78.やる気と覚悟の問題なんですよ
「船の上はイギリスだ! お前達ゴミクズ共、そのお祈りを唱える口を開く前と閉じた時に『サー』を付けろ! お前らは全員平等に価値が無いぞ! 貴様ら間抜けにはアッラーは居ないのだ! 泣いたり笑ったり出来なくしてやるからな! 分かったか! 返事は?」
『サー。イエス、サー』
「声が小さい! 腹の底から声を出せ! この馬鹿野郎が! 私を憎いと思うなら学べ! そうして、船乗りとして軍人として、最低限の事が出来なければ飯抜きだ!」
『サー! イエス、サー!』
「貴様らはゴミ虫だ! 私の言う事を聞いて、真っ当に訓練をするんだ! そうやって『オスマン帝国海軍』の一人として、腰抜け共がきちんと人を殺す事が出来るよう、教えた働きを覚えるまで終わらないと思え! ほら返事だ! さっさとしろ!」
『サー!! イエス、サー!!』
千鶴ちゃんの猛烈な指導である。どこぞの軍曹も斯くや、と言うスパルタぶりである。数百人単位で行われる、船乗りの指導は順調のようである。
造船所の周りをランニングさせて、叫びながら一糸乱れぬようになるまで、徹底的にやるのだ。周りの奴が見て『あいつら何をやっているんだ?』と思わせるまで続く。
『オスマン帝国海軍』の提督も見守る中、厳しい訓練と千鶴ちゃんの罵倒は続く。これも、各自のプライドを徹底的にぶち壊し、船乗りとしての価値観を受け入れらせるためだ。海賊の必須スキルである。
「今まで、まったく言う事を聞かなかった荒くれ共が、こんなにも……」提督の価値観が揺らいでいる。
一方で造船所の方は、と言えばジェームスの指導で、てきぱきと作業が進む。
「お前ら、働かずに飯は食えないと思え! とっとと作業を進めるんだ。おい、そこはテキトーに置くんじゃない! 指示を守って荷物を運べ! その部品は、お前さんよりも貴重なんだ! 俺はやり方を教えない! やる気のある奴は給料も上げてやる! やり方は、お前らが目で見て盗め!」
『はいっ!』
「……これが、本当の教育なのか。ここまで徹底的にやらねばならんとは。考えが甘かったな」
「アーリ様。これでも最低限なのです。まだまだ、こんなもんじゃ済みません」
「ほう、厳しいのだな」
「一通り指導が済めば、黙っていても動くようになります。後は、細かい所を教えるだけです」
まあ、やる気と覚悟の問題である。どんな風習があろうと、真剣に取り組ませるには、荒療治しかない。ダルイム族の工房は、その点やる気だけはあったから。普通はこんなもんだ。
これを他の官製工場でも、同様に教え込むのだ。綺麗事で腹は膨れない。アッラーのお導きでなく、自ら稼ぐ事を叩きこまねばならない。
……気が遠くなるような話だが、これも必要な事だ。
「後はですね『蒸気機関』自体の工場が欲しいです。あれは本来、鉱山で排水と運搬のための物です。『魔導石』の鉱山の稼働を活発化させる為に『蒸気機関』を導入させたいですね」
「『魔導石』の鉱山自体は手掘りだ。産出量が増えれば、イギリスからの輸入が必要無くなる。随分と幅広くやるのだな」
「ええ、装甲艦を作るなら、旋盤と製鉄所に鉄鉱山も必要ですし。全部国産化すれば、借金を減らせますよ」
ともかく、イギリス頼みと言うのがまずい。借款は増えるし、ノウハウは持っていない。あちらの気持ちひとつで、経済がガタガタになるのだ。
「……もう一人、同期の友人が居るのだ。メフメト・フアトと言う宰相だ。……今はエジプト訪問で留守にしているが、今の話は伝えてやりたいものだな。とにかく国の財政に頭を抱えていたのだ」
「ええ、私は商人です。どうやったらお金儲けが出来るかは、息をするより簡単ですよ」
「何とも頼もしい限りだな。……どうしてまた、こんな国に来る気になったのかね?」
「もうちょっと、何かがあれば十分自立出来る、と思ったからですよ。個人的な趣味なのですけどね」
