55.天気晴朗なれども波高し
とりあえず名前も決めずに、大航海に乗り出したこの船。せっかくなら、カッコいい名前を付けておけば良かったと後悔した。
「ねえ、この船って名前なかったよね?誰か良いアイデアある人、いる?」
「うん、そうでしたねえ。新聞記者に聞かれなかったんですか?」マードックさんが呟く。
「何でかねぇ、皆に『蒸気船』を理解させるのに夢中だったのよ。さっぱり忘れてたわ」
「普通はねえ、スポンサー様が付けるのが通例なんです。ただ……今回イギリスと提携、してますよねぇ」
フルトン、中々鋭い所を突くねぇ。そうなると、イギリス由来の名前か……。
例えばプリンス・オブ・ウェールズとか、ブラックプリンス。後は……クイーン・エリザベスとかかなあ……。
逆に何となく豪華すぎる。将来、二代目とか三代目とかで使われそうな感じもするし。
「……案外、良い名前って無いものねぇ?」
「そうですな。こういう時は昔の偉人の名前や聖人に因むと良いですよ」
「お、そう言うマードックさん、良い案あるの?」
「そうですね。実際大西洋横断なのですから『コロンブス号』などと言うのが堅実かと」
あの『銭ゲバ』のおっちゃんかぁ……。リアルで聞いた事のある人の名前は、ちょっと躊躇うなぁ。
まあ、普通はそんな事を考える人も居ない訳だが。千鶴ちゃんも同じことを考えたのか、クスッと笑った。
「そうですね、船の無事を祈るというのは大事です。こういうのは縁起物ですから」やはり千鶴ちゃんはそういう世界の出身だし、こだわりもあるのか。
「成程、沈まないとか、地名の方が良いのかもねぇ……」こう、我々らしい名前か……。
「すみません、私の場合は日本人なので、漢字しか浮かびませんでした。恵比寿丸とか松竹丸みたいな」
「名は体を表す、とも言うし……そこは拘りたいねぇ」モーズリーさんも結構考えている。
実際、意気揚々と出航してみたものの、帆船じゃないから船員の数も少ないのだ。
自然と交代で周辺や機関の見張り程度となり、全員暇を持て余している。さっきまでの過密スケジュールとのギャップで困惑しているのだ。
「うむ、ふと思いついたんですが……ちょっと提案するのも躊躇われて。如何したものかと?」
「なになに、マードックさん。今ならお買い得ですよ。一緒におまけも付けちゃう」と、どこぞのジャンクフード屋みたいな事を言ってしまう私。
「古来、船の名前は女性というのがありまして……ウチの商会ならではというか、その何というか」
なんだか歯切れが悪い。おかしな名前なのだろうか?
「『ロンドンの女帝』ですよ。つまり『Queen Of London』って事です」
それを聞いた瞬間、皆が『あぁ、なるほどね』という感じで頷く。えぇ、自分のあだ名を付けるのって有り?
「お姉様が作った船ですもの。誰もが納得すると思いますよ」
「うんうん、イカすぅー!!」
「特に他の意図が入っていないのも良いですな。聞いただけでロンドン中が納得しますよ」
……まあ、何というかそんな気もする。個人的には非常に恥ずかしいのだが……満場一致?
「何というか、ノーコメントね。皆が納得するなら、それでもいいし。……でもね、実際ニューヨークで記者に説明するのが私なのだけど……世界中に恥を晒すとは思わない?」
私のコメントで、今まで噴き出すのを我慢していた連中が、一気に我慢出来なくなったようだ。笑わないでよ。結構切実な悩みなんだから。
「いや、店長すみません。……でも良い名前だと思いますよ。少しの恥は我慢して下さい」
皆どう見ても面白がっているじゃない。でもまあ、店の宣伝と割り切るしかないかも。
「分かったわよ、この船の名前は『ロンドンの女帝』もう、それで良いんでしょ!」絶対、後でジェームスが笑う。ゲラゲラ大笑いする。断言しても良いわ。だって、直ぐに脳内再生出来るもの、もう!
