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40.暴風の中での希望

 あれから二日が経過した。風と高波は収まる事も無く、絶えず船は上下に揺れ続けている。千鶴ちゃんはずっと風を読み、波を警戒している。そろそろ集中力が切れているようだ。


 乗組員は最低限を残して交代で休みを取っている。私は、ずっと料理を作り続けている。そろそろ千鶴ちゃんと提督にご飯を持っていかなければ。


「取り舵……。帆はそのままで……」と、千鶴ちゃんが気を失いそうになっている。

「総員! 帆を全て畳め! 舵の指示だけ私がやる。お嬢さんは休ませるんだ!」と、提督が指示をする。


 私は、倒れた千鶴ちゃんを船内に運び込んだ。


「提督の方は、大丈夫なんですか?」

「ああ、波の行方だけなら、もう癖を掴んだ。流石に風の流れは分からんが……。考えが甘かったか」

「提督もあまり休んではいないでしょう。簡単に食べられるものを持ってきます」

「……そうか。そういえば夢中になって気づかなかったが、何も口にしていなかったな。頼む」


 私は、ビスケットをお湯で少し柔らかくし、塩漬け肉を薄切りにして挟み込んだ。即席のサンドイッチだ。


「どうぞ。流石にお酒を出す訳にはいきませんが、これだけでも」と、私は提督に食べ物を差し出す。

「お嬢さんの様子は?」

「今の所、ぐっすりと寝ています。緊張の連続で気を失っただけだと思います」


「彼女一人に負荷を掛けてしまった。暫く私が指示を出すから、休ませてやってくれ」

「分かりました。提督も無理をしない様に」と、私は千鶴ちゃんの様子を見に行く事にした。


 何十時間、指示を出し続けていたのだろうか。流石に気力の限界だ。まさかこの激しい嵐がずっと続くなんて、思いもよらなかった。幸い二十隻の艦隊に被害は殆どない。一隻だけマストが折れたらしいが、航行は可能との事だ。


