセット。この店の一番人気の『シェフの気まぐれランチ』を日替わりで出している。
ウチの屋台は、勝手気ままに思いついた料理を出す。今日はうどんを食べさせたいと思えば、麵を打つ。デザートが良いなと思えば、トルコアイスを作る事もある。……フェイントでアイスを渡さない様にして、客を慌てさせるのも随分と上手くなったものだ。
まあ、突飛な事を思いついて実行に移すのは店長の影響なのだが、実際面倒な調理よりも楽しい方を優先して動いてしまう。
和食やフィッシュアンドチップスを作る事だってある。昆布と鰹節で合わせ出汁を取るのが、私の特技になった。あれは汎用性が高いから、仕込みの時は必ず厨房に用意している。
……最近は「ロンドンのビックリ箱」と言う愛称で、この屋台が親しまれるようになった。料理仲間のダニエルとは、お互いに面白い料理を考えて客に振舞う、競争相手として切磋琢磨している。
この仕事は気に入っているのだ。子供や貧しい人々も、等しく私の料理を美味いと言って食べてくれる。身分も人種も関係が無い。ここは何時だって対等で、笑いが絶えない場所なのだ。
店先に立つ千鶴は、私の友人だ。……こちらが一方的に求婚したのだが、この状態を打破出来ていない。
……あちらから『お友達からお願いします』と言われてしまい、その後どうにも進展が無い。
ともあれ、店を手伝ってくれるのは有り難い。昼になると工場から溢れる工員達が、腹を減らせて群がるのだ。正直言って、お昼休みは忙しくて堪らない。
……どうして、こんな事になったのやら。思い返せば、あれは三ヵ月前の事。
「皆、忙しい中を良く集まってくれた。我々の『タンジマート』改革は順調に進んでいるが、一つ問題がある」皇帝に即位してから一ヵ月が過ぎた。各々違う仕事を分担しており、休む暇も無いという。
「……皇帝陛下、何が問題なの?」アキラは商人として経験が長い。しかし、この問題は想定外と思う。
「うむ、皆からの報告書を読んでいるのだが……。仕事の事や臣民の生活がな、私には分からんのだ」
私は頭を抱えるしかなかった。今まで宮廷内から出た事は、数える程しかない。それも、視察と言う名の公式な外出のみ。今まで後宮に軟禁された弊害が、こんな所に影響を及ぼすとは思わなかった……。
オスマン帝国には、皇帝に付き従う女性の集いである、後宮がある。皇帝になれなかった王族は、そこに閉じ込められて政治に関与しない様に扱われる慣例が残っている。
……羨ましい、と思う奴が居るなら十年以上も出られない経験をしてみると良い。しかも、何時処刑されるか分からない状態のオマケ付きである。
「……そうね。『史実』よりもマシとはいえ、一般社会に触れた事のない陛下には問題になるのね」
「アキラよ。その『史実』と言うのを教えてくれないか。……つまり、本来私が辿る筈だった歴史を」
「『ムラト5世』は、前皇帝陛下の猜疑心により四十歳近くまで幽閉されました。その後、軍事クーデターによってスルタンとなりましたが、酒に溺れ93日間の在位の後、退位させられて死ぬまで幽閉を……」
……何と言う惨い人生か。千鶴に助けられていなければ、そのような事になっていたと。
いや、確かに立憲派との確執で板挟みになったのは、私の問題なのだ。……だからと言って、その結末は酷すぎる。何の救いも無い、別の未来の図である。
「アキラ、千鶴。改めて礼を言おう。助けてくれてありがとう。……流石にそれは無い」
「……ごめんなさい。あまり言いたくは無かったけど」
「過去……いや、別の未来の話は忘れよう。この制度自体は止めさせた。……しかし、私に一般生活の経験が無いという事実は、変わらないのだよ」私にもどうにもならない事はある。何か良い方法は無いものか?
集まった者達も、意外な問題に困っている……。
思わぬ提案をしたのは、ミドハトだった。私にとって、忠実な臣下以上の関係である。
「皇帝陛下。現状では我々にとって陛下が居ないからといって、直ちに問題になる事はありません。公式の場に出す者は、影武者で事足ります。……ですが、将来的にその問題が顕著になっても困るのです」
「そうだな、出来れば二年……いや、一年でも良い。何処かに身分を隠して、一般の生活を送る事は出来ないものか?」
ロシアの皇帝が、かつてヨーロッパの造船所で身分を隠して働いた事があると聞いた。何とも、羨ましい限りだ。
「皇帝陛下、思い切ってその一年なり二年を異世界で暮らしませんか?」アキラの提案は意外な物だった。
「……異世界、と言うとアキラの店が有ると言う、ロンドンの事か?」
「ええ、皇帝扱いされずにうろうろと渡り歩くのも、経験になると思うの。どのみち、私達は暫くここを離れる予定だったし……。一緒に行かない?」
成程。千鶴からは、リスボンに行きたいという希望を聞いている。了解はしたが、離れるのは寂しいと思っていた所だ。『お友達』としては、是非そのリスボンも訪れたい。
「アーリ、ミドハト。どう思う?私は行きたいと思うのだが……」
「そうですな、悪い話ではありません。ただ、期限は決めて頂きたい。あまり長く留守にするのも『タンジマート』に影響が出ます」
「そうだな、一度戻るとして二年……ではどうか?その間に下々の生活を体験し、今後の政務の糧とするのだ」
「はは、陛下。貴方は御自分をいつも『皇帝になるために生まれ、その為に生きて来た』と仰るではありませんか。もっと自由に、その身に抱える荷物を降ろす事も必要だと思っております」