「ジェームスさん、きっと気に入りますよ」千鶴ちゃんが皮肉なのか、正直なのか分からない発言をする。
「もう、茶化さないでよ! 自分もそう思ったんだから」大体ね、皆笑いすぎなのよ。
「イカす、イカすぅ―!!」黙れ、フルトン。
「大丈夫ですって。きっとアメリカ人も気に入りますから、その名前」じゃあ何で笑い続けてるのよ、モーズリーさんは。
一人で膨れ顔をする私を宥めすかして、皆が和気藹々としながら航海は続く。平和だねえ……。
千鶴ちゃんは舳先に立って、よろめきもせずに風向きを調べている。フルトンは結構船に詳しく、懐中時計で時間を見ながら、一定期間で魔道具を調べている。
インド航海では位置しか分からなかったが、この時代では正確な時間が測定出来る。つまり、船の速度がすぐにわかるのだ。フルトンが「十七ノット突破しました!」と、叫んだ。
「残念、スペック通りの速度にはなりませんねぇ」千鶴ちゃん、本気で二十ノット目指してたのか。
「まあ、こればかりは机上で分からない事です。十七ノットだって、最新の帆船でも条件が重ならないと出ない速度ですよ」モーズリーさんも冷静だ。
「順次、最大速度は測定しておいてね。記者会見で発表するし」
「イカすー!!」
なんだか知らないが、あの返事に答えるのは凄く負けた感じがする。馬鹿にされたような何か。
「しかし、少し風が強くなったようですな。嵐に巻き込まれなければ良いが……」
「あっ!」私は一つ肝心な点を忘れていた。今は夏なのだ。
「……あのさ、皆。今、重要な事に気づいたんだけど『ハリケーン』って知ってる?」
全員の顔が真っ青になる。全く気が付かなかった。この時期、大西洋で発生する台風だ。何故、誰もそんな大事な事を忘れていたのか。約一名を除いて……。
「えっ、そのための試験航海じゃなかったんですか?」ふと、千鶴ちゃんが凄い事を言った。
「千鶴ちゃん、気付いていたの?」
「ええ、皆さんは台風でも大丈夫、ってアピールするものとばかり。丁度、良い具合に近づいてますよ」と、南西の方角を指さした。これでもか、という位の積乱雲。濛々とこちらに向かってくる。
やめてよ、海賊の娘が台風が来るって言ったら、絶対に嵐に巻き込まれるじゃないのよ。
「いや、これは流石に……。不味いですね、マストが無くて命拾いしました。我々の造った『蒸気船』の力、信じましょう!」マードックさんは、顔面を蒼白にしながら悲壮な覚悟で言い切った。
流石、我らがマッドサイエンティストの代表だ。そこに痺れる、憧れる。……だが、その言葉は聞きたくなかったわ。助けて、誰か。
「いやー、船体を鋼鉄製にしておいて正解でしたね。『こんな事もあろうかと』って。イカす、イカすぅー!!」
語感的には納得できないのだが、物凄い音が下から『ギシッ』と鳴るのを聞くと、そうも思える。
まあ、私と千鶴ちゃんにとっては『吠える四十度』に比べれば、という感じで落ち着いている。今思えば、千鶴ちゃんの慧眼である。まさか、あの嵐を想定して船体を設計するのが大正解とは思わなかった。
「大丈夫よ、これよりも小さい船で十日以上耐え続けた経験が私と千鶴ちゃんにはあるの。この程度、大した事は無いわよ」皆を落ち着かせるため、私は断言した。
「落ち着きなさい、自分を信じるんじゃないわ。皆が私を信じなさい! 皆で作ったこの船が、こんな嵐に負ける訳が無いのよ! 私は皆の頑張りを信じるわ。絶対に大丈夫よ!」
ようやく、皆は少し落ち着いたようだ。千鶴ちゃんは平常運転だ。この位の台風は経験済だし、『吠える四十度』に比べるまでも無い。
「しかし、この状態で『蒸気機関』が焼き切れないか……」マードックさんの言葉にモーズリーさんが顔を出す。
「しっかり見てるぜ。……俺の造ったリベットとマードック、お前が造ったこの機械だ。どんな事があっても、こいつはガンガン動いているさ。断言するぜ!」
「……よし、俺も腹を括ろう。自分の積み重ねを、我々の技術を信じてくれた店長を信じるとしよう」
皆、覚悟が決まったか。……良い顔だ。ヴァスコ・ダ・ガマ提督に見せても、合格をくれそうな良い顔だわ。
「そうと決まれば、全速前進よ! こんな嵐、最大火力でぶち抜いてやりなさい!」
『おう!』全員が一致団結し、一路ニューヨークへと向かう。
こんな所で、うろうろなんてしていられないのよ。いっけえ!
……数時間後。『ハリケーン』は、真直ぐに船を通過して暫くすると波も風も無くなった。もう、フロリダ近海に近づいたらしい。
「さあ、行くわよ。これ位の嵐で沈むもんですか。私達が造った最高の船なんだから!」
アメリカ人の記者たちには「天気晴朗なれども波高し」とでも言ってやろう。良い宣伝になるに違いない。
私は、皆を鼓舞して最大火力を続けたまま、真直ぐにニューヨークへ向かうのだった。
主人公のピンチがあっても、仲間を自分を信じる。
ビシッと活を入れるシーン。良いですね、王道です。少年漫画のようです。
実際問題、リスボン編に比べれば……となりますよね。
あっちの方が無謀だったもの。そりゃそうなるよ、という奴です。