こういう大掛かりな活動は、所謂ロマンという奴である。やりがいがある程、達成した時の感動も大きい。
今までの経験で手順は確立している。思わぬ拾い物である。何事も経験だなぁ。
今のこの国は改革で混乱している。稼げない下流の人々をきっちり工場で働かせ、まずは自立させることが第一だ。イスタンブールは発展しているが、他の地域差も大きい。
取りこぼしの無い様に、仕事場を与えなければいけない。
造船所では仕事を覚えさせた奴が、積極的に労働する事を覚えたようだ。海軍も、ようやく訓練航海が出来るまで、まとまりを見せつつある。
小さな一歩であるが、周辺の住民の見る目も変わって来た。今まで近代化改革をトップダウンで行って来たアーリ様の価値観を、下からの改革でボトムアップをさせていくよう、理解させるのだ。
上がすげ変わっても、継続・維持出来る国家運営である。権力が無ければ何も出来ない、というのは良い訳だ。こうして、今まで誰の目にも期待されていなかった奴の行動を変える事で、日の目を見させてやるのだ。
……ロンドンでさんざんやって来た事だ。どんな世界に行こうが、こういう地道な活動に変わりはない。
お偉方は分かっていない。こういう街中の隅っこで、どんよりと死んだ魚のような眼をした人々の事を。国と言うのは生き物である。頭脳がしっかりとしていたとしても、末端が死んでいるならほぼ病人である。
「ヨーロッパの瀕死の病人」と言うものは、ざっくりと定義するならそういう物だ。末端にあたる下層民をいかに引っ張り上げるかが大事なのだ。
ロンドンでは『ロンドンに行けば何とかなるだろうという希望だけを持って集まってくる』と言うのがあった。しかし、ここにはそんな物は無い。
だから『きちんと仕事をすれば、報われて良い暮らしが出来る』と言う幻想を見せるのだ。そうして、それが実現すれば、幻想は現実となる。
そこまでしなければ、『タンジマート』を達成する事は出来ない。厳しい事には違いない。だが、改革の過程にマイルストーンを設ける事が大事なのだ。
漠然とイギリスやフランスのようになればいい、と言う事は無い。はっきりと自分達をこの国の国民だと自覚させて、国家運営のビジョンを描く事。それが近代化改革というものなのだ。
「……ああ、君達に会って本当に良かったと感じている。私が思っていたよりも、困難だがはっきりと理解出来る改革案だ。是非、私の知り合い達とも話をして貰いたい」アーリ様が感動している。
うん、やっぱりこういうのは日々の積み重ねなのだ。ホルス君や千鶴ちゃんが毎日の鍛錬を欠かさない様に、私は身の回りの変化や行動を注意する事は絶対に忘れない。
商売の種を探すための行動は、息をするように実行出来る。それが商人と言う生き物である。
ジェームスは魔道具師だが、最近この辺りの意識が明確になっている。ダルイムの街での一連の活動が商人としての意識も促したらしい。
千鶴ちゃんも自分の役割をしっかりと確立した。ただの護衛ではなく、出来る事と出来ない事を把握し、必要な行動を自分で見つけ出すようになった。
ともかく、人間色々と経験する事が大事なのだ。神の思し召しではなく、自立する事。今日出来る事は今やる。細かい気配りと報連相の徹底。
そういう処を意識付けすれば、おのずと国は回り始めるのだ。つまるところ『オスマン帝国』の国民として自分から能動的に活動する事が最終目標である。
……道は遠いが、確実に前に進む方法である。
私は、アーリ様との話し合いの中で様々な意識を詰め込み、向かうべき先を指し示すのだった。
シリアス回です。
ちょっとした方向性を決めます。良くある改革の失敗例という奴です。
とにかく命令すればいい、と言うのは間違いです。
自分のやるべき事を認識させて、行動させる事。基本ですが難しいですね。
千鶴ちゃんの罵倒の元ネタは、ハートマン軍曹です。下品にならない様、再現するのに苦労しました。




