84.譲位の時間です、皇子様
「初めまして、メフメト・フアトと言う。何でも、蒸気船を造ったり軍の訓練を行っていると聞いたが……」
「ええ、宜しくお願い致します、宰相閣下。私共はアーリ様と協力して『タンジマート』を推し進め、近代化のお役に立ちたいのです」
「既に海軍と造船所はフル稼働で、新型の艦船をアメリカに輸出する事が決定しております。イギリスにも通達を終えました」
宰相閣下は驚きを隠せない様だ。まあ、三ヶ月と経たずに国がひっくり返るような、アクロバティックな活動をしているのだ。無理も無い。
「今は、海軍の訓練は終えて、陸軍に手を伸ばしています。こちらの改革案に、協力して貰う事が出来るでしょう」アーリ様の発言にミドハト様が頷く。
「待て待て、海軍や陸軍は反対派の筈じゃ。どうやったらそんな事に……」
「徹底的に兵隊を育て上げました。士官もその効果に驚き、こちらに靡いています」
千鶴ちゃんの薫陶の賜物である。あの演説と言うか、罵詈雑言は陸軍でも有用だった。ダラダラと行進もせずにうろつく兵隊を、残らず一騎当千の古強者へと変えてしまった。
もちろん、それを指揮する士官達がその効果と結果を以て、自説を曲げるのに時間は掛からない。
古今東西、権力の一部として最も大きな力を持つのが軍事力である。つまり、今回の譲位に際してのハードルは大きく下がった。軍事クーデターで実力行使も出来るのだ。絶対にやらないけどね。
「それで、何をするつもりじゃ?」宰相閣下は恐らく理解している事を、アーリ様の口から聞こうとしている。
「皇帝陛下に譲位させます。こちらには前皇帝陛下の長男皇子を保護しております」
気軽な感じであの皇子様が、ふらっと部屋に入って挨拶する。
「久しぶりだな、元気にしていたかい? 私は表の世界に触れて、皇帝になろうと思っている。協力して欲しい」サラッととんでもない事を言う。まるで、今晩の夕食を決める感覚で、皇帝を継ぐのだ。
「……皇子、それでは後宮には?」
「ああ、影武者が入れ替わってくれた。見つかる前に計画を進めたい。この国を立て直したいのだ」
「それは……いや、しかし」
「私は街角で苦しむ者達を見た。そして、造船所や海軍で懸命に働く者達も。私を助けてくれ」
皇子は軽く言っているが、本来は謀反である。そう簡単に決断できるものではない。
「……皇子。この度、皇帝陛下は増税をなされました。その理由をご存じか?」
「ああ、諸外国に負けない船が造りたいそうだね。そんなものがあっても、国は守れないというのに」
宰相閣下は頭を抱えて悩んでいる。今の地位と責任、そしてかつて誓った『タンジマート』を天秤に掛けているのだ。
「エジプトの事も聞いている。……このままでは、この国はイギリスに乗っ取られるのだろう。それだけは避けたい。私は、生まれた時から皇帝になる為に生き、この国を支える為だけに生きて来た。それを叶えたいのだ」
宰相閣下は、皇子様の目をじっと見つめた。……曇りのない明確な意思を持った瞳。吸い込まれそうな感覚に陥る、あの純粋な眼だ。
「……分かりました。この老体の助けで良ければ、骨身が砕ける覚悟でお仕え致します」
「ありがとう、きっと分かってくれると信じていた」
「皇子、先程の言葉決してお忘れにならぬように。……父君は道半ばにして諦め、政務を放り投げました。そのような事が無きよう、お努め下さい」この老宰相は、幾多の苦難の末にかつてそれを諦めたのだ。
……きっと、このような人々が居る限り『オスマン帝国』は、史実のような末路は辿らない。
「皇子様。私共はイギリスの技術を含め、様々な知識を持っております。財政に関しては、商人たる私にお任せ下さい。きっと、この国を豊かに致します」私は丁寧に頭を下げた。
「うむ、造船所が動き、艦船を輸出する事になったのも、君達の活動と聞いている。これからも私と一緒に働いてくれ。頼んだぞ」