「あ、お姉様。すみません、直ぐに指示に戻り……」

「大丈夫よ、千鶴ちゃん。提督さんが代わりに指示をしているわ。流石に帆は全部畳んだけど」

「ご迷惑をおかけしました、私が頑張らないといけないのに」


「千鶴ちゃん、まだ航海は続くわ。少し休んでいなさい」

「……はい」と、千鶴ちゃんは倒れたと思うと、すーすーと寝息を立て始めた。


 もうしばらく休ませておこう。まだ食料や水も十分にある。焦る必要はないのだ。あと何日耐えれば良いのかは分からない。だが、かなりのスピードで船団は進み続けている。


 提督と現在地の確認をしながら、もう少し様子を見る事にしよう。


「……千鶴ちゃんは休ませました。こちらは大丈夫ですか?」と、提督に声を掛ける。

「ああ、乗組員達も大分要領を掴んだようだ。ある程度は指示無しでも対応出来るようになってきた」

「良かった。今の船の位置は魔道具で確認出来ますか?」


「大体、想定の速度の二倍程度と言った所だな。……あと十日弱あれば、この海域から脱出出来るだろう。あのお嬢さんが頑張ってくれたおかげだ」


 かなりの無茶を続けたようだ。この天候の前では自分が無力である事を実感するしかなかった。


「まあ、そう気を落とさないで。航海自体は順調だ。水も食料もまだ十分にあるだろう?」

「はい、まだ二十日分は余裕であります。他の船の様子が分からないのが心配ですが……」

「他の船もそう問題は無い様だ。今の所、おかしな動きも無い。マストが折れた一隻だけ少し遅れてはいるが……」


 私は海に慣れている訳ではないので、どの程度順調かは分からない。経験のある提督の言葉を信じるしかない。


「私に出来る事は無いでしょうか?」

「そうだな……皆、雨風で体が冷えている。可能であれば、温かい食べ物を食べさせてやりたいが」

「分かりました。準備してきます!」


 幾つか処理しないといけない食材もある。まとめて煮込んでしまおう。カレースパイスは念のためにバッグに入れて置いてある。それなりの量を作る事が出来るだろう。


 揺れる船内にはもう慣れ始めた。時折振動がする度に慌てて鍋を抑えたりもするが、何とか料理位は出来るだろう。残った野菜を刻んで纏めて鍋に入れて煮込む。


 ナンプラーをダシの代用にすれば何とかなるだろう。決して安心できる状況ではないが、こうして鍋を煮込む香りを嗅げば少しは気持ちが落ち着いた。


 私は、弱火で煮込み続ける鍋に張り付きながら、ゆっくりとかき混ぜ続ける。何というか、何時も扱っているカレーの香りのせいで、ロンドンのお店に居るような錯覚を覚える。


 あの店では、もうこの匂いがずっと染みついてしまっているせいだ、と思った。


 何だか、冒険の最中に考えるような事ではない。自分の考えが馬鹿馬鹿しくなって、自然と笑いが込み上げてくるのだった。


 鍋ごと甲板にカレーを持ち込んで、手の空いた乗組員に配る事にした。もちろん提督にも渡す。


「ははは、何と言うか。この匂いを嗅ぐとインドを思い出す。懐かしい香りだ」


 周りの乗組員達も笑い始めた。どうにも、皆考える事は同じらしい。


「美味しいですよね、カレー。陸地に着いたら、もっと美味しいカレーを食べさせますから」と言うと、緊張していた甲板の皆は、すっかり落ち着いたようだ。笑っている人達もいる。


 そのまま、船内の休憩している人たちにも配っていく。どんな状況だろうと、お腹が減って美味いものが食べられれば、何とかなるものらしい。


一皿分を分けて、千鶴ちゃんの所へ運ぶ。部屋に入ると、目を覚ました彼女が窓から空を見上げていた。


「眠れないの?」と聞きながら、カレーの入った皿を渡す。


 がつがつと夢中で食べた彼女は「美味しいです」を繰り返した。


「皆にも配ったわ。美味しそうに食べて、陸に着いたらもっと美味しいのを用意しますって言ったら、みんな笑ってた」

「良かったです。皆不安に思っていましたから。食べ物が足りるか、とか船が沈まないか、とか」

「そうね、人って思っているより、単純な生き物なのかもねぇ」と言って、二人で笑った。



 それから何日か経ち、どうにか各自の仕事と休憩のタイミングが安定してきた所だ。


 おかしな話だが、出発前の緊張感は無くなり、慣れた手つきで帆の操作をする者もおり、千鶴ちゃんの指示も落ち着いた声になっていた。


 油断しているのではない。何とかなる、と言う気分になったようだ。ちゃんと、お互いのやる事は理解しているようだし、船の動きも安定している。


 ご飯一つで、雰囲気がこんなに変わるとは思わなかった。何だか冒険に対して気持ちを張っていたのは、同じだったようだ。


 私だって、もう少し悲壮な感じの航海になると思っていたのだ。本当に馬鹿馬鹿しくなってくる。


 食料は、種類が減ってきてはいるものの、量的にはまだ十日以上持つ。水も問題ない。


 後は、どれくらいでこの暴風圏を抜けられるか、という事になる。


 焦らず、自分の出来る事をしていく事にしよう。



 そうして、五日ほど経過した。千鶴ちゃんが「潮の流れが変わりました! 北東に進んでください!」と言い、暴風圏内からは抜ける事になった。


 提督が位置を調べて、どうやらインド洋の東側にまで進んでいる、と呟いた。


 全員歓声を上げて喜んだ。やっと、あの暴風圏とお別れ出来るのだ。思わず私も手を上げて喜んだ。


 波は低くなったが、風はまだ結構な勢いがあり、船のスピードもそれほど落ちてはいない。今の所、20隻全部が問題なく後ろに付いて来ている。


 何とか難所を乗り切ったようだ。後は陸地が見えるのを待つばかりだ。


 提督は頻繁に魔道具で位置を調べている。無理も無い、もう全員の体力が限界に近い。千鶴ちゃんも座りながら、時々潮の流れを確認しているだけだ。


 恐らく海流が北に向かっているという事は、陸が近いのだと思うのだが。


 私も喜望峰を出発してから何日経ったか、あまり記憶が定かではない。四六時中食事を準備し、倉庫の食料を確認し、水の残量に目を配る。


 そんな日々が十日以上は経過している、と思う。自信はない。


 翌日、朝焼けをマストの上で監視していた乗組員が「陸だ! 陸が太陽の陰に見えるぞ!」と叫んだ時には、皆反応する気力も無い状態だった。


 ああ、やっと陸地に上がれる。これで揺れる船の生活から解放される……と、私はうっすらとした意識の中、眠気を抑えて甲板から目的地だった『東インド諸島』を見るのだった。

ようやっと、難所を乗り越えました。船で遭難しかけるなろう作品は、見た事が無い気がします。


何故か冒険回なのにグルメ回になってしまった。


困ったらとりあえずカレーを作る主人公は、ヒロインでなく『カレイン』だと思います。


ただ、ヴァスコ・ダ・ガマがカレーを食ってインドを思い出す、と言う話の流れは気に入っています。


カレーの力は偉大である。


 なるほど、面白いと気になった方は、評価☆やブックマークを付けて頂けないでしょうか。また、感想などもお待ちしています。

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