アーリには、幼い頃より帝王学を始め、公私に渡って様々な事を学んでいる。むしろ、親か兄の様に想っている者から、そのような言葉を聞くのは少し恥ずかしいものだ。
「それに、憲法が使われている国々を巡り最新の技術を知るのも、いい経験ですぞ!」
ミドハトなりに考えがあるようだ。確かに、憲法のある民達の暮らしを知らずに公布は出来まい。……その為の準備期間としては、むしろ短いかもしれない。
「そうだな。臣下には苦労を掛けるが、遠慮せずに旅に出たいと思う。皆よ、私を仲間に加えてくれないだろうか?」
「おう、良いんじゃねえか。仲間って事は、俺達はダチ公って事だしな。……色々と教えてやるぜ。遊びなんてした事無いんだろう?」ジェームスの提案に笑ってしまった。
そうか、この私に友達が増えるという事か。その発想は無かったな……。遊びと言えば後宮で馬乗り程度、と言うこの私にとって、魅力的な誘い文句だろう。
「それは嬉しいな。ジェームスもホルスやレイ、皆は友達となってくれるかね?」
「ええ、一緒に旅をしましょう。男同士、きっと仲良く出来ますよ」
「俺も、友達!」
「私達、女性だって友達ですよ!」メルまで一緒になって手を上げている。そうか、そういうのもあるのか。
……千鶴以外の友達。随分と多くなったものだ。自分にそんな関係が結べるとは、思いもよらなかった。
「へへっ。ロンドンに行けばな、色々と遊ぶものはあるぜ。賭博に酒、女に……」
「ジェームス、何を言ってんのよ! 賭博と酒はともかく、女は駄目でしょ! 浮気するつもりなの!?」
「……ああ、俺には無理だったな。陛下も千鶴がいるしな。じゃあ、女以外で駄目な遊びを教えてやるぜ!」
ふむ、駄目な遊びか……。今まで、そういう事は立場上許して貰えなかったのだ。体験するのも良いだろう。中々楽しくなりそうな話である。
「馬鹿ね、ジェームス。それよりも、ロンドンに行って変人共と会うのが先でしょ。本部にだって行かないと……」
「ああ、アイツらとなら、貴重な経験にはなるだろうな。……まあ、何とかならぁ」それを聞いて、ジェームスがウンザリとしている。
うーむ、変人とは一体……。ここに居る面々も随分だと思うのだが、それ以上にも居るのか。
異世界と言うのは、広いものなのだなぁ……。
「そうだな、『陛下』呼びではマズイ。何か呼び方を考えなくては……」それではお忍びとは言わない。何か、良い呼び名はないだろうか?
「ではムラトさんとお呼びしますね。何か『お友達』っぽいですし」千鶴は何かと『お友達』に拘る。
……もしかして、求婚を遠回しに避けられているのでは、と思う事もある。
「そうか、ムラトさんで良いのか。よしムラト、よろしくな!」ジェームスが嬉しそうに声を掛けてくる。
「宜しくお願いしますね、ムラトさん」
「ムラト、良い名前!」
あちこちから、歓迎の言葉が飛ぶ。そうか、皇帝として生きてきた私がそれ以外の生き方をする、というのは心が躍るものだ。
「そうだな、私の名はムラト。ただの一般人という事か。はっはっは、これは面白い!」
「……良いわね、それで行きましょう。アーリ様、ミドハト様。私達がしっかりと付いています。暫く、ムラトさんをお預かりして、色々と経験して貰いますね」
「……ああ、私もそれを望んでいた。陛下には、今まで自らの気持ちを自由に委ねられる機会が無かった。良い機会じゃ。是非お願いします」
「そうね、そうと決まればもっと異世界をぶらつきましょうよ。……ロンドンやリスボンだけじゃないわ。もっと広い世界に飛び出しましょう!」
『おう!』私を含めて、異世界のメンバーと一緒に、様々な居場所を巡るのか。何とも楽しみだ。
千鶴には、過去の思い出を聞いた。
海賊として生まれ、海賊として死ぬ。……そう定められた人生が、叶わなくなった事に嫌気が差して脱走し、アキラを始めとした様々な人々と関わる事で逞しく成長する事が出来た、と目を輝かせながら話してくれた。
私にもそれが出来るのだろうか……。オスマン帝国のスルタンではなく、ただ一人の人間として。
一体、異世界には何が待ち構えているのだろう。どんな出来事や人々と接するのだろうか。
……全てが未知の体験だ。自分の力を、知識を試してみたいとも思う。
今まで当然と思っていた皇帝としての生き方、それ以外の生活が出来るという提案に、期待で胸を膨らませるのだった。
まずロンドンに着いて、自分に出来る事は? と考えた。……トルコ料理ならずっと宮廷で食べていた。カレー屋の屋台を見て、ああいう事をやってみたいと提案したのだ。
アキラ店長は料理が上手い。ロンドンの店には様々な食材や調味料が並んでいる。……魔道具屋と聞いていたのだが、気のせいだろうか。
色々とレシピを教えて貰い、気が付くとトルコ料理だけでなく、和食に洋食、イタリア料理までマスターした。つい気持ちが昂ってしまい、みるみる腕を上げる事になった。その勢いに任せて屋台を開いたのが二ヵ月前、と言ったところだ。
まあ、自ら行動して様々な人達と触れ会うのは、当初の予定通りなのだが……ちょっとやり過ぎたような気がする。まあ一寸だけならいいだろう。
私は、随分と上達した料理をアーリやミドハト達に食べさせて、驚かせるのもまた一興だ、と帰った後の事を想像するのだった。