「はっ、この国から死んだ魚のような眼をした臣民が居なくなるまで、粉骨砕身の覚悟で努めます」
私は皇子様に、いや、これから皇帝陛下となる方に誓いを立てた。それが、この世界に来た目的なのだ。……誰も悲しまない世界を作る。その為の苦労など、些事に過ぎない。
千鶴ちゃんとジェームス、ホルス君達も同じく頭を下げた。皆、気持ちは同じなのだ。
「私は良い隣人を得た。……これはとても得難い事だ。きっと我々の願いは結実するだろう」皇子様が呟く。
「我々もその為に、ありとあらゆる労苦を厭いませぬ。必ずや成し遂げて見せましょう」アーリ様とミドハト様が同じく頭を下げる。
私は確信する。これだけの人が一丸となって『タンジマート』達成を、そして国を支えると誓ったのだ。ならば、それは必ず達成出来る筈だ。
「ともあれ、具体的な活動を決めねばならん。何か良い案はあるかな?」宰相閣下が質問する。
「こちらは、陸海軍を掌握して、首都の主要な施設を占領させましょう。青年改革派のリーダーともコンタクトが取れそうです。そちらの決起をそのタイミングに合わせ、王宮に集めてはどうかと?」
私が提案する。この案については、ホルス君と千鶴ちゃんで相談した。ともかく、皇帝陛下には現実を見せねばならない。
「ふむ、造船所と輸出の件でこちらの派閥から切り崩せる者を洗い出すか。恐らく、利益があれば離反はたやすい」宰相閣下も提案される。
「成程、その案で良さそうだ。諸々の準備には時間が掛かろう、決起日は何時にするか?」
皇子様がきちんと意見を纏める。ただの傀儡にはならなそうで良かった。
「そうですね、陸軍全体にまで浸透させるのには時間が掛かります。半年と言ったところでしょうか」
「青年改革派について、まだ確約は出来ませんが、日程が決まれば話が進む筈です」ホルス君も乗り気だ。
「派閥の離反は、最後の仕上げにするとしよう。万が一計画が漏れれば、皇子の命が危険だ」宰相閣下は慎重派のようだ。
「その点なら任せて下さい、私が皇子様をお守り致します!どんな事があっても、かすり傷一つ付けないと断言します!」千鶴ちゃんが、何時にも増して気合が入っている。
千鶴ちゃんは、あのあと数日部屋に閉じこもった。ひとしきり考えた後、真っ赤な顔をして「お友達からお願いします!」と、皇子様に返事をした。その場にいる全員が大爆笑したものだ。
……だってねぇ、あれだけ私に実力行使を進めておいて、自分は『お友達』だなんて。
断言しても良いが、千鶴ちゃんは直ぐに陥落する。あの皇子様にそんな言葉が通じる筈が無い。一度、傾いた千鶴ちゃんの心は、一気に持っていかれる。それ位、あの皇子様は魅力的だと思う。
……まったく、私も随分とその手の事に詳しくなったものだ。
「ふむ、纏めるが決行の日は新年の挨拶の式じゃ。陸海軍のメンバーが要所を占拠し、青年改革派が王宮の広間に集結する。皇子と我々が皇帝陛下の御前に行き『譲位』を迫る、と言う流れになる。質問はあるかね?」
つまり、約七ヵ月後に決行する。それまでには各々の役割も完了するだろう。無事無血革命、という訳だ。
やれやれ、こんなにも大事になるとは思わなかったわ。その上で『タンジマート』を完了させ、借款へ返還して来たるべき、エジプトやロシアとの争いにも準備を進める必要がある。
……私は最善と思える道をひた走っている。それがどれだけの影響を与えるかも理解している。結果的に、戦争は減り、世界は良い方向に向かうと信じているのだ。
決して、私利私欲ではない。私は、そう自分に言い聞かせながら、これからの事を悩むのだった。
シリアス回です。
いよいよ決起の時です。商売じゃないじゃん! と言う人も多いかもしれません。
商売をするために、政治に首を突っ込むのです。
書いている内に『この皇帝陛下じゃ駄目だな』と言う結論に達しましたので。
いずれ、商売無双したいですね。多分トラブルの方が早い気がしますが。




